生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(172)ドラッカーわが軌跡(ドラッカーの教え11)

2020年02月28日 07時35分13秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(172)       
TITLE:ドラッカーわが軌跡(ドラッカーの教え11)
                 
書籍名; ドラッカーわが軌跡[2006]
著者; P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社  発行日;2006.1.26
初回作成日;R2.2.26

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。 



 この書もドラッカーの遺言の一つになっている。彼自身が書いたものは、これだけ。最初に読んだのは、この本の翻訳者でもある上田惇生が生涯の全著作を纏めた3冊の本(メタエンジニアの眼165,168,169)、次が、講談社チームが最晩年にインタビューした本(メタエンジニアの眼170)、そしてドラッカー自身の依頼によりエリザベス・H・イーダスハイムよって書かれた本(メタエンジニアの眼171)で、都合4種類の遺言の書が発行されたことになる。
 ユニークなのはこの書で、彼の人となりのすべてが記されている。この書は、当初1979年に「ある観察者の数々の冒険」と題して発行され、これはその新訳とされている。

 「プロローグ」には、「こうして観察者が生まれた」と題して、ナチスドイツ時代の経験談から始まっている。それは、彼が13歳の時で、第1次世界大戦でオーストリア帝国が破れて、共和制になった日のことだった。(pp.11)
 そこから15の出会いと観察の記録が始まるのだが、それらの人々は全く通常の人で、有名人ではない。『観察と解釈の価値ある人たちだった』(pp.6)と序文にある。

 第1話は,1955年のウイーンの街角で、「おばあちゃんと20世紀の忘れ物」と題している。食料品店の女主人との会話で、『でも、あなたのおばあちゃんにはかなわない。素早しい方だった。』(pp.19)とある。
 すべて飛ばして、最終話は「お人よし時代のアメリカ」で、なんでも一肌脱いでくれるアメリカ人の話。ここまですべて、古き良き時代の話になっている。それらは、不況がもたらした暖かな心の話だ。しかし、ここで突然の方向転換がアメリカ社会全体に起こってしまう。

・部族化したアメリカ

 不況の時代には多くのコミュニティが誕生した。そして、大きな役割を果たすまでに成長した。
 『しかし、コミュニティが大きな役割を果たすようになったということは、部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されることを意味した。
したがって、不況下のアメリカは、大恐慌前の一九二〇年代のアメリカよりも、反ユダヤ的となり、反カトリック的となった。同時に親ユダヤ的となり、親カトリック的となった。ユダヤ人の内部ではドイツ系とロシア系、カトリックの内部ではアイルランド系とイタリア系とドイツ系、アメリカ全体では北部人と南部人の亀裂が拡がった。』(pp.325)

 そして、そこから複雑な差別関係が生まれてしまった。つまり、「お人好しの時代の終わり」を迎える。それは、真珠湾攻撃の数週間後からだった。
 『アメリカは、その約束と信条を捨て、大国となる道を選んだ。カリフォルニア州民を安心させるため、ルーズベルトが日系アメリカ人の収容を命じた』(pp.349)の語でこの著書は終わっている。

 それは、彼の少年時代のナチスドイツのユダヤ人に対する態度を思い起こさせたのだと思う。つまり、観察者としてのドラッカーの話は、ヒットラーで始まりルーズベルトで終わっている。彼が、なぜ「新版」として、改めてこの著書を発行したにかは、この構成にあるように思う。
 世界的なSNS時代を迎えて、名もない人の発信が世界を動かすことになる可能性がある。それらをよく観察せよ、そして「部族的なもの、郷党的なもの、地域的なものが強化されること」や、「複雑な差別関係が生まれてしまう」などに注意せよ、ということではないだろうか。歴史は繰り返されるのだから。

この書の発行後、10年後にトランプが大統領に選ばれて、この傾向はますます激しさを増した。
ここでも彼は、予知能力を発揮した。

メタエンジニアの眼(171) P.F.ドラッカー(ドラッカーの教え10) 

2020年02月26日 13時00分00秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(171)       
 TITLE: P.F.ドラッカー(ドラッカーの教え10)

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                       
書籍名;『P.F.ドラッカー』 [2007] 
著者;エリザベス・H・イー出すハイム
発行所;ダイヤモンド社  発行日;2007.5.31
初回作成日;R2.2.25



 この書も、ドラッカーの遺言の一つになっている。著者は、彼の同業者であり、弟子と称している女性で、ニューヨークで大企業と投資ファンド相手のコンサル会社を立ち上げている。巻頭には、「推薦の言葉」として、P&GのCEOが6頁の長文を載せている。
 P&Gは6年間ドラッカーのコンサルを受けた。その時の要点も記している。
① ドラッカーは、質問に対して常に二つの考えるべきことを示し、選択と集中を迫った。
② ドラッカーは、歴史、絵画、文学、音楽、経済学、人類学、社会学、心理学に精通して、そこから本質を掴んで教えてくれた。
③ 変化をマネジメントする唯一の方法は、自ら変化を起こすことである。
④ 適切なことを行うのがリーダーシップで、ものごとを適切に行うのがマネジメント。

この④は、まさしく二つの関係を明確に示していると思う。つまり、マネジメントはリーダーシップの一要素であり、必要条件ということになる。

 この著者は、94歳のドラッカーから金曜日の夜に直接電話を受けて、自分をインタヴューして書物に纏めてくれと頼まれた。その際、彼が示した注文は二つ。
① 私が言ったことの内、意味の無くなったもの、間違っていたものは捨ててほしい
② 理屈に囚われずに、現実にすでに起こったことに拘りなさい
だったと、巻末の謝辞に書いてある。
 この二つから、ドラッカーが彼女を信頼しきっていたことが分かる。回顧録を自分で書くよりも、彼女がうまく描けると考えたのだろう。

・知識(ppp.15)

 変化についてゆくには継続学習が必要。
 従って、今日の緊急課題は継続学習の方法を学ぶこと
 その知識を生かすのがマネジメントである。
 情報が足りないのではない、情報の処理の仕方を知らないことが問題。
 ⇒この考え方は、日本ではあまり実行されていない。

・すでに起こった未来(pp.19)

彼の発言は、しばしば未来のことを現在のことのように話している。
1992年に『もはや西洋史も西洋文化もない。世界史と世界文化があるのみ』
1999年に『「重要なのは、情報が入手しやすくなったことではなく、あらゆる景色が一変することだ』
⇒これらのことは、2020年になって、ようやく現実味を帯びてきた。

・組み合わせ自在の世界(pp.21-25)

著者は、P&Gを1990,2000,2005年の3回調べた。その間に、P&Gは驚くほど変わった。恐ろしく開放的になり、あらゆることを見直す姿勢が明らかになった。
⇒つまり、組み合わせ自在の世界では、まずあらゆるものを見直さなくては、何も始まらない。

 組み合わせ自在の世界はレゴの世界。
⇒そういえば、ここ数年レゴが復活して、より複雑な高級レゴがよく売れているようだ

・組織の優劣は、平凡な人に非凡なことをなさしめること(pp.144-145)

 ドラッカーの5つの問
① 必要としているのは、いかなる人たちか
② 最大の貢献をしてもらうための手立ては講じているか
③ 組織の構造とプロセスは人への敬意を反映しているか
④ 知識は十分に活用しているか
⑤ 人への投資は行っているか
⇒これらは、ひどく当たり前に見えるが、果たして「人材が唯一の財産」と言っている会社は、このうちのいくつが正しく行われているだろうか、大いに疑問だ。

・社是(pp.151-152)

 『社是こそ、Tシャツに似合うものにしなければならない』
 企業もチームも「明快なミッションを必要とする」なぜならば、ミッションがビジョンをもたらすから。ビジョンが無ければ、人の群れがあるだけで、事業にはならない。
 読後感として、多くのことに関して、日本の会社は、未だにドラッカーの発言を行動に反映していないように思える。

メタエンジニアの眼(170)ドラッカーの遺言(ドラッカーの教え09)

2020年02月25日 07時30分31秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(170)       
TITLE: ドラッカーの遺言(ドラッカーの教え09)

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                       

書籍名;『ドラッカーの遺言』 [2006] 
著者;P.F.ドラッカー
発行所;講談社  発行日;2006.1.19
初回作成日;R2.2.23 最終改定日;




 この書は、題名ばかりでなく、実際の遺言と云える。
 講談社の編集チームが2005年7月に、彼の自宅でインタビューをした同年11月に、ドラッカーは亡くなっている。この書は、最後の著書の位置づけなのだ。
 
ドラッカーの著書を10冊ほど読んで、彼の後半の立ち位置がはっきりと見えてきた。それは、めまぐるしく変わる現代社会において、特に様々な組織の経営や運営について、現代は3世紀ぶりの大変革が起こっている。それは、世界的に広がった西欧的な価値観が限界を迎えて、多くの民族の価値観が情報社会を変えてゆくという確信だ。その時に、緩衝材になるのが日本の文化なのだが、それがどうも昨今怪しくなりつつある。それは、日本社会が過去の成功例から、まだ目覚めていないことが主たる原因だ。だから、色々な助言をして、何とか情報化社会の変化に追いついて、東西文明の橋渡しになってほしい、というものだった。そのことは、巻末に書かれた、この取材班のチームの到来を待ちわびていた彼の態度から推察される。そして、勿論その発言内容からも、

・世界はどこへ向かっているか
 世界は、西洋の価値に支配されない世界へ向かっている、この半世紀は移行期になっている
 それは、18世紀から始まった西欧文明社会の根本的な変化
 半世紀後の世界が、どのようになるかは誰にも分からない
 しかし、異文化の架け橋が必要なことは確かで、それは英国と日本になる

・日本の今
 日本は、自分の歴史を正しく認識していないように見える
 最大の問題は、人材登用法の誤りが続いていること、

とくに官僚制度について、フランスの学歴偏重を取り入れたのが間違えだった
 ⇒ ここで思い出すのが、かつて10年ぶりにRR社の役員との会話だった。それは、RR社がアメリカのアリソン社を買収した直後だった。彼は、アメリカの会社を買収したのは、その人事登用制度を学んで、取り入れるためだったと明言し、その言葉通りにした。日本の大企業も見習ってほしいものだ。

 ⇒トランプ政権で、めまぐるしく変わる人事は、アメリカでは通常のこと。私が現役中に何度も訪問した
 米国の多数の企業でも、そのことは現実だった。
つまりは、社内ローテーションではなく、社外との活発なローテーション
 知識労働者のための昇進制度が必要(このことは、やっと昨今一部で始まったが、動機は不純なまま)
 航空宇宙産業メーカーの実例
   20年前の米社;製造部門6000人、事務所500人 ⇒今は、製造部門400人、事務所38000人

・日本が進むべき道
 『あなたたちの多くが「問題重視型」の思考形式に囚われていて、「機会重視型」の発想を持っていないことを危惧しています』(pp.110)
日本で起こっているのは、危機ではなく変化であることの認識を持つこと
個人の人格形成ができた若いころの行動様式を変えられない人が多すぎる

・終章
 かつてドラッカーの解説書を出版したJ.ビティーによる「人類への贈り物」には、ドラッカーの私生活上での逸話が20ページにわたって書かれている。この書のための追悼文とある。

なおこの書は、文庫本相当として次の廉価本が発行されている。
「ドラッカー最後の言葉」講談社BIZ[2010]

メタエンジニアの眼(169)プロフェッショナルの原点(ドラッカーの教え08)

2020年02月23日 07時19分28秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(169)       
TITLE: プロフェッショナルの原点(ドラッカーの教え08)

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                         

書籍名;『プロフェッショナルの原点』 [2008] 
著者;P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社 発行日;2008.2.15
初回作成日;R2.2.22 最終改定日;



 上田惇生が過去のドラッカー本を纏めたシリーズの一つ。
巻末の「訳者あとがき」には、本書はドラッカーの遺作「The Effective Executive in Action for Getting the Right Things Done」の翻訳だとある。
 構成は、95の独立した短いアドバイスからなっている。冒頭には「本誌の使い方」として、成果を挙げるには5つの習慣を身に着けることであるとして、それらは
① 時間をマネジメントする
② 貢献に焦点を合わせる
③ 強みを生かす
④ 重要なことに集中する
⑤ 効果的な意思決定をする
が挙げられており、とくに①と④が2本の柱だとしている。

・5番目のアドバイス;時間を意識する
 時間は特殊な資源で、資金のように借りたり、人材のように雇ったり、物のように買ったりできない。
 需要があっても供給は増えない、だから時間は常に不足する。
 ⇒これは、まさに40年前にその場考学に目覚めたことだった。
 ⇒時間の配分を記録して、比較する 
 ⇒時間が制約であることを、意識する

・7番目のアドバイス;時間の使い方を診断する
 ⇒時間を記録して分類する
 ⇒繰り返し起こる問題の処理について、体系的かつ徹底的に考えること
 ⇒これが、その場考学の基本

・9番目のアドバイス;仕事を任せる
 仕事一つひとつについて、自分でなくてもできるかどうかを考える
 ⇒常に、人に任せられる仕事を列挙していく。

・12番目のアドバイス;人の時間を無駄にしない
 ⇒人の時間を無駄にしている時間を列挙して、廃棄する

・12番目のアドバイス;捨ててから始める
 ⇒いま捨てるべきものは何か
 ⇒何かを始めるときは、必ず何かを捨てる

・81番目のアドバイス;意思決定は必要か
 ⇒何も決定しないという代替案が常に存在する
 ⇒必要のない意思決定は行わない
 ⇒重要な意思決定(個々の問題ではなく、根本的なこと)に集中する

95のすべてのアドバイスに対して、「とるべき行動」と「身につけるべき姿勢」が書かれている。いずれも具体的で、私自身の40年間の経験からも妥当に思える。彼が実務に精通していることが良くわかる。

メタエンジニアの眼(168) チェンジリーダーの条件(ドラッカーの教え07)

2020年02月22日 07時23分19秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(168)       
 TITLE: チェンジリーダーの条件(ドラッカーの教え07)

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                       )

書籍名;『チェンジリーダーの条件』 [2000] 
著者;P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社 発行日;2000.9.29
初回作成日;R2.2.21 最終改定日;



 上田惇生が過去のドラッカー本を纏めたシリーズの3冊目にあたる「マネジメント編」。ちなみに、「プロフェッショナルの条件」は「自己実現編」で、「イノベーターの条件」は「社会編」となっている。巻末には、
1939年から1999年までの31冊のドラッカー本が引用文献として挙げられている。ドラッカー思想の基本は「マネジメント」なので、この本がまさに総集編とも思えるのだが。

カバー裏に纏めが書いてある。「変化はコントロールできない。できるのはその先頭に立つことだけである」まさに、この言葉がすべてを表している。現代は、変化が常態化している。生き残るには、チェンジリーダーになりなさいというわけである。この言葉は、日本人へのへの励ましなのか、お悔やみなのかは分からない。なぜならば、彼の眼には日本では政府も大企業も、IT時代には通用しない旧式のマネジメントが行われていると映っているように書かれているから。

・マネジメントの主機能
 情報を知識に転換し、知識を行動に具体化すること。
 最初の定義は1950年代までの「地位と権力を持つ者」、それから「部下を持つ者」、さらに「部下の働きに責任を持つ者」と変化して、現代は、「知識を行動に具体化することに責任を持つ者」になった。(pp.ⅳ)

 本文は、「マネジメントとは何か」、「マネジメントの課題」、「マネジメントの責任」、「マネジメントの基礎知識」と続く。

・新しいコスト管理
 これまでは独立して行われてきた分析手法の、価値分析(VA),プロセス分析、品質管理(Quality Control)、原価計算を統合すること。(pp.139)
 さらに、「経済連鎖全体のコスト管理する」ことへ。つまり、自社だけの管理から視野を広げて、『最大の企業さえ環の一つであるにすぎない』(pp.142)との認識に立つこと。この成功例としては、コカ・コーラとトヨタを挙げている。

・起業家精神のマネジメントの4つの戦略
① 総力戦略
② ゲリラ戦略
③ ニッチ戦略
④ 顧客創造戦略
これらは、比較的わかりやすい。

・過去の日本企業の成功例は二つのゲリラ戦略
① 創造的模倣戦略;クオーツ時計初期に、スイスは高級指向で、セイコーの普及品指向に敗れた。
② 柔道戦略;ソニーは1947年にベル研究所からトランジスタ技術を購入して、真空管ラジオと比べて、重さ5分の一、値段3分の一のポータブルラジオで米国市場を手に入れた。

まさに、「変化はコントロールできない。できるのはその先頭に立つことだけである」になっている。





 

メタエンジニアの眼(167)ポスト資本主義社会と知識のあり方(ドラッカーの教え 06)

2020年02月19日 14時44分44秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(167)
TITLE: ポスト資本主義社会と知識のあり方(ドラッカーの教え 06)
書籍名;「ポスト資本主義社会」[1993] 
著者;P.F.ドラッカー
発行所;ダイヤモンド社  本の所在;蔵書
発行日;1993.7.22
初回作成年月日;H28.11.18  最終改定日;R2.2.18 
引用先;文化の文明化のプロセス  Implementing


この著書は、企業の進化の研究の際の参考です。『』内は引用部分です。

 副題は「21世紀の組織と人間はどう変わるか」で、この書はもはや古典的と言われるかもしれない。しかし、発行から30年近くたっても、中身は今も日本の凋落状態に当てはまっているように思える。それは、日本におけるImplementingのスピードに問題があるようだ。
 
 「日本語への序文」には、多くの指摘事項が書かれているが、どれも時代遅れのものとしていて、新たな時代のニーズには答えられないであろうと言っている。それらは、大学が「学歴の高い人たちの継続学習のための機関」になっていない、大企業が「主に1920年代にルーツを持つ産業である」、組織が「階層的なトップダウンによる指揮命令型の組織構造を範とする」ままになっている、などである。組織は、「大規模組織の原型たる19世紀の軍隊」から「指揮者すらいない小編成のジャズ・バンドに似たようなものになる」べきとしている。(pp.2-3)
 また、グローバル時代の前触れとも言うべき、ヨーロッパのEUや、アメリカ大陸における北米自由貿易協定のような、地域協定がない。巨大市場である中国との関係が不明確だとしている。(pp.4)

 彼は、「過去の転換期」を13世紀(この時はイスラムルネッサンス時代)以降、200年ごとに社会の大転換が起こっており、今回は1960年頃からのコンピューター社会としての転換期としている(pp.22-23)
 ポスト資本主義社会の全体像はまだ見えないが、「価値、信条、社会構造、経済構造、政治概念、世界観」などは大きく変わるであろう。それらの課題は見えつつある。(pp. 25)

ポスト資本主義社会は、非資本主義社会ではない。資本主義の主要機関は生き残るが、「社会の重心、社会の構造、社会の力学、経済の力学、社会の階層」が大きく変わるであろう。(pp.31)

 この時の経済的な課題は、「知識労働と知識労働者の生産性の問題である」と断言をしている。(pp.32)
この、もっとも基本的かつ最大の課題が、日本ではこの半世紀以上にわたって、全く実行されていない。しかし、日本でも同じ指摘だけは常に叫ばれ続けている。私は、その原因の一つは「拙速」という言葉にあるように思っている。何事においても、改革に対しては「拙速」という言葉が付きまとう。改善を積み重ねれば、それでよいとの文化が強すぎる。

この書の構成は、第1部「社会」、第2部「政治」、第3部「知識」になっている。つまり、全ては知識のあり方と、使い方の問題になってくる。だから、「知識社会」なのだ。


 「知識の意味の変化」の項では、次のことを述べている。
 『知識は資源となり、実用となった。知識はつねに私的な財だった。それが一夜にして、公的な財になった。最初の段階として、100年間にわたって、知識は「道具」、「工程」、「製品」に適用された。そして「産業革命」がもたらされた。』(pp.50)
 次に、19世紀前後に、『知識は装いを新たにし、「仕事」に適用された。この結果、「生産革命」がもたらされた。』(pp.50)
 そして現代は、「知識は、資本と労働をさしおいて、最大の生産要素」となって、「マネジメント革命」を起こしている。
 
 このようなことが二十数年前に断言されているのだが、「知識を、資本と労働をさしおいて、最大の生産要素とする」というImplementingは、大部分の企業でようとして進んでいないように見受けられる。そして、著者は、日本におけるその原因は、高等教育と大組織の在り方が問題だと断言をしている。
 私は、1979年から1990年の間に、RR社、P&W社、GE社と次々にエンジンの共同開発プロジェクトを共にして、この感覚を大いに味わった。当時の彼らの会社は、組織も教育も、知識を中心に考えられて動いていた。それは、様々なランクの秘書嬢の人事制度にまで及んでいた。

知識の「意味と機能」は、ソクラテスやプラトンの時代の自己認識、一般教養から、「行為能力」になった。(pp.61-62)
「知識」を仕事に適用すると、生産性はぐんぐん上がる。つまり、これがトヨタの考え方の基本だった。それが、彼のいう「マネジメント革命」のようだ。彼はそれを「知識の知識への適用」と言っている。(pp.87)そして、マネジメントは企業に限定されない、あらゆる分野で有効に働く。つまり、『経営管理者とは、正しくは、「知識の適用と、知識の働きに責任を持つ者」と定義されなければならない。』(pp.91)

 組織の章では、彼が云う3つのチーム形式の説明がある。(pp.158-160)
野球型、サッカー型、テニスのダブルス型である。ダブルス型が最強で、少人数でポジションは固定しておらずに、互いの領域をカバーしつつ、強みと弱みを即時調整することができる。

 「知識」については、「知識を応用する努力」、「知識を道具として使う」、「知識を結合させる」、「知識の結合について学ぶ」などが挙げられている。 (pp.316-318)

 最後に「教育」と「学校」についての諸論を述べている。最も重視しているのは、知識を役立てる(つまり、生産物にする)ための方法論で、そのための「過程、概念、分析、技能」が学ばれなければならないとしている。(pp336)
 ポスト資本主義は、資本主義の発展型であり、それは知識の価値が著しく向上することによる大変革であり、日本は、部分的な単なる改善の積み重ねに留まっていては、永遠に達成できない。 

メタエンジニアの眼シリーズ(166)「ドラッカーの預言」(ドラッカーの教え 05 

2020年02月18日 08時07分16秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(166)                 
TITLE: 「ドラッカーの預言」(ドラッカーの教え 05)
書籍名;「ドラッカー2020年の日本人への預言」[2012]
著者;田中弥生 発行所;集英社
発行日;2012.10.31
初回作成日;H31.4.13 最終改定日;R2.2.16


このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 すでに2020年なのだが、8年前に発行されたこの著書は、現在を的確に表していると思う。その時点での日本におけるドラッカーは、まさにベストセラー作家だった。しかしこの書は、そこには表れていない彼の一面と,深層を描き出している。彼自身の著作ではないが、ドラッカーの人となりと、それに基づく基本的な信念を知るうえで貴重な書になっている。

・あまり語られていないドラッカーのもう一つの思想

 彼の企業マネジメント論は、ナチスドイツの政治への反感から始まっている。つまり、全体主義から離れた自由社会の在り方を描こうとした。原点をそこまで戻すと、この書の主題である、彼の非営利組織や市民社会運動への期待が理解できる。彼は、1960年代に『知識社会の到来と共にうつ病患者が急増することを指摘』(pp,12)した。真の自由と市民社会の在り方を追求している。

ドラッカーは1980年代から本格的に非営利組織にかかわるようになった。当時、アメリカで最も雇用機会を創造していたのは、大企業ではなく、ベンチャー的な会社だったそうだ。
なぜ、非営利セクターは成長したのか。ドラッカーは、『「知識社会が進んでゆくと、人々の働き方が変化し、より流動的になる。こうした流動的な知識ワーカーは、自らの拠り所をもはや企業組織ではなく非営利組織に求めるようになる」と言つたのです。』(pp.18)

 そして、転換期の社会のありさまについてのJ.ナイの主張を引用している。
『社会が大きく変容するときには、前の時代に作られた既存の仕組みやシステムがうまく対応できなくなります。それが人々の 不満や疑問につながり、信頼性を失うのです。』(pp.36)

 それは、市民社会がすべての前提になることを示している。
『市民社会だけでは、民主主義を保証することはできない。平和すら保証することはできない。しかし市民社会は、それらすべてのものの前提である。(『未来への決断』ダイヤモンド社一九九五年)』(pp.37)

 彼は、ユダヤ人としてナチス時代のドイツで育った。そこから、彼の原点の思想を述べ、さらにそこから、かつての日本への期待が始まっている。彼は、第二次世界大戦後の社会において、コミュニティの役割を担うのは企業であると考た。彼のマネジメント論は、生産性や利益の向上のためのノウハウではなく、経済活動とコミュニティの双方の役割を担う組織のための理論としている。 (pp.39)

江戸時代末期には、祭事を行う組織、職人組合、画家、陶芸家、歌舞伎の「流派」などは全てボランタリーな非政府の自治組織だった。町人による消防団は、ロンドンよりも前だった、としている。(pp.82)

 非営利組織の定義は、各国でまちまちで、日本では行政色寄りのものが比較的多いのが特徴だそうだ。
そこでここでは、アメリカの経済学者レスター・サラモン教授の説を引用している、
『第1にフォーマル、つまり法人格は問わないが、細織的な実在を有していること。
第2に民間であること、つまり政府から独立していること。
第3に、非営利であること、つまり組織の所有者や理事などで剰余金(利益)を分配しないこと。
第4に、自己統治をしていること。つまり自己の活動を自分たちで管理しており、外部の組織にコントロールされていないこと。
第5に、自発的(ボランタリー)であること、つまり活動や運営の実際において自発的な参加があることです。この他に、政党や宗教団体を調査の対象から除外していることから、非政治と非宗教性も挙げました。』(pp.95)

 ドラッカーは、しかし「非営利組織」という言葉を批判した。金銭でない、より大きな他の営利を求めている。それは、「人間変革機関」であり、「市民性創造」を行う組織としている。したがって、非営利組織は「人間を変える」役割を担っていると述べている。

『ガールスカウトの目的は、価値観と、技能と、自立心をもつ女性を育てることである。
平時における赤十字の目的のーつは、天災に襲われた地域社会がふたたび自立する能力を獲得できるように助けること、すなわち、人間の能力がふたたび発揮できるようにすることである。
全米心臓学会の目的は、中年の人たちが自ら健康を管理し、健全な生活と食事、禁煙と節酒、適度な運動によって、心臓病の予防を実践できるようにすることである。
したがって、サードセクターにとっては、まさに人間変革機関こそふさわしい名称であろう。 (『新しい現実』一九八九年)』(pp.99)
としている。一方で、日本のかつての事例としては、焚き出しによる食事サービスなどは、ホームレスの人々の空腹を一時的に満たすことはできても、人間変革機関たりえないとしている。 (pp.100)

ドラッカーは「人類の自由の起源」を紀元前の古代ギリシアではなく、紀元後のローマ帝国としている。それは、彼が社会の自由とは、国家なり企業なり組織が確立され、かつ正しくマネジメントされた状態の中で成立すると考えたからではないだろうか。そのことは、「市民社会だけでは、民主主義を保証することはできない。平和すら保証することはできない。」との表現になっていた。非営利組織が与えられる自由とは、無料で食事を与えることではなく、「ふたたび自立する能力を獲得できるように助けること、すなわち、人間の能力がふたたび発揮できるようにすることである。」も、そのことを言っている。


メタエンジニアの眼(165)テクノロジストの条件(ドラッカーの教え 04)

2020年02月16日 07時34分35秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(165)
TITLE: テクノロジストの条件(ドラッカーの教え 04)
書籍名;はじめて読むドラッカー(技術編)
著者;P.F.ドラッカー 編集者;上田惇生
発行所;ダイヤモンド社
発行年、月;2005.7.28
初回作成年月日;H26.7.21 最終改定日;R2.2.15

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『』内は,著書からの引用部分です。



この書は、ドラッカー自身が「私よりも私の著書に精通している」と書いている上田惇生氏が、過去のドラッカー書を纏めた連作の4冊目になっている。巻末には、1954年から2004年までの間に発行された36冊の本が挙げられている。
 副題は「ものづくりが文明をつくる」で、人類の道具の使い始めから、語り始めている。
最初は、「日本の読者へ」として、「なぜ技術のマネジメントが重要なのか」が4頁にわたって書かれている。
                                                                 
『人類の歴史において技術が主役の座を得たのは、活版印刷の発明によってだった。そのとき、ヨーロッパが抜きんでた存在となり西洋と呼ばれるようになった。わずか200年のうちに、西洋による世界制覇を可能にしたのが、近代技術だった。』(pp.ⅰ)

 彼は早くから情報化時代を予測し、その際には「技術のマネジメントがより重要になる」と予言していた。
 『技術のマネジメントに対する私の関心は六〇年に及ぶ。一九四〇年代半ばには、コンピューターが高速の計算機を超えるものであることを認識した。直ちに私はそれを情報機器(インフォメーション・ マシーン)として位置づけ、それが情報理論(インフォメーション・セオリー)と情報技術(インフォメーション・テクノロジー)の開発を迫るであろうことを認識した。そして、われわれが技術のマ ネジメントを余儀なくされるであろうことを確信した。本書は、この技術のマネジメントについての 私の論文のなかから最高のものをまとめたものである。』(pp.ⅱ)

 プロローグの「未知なるものをいかにして体系化するか」では、全体と部分の関係につて、デカルトの考え方を否定している。デカルトの公理については、以下のようにある。 
『全体は部分によって規定され、全体は部分を知ることによってのみ知り得る。全体の動きは部分によって規定されるとした。さらには、全体は部分の総計、構造、関係を離れて存在しえないとした。』(pp.6)
 これは、科学者でも哲学者でもない自分には到底理解できない定理だと断言をしている。

 これに対して、ドラッカーは「因果から形態へ」を主張する。
 『あらゆるものが、因果から形態へと移行した。あらゆる体系が、部分の総計でない全体、部分の総計に等しくない全体、部分では識別、認識、測定、予測、移動、理解の不可能な全体と云うコンセプトを、自らの中核に位置付けている。』(pp.6)というわけである。

 具体例として挙げられているのは、音楽の世界だ。
 『それらは、個々の音を聞いただけではメロヂィーがわからないように、部分を見ただけでは絶対に把握できない形態である。逆に部分とは、全体の理解のうえに全体との関連においてのみ存在し、認識しうるものである。キー次第で嬰ハにも変ニにもなるように、形態における部分は、全体における位置によってのみ識別され、説明され、理解される。』(pp.7)

 さらに『プロセスにおいては、成長、変化、発展が正常であって、それらのないところが不完全、腐敗、死を意味する。』(pp.8)として、マネジメントの主機能に迫ってゆく。

 そして、「新たな哲学」として主張するのは、
『われわれはデカルトの世界観を棄てた。事実われわれにとって、それは殆ど理解不能なものとなった。だがわれわれは、今のところ、新しい体系、方法論、公理を手にしたわけではない。われわれのためのデカルトは、まだ現れていない。その結果、今日ではあらゆる体系が知的のみならず美的な危機に直面している。』(pp.9)

 さらに続けて、
『われわれの知識が、一般化するどころか専門化し複雑化しつつあるいうことは、何かきわめて本質的なもの、すなわちわれわれが生き、われわれが見ている世界についての、包括的な哲学体系と云うべきものが欠けたままであることを意味する。』(pp.9-10)

『今日必要とされているのは、テクノロジストであって科学者ではない。しかも、専門外の者、特に科学技術に優れた感性を持ち、知的好奇心が旺盛な専門外の者のほうが、みずからの知識の虜になりがちな専門家よりも優れた仕事をする。』(pp.138)
『天才は必要ない。必要なのは大量の有能な人材と大量な資金である。』(pp.139)

 つまり、テクノロジストの世の中になってゆくというのだが、そのことは次第に明確になってゆく。

 彼が、「製造の新理論」として第1に挙げているのは、意外なことにSQC(統計的品質管理)であった。このことが、マネジメントのあり方を大きく変えたと記している。

 『日本のメーカーはフォードやGMよりも直接工が多い。SQCの導入は直接工の増加をもたらす。 しかしこの増加よりも、検査工や修理工のような間接工の減少のほうがはるかに大きい。アメリカのメーカーでは、間接工の数が直接工を上回っている。工場によっては二対一である。ところが、SQCのもとでは、そのような問接工はほとんどいらなくなる。職長もほとんどいらなくなる。ひと握りの訓練担当者がいればよい。
言い換えるならば、SQCによって、直接工は自分の仕事をみずから管理することが可能になり、しかもそれが必然となる。SQCによって得られる情報にもとづき行動するために必要な知識をもつ者は、彼ら以外にはいないからである。』(pp.115)

 そして、『SQCは昔から求められてきた二つのことを実現する。一つは品質と生産性の向上であり、もう―つは仕事の面白さである。こうしてSQCは、これまで工場が理想としてきたものを実現し、かつて フレデリック・W・テイラーやヘンリー・フォードが描いた近代工場を遂に完成させることとなった。』(pp.117)と結んでいる。

 技術に関して、彼がもっとも重要視しているマネジメント要素は、「影響への責任」である。つまり、技術者ばかりに任せておくと、世の中はとんでもないことが起こってしまうからというわけである。

『副次的な影響、つまり製品やプロセスの本来の機能ではないが、必然的あるいは偶発的に、意図とは無関係に、意図した貢献ともかかわりなく、まさに追加コストとして発生する影響が問題である。』(pp.142)

『テクノロジー・アセスメントは間違った技術を推進し、必要な技術を抑制する恐れが大きい。新技術が与える将来の影響は、ほとんど常に想像力の及ばないものだからである。』(pp.143)
ここでは、DDTの例を挙げている。害虫から一般市民を守るための化学物質の開発時に、穀物、森林、家畜を害虫から守るために使うことを考えた者は一人も居なかった。しかし、人のために使われたのは5~10%で、多くは農民や林業者の環境に対する大攻勢に用いられてしまった。そして、その結論として、

『外れる預言 いわゆる専門化の予言する技術的な影響はほとんど起こらない。』(pp.144)とまで言っている。

例えば当初は、ジェット機は大量輸送的ではなく、コンピューターは科学計算と軍事目的にのみ使われ企業では使われない、などだった。

つまり、人間の力ではテクノロジーの影響を評価しきることはできないので、技術のマネジメントにとって必要なのはテクノロジー・アセスメントではなく、テクノロジー・モニタリングである。モニタリング、つまり監視してゆくことである。
『新技術についての予測はどうしても賭けになる。間違った技術を推奨したり、もっとも恩恵をもたらす技術を軽視する危険が常にある。したがって、発展途上の技術についてはモニタリングが必要である。つまり、観察し、評価し、判定していかなければならない。これこそがマネジメントの責任である、としている。それら発展途上の技術の影響をモニタリングすることこそ、マネジメントの責任である。』(pp.147-148)

・技術とは、機会であり責任である

 『われわれは、技術のダイナミクスを理解しなければならない。少なくとも技術がどこに大きな影響を及ぼすか、いかにして経済的な成果に結実するかを知らなければならない。
技術が、個人、社会、経済に与える副次的な影響を重視しなければならない。(中略)
これは社会で起きていることの責任、つまり社会的責任ではない。みずからが社会に与える影響についての責任である。あらゆる者がみずからの与える影響について責任を持たなければならない。
 最近、技術への幻滅がいわれている。はじめてのことではない。18世紀の中ごろからほぼ50年ごとにいわれてきた。しかし確実にいえることは、今後技術はさらに重要になり、更に変化するということである。エネルギー危機、環境問題、都市問題の解決のためである。』(pp.132-133)

『技術の影響は、他のこと以上に予言が難しいということである。(中略)いかなる技術が社会的な影響を持ち、いかなる技術が技術だけの世界にとどまるかは、更に予測が難しい。』(pp.146)

『影響が明らかになったならば、次に何をなすべきか。理想は影響の除去である。影響を少なくするほど、内部コスト、外部コスト、社会的コストのいずれであれ、それだけ発生するコストが少なくなる。理想的には、そのような影響の除去をもって事業上の機会に転化することである。』(pp.148)

・知識の意味を問う(2005年に行われたインタビューの内容)

 知識が社会の中心に座り、社会の基盤にあると、何が起こるか。2005年当時の彼の想像はこのように書かれている。まさに、メタエンジニアリングの世界になっている。
 『脱デカルト  生理学と心理学、経済学と行政学、社会学と行動科学、論理学と数学、統計学と言語学の境界が意味を失いつつある。これからは学部、 学科、科目のいずれもが陳腐化し、理解と学習の障害になると考えるべきである。部分と要素を重視するデカルト的世界観から、全体と形態を重視する形態的世界観への急激な移行が、あらゆる種類の協会に疑問を投げかけている。』(pp.237-238)

さらに、この時すでに、次の情報化時代に対する見通しも述べている。
 『情報についてはさらに大きな変化がやってくる。なぜならまだ今のところ、情報のほとんどは組織やグループの内部のことについてのものだからである。外部の世界についての情報は混乱してばらばらなままだ。企業をはじめ、役所や大学、病院その他のあらゆる組織にとって、成果は組織の内部にではなく、外部にある。その外部の世界についての情報が全然把握されていないのが実状だ。外部の経営環境についての情報に正面から取り組んでいる組織はまだまだ少ない。ということは、情報革命の本番はこれからだということだ。』(pp.281)

 このことは、彼の発言後10年を経ずして急速に進歩し、それを先取りした企業が大成功を収めている。

 そして、テクノロジストが文明をつくるという言葉に行き着く。
『文明をつくるのは技術であり、 テクノロジストである。知識労働者のなかで、知識労働と肉体労働の両方を使う人たちをテクノロジストと呼ぶ。彼らは知識労働の用意があり、教育と訓練を受けた人たちである。彼らこそが先進国で唯一といっていいほどの競争要因となる。働く者のますます多くがテクノロジストとなっていく。知識労働者の生産性の問題に関しては、特にテクノロジストの生産性が重要性を増していく。だからこそ、技術のマネジメントが重要な意味をもつ。
理系の者がマネジメントを理解し、文系の者が技術を理解することが大切だ。さらには、テクノロジストの生産性をいかに上げるかが重要な意味をもつ。』(pp.281)

 このことも、彼の発言後、間もなく世界中で起こることになった。社会のマネジメントを深く考えると云ことは、近未来を正しく予測することに繋がるということなのだろう。

 彼の時代は、未だ技術改革の拡散のスピードがそれほど早くはなく、新テクノロジーの問題点はモニタリングをやりながら改正すればよかった。しかし、現在はスマホなどの全世界への拡散スピードは驚異的で、もはや社会に出された後からのモニタリングでは、手の打ちようがなく遅すぎる。
 従って、『技術が、個人、社会、経済に与える副次的な影響を重視しなければならない。(中略)みずからが社会に与える影響についての責任である。あらゆる者がみずからの与える影響について責任を持たなければならない。』ことを、事前に深く考えて、『影響が明らかになったならば、次に何をなすべきか。理想は影響の除去である。影響を少なくするほど、内部コスト、外部コスト、社会的コストのいずれであれ、それだけ発生するコストが少なくなる。理想的には、そのような影響の除去をもって事業上の機会に転化することである。』ということを、行わなくてはならない。そこで、現代がメタエンジニアリングを必要としていることが明確となる。


メタエンジニアの眼シリーズ(164)フランケンシュタイン・コンプレックス

2020年02月12日 10時37分16秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(164)
TITLE:  フランケンシュタイン・コンプレックス
書籍名;「フランケンシュタイン・コンプレックス 」[2009]
著者;小野俊太郎 発行所;青草書房
発行日;2009.11.24
初回作成日;R2.2.12
引用先;メタエンジニアリング


このシリーズは文化の文明化を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 フランケンシュタイン・コンプレックス (Frankenstein Complex)という言葉がある。 メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』に由来する言葉で、SF作家アイザック・アシモフが名付けた。

 Wikipediaには、『創造主(アブラハムの宗教の“神”)に成り代わって人造人間やロボットといった被造物(生命)を創造することへのあこがれと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のこと。
このロボットに対する人間の潜在的な恐怖が、ロボット工学三原則を生み出したということになっている。また、この恐怖と労働者の経済利害が合わさった結果、アシモフのロボットSFの作品中では、地球上でのロボットの使用が原則的に禁止されている。』とある。
 
 ついでに、アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)についても、Wikipediaは、『(1920年1月2日―1992年4月6日)は、アメリカの作家、生化学者(ボストン大学教授)である。その著作は500冊以上を数える。彼が扱うテーマは科学、言語、歴史、聖書など多岐にわたり、デューイ十進分類法の10ある主要カテゴリのうち9つにわたるが、特にSF、一般向け科学解説書、推理小説によってよく知られている。』とある。近年では、「アイ,ロボット」という映画が公開されている。
 ちなみに、「デューイ十進分類法」とは、図書館で見かける3桁の分類のための数字である。

 この書の副題は、「人間は、いつ怪物になるのか」なのだが、これには、色々な意味が含まれているようだ。
「はじめに」は、「ブラックボックス時代の怪物」と題して、1818年に発表された小説が、20歳過ぎの女性により執筆されたのだが、それが大きな問題を含んで、現代に繋がっているとある。現代社会は、ブラックボックスだらけで、それがいつ怪物になるのか、誰も分からないというわけである。
 『エレべーターを動かすことからインターネットでの買い物まで、あまり深く考えずにボタンを押したり、クリックするだけで実行し、問題を解決する。一種の記号化やパッケージ化だが、デジタル社会のあらゆる面に広がっている。科学技術が進めば、内部のメカニズムは、不透明になって見えにくくなっていき、誰もそれに疑間をもたない。』(pp.9)
 
 そこで、機械を人間に当て嵌めてみると、『では、人間を機械のようなブラックボックスとして扱ったらどうなるのか。もちろん、人間関係やコミュニケーションがうまくいっているときはよい。円滑に話は進むだろう。だが、ひとたび、ある「入力」に対して、誰かが、異常な「出力」をした場合に、どのように対応するのか。問題はそこにある。』(pp.9)、ということになる。機械ならば、部品交換があり得るが、人間はそうはゆかない。そこから、色々なストーリーが生まれてくる。
 
 この書は、それについては、「パンドラの箱」や「ジキル博士とハイド氏」、「ドラキュラ」挙句は「チャタレイ夫人の恋人」まで話を広げている。聊か広げ過ぎているようだ。
 
そこで、「おわりに」まで一気に飛ぶことにした。
 『けれども、怪物を生みだす不安から、科学技術や産業を否定し、責任をヴィクター個人に還元したところで、社会のなかで怪物が生みだされるのを防げるわけではない。相手に「モンスター」という安易なレッテルを貼って、「心の闇」と内実をブラックボックス化して対処療法するだけならば、コミユニケーションを放棄しているのはこちら側になってしまう。それではせっかくパンドラの箱にのこった希望も、本当に絶望になりかねない。そこでは、真の意味でのコミュニケーション能力の有無が問われることになるだろう。』(pp.254)

 そこでの対処法は、次のようにある。
 『怪物とみなす相手との関係や、その発生のメカニズムを考え、怪物というブラックボックス、つまりはパンドラの箱を開ける勇気が大切になる。しかも、相手から自分が怪物に見えているかもしれない、という計算を踏まえたうえで箱を開けるのであ漁る。』(pp.255)
つまり、ブラックボックスであっても、コミュニケーションを試みよということのようだ。これに関連することでは、最近はロボットからAIに移りつつある。AIというブラックボックスが怪物かしないためには、どうするかである。最初にロボット三原則が出されて、今はAI7原則の時代に移りつつある。

 ロボット三原則は、
(第一条)ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
(第二条)ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
(第三条)ロボットは、第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
だそうで、アシモフの多くの小説が影響している。

一方で、AI七原則は、「本文書は人間中心のAI社会原則検討会議がとりまとめる人間中心のAI社会原則の草案であ る。今後、国内外から広く意見を募った上で 2019 年 3 月に本原則を策定する予定である。
としたうえで、次のような項目になっている。
(1) AIは人間の基本的人権を侵さない
(2) AI教育の充実
(3) 個人情報の慎重な管理
(4) AIのセキュリティ確保
(5) 公正な競争環境の維持
(6) 企業に決定過程の説明責任
(7) 国境を越えたデータ利用の環境整備

(6) の「企業に決定過程の説明責任」が実際の運用上でどうなるのかが、議論の尽きないことになってしまっているように思う。例えば、AIによる自動運転バスが事故を起こしたときに、バス会社は原因の説明責任を果たせるのか、といったことが挙げられている。
 フランケンシュタイン・コンプレックス は、ブラックボックス化が進む中で、ますます注目される言葉になりそうに思う。


メタエンジニアの眼シリーズ(163)地頭力とメタ認知

2020年02月11日 07時14分53秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(163)
TITLE: 地頭力とメタ認知
書籍名;「地頭力を鍛える」[2019]
著者;細谷 功 発行所;東洋経済新報社
発行日;2019.8.8
初回作成日;R2.2.9 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング

 

このシリーズは企業の進化を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です

 ここ数年、地頭力という言葉をよく耳にする。どうも、学校や企業での教育方針に関連することが多い。
「はじめに」では、次のようにある。
 『学校や企業における「従来の優等生」が持っている資質、能力は、実はAlが最も得意とする領域でもあり、ここはAlに任 せればいいでしょう。人間はその上流、つまりそもそも解決す べき問題や目的を見つけことにシフトしていくべきなのです。』(pp.2)

 そして、「この書は、思考法を学ぶための入門書」と位置付けている。
 『「人間の知的能力に対する問題提起」という課題は、私自身がもう10年以上も著作や研修活動で取り組んできたことです。 「地頭力を鍛える一一問題解決に活かす「フェルミ推定」」を はじめとするさまざまな著作においてそれを表現し、人間の知 的能力がどうあるべきかという間いに対する私の考え方を提示してきました。』(pp.3)

フェルミ推定(英: Fermi estimate)について、Wikipediaには、次のようにある。
『実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することを指す。オーダーエスティメーションや封筒裏の計算(英語版)ともいわれる。
 フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人(なんにん)のピアノの調律師がいるか?」を推定するものである。これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、例えば次のように概算することができる。
まず以下のデータを仮定する。
1. シカゴの人口は300万人とする
2. シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
3. 10世帯に1台の割合でピアノを保有している世帯があるとする
4. ピアノ1台の調律は平均して1年に1回行うとする
5. 調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする
6. 週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
そして、これらの仮定を元に次のように推論する。
1. シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
2. シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度
3. ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
4. それに対し、(1人の)ピアノの調律師は1年間に250×3=750台程度を調律する
5. よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される

フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。フェルミ推定を模倣したケーススタディと呼ばれるテストが、80年代90年代のアメリカ企業の採用活動でよく行われていた。』

 これが、地頭力の基本なのかもしれない。しかし、この思考手順は、メタエンジニアリングのMECIに似ている。そして、それらは次の「3つの知的能力のベース」のうえで実現する。
① 知識力 ②対人感性力 ③地頭力

『WHAT  3つの思考力と3つのベースの組み合わせ
地頭力の中心は、「結論から」「全体から」「単純に」考える3 つの思考力です。「結論から」考えるのが仮説思考力、「全体から」考えるのがフレームワーク思考力、「単純に」考えるのが抽象化思考力です。
拙著「地頭力を鍛える」では、この3つの思考力と、 ベースとなる論理思考力、直観力、そして知的好奇心を組み合わせて、「地頭力」の全体像としました』(pp.142)

 しかし、ここで②と③は両立することが少ない。
 『地頭力では一貫性(論理的であること)を重視するのに対して、対人感性力では相手の矛盾を許容することも大切です。 地頭力では「まず疑ってかかる」 のに対して、対人感性力では「まず共感する」ことが求めらます。また、地頭力では「批判的に考える」のに対して、対人感性力では「批判はしない」 のが求められる姿勢だからです。』(pp.145)というわけである。つまり、「使いどころの違い」をよく認識しなければならない。

 そして、最後の32番目のキーワードとして「メタ認知」を上げている。
 『メタ(meta-)とは、「高次な~」「超~」などを意味するギリシア語から由来する接頭語です。 メタ認知とは、認知を忍知する、つまり自分を客観視することです。自分の思考や行動そのものを客観的に把握し、認識す ることです。自分自身の思考や行動を上から見るイメージで す。思考回路を起動するための基本中の基本です。』(pp.218)

これは、例えば『「幽体離脱」して、自分自身を上から見ることで、見えてい ない領域(の存在)が見えるようになるのです。言い換えると、それが気づきのメカニズムでもあります。』(pp.219) だそうだ。

 最後に、『メタ認知とは、「気づく」と同義』(pp.220)としている。
 『この構図が、気づいていない人が気づきに至る、つまりメタ認知のきっかけをつかむためのヒントを与えてくれます。つま り、「気づいていない人」から「気づいた人」を見ると、「訳のわからない、常識かつ不快なことを言っている人」にしか見 えないので、そのような経験をしたときに相手を否定するのではなく、「おかしいのは自分のほうで、何か見えていないことがあるのではないか」と考えてみることです。
これがメタ認知を促します。』(pp.223)
 メタ認知は、メタエンジニアリングの入り口のように思える。