年金世代の子育て支援 2007年5月19日

「いったい娘はどうなるんだろう」と心配していた両親に、公認決定の報告のため、広島県福山市に行ってきました。私が両親の立場であったならと思うと、正直心が痛みます・・・・。

両親ともに健在で、まさに元気高齢者として「子育て」に参加しています。共働きである弟夫婦の、3人の子どもたちの世話は、私の両親の仕事です。年金世代が、児童手当が不十分である孫の面倒を物心ともに見ていくことは、時代の要請かもしれませんが、楽しい反面、飛び跳ねる子どもたちの面倒は、見るからに過酷。でも、子どもたちの笑顔は、全てを吹き飛ばしてくれています。

私は、財源を確認したリアリティのある「子育て支援政策」を訴えたいと思います。
・ 15歳まで、1人当たり1ヵ月2万円の児童手当を保障する(裕福な家庭を除き、1人目から保障)
・ 15歳までの医療費の無料化
本当は、給食費の無料化も主張したいのですが、自治体との関係も有るので、今回は保留にします。以前も書いたように、私の理想は1人あたり5万円の児童手当です。しかし、なかなか一足飛びにはいかないので、ひとまず、その前段として、即実行できる内容のものにしました。

子育て支援について、ご意見をお聞かせください。
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育児版「ケアプラン」の創設 6月7日

石川県の試みが興味深い。介護保険のケアプランならぬ、育児支援のためのケアプラン、さながら「チャイルド・ケアプラン」制度の創設だ。0歳から2歳までの未就園児を持つ家庭を対象に、介護保険のケアプラン同様に、1ヶ月単位で家庭の事情に応じた「チャイルド・ケアプラン」を作成し、子育て世代を支援する。プランを立てるケアマネジャーならぬコーディネーターは、県の養成講座を受講し「子育て支援コーディネーター」の認定を受けた保育士があたる。親の仕事や都合に合わせて、一時保育・子育て支援センター・保育ママ(幼児を自宅などで預かる有償ボランティア)などのサービスを組み合わせて、プランは作成される。

例えば、一時保育の場合、0歳児なら月4回まで、1~2歳児なら月8回までの利用が可能で、利用料金の1/2を県が補助するという。コーディネーターは、必要に応じて、育児サークルへの仲介や、自治体の保健師による訪問指導の調整を行う。サービスは今年の10月からスタートするが、介護保険とは異なり、プランの作成は無料だ。この制度が、本当に若い親たちを、子育てに関する不安やストレスから解消し、必要に応じて子育てから解放することができるのならば、子育て世代にとっては画期的な支援体制の構築ということになる。自治体が必要十分に子育て家庭にコミットすることは、例えば幼児虐待やネグレクトを、未然に防ぐことにもつながる。

ケアマネジャーの中立性が保たれていない介護保険制度は、介護産業の利益が最優先され、自立が促進されるどころか利用者はどっぷりと介護サービスに漬かり、結果的に膨らむ市場が保険料の引き上げを余儀なくさせるという悪循環に陥ってしまっている。チャイルド・ケアプランでは介護保険の轍を踏まぬよう、コーディネーターの中立性の確保が最大の課題となる。

有償ボランティアとして一時保育や育児相談にのるなど、この制度には潜在的なパートナーとして、団塊の世代の子育て経験者が大いに期待できる。団塊の世代の年金を保険料の形で負担する子育て世代への、目に見える対価として、年金受給者たる団塊の世代が子育てをサポートしていくことは、極めて理に叶った施策と言える。地域のニーズを体系的に捉えることは、自治体に課せられた責任でもあり、自治体にしかできないことでもある。子育て支援に地域の潜在力を活用することは、結果的に行政の無駄を省き、目指すべき「簡素な政府」へ向けての第一歩となる。

核家族化が当たり前のこんにちでは、子育てを地域全体でサポートしていくことが必要だ。何故なら、経済的にも社会的にも、決して親だけでは子育ては成立しないからだ。この先100兆円を超える年金を受給すると想定される団塊の世代が、子育て世代に有償ボランティアの形で貢献していくことは、子育てをバックアップするだけの十分な財源の確保に、欠くべからざる手段の一つとなる。高齢者施策と子育て施策とは、実は表裏一体なのだ。

団塊の世代の年金を十分に確保するためには、消費税を基礎年金の財源にすることは、もはや避けられない。しかし、団塊の世代は、いずれは自然減少する。その時、消費税を子育て支援にシフトすれば、子育て財源は十分に確保されるのだ。子育て世代が、社会から十分なバックアップを受けていると実感するためにも、子ども1人あたり毎月5万円の子育て手当ての支給が望ましい。チャイルド・ケアプランに、団塊の世代が有償ボランティアとして参加する仕組みをつくり、団塊の世代の年金財源を将来的には子育てにまわすことを国民の総意として、子育て財源を磐石なものにしなければならないのだ。チャイルド・ケアプランは、少子化対策において、まさにグッド・アイディアだ。石川県のアイディアを国は倣い、チャイルド・ケアプランが全国展開されることを、私は大いに期待したい。
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少子化支援こそ未来への公共投資 5月23日

少子化社会対策専門委員会で、猪口邦子大臣と有識者らとの間で論点の隔たりがあるのは、猪口大臣の思いこみバラマキ施策の連発がわざわいしている。出産の無料化や0歳から3歳までの乳幼児手当ては、決して無意味とは言わないが、しかし、それが抜本的改革を促すものとは到底言い難い。経済的支援を充実させたい猪口大臣だが、思いばかりで、その財源についてはまったくの白紙だ。更に、安倍晋三官房長官が主宰する政府の少子化社会対策推進会議が、「育児保険」や「子育て基金」を提案しても、具体的な中身はなく、行動の指針さえ出ていない。猪口大臣の少子化対策は、残念ながら小手先だけの思いつきメニューとの感をぬぐえないのである。

猪口大臣にとって最悪だったのは、シンガポールを真似してなのか、政府の責任で「お見合いパーティ」を開催するよう閣内打診していたことだ。結婚できる能力がありさえすれば、国に面倒を見てもらわなくてもみんなさっさと結婚する。結婚しない大きな理由は、格差が拡大し、多くの若者に結婚し子どもを育てるだけの経済力がなくなったからだ。国が責任を持つべきことは、お見合いなどではない。格差社会の是正と、何よりも子育てに対する社会的評価の裏づけなのだ。「国営のお見合い」を言い出す猪口大臣に、他の専門委員もすなおに従う気分にはならないだろう。何を思いつくのも猪口大臣の自由だが、それが政策として成立し得る内容なのか否かの吟味だけは、きちんとしてもらわなくてはならない。

猪口大臣に対立する少子化社会専門委員有識者らの主張は、経済的支援よりむしろ、働き方の見直しや、地域や家族の多様な子育て支援について重きを置いたものだが、職場環境の整備や地域のネットワークの構築は勿論必要なファクターではあるが、一朝一夕に片付く問題ではない。様々な職業がある中で、子育て世代が安心して子育てに取り組める保障を、政治がどういう形で提供できるかが最大の鍵になる。

子育てを応援する上で最も重要なことは、子育てに対して、十分な社会的評価を与えることだ。理念と同時に、子育てに対する十分な対価を、国の責任として子育て世帯に提供することが必要なのだ。児童手当の拡充や子育て支援税制の導入などと小出しにするのではなく、子ども一人につき月額5万円を支給することを、政治は決断すべきだ。仮に子どもを3人育てるなら、その世帯は自動的に月額15万円の収入を得ることになるのだ。こうすることによって、子育てが具体的に社会的評価の対象となり、「子育て」がれっきとした「仕事」になる。猪口大臣のような思いつきのメニューでは、持続性がなくバラマキにしかならないが、経済的支援は、やはり重要なファクターだ。

高速道路やダムの建設に替わる、21世紀型の公共投資が「子育て支援」なのだ。不必要な道路やダムに何兆円もかけるよりも、子育てに投資することのほうが、より発展性がある。子育て投資こそ、まさに、未来への公共投資そのものなのだ。2004年の出生数の合計は、約111万人。仮に18歳まで支給するとして単純計算しても、111万×18年×12ヵ月×5万円=11兆9,880億円となる。膨大な数字だが、環境破壊型のムダな公共事業を削減し、消費税を基礎年金財源に限定することによって、年間240万人にものぼる団塊の世代の基礎年金引当金を確保しつつ、同時に、年金世代の自然減少も考慮していけば、いずれは基礎年金財源と子育て財源とは均衡し、子育て財源の確保は十分に可能となるはずだ。子育て世帯が、社会からのバックアップを実感できるよう、子育てを「仕事」として認め、評価の証として十分な対価を得ることが出来るように、国が責任を持つことが重要なのだ。
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結婚推進政策の構築を目指そう 10月4日

神戸大学の小塩隆士教授の解説によると、少子化の要因は「子どもを産み育てにくい環境」ということよりも、「非婚化・晩婚化」にあるそうだ。男性の人口よりも女性の人口のほうが多い我が国においては、明らかに女性のほうが、結婚を忌避している傾向にあるといえる。

先の総選挙でも、政党のマニフェストの上位項目に、子育て支援策あるいは少子化対策が、内容の善し悪しは別にして、堂々と掲げられていた。小塩教授によると、女性が一生の間に産む平均的な子どもの数、すなわち合計特殊出生率は、2004年は1.29にまで落ち込んだ。しかし、ほぼ子どもを産み終えた結婚持続期間15~19年の夫婦の平均的な子どもの数、すなわち完結出生児数は、ここ30年間変化せず「2.23人」とのこと。これらの数字は、「出産一時金の支給」や「子ども手当ての創設」など既婚カップル向けの政策は、出生率の回復に対しては、まったく期待できるものではないということを物語っている。

しかし、悩ましいことに、結婚を推進する政策を打ち立てることは非常に困難だ。結婚すると女性の給料が倍増するとか、結婚年数によって年金の受給額に上乗せがつくとか、未婚者に限定して消費税をアップするとか・・・思いつく手段はいくつか有るが、どれもこれも相当吟味しない限り非現実的・・・。

小塩教授は、あえて結婚を奨励することよりも、「非婚化・晩婚化」を受け入れた上で、社会保障制度の現状打破を模索しようとしている。「高齢者向けの給付を圧縮し、高齢層内の所得再配分を強化する」という作戦だ。それはつまり、若年層への重い負担を回避しようというものだ。バブル崩壊と相前後して、高齢者向けの社会保障給付の国民所得に対する比率は、加速度的に急上昇した。ところが、国民負担率(税・社会保険料の国民所得に対する比率)はというと、ほぼ一定。即ち、高齢者向けの社会保障給付費の増加分は、そのまま「財政赤字」という形で、若い世代が負担するという仕組みになっているのだ。

年金は既に、「マクロ経済スライド」方式を取り入れて、物価の状況にあわせて支給額を調節しているが、小塩教授に言わせると、これを高齢者医療や介護にも適用しようというのだ。元気高齢者があふれるいきいきとした社会の構築が私の理想だが、現実問題として加齢とともに思いがけず病に倒れるケースは少なくない。医療や介護を本当に必要としている高齢者にとって、病院や介護支援事業所の敷居が高くあってはならない。診療所の受診料を引き下げ病院のそれを引き上げるという施策は、理に叶っていると思うが、加齢により病を患う高齢者に対して、「物価が上がったから、医療や介護にかかる費用も引き上げます」という論理は、果たして成り立つだろうか。

PPKを目指し「元気高齢者政策」を積極的に推進していくと同時に、やはり、あきらめず「非婚化・晩婚化」対策を、各地域に即した形で考案していくことが賢明だと思う。非婚女性の殆どは、「結婚できない」のではなく、「結婚したくない」のだ。その理由を明らかにし、非婚女性に「結婚したい」と言わせしめる魅力的な環境を、政治の力で作り上げていくことが必要だ。そして願わくば、大志を抱き夢と希望に満ち満ちた光輝く眼差しを持ったジェントルマンが、社会にあふれることを期待するのだ!
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