はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

鬱型爆弾

2008年04月18日 | からだ
 「」ってスゴイ字だよね。  その「ウツ」が今日のお題です。

 僕のなかに「ウツ」があります。かなり巨大で、ガンコな「ウツ」です。岩のように僕のなかに存在しているその「ウツ」の塊を、いかに解きほぐしていくか、それがこの15年くらいの間の、僕のテーマでした。その「ウツ」は主として10代の時に形成されていったものと思います。 (その6割くらいはやっと処理したと思っているのですが。)
 この「ウツ」は、たぶん、だれにでもあるものと思います。ただ、人によって大きさや固さが違う。これは僕の(カンによる)考えですが、こういう「ウツ」は、「神経性」のものと思います。「神経」というやつは、人によって、その敏感さにかなり個人差がある。3倍敏感な「神経」をもつ人は、同じストレスに対しても3倍の反応をしてしまう。すると人の3倍疲れるから、3倍の休息時間が必要になるのだけれど、そういう疲れというものは目に見えないものだからついつい働きすぎて、それが「ウツ」として蓄積される… と考えます。この場合、ストレスの蓄積量が多くて、処理するスピードが追いつかんわけですな。まじめ人間は、ついつい我慢しちゃいますからねえ。そうすると、流動的なカタチのストレスが、固形化して残ってしまう…これが「ウツ」となる。
 これはだれにでも当てはまることと思います。「神経」はみな持っていますから。
 
 ところが、精神病としての「うつ病」というのは、そういう神経的な、「だれもが理解できるようなウツ」とは、次元を異にするものであるらしい。

 『うつ病の妻と共に』(御木達哉著)という本があるのですが、この本の冒頭は次のような著者の体験から始まっています。

 [ 心臓が凍えるような衝撃を、私はそのとき受けた。明け方、何やらただならぬ雰囲気にふと目覚めて横を見ると、寝ている筈の妻の美紗子が見当たらない。家中を探し回った挙げ句に、私は玄関から外に出ていた。そして、家のアスファルトの小路で仰向けに横たわっている彼女を発見したのである。その姿を見たとき、私の心臓はまさに凍えた。彼女は眠っていたのではない。大の字に横になって、まだ明け切らない夏の早朝の青空に向かって大きく目を見開いていたのである。
 「さ、こんな所で寝ていないで家に中に入ろうよ」
 私は辛うじてそれだけの言葉を囁いて彼女の腕をとり、抱き起こして玄関の中に引き入れた。彼女は… (以下略) ] 

 どうやら、爆弾のようなものが破裂して、人格の一部までこなごなにしてしまう___そういうものであるらしいのです。
 「ウツ」もいろいろということですな。 野菜にも、岩石にも、いろいろ種類があるように。

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2 コメント

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utsu (ichii)
2008-04-19 20:50:01
今晩は。コメントは久しぶりです。
(それこそ、「文章を…」と思うと意のままにならぬジレンマで鬱になりそうになりそうになるichiiです。)
はんどろやさんは文章を書くことがお好きで、同時に書く事によってストレスを軽減しているのかなあと勝手に思っています。
絵もとても上手なうえに、いつも、エッセイのように止めどなく溢れる文章を読むと、羨ましくなってしまいます。
はんどろやさんに「ブログを始めてはどうですか?」
のようなお言葉を頂いた時、密かに開設したブログは
暗中模索状態で自分と格闘している感じでしたが、有り難いことに毎日のpcツール絵が今の私の鬱&ストレス解消の必須アイテムとなっています。
一番初めのお気に入り登録もブログ開設のきっかけも、はんどろやさんのブログとの出会いが始まりです。とても感謝しています。
なかなか文章がスラスラ書けないので、こちらへ訪問してもついついコメントも残さず帰りますが、いつも楽しませて頂いています。
長々とすみません。
記事を読むといろんなこと考えて、纏まらなくてこんな風になっちゃうので(笑)。

うちの猫が「銀」なので、「銀が泣いている」につい反応してしまいます。
取り留めなくてすみません。
また遊びにきます。



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猫が銀ですか (han)
2008-04-20 00:52:11
将棋を指さない人に将棋の記事を読んでもらう、それから、将棋のファンに将棋以外の記事を読んでもらう、というのがばくぜんとした望みでして。

何故ブログを書いているのか。
自分でも、謎です。

「書きたいことがある」というのは、たぶん、内面がもやもやしているからでしょうか。「書く」ことで、そのもやもやが一部、スッキリしますね。たしかにその分、すっきりします。
 ところがね、書いても書いても、もやもやの奥にさらにもやもやしたものがあって、「これは際限がないぞ!」と気づきはじめています。

 結局、こころの中というのは、もやもやしているものなのかもしれません。それでいいのかもしれません。

 ご愛読ありがとうございます。
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