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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#46 名投手列伝

2009年07月14日 | 1978 年 
洪水のような江川関連記事に食傷気味なので昔の名投手の話題を。 今回は稲尾和久投手です

昭和39年のキャンプが始まっても稲尾は一人、肩とヒジの治療の為 大分の別府にいました。昭和31年
入団以来8年連続20勝以上、うち昭和32年から3年連続で30勝以上を記録。特に昭和36年には、あの
金田投手に「どうかしてる・・人間のなせる業ではない」と言わせた年間42勝の日本記録を達成しました。

投球回数は入団2年目から 373回 2/3 、373回 、402回 1/3 、42勝した年は404回 投げるなど今では
勿論、この記事の当時と比較してもケタ外れでした。ちなみに、この年に最も投げたのは大洋・斉藤明で
241回でした。そんな稲尾が野球人生で初めて「腕がおかしい」と気がついたのは昭和35年でした。痛みで
2ヶ月間 戦線離脱しましたが、最後には20勝していました。ただし稲尾にとって20勝は物足りない成績で
名誉挽回を期し翌 昭和36年に日本記録をうち立てます。

さすがの稲尾にも限界がやって来ます。昭和38年9月23日 首位南海とは8ゲーム差、大阪遠征を続けて
いるチームを稲尾は離れます。チームもファンも稲尾抜きでの追い上げは不可能だと優勝を諦めましたが
10月1日からの直接対決・天王山に稲尾は帰ってきました。当然、万全の体調でないですから快刀乱麻と
いうわけにはいきませんでしたが初戦を若手3投手で勝ち、続く2・3戦に稲尾が連投し遂に首位と 0.5 差
勢いついた西鉄は逆転優勝を成し遂げました。稲尾は「これで思い残すことは無い。さすがにもう限界」と
コメントしましたが、何とパ・リーグ優勝の2日後、巨人との日本シリーズ第1戦のマウンドに立っていました。

稲尾が投げた 第1戦 ○、第3戦 ●、第6戦 ○ 3勝3敗で迎えた第7戦は当然 稲尾。しかし あの3連敗から
4連勝して「神様・仏様・稲尾様」と言われた稲尾ではありませんでした。試合開始 先頭打者にホームランを
打たれ、あとは張り詰めていた糸が切れたかのように釣瓶打ちを喰らい稲尾の昭和38年のシーズンは終わり
ました。無理の代償は大きく翌 39年はキャンプには参加せずリハビリに徹し再起を目指しますが、この年は
6試合 0勝2敗、以降も再び あの輝きを取り戻すことは出来ませんでした。

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