六本木ヒルズ回転ドア事故「初公判」 6月24日

昨年3月、単身赴任中の父をたずね東京に観光に来ていた、小学校入学を目前に控えた溝川涼君は、六本木ヒルズ2階正面の大型回転ドアに頭部を挟まれ、6歳の短い生涯を閉じた。あの事故から1年以上が経過した今日、業務上過失致死罪に問われている森ビルおよび回転ドア製造販売元・三和タジマの関係者3名の初公判が行われた。

起訴状によると、事故を起こした回転ドア(シノレス)と同様の大型回転ドアは、都心部をはじめ名古屋や新潟の公共施設にも設置され、各地でトラブルが続出していたそうだ。涼君の事故が起こる3ヶ月前にも、六本木ヒルズの当該回転ドアでは、涼君とわずか2cmしか違わない背丈の女の子が、頭から血を流す大ケガをしていた。

三和タジマは事故防止策を提案したそうだが、ことさらデザインを重視する森ビル社長の意向のもと、何一つ安全対策が講じられぬまま事実上の放置状態にあったことが明らかになった。リボン状のパーテーションは置かれていたが、それはほとんど無意味であったと、勤務する警備員が供述している。

本公判の被告人3名においても、健常者を除く人々に対する安全対策が不備であることは認識していたというのだから、森ビルおよび回転ドアの製造販売元・三和タジマの罪は重い。特に、回転ドア製造の事実上の責任者であった久保久暢被告は、試作機を作ることもなく、いつもぶっつけ本番で六本木ヒルズも含め各ビルに回転ドアを設置していたそうで、結果、各地で頻繁にトラブルが発生していたというのだから、言い訳の仕様がない状況だ。

当該回転ドア・シノレスは、仮にセンサーが感知しても、0.1秒後に8cm動いてからでなければ停止せず、停止後はびくともしないそうだ。特にシノレスは回転ドアの中でも重く、涼君の頭部には2t以上の衝撃が加わっていたと、のちにある監察医が述べたそうだ。

今日の公判では、検察官がとうとうと読み上げた供述調書について、3名の被告人は一部細かな事実関係の行き違いを除き全面的に認める形となった。涼君の父親は、JR西日本の惨事を例にあげ、「企業は安全対策への投資を惜しまないで」と公判を前に弁護士を通して談話を発表している。涼君の犠牲が教訓として活かされなかったことへの、悔しさのあらわれだ。

会社では要職についていた3名の被告人も、涼君の事故によって人生が一変したことだろう。1人の被告人は、調書を読み上げる検察官の顔を最後まで見つめ続けていた。取り返しのつかないことを犯したことへの、自責の念にあふれた眼差しだったと私は思う。涼君のご両親は、当然だけれど、それ相当の刑を望んでいると検察官は述べた。結審はそう遠くないと思うが、判決に注目したい。

裁判員制度が導入されたら、私たちも具体的に法廷の場で判断を迫られることになる。被告人のその後の人生を左右する資格が私たちにあるとはとても思えないが、裁判員に任命されたらそれは国民としての義務となる。機会あるごとに傍聴して、少しずつ勉強していきたいと思う。
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沖縄慰霊の日 6月23日

沖縄が本土復帰を果たして、実はまだ33年。私が生まれた時はまだ、沖縄は日本の領土ではなかったのだ。先の大戦を終結させるための「捨て石」が沖縄戦であったことを顧みるとき、沖縄に対する想いもひとしおだ。

6月23日の牛島中将の自決が、沖縄における日本軍の組織的戦闘の終結を象徴する。沖縄の住民の多くは地上戦の前線に散り、高齢者や女性が、場合によっては日本兵によって被害を受けたと聞かされる時、筆舌に尽くしがたい虚しさを覚える。

そんな地獄絵図から僅か60年。私たちは、今、こんなに平和に暮らしている。犠牲になられたすべての人々への哀悼と感謝以外、今日のこの日を迎えるにあたって出てくる言葉はない。基地問題は、日本が平和を手にしたこととの引き換えだ。しかし、沖縄の悲劇に思いを寄せるとき、沖縄ばかりに基地の負担を強いることの無責任さを、本土に暮らす人間の一人として感じざるを得ない日々だ。過去も現在も、沖縄ばかりに犠牲を押し付ける恥ずかしさを、さすがにそろそろ自覚する時が来ている。

12世紀には琉球王朝の名は歴史に刻まれ、東シナ海を中心にその栄華を誇った沖縄の地の今後の発展を、私たち日本国民は特別の想いを持って真摯に考えていかなければならないはずだ。北半球最大のサンゴ礁を誇る白保の海を、無意味な公共事業から守ることも日本国民の責任なのだ。

今日あらたに、2人の韓国人・6人の台湾人が、遺族らの申請によって平和の礎にその名を刻印された。平和への祈りは、民族の壁を越えている。靖国神社参拝がもたらす対外的なダメージを、小泉総理は深刻に受け止めなければならないのだ。過度の自己主張は傲慢以外の何ものでもなく、結局は過ぎたるは及ばざるがごとしの憂き目を見る。

沖縄の悲劇から60年、さとうきび畑の下に眠る多くの犠牲者に報いるために、私たちは今日のこの日を、反省と、平和への新たな決意の、未来志向の記念日としなければならないのだ。
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