生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(160) 経営の真髄

2020年01月31日 13時31分24秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(160)       
 TITLE: 経営の真髄

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                      
                                                        
書籍名;『経営の真髄』 [2012] 
著者;P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社 発行日;2012.9.21
初回作成日;R2.1.30



 この書の原題は「Management Revised Edition」となっており、ドラッカーの著作を、彼の同僚であり友人であったジョセフ・マチェレロ教授により再編集したものになっている。冒頭には、ジム・コリンズの「ドラッカーが遺したもの」という文章が掲げられている。その冒頭の文章は、次の通り。
 『大学院の授業でリーダーとマネジメントの違いを聞いたところ、「リーダーはビジョンを描き、
マネジメントは実行する」「リーダーは志を立て、マネジメントは手配をする」「リーダーは目線を上げ、マネジメントは詳細をつめる」などの答えがあった。
リーダー崇拝とマネジメント軽視の風潮がそのまま出ていた。リーダーは閣歩し、 マネジメントは後に続く。なれるものならリーダーになって、雑事はマネジントに任せたい。
だが、これほど間違った考えはない。ドラッカーも言うように、最高のリーダーは最高のマネジャメントでなければならない。マネジメントできずにリーダーたらんとしても、何もできないか害をなすだけである。』(pp.ⅲ)

 彼は、ドラッカーの影響力の元を、4つのアプローチの方法にあるとしている。
 『ドラッカーの影響はなぜ、これほどに大きいのか。その理由は、ドラッカーの考えたことそのも
のだけにあるのではないと思う。そのアプローチの仕方にもあると思う。
一、外の世界を見る。
二、成果を中心に置く。
三、質問する。
四、個を大切にする。』(pp.ⅳ)
 これは、トヨタの三現主義に似ているが、一方でメタエンジニアリングのMECIプロセスにも相当している。すなわち質問するMining, 外の世界を見るExploring, 個を大切にするConverging, 成果を中心に置くImplementing,ということになる。

 多くの記述は飛ばして、第20章の「社会に与える影響の処理と社会的責任」について引用する。このことが、最近とみに重要になっているからだ。彼は、まず社会的責任を二つに分けている。企業が社会に与える影響と、企業自身の活動とはかかわりなく社会自体の問題として生じるものだ。それについては、
 『ニつの社会的責任
いずれも、組織が社会やコミュニティのなかの存在であるがゆえに、マネジメントにとっては重大な関心事たらざるをえない。しかしこの二つの社会的責任は、まったく違う性格のものである。前者は組織が社会に対して行なったことに関わる責任であり、後者は組織が社会のために行なえることに関わる責任である。
現代の組織は、社会に貢献するために存在する。それは社会のなかに存在する。コミュニティの中に存在する。隣人として存在する。そして社会の中で活動する。』(pp.354)とある。

 その事例は、社会情勢の変化によって生まれてくるとして、次のように語られている。
 『ここにいくつかの例がある。一九四〇年代から五〇年代はじめにかけて、フォード社が車の安全性の向上を試みてシートベルト付きの車を売り出した。しかしあまり売れなかった。そのため手を引いた。
一五年後、安全意識が広がり、自動車メーカーは安全性への関心の欠如と死の商人たることについて激しく攻撃された。その結果、市民を守るだけでなくメーカーを罰することに熱心な法律がつくられた。
マネジメントにとって第一の仕事は、冷静かつ現実的に自らが社会に及ぼす影響を予期することである。』(pp.356)

 また、別の例としては、
 『これに似た例として、デュポンの工業用品毒性研究所がある。同社は一九二〇年代に自社製品に有害物質が含まれていることを知り、専門の研究所をつくって除去のためのプロセスを開発し、他の化学品メーカーが当たり前のこととしていた影響を除去していった。
しかも、その毒性除去を事業に発展させた。今日、この工業用品毒性研究所は、幅広い顧客のために毒性をテストし、毒性のない材料の開発を行なっている。ここにおいても、影響は事業上の機会に変えることによって除去された。』(pp. 358)がある。

 そして、社会に影響を及ぼすイノベーションについては、技術的なイノベーションよりも、社会的なイノベーションがより重要であるとしている。これはまさに、ここ数年日立が云っていることだ。日立は、常に「社会イノベーション」と言い続けている。
 
『変化をイノベーション、すなわち新しい事業への機会に転換することは、組織の機能である。イノベーションを技術に特有のものとしてはならない。
これまでの歴史において社会的なイノベーションは、技術的なイノベーションよりも大きな役割を果たしてきた。一九世紀の主な産業は、新しい社会環境としての工業都市を、事業上の機会や 市場に転換した結果生まれた。最初にガス、次に電気による照明事業が起こり、市内電車と郊外電車、電話 、新聞、デパートなどの事業が起こった。
社会の問題を事業の機会に転換するための最大の機会は、新技術、新製品、新サービスではなく社会的なイノベーシンにある。事実、成功を収めた企業の秘密は社会的なイノベーションにあった。』(pp.360-361)

 最後の第21章の「まとめ」には、短い文章で次の様にある。
 『まとめ
多元社会においては、個々の組織は、自らのミッションに焦点を絞ることによって成果をあげなければならない。しかし社会全体の利益は誰が考えるのか。自らの組織の壁を越えて公益を考えることのできる組織のリーダー以外にいるはずはない。
多元的な組織社会とは、自らの組織のミッションに専念しつつも、自らの細織の壁を越えて行動することのできるリーダー層からなる社会のことである。』(pp.383)

 21世紀を10年を過ぎてから、このドラッカーの主張は、ESGとSDGsの形で、ようやく世界中で具体化することになった。

その場考学との徘徊(63)ダボス会議でのメタ視点

2020年01月26日 16時19分28秒 | メタエンジニアの眼
その場考学との徘徊(63)         
TITLE: ダボス会議でのメタ視点
『ダボス会議』 KMB4144

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                      
                                                         
書籍名;『日立評論』 [2019] 
著者;加藤兼司
発行所;日立評論社 発行日;2019.6.20
初回作成日;R2.1.26 最終改定日;



「ダボス会議」の正式名称は、世界経済フォーラム(WEF)の年次総会、今年は各国政府のトップや企業経営者など2800人を超えるリーダーたちが参加しまして、昨日閉幕した。
NHKのWeb News(2020年1月25日 6時33分)では、『「ダボス会議」閉幕 日本企業にも環境対応突きつける会議に
世界の政財界のリーダーらが集まる「ダボス会議」が24日、閉幕しました。環境への対応をおろそかにしている企業には融資や投資が集まらなくなる仕組みづくりの議論などが行われ、日本の企業にも対応を突きつける会議になりました。』とある。日本の企業は、どこまで真剣に受け止めるのだろうか。

この記事は、日立評論 第101巻 第3号「グローバル価値創造に向けたオープンイノベーション」という特集号の中にある。(pp.14-19)筆者は、日立製作所グローバル渉外統括本部の所属とある。
 蛇足になるが、私は修士2年の夏に就職先を決める際に、日立を希望して、日立市の工場、研究所、発祥地の鉱山のポンプ場まで、丸一日かけて見学をさせてもらった。しかし研究室に戻ると、石川島播磨から「浪人中の航空機用エンジン研究の大型プロジェクトの予算が、来年度から付くことが決まった。10年で100億以上だ」とのニュースに、つい浮気をしてしまったというわけだった。そこで、今でも日立の株主総会と秋の有楽町国際フォーラムでの展示会と講演会には、必ず出席をすることにしている。そこでこの報告書を毎年手に入れるわけである。

 本題に戻る。この記事は、当然昨年のもので、参加したいち社員の記事なのだが、その中身がいかにもメタエンジニアリング的に見えたので、敢えて記憶にとどめることにした。題名は「Society5.0@ダボス会議」とある。

 記述は、「1989年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇妃がレマン湖で蒸気船に乗ろうとしたときに襲われて死亡したこと」で始まっている。これを、欧州秩序の崩壊の始まりとしている。(歴史、地政学)
 WEFでは、「グローバル化1.0を1950からで蒸気機関と鉄道、グローバル化2.0を1950年からの世界大戦後の繁栄のTV時代、グローバル3.0を1990年からのジェットエンジンと衛星、光回線の時代」としており、2019年からはグローバル化4.0の時代というわけだ。グローバル化4.0は、「Newグローバルアーキテクチャー、西から東、北から南、第4次産業革命の時代」と説明している(文明論、地球的社会の変遷)

 そして、次の言葉を引用している。
 『またWEF創始者のシュワブ教授は,グローバル化と は技術がもたらす現象であり,グローバリズムは,国益よりネオリベラリズム的な秩序を優先させる思想であると厳に区別している。 グローバリズムは,時に一部の国家・企業が,他者の 犠牲の上に利益を貪る事象を引き起こす。そこでWEFは過去に学び,技術がゼロサム的社会を生まぬよう,時代に沿うアーキテクチャを創ろうと呼び掛けた。』(pp.14)

 ホテルの周りの景色の表現は、「バイロンとシェリーが過ごした別荘と、スイスワインのシャスラ種の葡萄畑」の様子を述べている。(文学、自然)

 会議の様子については、日立会長の「第4次産業革命は、個別の事象に捉われ過ぎず、まずありたき社会像を共有すること」との発言を強調している。(全体最適指向)(pp.15)

 続けて、1929年の「ダボス討論」で「ハイデッガーによるカント解釈を巡る論戦」を挙げて、「良き世界を目指す議論」としているが、当時のハイデッガーは、大学教授で「存在と時間」は発表済だが、ナチ党員になる直前で、私には、あまり良い議論とは思えない。(哲学思考)

 次に、東原日立社長が発議した「技術開発とビジネス倫理」の話では、いきなりこんな記述になる。
 『ディオダティ荘の座興で,シェリーの妻メアリーが創作した怪奇小説「フランケンシュタイン」は,実は技術と倫理の物語である。よく知られる映画の怪物は動物的で残虐だが,原作ではゲーテを愛読する知識人だ。逆に功名心から怪物を創った若者ヴィクターは倫理に欠け,怪物に「なぜ生命を弄ぶのか」と諭され,神の領域を侵 したことを激しく後悔する。 Al開発などにおける技術者の葛藤を「フランケンシュタイン・コンプレックス」 と呼ぶ由縁だ。』(pp.16)(文学論)

 続いて、女性重視のダイバーシティーの議題からは、突然映画の話になる。
 『「口ーマの休日(原題:Roman Holiday) 』は,バイ口ンの詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』にある成句
「Roman holiday」からの引用だ。Roman holidayには,他人の犠牲の上に成り立つ利益などの意味がある。映画では,新聞記者ブラッドレーが王女のプライバシーを売って一撰千金を夢見,夜ごとのパーティーに飽きた王女は,公務を放棄しブラッドレーとの恋を夢見る。』(pp.17)(文芸)
 この話は、プライバシー保護と忘れる権利の表現だそうだ。一方で、安倍首相の「大阪トラック」の話は、2行で片付けられている。

 会食中に考えたこととしては、次の記述がある。
 『マリノフスキーは文化が異なれば人々は異なる幸福を望むと説き,人々の不可量的行動を記録して,文化人類学の重要な手法,参与観察を編み出した。 日立でも顧客協創方法論「NEXPERIENCE」にこうした手法を採用し,各地の社会イノベーション協創センタには,文化人類学などに知見のあるデザイナーを置いている。』(pp.18)(文化人類学)
 「参与観察」については、以前に話を聞いたのだが、「不可量的行動」とは、何なのだろうか。数値化できないことなのか?

 そして、再び倫理の話に戻り、こんなことを記している。
 『ネオリベラリズムを市場原理主義と同一視する向きもあるが,「見えざる手」を唱えたアダム・スミスは道徳の重要性も説き,カントに傾倒した新古典派経済学の始祖マーシャルは,ビジネスリーダーの倫理「経済騎士道」を唱えた。スミスやマーシャルがダボスに参加したなら,やはり倫理に基づくデータのルール形成を唱えたのではないか。』(pp.19)

 最後には、きちんと「日立の企業理念」の紹介で締めている。
 「優れた自社技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」というわけである。「技術に社会的価値を埋め込む」のだが、果たして、真の社会的価値とは何かを、今の企業所属の技術者は理解できているのであろうか?

全体を通じて、聊か知識の安売りにも見えるのだが、会議をメタ的に捉えている態度は、メタエンジニアリング的に面白かった。

メタエンジニアの眼(158)洋上風力発電と曖昧文化

2020年01月25日 07時10分11秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(158)         
 TITLE: 洋上風力発電と曖昧文化

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                      
                                                        
書籍名;『洋上風力発電』 [2019] 
著者;特集記事
発行所;週刊東洋経済 発行日;2019.5.18
初回作成日;R2.1.22

 この記事は少し古いが、題名は「洋上風力で先行する台湾、日本に足りないものは何か」で、結論は日本の洋上風力に対する政策の曖昧さを述べている。

 最近の台湾は、強い勢力の大型台風が年に何回も直撃するので、洋上風力は見合わせていると考えていた。しかし、事実は全く逆で、毎年1ギガワットの新設が進められている。長期政策を明言しているので、海外企業が軒並み参加、政府は実証事業や、設置場所近くの海岸に、製造工場用の土地整備まで進めている。大型風力には、現地での組み立て工場が必要になるのだが、日本ではそれすらなかなか進まない。
設置場所の地図が示されており、中国との間の台湾海峡に、10か所が指定されており、そのうち3か所には日本企業も参加している。数年で、原発廃止が可能になる計算なのだ。
台湾は、この政策を日本の福島原発事故を契機に始めたそうで、確かに台湾で同様の原発事故が起こっては大変だし、津波の可能性も高い土地が多い。

 日本の脱炭素政策は、毎年のCOP会議で化石賞表彰されるほど貧弱で、世界中から非難されているのだが、マスコミは敢えて騒がない。太陽光発電は、蓄電池を併設しないので、すでに限界だ。地熱発電も、特例法だけ作って、後は知らんぷり。この記事では、『曖昧な政府目標では経済効果は限定的』とか、『日本には洋上風力に関しての長期的な目標がない。これではメーカーが日本での設備投資に踏み切ることは難しい』と書かれている。

 曖昧イコール平和の思想は、憲法改正論議での主流派になっているのが根源の理由のように思う。最近、と言ってもここ20年ほどなのだが、日本の文化全体が「曖昧」になってゆくのを強く感じている。第一は道路交通法だ。田舎の国道のスピード違反はすさまじい。高速道路と同じで、80km/hで走っていても抜かされる。都内では駐車違反。昔の甲州街道は、違反者は取り締まられたが、昼間でも路肩に駐車し放題。私は、数年前に、50年間続けた無事故無違反記録が途切れた。小海線の見通しの良い単線の踏切で、一時停止違反で捕まったのだ。地元の人の半分は一旦停止をしない、一時間に一本の列車しか通らない、警報機付きの踏切だった。つまり、法律は守らせるためではなく、都合の良いときだけ取締まるための根拠を示しているにすぎないようだ。いじめ防止、幼児虐待、レジ袋有料化、対ロシア外交、原発再開など、曖昧文化は挙げ始めたらきりがない。

その場考学との徘徊(62)シャーロック・ホームズの本の中身

2020年01月24日 07時47分19秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(62)     
題名;シャーロック・ホームズの本の中身 場所;東京都 月日;R2.1.23
テーマ;イギリス人 作成日;R2.1.23  
                                              
TITLE:ベイカー街の殺人
コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの中でも有名な探偵小説で、中学時代に読んだはずなのだが、ストーリーの記憶は全くない。最近、TVで古いサスペンスドラマを見ることが多いのだが、特殊な場面は覚えがあるのだが、全体のストーリーと結論は記憶外になっていることが多い。歳のせいと思うのだが、探偵モノとは、本来そういうものかもしれない。このブログは、この題名の書籍の紹介になるので、メタエンジニアの眼に該当するのだが、なぜか「徘徊」になってしまった。



 正月に、Book Offが全品30%割引セール(10%だった?)をしていたので、ウオーキングがてら近くの店に寄ってみた。100円均一の棚にこの本があった。買うつもりはなく、中をめくってみた。ストーリーを思い出したかったためである。
 しかし、目次に「ベイカー街の殺人」はなく、10編あまりがあるのだが、なんと作者名がカタカナで色々ある。終わりの方には、「サー・アーサー・コナン・ドイル」の名があるのだが、題名は「シャーロック・ホームズをめぐる思い出」となっている。なんじゃこの本は? そこで、ゆっくりと中身を調べるために買ってしまった。

 「訳者あとがき」には、『現役ミステリー作家による書下ろしホームズ・パロディ・アンソロジーの第3弾』とあるので、先ずは納得がいった。なんでも、世界中に「シャーロッキアン」という人種がいて、このような小説や戯曲が連続的に生産されているらしい。元祖のコナン・ドイル自身もその一人で、思いで話を書いている始末だ。
 
 そこで、短編を読み始めたが、あまり面白くない。そこで、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズをめぐる思い出」を読み始めたが、これも彼が予約した劇場の演目が決まらずに、あわててホームズの話をつくり、上演した経緯が書き出しであり、特に秀作ではない。そこで、本の中の徘徊が始まった。
 ちなみに、この章の作者紹介として、コナン・ドイルは1859年生まれで、エジンバラ大学医学部卒で、ボーア戦争時の野戦病院の外科医、帰国してロンドンで眼科医院を開業。1902年にサーの称号を得た、とある。
 
 面白かったのが、「さて、アーサー・コナン・ドイルから一語」で題名からは彼の発言を思わせるのだが、内容は全く違った。つまり「言」ではなくて、「語」がミソだった。
 内容は、もっぱら「オックスフォード英語辞典(OED)」の歴史になっている。
OEDは1884年に編集が始まり、約200万例の文学作品と新聞雑誌記事から語彙の実例を選び出し、1928年にようやく纏められたとある。その後、1933年から「補遺および引用参考文献目録」を発行し、常に日常の変化をウオッチしているそうだ。
 そこに、コナン・ドイルが大いに貢献しているというわけである。シャーロック・ホームズ物語の「赤毛組合」中には、15385ページのOEDを手書きで転記した人物が描かれているそうなのだが、この筆者は、もっぱらCD-ROM版で見出し語を検索して書いている。
 そこには、彼の小説の中に使われている語彙が無数に示されている。例えば、「thumbless」は「親指の無い」で、「thumb mark」は「母音、親指の指紋」などで、当時はまだ警察では指紋照合は行われていなかった。「地下鉄」をあらわす「underground」も彼が最初に小説の中で使ったそうだ。
 「Sherlock Homes」は勿論見出し語になっていて、「捜査と謎解きを楽しむ者」としての一般名詞とされ、更に「sharlock」は「探偵する」という自動詞になっている。前述の「Sharlockian」も勿論見出し語になっている。さらに、「Sharlockiana」は、「シャーロックホームズ学」とある。「Holmesian」は形容詞で「ホームズのような」の意味。最近では、「watson」も見出し語に加わり、「Watsonian」は、「ワトソンのような性格」を意味するそうだ。
その他、一般的な語も多数語られている。最後は「Wonder-Woman」で「有名な依頼人」の中に出てくる言葉が、世界初とある。

 この書の「徘徊」としての結論は、やはり、イギリス人は思考法が自由で、しかもそれを一つの型にしてしまう、という従来の認識の確認だった。いろいろと非難されるフブレクジットも、私はその一端と評価するのだが、一方で、賭博好きで、極端なバカも侵す海賊人種なので、最終評価は分からない。

 そこで、記憶の徘徊を一つ。
 むかし、「風と共に去りぬ」の続きの小説が大々的に募集されて、当選作が分厚い本で発行された。私は、早速に原書を楽しんだ覚えがある。原作はアメリカ南北戦争だが、続編の舞台は、スカーレットの母国のアイルランドだった。そこは、かつてエンジンの共同開発で一緒だったRolls-RoyceのOBが優雅な暮らしをしている場所で、森の中の彼の家を訪れた時の風景が蘇った。

メタエンジニアの眼シリーズ(157)これからの優良企業

2020年01月23日 07時38分12秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(157)         
 TITLE: これからの優良企業                
                                                        
書籍名;『これからの優良企業』 [2001] 
著者;安井孝之
発行所;PHPビジネス新書 発行日;2008.7.2
初回作成日;R2.1.22



このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。 

 副題は「エクセレント・カンパニーからグッド・カンパニーへ」で、その後有名になったこの言葉の違いを、具体的な代表例を挙げて丁寧に説明している。
 「あとがき」には、次のようにある。
 『この本の内容は、一記者が会社やそこで働く人の姿や考え方を見聞きし、そこから感じた思いをつ づったものだ。多くの研究者らの経営論や経営者論のような普遍性や学術性があるわけではない。筆者の思いこみや、勘違いをしている点が多々あるかもしれない、その場合はご容赦いただきたい。』(204)

 表紙の裏に印刷された次の言葉は、後半にある。

 『21世紀の会社はどちらを目指すべきなのか。
経営指標が優れ株価は高く、市場で評価されなければ、利益を追求するための法人である株式会社としての存在価値が薄れるのは当然のことである。エクセレント・カンパニーになることは、いわば会社として存在るための必要条件である。その上で、会社がグッド・カンパニーを目指すことは、株主にとどまらず、社員、消費者、地域住民など多くのステークホルダー(利害関係者)から信頼を受け、尊敬され
る存在に進化することを意味する。会社が目指す目標は「エクセレント」にとどまるのではなく「グッド」に上げるべきなのだ。それが21世紀の会社の存在意義である。』(pp.142)

 このことについては、「社是・社訓」が重要なのだが、それが守れない場合が多々ある。例えば、
 『ほとんどの会社には社是や社訓、企業理念といったものがある。いずれもなるほど立派だと思うものが多い。だが、社員が社是、社訓を意識するのは入社時の研修ぐらいで、その後は見たこともない、ということになりがちだ。 住友家の家訓には「浮利を追わず」というものがあったが住友銀行(現三井住友銀行)がバブル時に「浮利」に走りイトマン事件に関わったのはあまりに有名だ。
なぜ社是や社訓は守られないのか。企業理念を実現し、グッド・カンパニーになるにはどうすればよいのかを考えてみたい。』(162)
 
住友の例と反対に、グッド・カンパニーの代表例は「リッツ・」カールトン」だった。
 『ドアボーイら5人が集まっていた。「ラインナップ」と呼ばれる就業前の会議である。毎日15分程度、全世界66の同ホテルチェーンで同じテーマで「ラインナップ」が開かれる。
ゴールド・スタンダードは経営理念や客へのサービスの眼目を示したもので、16項目ある。そのうち12項目は「サービスバリューズ(サービスの価値)」。少し長いが紹介する。』(163)として、12項目が並べられている。いずれの文章も「私は、・・・します。」となっている。

 つまり、「社是・社訓」をより具体化して、日常常に心に留め置かないといけないことを、繰り返し唱えることとしている。しかし、このことは日本企業の多くの現場で行われている。では、そこでの違いは何であろうか。
 そこには、「なぜ」を理解しているかどうか、だと思われる。何故を理解せずに、ただ標語を唱えていては、何も良くならない。社是・社訓と標語の間が、Whyで繋がっているかどうかの違いがあるのではないだろうか。

 トヨタの社長が、常に背広のポケットに入れて持ち歩いていると云われる「豊田綱領」が示されている。
『一、 上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし。
一 、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。
一、 華美を戒め、質実剛健たるべし。
一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし。
一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし。』(168)
 なんと、具体的なことであろうか。

その場考学との徘徊(61) 古代と未来の同居

2020年01月22日 10時57分58秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(61)         

題名;国立科学博物館 場所;東京都台東区 月日;R2.1.21
テーマ;ヒトの文明 作成日;R2.1.22                                                

TITLE:古代と未来の同居

国立科学博物館で開催中の特別展「ミイラ」を見学した。残念ながら、すべて借り物なので写真撮影は一切禁止。しかし、展示方法に工夫が凝らされており、2時間たっぷりと楽しむことができた。つまり、その場考学的な徘徊を経験することができたというわけだ。
 
私にとっての発見は、インカのミイラだった。一般的には古代エジプトのミイラが有名で、大英博物館で10回はお目にかかっている。しかし、いずれも包帯でぐるぐる巻きになっており、あまり興味がわかなったのだが、それでも毎回入館(ここは無料でゆっくり休めるので、ロンドン散策の時には、いつも短時間寄り道)するたびに、なぜかミイラ置き場に行った覚えがある。



今回は、全てのミイラのCTスキャン画像が3次元で表示されており、骨格以外の内容物まで、鮮明に見ることができる仕掛けになっていた。すると、その内容物や姿勢などから、インカのミイラが、エジプトのモノよりも、技術的にも宗教的にも数段優れているように感じられた。
インカのミイラは、長期間にわたり数多く作成されたが、全て侵略者のスペイン人により破壊され、最近まで研究されなかった。しかし、2000年の直前に偶然辺鄙な場所で墓場が見つかり、大量のミイラの発見により急速に研究が進められたそうだ。
スペイン人は、その地の文化を徹底的に破壊してしまったのだが、つい、明治維新の廃仏毀釈を思い出し、民族に限らず、伝統文化に対する狂気の時代があることを、強く感じてしまった。

写真の代わりに売店によって、「パピルスに印刷された古代エジプトの絵」を買った。パピルス紙の感触を知りたかったためだった。そのついでに、博物館の隔月誌「milsil」の最新号も買ってしまった。「地球外生命を探せ」の特集で、題名は目新しくないのだが、やはり、2000年から研究が一気に加速されたとある。



地球のような系外惑星の発見には、①高感度、②高解像度、⑶高コントラストが必要で、それが揃った時期から一斉に発見が進み、25年間で4000個以上が確認されたとある。なかでも、2009年のケプラー衛星は、一気に5000個の候補を発見したとある。
同じ雑誌の中に、「猿の会話からヒトの言語の起源を探る」という記事がある。iPhoneのSiri機能を改造して、猿の会話を理解しようとする試みだそうで、結果が期待できそうに思った。
人類の文明に関する研究は、古代と未来の両方向に加速して進んでいることを、強く感じた半日でした。。

(蛇足)昼食は、初めて館内のレストランで採ることにした。2階の奥の座席で、ガラスの向こうには恐竜の骨格の展示室を上から眺望でき、良かった。メニューは「活火山チキンカツ」でこれもお手頃。




 その場考学半老人 妄言               

メタエンジニアの眼シリーズ(156)レジリエンス工学

2020年01月22日 07時44分47秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(156)
 TITLE: レジリエンス工学

書籍名;「レジリエンス工学入門」[2017]
① 著者;古田一雄 発行所;日科技連 発行日;2017.7.28
初回作成日;R1.12.10 最終改定日;R2.1.22



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 東日本大震災の後に、東大大学院工学系研究科が「震災後の工学は何をめざすのか」を発行し、その中で、レジリエンス工学の果たすべき使命が示された。本書は、その活動の中身を説明している。
 「震災後の工学は何をめざすのか」については、以前、30年前に発行された同様の書と内容が似ており、進歩が少なく、真の再発防止に繋がるのかと批判したのだが、この書についても多くの疑問が生じてしまった。その疑問点を?―?で示した。

時代背景;
 1960年までの「技術の時代」
 1980年までの「ヒューマンエラーの時代」
 2000年までの「社会・技術の問題」
 2000年以降は「レリジエンスの時代」 
?レリジエンスは太古からあった。古代中国の水行政、武田信玄などなど?

言葉の定義については、このように記されている。
レリジエンス = システムが環境の変化を吸収して機能を正常に維持する能力
レジジエンス工学 = 社会技術システムにレリジエンスを造り込むための方法論
・リスクマネジメントの限界; 従来のマネジメントの範囲を超える状況を考慮する
 ?従来のマネジメントの範囲は業種によって異なる。実務を知らない象牙の塔の空論?
・レリジエンスの三角形;機能不全による損害の時間積分 ⇒この面積を最小化するのが目的
 ?時間軸も損害軸も普遍的な定義ができない?
・レリジエンスの特性;①頑健性 ②冗長性 ③対処能力 ④迅速性
レリジエンスの基本特性;①安全余裕 ②緩衝力 ③許容度 ④柔軟性
 ?特性と基本特性の違いは?
?どの特性も、従来から通常のシステムの要件になっている?

・『レジリエンスは通常状態における安定運転、異常状態における事故防止、事故後における損害の最小化、災害発生後の速やかな復旧など、システムのあらゆる運用を対象とする。』(pp.15)
?工学的に見れば、全く独立して考えるべき状況を、混濁している?
?全分野を統合することの意義?
?複雑なシステムの設計を、実際に経験したことがない人たちが考えている?

・レジリエンスの実現プロセス;予期、監視、反応、学習の繰り返し(pp.20)
?あらゆる・・・、常に・・・は現実的ではない。やはり、象牙の塔を感じる。?

・自然災害とレジリエンス;
?詰まるところは、災害の再発防止対策か?

・重要社会インフラのレジリエンス;都市がどの程度のレジリエンスを有しているかの評価方法の確立
都市の全体モデルを作るところからのスタート⇒シミュレーション⇒評価
?作業量が膨大で、最終目的にかなう方法か?

・エネルギーシステムのレジリエンス向上;
 不確実性下における費用便益の最適化問題(pp.77)  
?既に、確立された分野で、多くの政策に取り入れられている?

読後感として残るのは、ジェットエジン設計時に導入している「FMECA」との比較だった。
①  レジリエンス工学は、分野ごとに細分割されている。FMECAは、どの分野でも共通。
②  想定外が発生しても、最低限のシステムの維持を目的としているので、最悪の事態が起こってしまった時の、壊滅的な破壊を防ぐ具体的な方策を、考えて予め導入することとは異なる。 
③ 「システムにレリジエンスを造り込むための方法論」なので、既存のシステムについて考え始めるが、FMECAはシステムの基本設計段階から考え始める。
④ FMECAは、損害の大きさと発生頻度について、普遍的なクラス分けと規格化が行われているが、レジリエンス工学ではそのようなことが可能か?                                  

メタエンジニアの眼シリーズ(155)ビジョナリー・カンパニー2

2020年01月13日 14時07分02秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(155)         
 TITLE: ビジョナリー・カンパニー2

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。 
                     
                                                        
書籍名;『ビジョナリー・カンパニー2』 [2001] 
著者;ジェームズ・コリンズ、
発行所;日経BP出版センター 発行日;2001.12.21
初回作成日;R2.1.13 最終改定日;

副題は「飛躍の法則」で、このシリーズの2冊目になる。第1巻の原本の発行は1994年。シリーズの第4巻「自分の意志で偉大になる」は8年後の2002年の発行。

 巻末の「解説」には、野中郁次郎によって、このように書かれている。
 『コリンズは、アメリカのインターネット・バブルに対し「企業や隆営者にとってカネ(利益)は目標ではなく結果であるという原点が少なからず揺らいでいる」といち早く警鐘を鳴らした。彼が指摘するように、偉大な企業を創業した経営者はカネ以外の社会的な使命感によって経営を行い、その結果資産を得たのでありその逆ではなかった。アメリカ型の経営というと、われわれは、全てを分析的に捉え「競争に勝つ」という相対価値を飽くことなく追求する経営スタイルを連想しがちであるが、グレート・カンパニーになった企業の指導者たちからは、一貫して「社会に対する使命」という絶対価値を追求する強い意志力が伝わってくる。』(pp.418)

 「飛躍の法則」のすべては、「第5水準の経営者」による経営で、その過程は次の様にある。
 『 第五水準までの段階
第一水準 有能な個人   才能、知識、スキル、勤勉さによって生産的な仕事をする
第二水準 組織に寄与する個人   組織目標の達成のために自分の能力を発揮し、組織 のなかで他の人たちとうまく協力する
第三水準 有能な管理者   人と資源を組織化し、決められた目標を効率的に効果的に追求する
第四水準 有能な経営者   明確で説得力のあるビジョンへの支持と、ビジョンの実現に向けた努力を生み出し、これまでより高い水準の業績を達成するよう組織に刺激を与える
第五水準 第五水準の経営者   個人としての謙虚と職業人としての意思の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを持続できる企業を作り上げる 』(pp.31)

 最も重要なのは、人材なのだが、通常とはちょっと異なる。
 『最初に適切な人を選び、その後に目標を選ぶ
 偉大な企業への飛躍を指導したリーダーは、まずはじめに新しいビジョンと戦略を設定したのだろうとわれわれは予想していた。事実はそうではなかった。最初に適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、適切な人がそれぞれにふさわしい席に坐ってから、どこに向かうべきかを決めている。
「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言は間違っていた。人材が最重要の資産なのではない。適切な入材こそがもっとも重要な資産なのだ。』(pp.18-19)

 通常の日本の会社では、先ずこのことができない。新卒の一括雇用と終身雇用制度がその原因だ。

 次に重要なことは、「規律」だった。
 『どの企業にも文化があり、一部の企業には規律がある。しかし、規律の文化をもつ企業はきわめて少ない。規律ある人材に恵まれていれば、階層組織は不要になる。規律ある考えが浸透していれば、官僚組織は不要になる。規律ある行動がとられていれば、過剰な管理は不要になる。規律の文化と起業家の精神を組み合わせれば、偉大な業績を生み出す魔法の妙薬になる。』(pp.20)

規律が、単なる規律でなくて、企業文化になることは、グッドカンパニーの原則だ。 

そして、予想していなかったことで顕著なことは、すこし異なる「リーダーシップ」だった。
『たとえていうなら「すべての答えはリーダーシップにある」との見方は、中世に自然界の科学的な理解を妨げていた「すぺての答えは神にある」の現代版だと云える。十六世紀には、理解てきないことがあるとすべて神に答えを求めた。不作になったのはなぜなのか。神の御心だ。地震はなぜ起こるのか。神の御心だ。惑星があのように動くのはなぜか。神の御心だ。啓蒙主義の時代になると、もっと科学的理解しようとする動きが進んだ。こうして物理学、化学、生物学などが発達した。無神論者になったわけではないが、自然界の動き、字宙の動きを深く理解できるようになった。
これと同様に、すべてを「リーダーシップ」の一言で説明しようとすれば、十六世紀の人たちと違 いがなくなる。』(pp34.)

それは、ジャック・ウエルチのような人ではなかった。
『 良い企業を偉大な企業に飛躍させた経営者は全員おなじ性格をもっていた。事業が消費者向けであろうと産業向けであろうと、経営が危機的状況にあろうと安定していようと、サービス業であろうと製造業であろうと、変わりはなかった。転換の時期がいつあろうと、企業の規模がどうであろうと、変わりはなかった。 飛躍を達成した企業はすべて、
さらに、比較対象企業は、第五水準の指導者がいない点で一貫していた。第五水準のリーダーシップは常識に反するものであり、企業を変身させるには強烈な個性をもった偉大な救世主が必要だとの見方に反しているので、第五水準のリーダーシップが事実から導き出された概念であって、何らかの思想に基づく概念ではない点を強調しておきたい。』(pp.35)

第5水準のリーダーシップの「まとめ」は、次のようになる。
 『・偉大な実績に飛躍した企業はすべて、決定的な転換の時期に第五水準の指導者に率いられていた。
・ 「第五水準」とは、企業幹部の能力にみられる五つの水準の最上位を意味している。第五水準の指導者は個人としての謙虚さと職業人としての意志の強さという矛盾した性格をあわせもっている。野心的であるのはたしかだが、野心は何よりも会社に向けられていて、自分個入には向けられていない
・第五水準の指導者は次の世代でさらに偉大な成功を収められるように後継者を選ぶが、第四水準の経営者は後継者が失敗する状況を作りだすことが少なくない。』(pp.62)

そして、最後の野中の「解説」には、次のようにある。
『グレート・カンパニーのリーダーたちは、強烈な個性の下で指導力を発揮し大胆な経営手法を駆使するジャック・ウエルチ型の経営者ではなく、むしろ控えめで物静かで謙虚でさえあった。しかし、逆説的ではあるが、彼らには自社を偉大な企業にするために真理を追究し続けるという職業人としての強い意思とそれを愚直にやりぬく粘り強さがあった。彼らは、異なる意見に耳を傾け、従業員とじつくり対話し、リアリティの持つ多面性を総合化していった。』(pp.416)

 『規律ある入々で構成される組織は、外部環境の変化に適応しやすく、従業員の動機づけや管理の問題からも解放される。彼らの戦略は「どんな困難にぶつかっても最後には必ず世界一になれるのだという確信をもつと同時に、自分がおかれている現実を直視する」ということと、「規律ある人々との徹底的な対話を通じて自分たちが世界一になれる分野となれない分野を見極め、なれる分野にエネルギーと情熱を傾注する」という2つの原則を軸に構成されている。そして同時に、事業の原動力として最も重要な数値をわかりゃすく指標化し、それを基に事業展開する体制を作り上げている。規律ある適切な人材がいなければ、偉大なビジョンがあっても意味がない。未来を信じると同時に現実を直視し、自らの強みと弱みを熟知した上で、単純で実行可能な戦略を地道に行動に移す。そのことを、第五水準のリーダーたちは着実に実践した。』(pp.416-417)

メタエンジニアの眼シリーズ(154)ビジョナリー・カンパニー3

2020年01月11日 10時36分11秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(154)         
TITLE: ビジョナリー・カンパニー

このシリーズは「企業の進化」考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。
                      

                                                         
書籍名;『ビジョナリー・カンパニー3』 [2010] 
著者;ジェームズ・コリンズ
発行所;日経BP社 発行日;2010.7.26
初回作成日;R2.1.10

副題は「衰退の5段階」で、このシリーズの3冊目になる。第1巻の発行は1994年。全4巻のうち、これだけがコリンズ単独の著書になっている。理由は、「前書き」に次のように記されている。

 『わたしはスイカを二つ、同時に飲み込んだ蛇のような気分になっている。このプロジェクトは記事を書くことだけを目的にはじめたものだ。つぎの著書のテーマ、周囲の世界が制御できない混乱状態に陥ったときに耐え抜き、勝利を収めるには何が必要かの研究(同僚のモーテン・ハンセンとともに取り組んでいる六年間のプロジェクト) が最終段階に入ったなかで、気分を変えるために書いてみようと考えたのである。しかし、強大な組織がいかにして衰退するのかという問いは、長さに制約のある記事では扱いきれず、この短い本になった。当初は、波乱のなかで勝利する企業に関する本が完成するまで、原稿を寝かせておくつもりだったが、その後、まるで巨大なドミノ がつぎつぎ。倒れるように、強大な企業が倒れていく事態が起こった』(pp.7)

 倒壊した企業名は、リーマン・ブラザースを始めとして、大型買収を含めて数社の名前が挙げられている。そこから、この著書の副題が生まれた。

 「衰退の5段階」は、目次度見ただけで明らかになる。

『第一章 静かに忍び寄る危機; 危機の瀬戸際にあって気づかない
第二章 衰退の五段階; 調査の過程, 調査結果ー五段階の枠組み, 脱出への道はあるのか
第三章 第一段階 成功から生まれる倣慢; 倣慢な無視, 何となぜの混同
第四章 第二段階 規律なき拡大路線;自己満足ではなく、拡張しすぎ、成長への固執、パッカードの法則の無視、問題のある権力継承
第五章 第三段階 リスクと問題の否認;方針の誤りを示す事実が積み上がるなかで大きな賭けにでる、喫水線下のリスクをおかす、否認の文化
第六章 第四段階 一発逆転策の追求;特効薬を探す、パニックと必死の行動
第七章 第五段階 屈服と凡庸な企業への転落か消滅; 戦いをあきらめる、選択肢が尽きる、 否認なのか希望なのか』(pp.10-13)

 そこで、ここでは「付録7」の「良好な企業から偉大な企業への飛躍の法則」の詳細を検討する。第1段階から第4段階まである。
 
 第1段階は「規律ある人材」で、次のようにある。
 『第五水準のリーダーシップ  第五水準の指導者は野心を何よりも組織と活動に向けており、自分自身には向けていない。そして、この野心を達成するために必要なことは何でも行うという強烈な意思をもっている。個人としての謙虚さと職業人としての意思の強さという矛盾した性格をあわせもつ。

最初に人を選び、その後に目標を選ぶ  偉大な組織を築いた指導者は適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、適切な人を主要な席につけ、その後に、バスの行き先を決めている。「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をすべきか」を決める。 』(pp.281)

第2段階は「規律ある考え」で、「厳しい現実を直視する」と「針鼠の概念」とある。針鼠の概念は、「世界一の可能性」と「情熱を傾ける」と「最高の経済的原動力」の3つの円の中心に存在するものを指す。

第3段階は「規律ある行動」で、次のようにある。
 『規律の文化 規律ある考えができ、規律ある行動をとる規律ある人材が各人の責任の範囲内で自由に行動することが、偉大な組織を築く規律ある文化のカギである。規律ある文化では、人々は仕事を与えられるのではなく、責任を与えられる。

弾み車  偉大な組織を築くとき、決定的な行動や壮大な計画、画期的なイノベーション、たったひとつの大きな幸運、魔法の瞬間といったものがあるわけではない。偉大な組織への飛躍は、巨大で重い弾み車をひとつの方向に押しつづけ、回転数を増やして勢いをつけていき、やがて突破の段階に入ってもさらに押しつづけるようなものだ。』(pp.383)

 第4段階は「偉大さが永続する組織をつくる」で、これが難問になる。
 『時を告げるのではなく、時計をつくる  ほんとうに偉大な組織は、何世代にもわたる指導者のもとで繁栄を続けていくのであり、ひとりの偉大な指導者、ひとつの偉大なアイデアやプログラムを中心に作られる組織とはまったく違っている。偉大な組織の指導者は進歩を促す仕組みを作っており、カリスマ的な個性に頼って物事を進めようとはしない。逆に、カリスマとは正反対の性格である場合が多い。

基本理念を維持し、進歩を促す  永続する偉大な組織は、基本的な部分で二面性をもっている。一方では、時代を超える基本的価値観と基本的な存在、創造性を発揮したいという強い欲求がときにBHAG(組織の命運を賭けた大胆な目標)の形であらわれてくる。偉大な組織は、基本的価値観(組織にとって不変の主義)と戦略や慣行(世界の変化に適応して絶えず変えてゆくもの)をはっきりと区別している。』(pp.284)」
他の3巻と同じで、「基本的理念」の維持と、そのもとでの「創造性の発揮」が重要視されている。

メタエンジニアの眼シリーズ(153)ビジョナリー・カンパニー 1

2020年01月09日 07時59分46秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(153)         

 TITLE: ビジョナリー・カンパニー KMB4139



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                      
                                                        
書籍名;『ビジョナリー・カンパニー』 [1995] 
著者;ジェームズ・コリンズ、ジェリー・ポラス 
発行所;日経BP出版センター 発行日;1995.9.29
初回作成日;R2.1.8 最終改定日;

副題は「時代を超える生存の原則」で、このシリーズの1冊目になる。原本の発行は1994年。シリーズの第4巻「自分の意志で偉大になる」は8年後の2002年の発行。その間は、第2巻「飛躍の法則」、第3巻「衰退の第5段階」となっている。この時点では、コリンズとポラスはともにスタンフォード大学教授だった。

 冒頭の「はじめに」で目的と方法、結論が纏められている。
『この世のすべての経営者、経営幹部、起業家は、本書を読むべきである。取締役も、コンサルタントも、投資家も、ジャーナリストも、ビジネス・スクールの学生も、この世でとくに長く統き、とくに成功している企業の特徴に関心があるすべての人は、本書を読むべきである。わたしたちが大胆にもこう主張するのは、手前味暫ではない。ここで紹介した企業には、学べることが多いからだ。
この調査プロジェクトも、本書も、わたしたちが知るかぎり、はじめての試みである。設立年が平均で一八九七年という、時の試練を乗り越えてきた真に卓越した企業を選び出し、設立から現在に至るまでの発展の軌跡をあますところなく調査した。さらに、同じような機会がありながら、同じようには成長できなかった別の優良企業と比較分析した。創業時の様子を調べた。中堅企業だったころを調べた。大企業に発展してからを調べた。戦争、不況、技術革新、文化の変化など、周囲の世界の劇的な変化をどのように乗り切ったかを調べた。このプロジェクトの全体を通じて、こう問い続けた。 「真に卓越した企業と、それ以外の企業との違いはどこにあるのか。』(pp.なし)

この文章は、自信過剰にも思えるのだが、彼らが行った調査の方法と念入りに行った過程を知れば、当然のように思う。特にポラスはその道の専門家だった。

調査の過程で分かったことは、
『「革新的な」経営手法も、決して新しくはないことが明らかになった。従業員持ち株制度、権限の委譲、不断の改善、総合的品質管理、経営理念の発表、価値観の共有といった今日の経営手法の多くは、場合によっては一八〇〇年代にはじまった慣行に、新しい衣装をまとわせたものにすぎない。』(pp.なし)

つまり、その時代に盛んに発行された、新たな経営手法を絶賛する著書を暗に批判している。そして、意外なことも分かった。

『広く信じられている神話が十二も覆された。従来の枠組みは疑問符がつけられ、崩れていった。このプロジェクトの途中で、わたしたちは方向を見失った。わたしたちの先人観や「常識」に反するデータが、次々に集まってきたからだ。先入観や知識を捨てなければ、新しい概念を生み出すことはできない。古い枠組みを捨て去り、新しい枠組みを、ときには最初から組み立てなければならなかった。この作業には、六年かかった。しかし、そうするだけの価値はあった。』(pp.なし)

そして、最後に「教訓」として、このように結んでいる。
『何よりも、本書のなかにある教訓は、「自分には関係のないもの、とても活かせないもの」ではないと、 自信と意欲を持ってほしい。だれでも、教訓を学べる。だれでも、その教訓を活かせる。だれでも、ビジョナリー・カンバニーを築けるのであるる。』(pp.なし)

私は、現役時代に多くのアンケートを依頼したり、答えたりした。経験上は、日本人の回答は建前論が多く、信用度は高くないが、アメリカ人の回答は率直で本音を語っているように思えた。つまり、この結果には大いに興味が湧く。そこで、この部分に限って、詳細に検討する。

「12の崩れた神話」について、その理由が丁寧に語られている。

『教訓一 すばらしい会社をはじめるには、すばらしいアイデアが必要である。
「すばらしいアイデア」を持って会社をはじめるのは、悪いアイデアかもしれない。ビジナリー・カンパニーには、具体的なアイデアをまったく持たずに設立されたものもあり、スタートで完全につまずいたものも少なくない。さらに、会社設立の構想に関係なく、設立当初から成功を収めた企業の比率は、比較対象企業よりビジョナリー・カンパニーの方がかなり低かった。ウサギとカメの寓話のように、ビジョナリー・カンパニーはスタートでは後れをとるが、長距離レースには勝つことが多い。』(pp.11)

このことは、すばらしいアイデアが必要条件でも、十分条件でもないというだけで、そのことに拘るのは善くない、とのことだろう。スタート時に集まった人材が問題。

『神話二 ピジョナリー・カンパニーには、ピジョンを持った偉大なカリスマ的指導者が必要である。
ピジョナリー・カンパニーにとって、ピジョンを持った偉大なカリスマ的指導者はまったく必要ない。
こうした指導者はかえって、会社の長期の展望にマイナスになることもある。ビジョリー・カンパニーの歴代のCEO (最高経営責任者)のなかでもとくに重要な人物には、世間の注目を集めるカリスマ的指導者のモデルにあてはまらない人もおり、むしろ、そうしたモデルを意識して避けてきた人もいる。』(pp.11)

これも、神話一と同じ根っこのはなしに思える。

『神話三 とくに成功している企業は、利益の追求を最大の目的としている。
ビジネス・スクールの教えに反して、「株主の富を最大限に高めること」や「利益を最大限に増やすこと」は、ビジョナリー・カンパニーの大きな原動力でも、最大の目標でもない。』(pp.12)

このことは、21世紀には顕著になるのだが、当時下降気味だった米経済の中での発言は興味深い。

『神話四 ピジョナリー・カンパニーには共通した「正しい」基本的価値観がある。

ビジョナリー・カンパニーであるための基本的価値観に、「正解」と言えるものはない。二社をとってみると、対照的とも言えるほど理念が違っているケースもある。』(pp.12-13)

会社経営は、他社の真似では成功しないということ。

『神話五 変わらない点は、変わり続けることだけである。
ビジョナリー・カンパニーは、基本理念を信仰に近いほどの情熱を持って維持しており、基本理念は変えることがあるとしても、まれである。ビジョナリー・カンパニーの基本的価値観は揺るぎなく、時代の流れや流行に左右されることはない。』(pp.13)

 ここからは「基本理念」という言葉が多発してくる。「基本理念」だけは、長期間維持すべきとのことらしい。それは、「基本的価値観」と同義語に扱われている。

 『神話六 優良企業は、危険を冒さない。
ビジョナリー・カンバニーは、外部からみれば、堅苦しく、保守的だと思えるかもしれない。しかし、・・・。』(pp.13-14)

 特に、「社運を賭けた大胆な目標」にチャレンジする姿勢を評価している。

『神話七 ビジョリー・カンパニーは、だれにとってもすばらしい職場である。
ビジョナリー・力ンパニーは、その基本理念と高い要求にぴったりと「合う」者にとってだけ、すばらしい職場である。』(pp.14)

後に出てくるのだが、社内基準は厳しいものがあるのが特徴で、それに合わなければならないということ。

『神話八 大きく成功している企業は、綿密で複雑な戦略を立てて、最善の動きをとる。
ビジョナリー・カンパニーがとる最善の動きのなかには、実験、試行錯誤、臨機応変によって、そして、文字どおりの偶然によって生まれたものがある。あとから見れば、じつに先見の明がある計画によるものに違いないと思えても、「大量のものを試し、うまくいったものを残す」方針の結果であることが多い。』(pp.14-15)

このやり方は、最近のコンビニが採用しているように思う。大会社になったのだから、できることとも云える。

『神話九 根本的な変化を促すには、社外からCEOを迎えるべきだ。
ビジョナリー ・カンパニーの延べ千七百年の歴史のなかで、社外からCEOを迎えた例はわずか四回、
それも二社だけだった。』(pp.15)

社外CEOは、一時は業績改善になるが、しょせん「基本理念」が異なるということなのだと思われる。

『神話十 最も成功している企業は、競争に勝つことを第一に考えている。
ビジョナリー・カンパニーは、自らに勝つことを第一に考えている。これらの企業が成功し、競争に勝っているのは、最終目標を達成しているからというより、「明日にはどうすれば、今日よりうまくやれるか」と厳しく問い続けた結果、自然に成功が生まれてくるからだ。』(pp.14-15)

どの世界でも、「自らに勝つことを第一に考えている」は、当てはまるのではないだろうか。

 『神話十一  二つの相反することは、同時に獲得することはできない。
ビジョナリー・カンパニーは、「ORの抑圧」で自分の首をしめるようなことはしない。 「ORの抑圧」とは、手に入れられるのはAかBのどちらかで、両方を手に入れることはできないという、いってみれば理性的な考え方である。しかし、ビジョナリー・カンパニーは、安定か前進か、集団としての文化か個人の自主性か、生え抜きの経営陣か根本的な変化か、保守的なやり方か社運を賭けた大胆な目標か、利益の追求か価値観と目的の尊重か、といつた二者択一を拒否する。そして、「ANDの才能」を大切にする。これは逆説的な考え方で、 AとBの両方を同時に追求できるとする考え方である。』(pp.16)

つまり、多様性を捨てないということなのだろう。

『神話十ニ ビジョナリー・カンパニーになるのは主に、経営者が先見的な発言をしているからだ。
ビジョナリー・力ンバニーが成長を遂げたのは、経営者の発言が先見的だからではまったくない。(ただし、そのような発言は多い)。』(pp.16)

 このことは、先に挙げられた神話六、八と十一などに通じている。

最後に、同じようテーマで発行された著書について、その内容との合否を述べている。

『おわりに
この本は、「エクセレント・カンパニー」などのほかの経営書とどういう関係にあるのか
トム・ピーターズとロバート・ウォータマンの『エクセレント・カンパニー』は過去二十年問に出版された経営書のなかで際立っており、それだけの価値がある本だ。必読書と言える。わたしたちは、本書と共通する点をいくつも見つけ出している。しかし、基本的な違いもいくつかある。違いのひとつは、調査の方法にある。わたしたちは、『エクセレンー・カンパニー』の場合とは違って、設立以米、現在に至るまで、企業の歴史の全体を対象にし、類似した企業と比較していった。もうひとつの基本的な違いは、わたしたちが調査結果をすべて、基本的な考え方の枠組みにまで煮詰めたことだろう。具体的にいえば、基本理念を維持し、進歩を促すという考え方が、調査結果のほぼすべての土台なっている。『エクセレント・カンパニー』の八つの基本的特質のうちいくつかは、わたしたちの調査でもその正しさが裏付けられている。とくに、「価値観に基づく実践の重視」、「自主性と企業家精神」、「行動の重視」、「厳しさと穏やかさの両面を同時に持つ」の四つがそうだ。』(pp.385)

たとえば、「基軸から離れない」については、「基本理念」をしっかりと持ち続ければ、基軸から離れることが成功をもたらす場合もあるとしている。
また、「顧客に密着する」については、密着することは善いことだが、それによって基本理念が侵されてはならない、としている。つまり、「基本理念」が最重要というわけのようだ。

そして、最後に21世紀には、このような考え方が、より重要視されることになるであろうとしている。その言葉は、当たっているように思える。