生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

再び、そのときその場のために働くのか?

2023年08月03日 08時08分53秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(23)      KME899 
         
 定年退職後の10年間は、どっぷりとメタエンジニアリングに嵌まってしまった。その結果、最近のその場考学では、「その場でメタエンジニアリング思考」が習慣となってしまった。そのいくつかを紹介してゆこうと思う。

題名;再び、そのときその場のために働くのか?

 ヒトが勤勉に働くのは「よりよく生きよう」とする本能のためと言われている。ヒト以外の動物は、「生きようとしている」が、「よりよく」とは考えていない。その違いが、様々な技術を獲得し、それらを改善し続けて最終的には文明社会が成立した。
 人類学者によれば、ヒトがこの世に生まれたのは600万年前で、そのうち599万年は、いわゆる狩猟採集生活をしていた。この期間は、食物の保存や定住生活ができずに、ヒトの働きは「そのとき、その場」のためだった。しかし、農耕や稲作が始まると一転する。稲を作ったり、家畜を育てるための労働は、「将来の期待のため」になる。現代社会での、一般社会人の労動、子育て、子供の勉強なども、みな「将来の期待のため」になる。 (長谷川真理子、巻頭言、Voice Apr.2022より)

 しかし、右肩上がりの世界が終わり、持続性が精一杯で、悪くすると住環境が悪化する世界では、どうであろうか。「将来の期待のため」という働きが、マイナスになる危険性がどんどん増してくる。すると、「そのとき、その場のために行動する」傾向に戻ることになる。最近の、ちょっとした犯罪のニュースを見ていると、その感が強くなる。

 生活水準が一定以上になると、合計特殊出生率が低下するのは、このためとの説が有力になっている。経済的に苦しいので子供を作らないというのは、つまり、経済的に余裕ができれば子供を作る、ということなのだが、現代文明下の社会には、どうも当てはまらない様に思う。このように考えてゆくと、最近の少子化対策は、おおいに疑問だ。

 動物は、常に「そのとき、その場のために行動する」のだが、ヒトも599万年間はそのように暮らしていた。「将来の期待のために行動する」のは、600分の1か、それ以下の期間でしかなかった。
件の「巻頭言」は「勤勉さは、私たちをこれからどこへ連れて行くのだろう」で結ばれている。

 話は変わるが、ネアンデルタール人が絶滅して、ホモサピエンスという人類だけが現在まで生き続けているのはなぜか、という問題がまだはっきりと解決していない。最近の遺跡の調査では、ヨーロッパ南部での共存期間は、約1万年も続いていており、その間には、文化的な交流があったという学説が有力のようだ。従って、一方的に攻められて絶滅したという説は成り立たない。
 
 当時の気候変動は現代の比ではなく、寒冷化も温暖化も強烈だった。そこで、最終氷期の初期に絶滅したと考えられるネアンデールタール人の社会が、「そのとき、その場のために行動する」もので、ホモサピエンス社会は、「将来の期待のために行動する」という説が浮上してくる。
「将来の期待のために行動する」社会でないと、寒冷化も温暖化も乗り切れずに絶滅の危険がある。