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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都山科区 護法山 毘沙門堂門跡~

2017-11-17 19:15:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 門跡寺院は皇族・貴族などが出家して居住した特定の寺院のことで、その由来から寺格の高い寺とされてきました。
現在も門跡寺院と称される寺院は約30寺程度あるようですが、これは解釈の違いによって数は多少変わるようです。

京都山科区にある「護法山 毘沙門堂門跡」は天台宗五門跡の一つとされ、他の4寺は「青蓮院・三千院・曼殊院・妙法院(三十三間堂の本坊)」となります。
山科区のある地域は、かつて東国から京都へ入る際の窓口にあたり、奈良時代の奈良街道や江戸時代の東海道などの街道が交差する要所であったとされています。



毘沙門堂は「天台宗五門跡」に数えらていることから、その名のとおり比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺院です。
しかし寺院としての歴史は天台宗より古く、奈良時代の703年に文武天皇の勅願で行基により「護法山 出雲寺」として開山されたと伝わります。

延暦年間(728~805年)に伝教大師・最澄が毘沙門天を安置したことから「毘沙門堂」と呼ばれるようになったとされますが、平安時代末期以降に度重なる戦乱で荒廃してしまいます。
江戸時代になると徳川家康とも関係の深かった天台宗の僧・天海とその弟子・公海によって現在地に再建され、後西天皇の皇子 公弁法親王が入寺して門跡寺院となったと寺伝にあります。



山科駅から寺院まで20分ほど歩くことになりますが、寺院に近づくにつれ風情のある高級住宅がチラホラあって退屈はしない。
極楽橋を渡った先に建てられている門跡碑を超え、境内に入り石段の上に仁王門が見えてくると、浮世の憂さを忘れる時間が始まるように思えて嬉しくなる。



仁王門には大きな提灯が吊られていて、出迎えてくれます。
寺院の山門に吊るされている提灯には庶民的な活気が感じられて気分が高揚しますね。



また仁王門には1665年に建立されたという阿吽の金剛力士像が寺院を守護しています。
金網越しになりますが、力感のある二天像だと思います。





毘沙門堂にはこの仁王門の他にも「勅使門」と「薬医門」があり、勅使門は通り抜けは出来ないものの、見下ろせば紅葉の時期には紅葉がレッドカーペットになる表参道。
寺院側を振り返れば「毘沙門しだれ」という樹齢150年を超えるしだれ桜の大樹があります。(樹高:約10m、枝張り:約30m)



本堂へ入ると、僧侶の方が“本堂~霊殿~宸殿”を説明しながら案内して下さります。
寺院には「菊の御紋」と「葵の御紋」が同じ場所に並んでおり、権勢を誇った家康の力の強さが伺えます。



須弥壇には右の脇陣には徳川家康坐像。
これは家康が西の日光として毘沙門堂を考えていたことからとされています。

中央にはお前立ちの「毘沙門天立像」がありますが、本尊の毘沙門天像はお前立ちの後方にある宝塔の中に祀られているようです。
説明されていた僧侶も“本尊は絶対秘仏で一度も見たことはない”とおっしゃっておられました。



本尊の左の脇陣には岩窟の中で二童子を従えた不動明王立像が祀られていて、この不動明王は中々迫力を感じます。
不動明王の横に千手観音坐像が祀られていましたが、驚いたのは外陣に祀られいたもう1躰の不動明王像でした。

遠くからは流木のように見える不動さんは、仏像彫像というより木彫りの仏像といった感のある面白い不動さんでした。
天井には天井絵が描かれていましたが、護摩壇からの煤で真っ黒になって見えないのもそれだけ護摩が焚かれているということなのでしょう。



宸殿の内部には百十六面におよぶ障壁画が描かれていて、絵は全て狩野益信の作とされます。
益信は狩野探幽の養子とされる絵師で、どの角度から見ても鑑賞者が中心になるという逆遠近法の手法を用いた障壁画が公開されていました。江戸時代のトリックアート手法になりますね。



宸殿は京都御所から移築された建物で、「御成ノ間」「老人の間」「鷺の間」などの部屋が拝観できます。
中でも会いに来たけど会ってもらえない残念な人が通される「梅の間」は興味深い部屋です。

・“ヤマドリが梅の木に留まる絵”(本来ヤマドリが木に留まる絵はなく、梅の花に留まる絵に使われるのはウグイス)
・“竹の葉に留まるヒヨドリの絵”(竹の葉に留まる鳥の絵に使われるのはスズメ)
これは『鳥が合わない』ということから『取り合わない』という意味になり、「ぶぶ漬けでもどうどす?」に代表される京都の文化(察しておくれやす)を表していると説明を受けて思わず一同失笑してしまいましたよ。



縁側からは「晩翠園」という江戸初期に造園された回遊式庭園があり、落ち着いた気分にしてくれます。
池にはアオサギが獲物を探していましたが、人馴れしているのか逃げようともせず悠然とした姿が印象的です。
また、本堂からは「高台弁財天」がモミジに囲まれて朱に塗られた姿を見せてくれます。



太閤秀吉公の大政所高台尼公が大阪城内で念じていた弁才天を門跡中興第三世一品公弁親王が所望せられて当地に勧請せられたと伝わります。
毘沙門堂門跡は神仏習合の寺院ですので、高台弁財天は鳥居の中の宮ということになります。





経蔵には千手観音坐像が祀られています。
最低限の礼儀として、堂の外側から撮らせていただきました。





毘沙門堂では御朱印帳を購入して帰ってきましたが、ビロード地で手触りの良い御朱印帳です。
いま使っている御朱印帳があと1枚となってしまいましたので、終わったらこの御朱印帳が寺院巡りの友となります。



ところで、毘沙門堂は“桜と紅葉”の名所でもあるそうです。
『そうだ 京都、行こう。』キャンペーンのポスターにも過去に採用されていたのを発見しました。
毘沙門堂の美しい紅葉を楽しみたいとは思いますが、紅葉狩りに訪れる人の数が凄そうですね。




コメント
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