こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

わが心に刻まれた名作映画

2015年01月13日 00時12分13秒 | 文芸
わが心に刻まれた映画

数多く鑑賞した名作大作映画の大半が、忘却の彼方に去ってしまった。けれど『風と共に去りぬ』だけは、まるできのうきょうに見たような、新鮮さたっぷりの記憶として刻みこまれている。レット・バトラーとスカーレット・オハラの激しい恋と愛憎、戦争、。豊かな大地を赤々と染める戦火と夕日。まぶたを閉じると、生き生きと蘇るシーン。
 あれは私が十九歳、社会人一年生のころの出会いだった。恋人もなく、仕事にも慣れないせいか、厭世的気分に襲われて逃げ込んだ映画館で上映していたのが『風と共に去りぬ』。ちょうどアトランタの大地が戦火の炎に包まれている壮大なシーンだった。大型スクリーンいっぱいに広がる衝撃的な鮮やかカラーは、一瞬にして私を魅了した。身体が打ち震えてしばらく止まらなかったのを、よく覚えている。金縛りにあった感じで、二度目の上映を冒頭から食い入るようにのめりこんで見た。
 絶望から力強く立ち上がるスカーレットの姿に、感動の涙を流した私の人生観は一変したかのようだった。 
 あの映画との出会いが、私を生まれ変わらせたと言っても大げさではない。おかげで暗かった青春を人並み以上に謳歌し直されたのである。
(1993年2月掲載文)

新米パパ&ママを支えるのは

 生後数か月で長女を襲った病魔。一週間近く続いた高熱。当初の診断はかぜ。別の病院で診てもらったら、なんと川崎病だった。即日入院。妻はそのまま付き添うことに。
 初めて授かった子どもを見舞った試練に、ただオロオロ、バタバタ。
 当時は喫茶店をやっていたので、私が病院に顔を出せるのは深夜だけだった。
 息も絶え絶えの娘を見守るしかできない妻と私。心身ともに疲れ果て、殆ど限界だった。
「もうイヤや!」
 高じるストレスに悲鳴を上げる妻。
「あほ!僕ら親やないか。僕らが守らな、誰が赤ちゃん守ったるンや?」
「ほな、あんたが守ったり!」
 感情的になり、離婚という言葉まで口にするようになった僕たち。
 そんな時だった。ベッドの中で、小さな赤ちゃんが懸命に目を開けると、
「ダアダア」
 と声を出しながら笑ったのだ。それは、まさに天使の笑顔だった。新米ママとパパの危機を救い、そして以後二十五年も支えてくれた、娘の笑顔が目の前にあった!
(2007年7月掲載文)

昆虫

 夏が来た!田舎の夏だ。小学生の頃は、朝早くからカブトムシやクワガタが群がるクヌギの木を求めて、雑木林を走り回ったものだ。
 甘い匂いのする樹液が幹の穴を満たしたところに昆虫たちは集まっていた。カナブンもウジャウジャ。蜂もブンブン、ブーン!
 穴場の木は村中の子どもが熟知していたから、もう先手必勝を賭けた競争だった。とはいえ、五十数年前は昆虫の宝庫。二番手三番手になっても必ず何匹かを手にすることができた。
 蜂を追い払ってから、思い切り木の幹を蹴飛ばす。バラバラッ!と、雨あられのように昆虫が降ってくる。カブトムシもクワガタも、もう捕り放題である。
 あれは夢だったのか?現在、いくつかの雑木林は跡形もない。穴場の木も切り倒されていたり、あっても樹液の蜜が涸れていたりで、昔の面影などどこにもない。
 試しに神社の山門脇にある。昔なじみの大木を蹴ってみた。体当たりして揺すりもした。ビクともしない。何も落ちてこない。
 虫捕り網を持った子どもの姿もほとんど見かけなくなった。時の流れは、村の子どもたちから、夏休みの山野を駆け回る虫捕りの楽しさも奪ってしまったらしい。
(2013年7月掲載文)
コメント
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