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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
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# 406 新監督四人衆

2015年12月23日 | 1984 年 



山内一弘(中日)…愛知県一宮市の出身。与侍子夫人も名古屋市生まれで親戚連中も地元だらけ。プロ野球人として初めて地元球団のユニフォームに袖を通す事になった。監督就任直後のコメントは " 御祝儀 " もあったのか「もちろん1年目から優勝を狙います」と威勢が良かった。しかし秋季練習を終えると「投手次第では優勝できる」と微妙に変化。更に正月年頭には「本当に強いチームにする為にはやるべき事が沢山ある」と当初よりトーンダウンした。それもこれも現状の中日の本質を把握したからだ。チーム作りや選手育成には定評がる人物で一見地味で正直だがいかにも堅実である。自分が不得意とする投手に関しては恥じる事なく外部に指導者を求める。監督としては勇気のいる行動だ。一時は追われるようにチームを去った中日OBの杉下茂氏を中山投手コーチの指導役として招いた。周囲の顔色を伺う事なく良いと思った事は何の躊躇もなく実行に移すというこの事例は山内という人物を知るに最適の材料である。

現役時代は球界を代表する強打者であった事もあり「中日を強打のチームにしたい」と自信を見せたかと思えば「打つ方は俺が見るから大丈夫。むしろバッテリーを含めた守備力の向上が1年目の課題」と不安を吐露する。自分の専門外の弱点が目について仕方ないという理由からか。裏を返せば打撃に関しては大いなる自信を持っているという事。「藤王?キャンプで実物を見てからだけど先ずは二軍でじっくり鍛えた方が長い目で見れば本人の為」と大物新人も子供扱い。秋季練習から精力的な指導を続け、体も動かすが口の方はもっと動かし付いた綽名は " かっぱえびせん "。やめられない止まらない、という事だ。時には怒鳴られる事もあるが選手は笑顔で納得している。つまり山内監督には政治的な裏や駆け引きが無いのを選手達は肌で感じ取ったのだ。先ずは地道な基本プレーの徹底、大向こうを唸らせる高度なプレーは要求しない。「基本の練習の先に優勝が待っていると選手が感じてくれればいい」 発展途上にある選手を一本立ちさせ本当の野武士集団を実現させるのが山内監督の描く夢だ。



植村義信(日ハム)…「タフ・ツー・ジエンド」これが植村監督が掲げたキャッチフレーズだ。つまりは最後まで諦めないゾ!という事。それは植村監督自身が歩んで来た野球人生のモットーでもある。とにかくキッチリした野球を標榜し徹底練習主義で就任直後の秋季練習からオフモードを一掃。年明け1月8日から始まる自主トレ、春季キャンプでも無休を宣言した。キャンプでは練習中の喫煙を禁止し、マシンや鳥かごも増やして息をもつかせぬ地獄のメニューを用意するという。更に食事や生活面にも立ち入る管理主義はヤクルト時代に仕えた広岡監督以上に厳しい厳格主義を打ち出している。「広岡さんとは個人的に親しいがやり方までを踏襲する気はない」と言うが意識しているのは間違いない。監督就任以来、選手達に言い続けている事がある。それは「来年の西武は今年より更に強くなる」「巨人と熾烈な日本シリーズを戦い、勝った事で西武の選手は一回りも二回りも逞しくなる」と。

投手出身である事から周りは守りの野球を目指すと見ていた。だが本人はそういった見方に不満気だ。「野球を守り型だとか攻撃型かに分類する事自体ナンセンス。例え投手でも時には攻撃的な精神で攻めなければ勝負に勝てない」 開幕まで正月三が日以外は休み無しで練習を続けるというその徹底ぶりはこれ迄チームの悪しき体質となってしまっている " スロースターター " という弱点を克服する為の絶対条件だとも言う。例年チームの「残塁数」はリーグでも群を抜き日ハムの代名詞となっている。今季のチーム方針「何が何でもチームバッティング」が敢えてリーグナンバーワンのパワーヒッターと言われていたソレイタ選手を解雇してまでシュアな打撃をするブラント選手の加入に繋がった。「とにかく1点を確実に取る野球をしたい(植村監督)」の思いは強い。投手陣の指導は昨季同様引き続き自らが率先垂範で行なうという。「投手交代の時も僕が直接マウンドに行って指示するしブルペンにも顔を出す。もしもだらしない投球をしたらドヤシつけ即降板させます」と息巻く。そうした姿勢に早くも付けられた綽名は " 鬼 " だった。



岡本伊三美(近鉄)…岡本監督は今でもその夢を見るという。10年前、阪神のヘッドコーチをしていた昭和48年の巨人との熾烈な優勝争い。勝てば優勝という中日戦に敗れ、甲子園での巨人との直接対決も負けて巨人の九連覇を許した場面を。「あの試合に勝っていればプロ野球界の歴史は変わっていた。優勝していれば江夏や田淵も阪神を去る事は無かったかもしれない。改めて1勝、1点の大切さを思い知らされた」その思いが監督就任に際して " 1点を大事にする野球 " を掲げた。「たかが1点されど1点」リーグ最多の13引き分けだった今季の近鉄は1点を守れず、或いは1点を取る事が出来ずBクラスに沈んだ。岡本監督は球界では異例の1年契約を結んだ。その狙いは「この世界にはテスト生で入った。いつクビになるか分からず必死で練習した気持ちを忘れない為に1年契約を願い出た。選手諸君にもそうした危機感を持って練習して欲しい」と。

ギリギリに追い詰められる事で「1点」に対する執念が生まれると岡本監督は考えている。「昨年の選手達は正直言って野球に対する取り組み方が甘かったと思う。一日中野球の事を考えているような選手を一人でも多く作る事が自分の役目だと思う」と力を出し惜しみしている選手がいる事が我慢出来なかった。「テスト生は手を抜いていたら直ぐにクビになる。持てる力を全部出して練習しなければ生き残れなかった」という気持ちを全選手に植え付けたかったのである。更に1点を大事にする野球から派生するのが「全員野球」であり「ベンチにいる選手全員が試合に参加している意識を持って欲しい」と。岡本監督に課せられた使命は近鉄の新たな伝統を作る事。9回二死になっても諦めない執念、それを先輩から後輩へ継承していく事。現役時代は勝負強く " 見出しの岡本 " と呼ばれていた自分の姿をチーム作りに反映させようとしている。



稲尾和久(ロッテ)…「優勝するなんて大きな事は言えんがパ・リーグを面白くしてみせる。その為には西武イジメに徹する」と就任早々高らかに宣言した稲尾監督。単なる景気づけの打倒西武宣言ではなくちゃんと土台作りを着々と準備していた。先ず醍醐バッテリーコーチの招聘。醍醐コーチは引退後ずっとテレビ埼玉の野球解説者として西武をじっくり見続けて分析済み。「作戦や送りバントをする・しない、エンドランのサインを出すタイミングなど広岡監督や森コーチの癖はある程度分かりました」と醍醐コーチ。稲尾監督は早くも醍醐コーチの㊙メモを参考に西武の逆手を取る作戦を考案中だ。加えて投手担当には " ハッタリ野球 " が信条の佐藤道郎をコーチに抜擢した事も見逃せない。「俺は打者にぶつけても構わないから内角高目ゾーンぎりぎりに投げてこの世界を生き残ってきた。逃げ回って四球を連発するような奴はブッ飛ばす(佐藤コーチ)」と息巻く威勢のいい男の加入は大人しい投手陣に喝を入れる事間違いなしだ。

稲尾監督は醍醐コーチや佐藤コーチとのトロイカ体制でチーム防御率 5.12 の弱体投手陣を立て直し「今の戦力でも充分2位は狙える」と言ってのける裏には三宅投手との交換トレードで巨人から獲得した山本功の存在がある。昨季のロッテは西武の高橋直や松沼兄らのアンダースロー投手に弱かったが今季は山本の加入で対策はバッチリ。「リー、落合、山本のジグザグのクリーンアップを組める打線は西武にも見劣りしない。今季のロッテは台風の目になる(稲尾監督)」と意気込む。太平洋クラブ時代の稲尾監督は4位が2回、最下位が3回と惨憺たる結果に終わったが「自分にとって今回が監督を務める最後のチャンスだと思って全力でぶつかりたい」と誓いを新たにしていた。

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