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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 778 中継ぎ投手 ❶

2023年02月08日 | 1977 年 



中継ぎ投手。こんな役どころを黙々と務める男たちの野球人生はどんなものなのだろうか?光が当たらずあまりにも地味な存在だったが、現代の野球では大きな比重を占める。連日のベンチ入りという過酷な任務に生きる男たちの情熱とチームへの貢献度は忘れてはならない。

作り出した個性
かつてのパーフェクト男・高橋良昌投手は今、長嶋巨人の中継ぎ役として連日のように投げまくっている。投手なら誰でも先発を、完投勝利を、と考えているものだが黙々と登板し次の投手にバトンを渡してベンチに消える中継ぎ投手は脇役にすぎない。当然そこにスポットライトが当たることは少ない。だが高橋良投手はいつの間にか中継ぎ投手に新しい個性を作り出した。「いやいや、若手も伸びてきたし先発陣も強固だからそういう連中の手助けになれば充分ですよ」と謙虚。テレビの取材を受けた高橋良投手は「俺がテレビに出るなんて10何年のプロ生活で初めてじゃないかな」と照れた。

今年から中継ぎ専門になって早くもピッタリのはまり役になった。それがあたかも彼の持ち味であるかのように。しかしこんな悩みもあった。「先発投手として出番が減り続け、川上さんから長嶋さんに監督が代わってオレの野球生命も終わりかなと思ったよ。1年・1年、今年で最後だ悔いのないようにしようと決めたんだ」と過去に栄光がある者のまさに光が消えゆく時の感じを高橋良投手は言う。昭和42年に中央大学から東映に入団し15勝をあげ新人王にも輝いた。華々しい選手生活をスタートし、昭和46年8月21日の対西鉄戦(後楽園)で史上12人目の完全試合を達成した。

これだけの記録を持つ選手はプロ野球界でも少ない。当たり前だろう。新人王は年にセ・パ1人ずつだし、完全試合はプロ野球40年の歴史の中でたった13人しかいないのだから。その輝く野球人が今年で最後かもしれないと思った時は言いえぬ寂しさと野球への愛着が滲み出た。それを高橋良投手は「悔いの残らないように」と表現し、先発投手と若手の成長の谷間にあってどう生き残ると考え込むよりも先に「1球・1球を大事に」と結果よりも内容に目をやることで結論を出したのだ。


30球あれば肩はOK
過去の栄光を捨て、その日だけの燃焼に生きる。たとえ中継ぎだっていい。全力を尽くして忠実に生きていこう、と。それが中継ぎと呼ばれる投手を作ったのだろう。試合が始まるとすぐにブルペンに入り「30球も投げれば出来上がる」と肩を作る。出番が来てマウンドへ向かうクルマに乗る時は「赤いランプも送迎用の音もいらないよ」と係員に言うことにしている。ひっそりとごく自然にマウンドに上りたい。「だって中継ぎっていうのはそういうものでしょ」と33歳の甘さを殺した男の働きが始まる。

試合は毎日のように彼を必要とする。しかもチームがピンチの時がほとんどだ。シュートを投げて引っかけさせてゲッツーに。力む相手をスライダーでかわして凡フライに打ち取る。打球の行方を確認して高橋良投手はマウンドを降りて次の投手に託し、大観衆の前から静かに姿を消す。6月24日現在26試合に登板しながらも2勝1敗2Sと目立った数字ではない。いや、数字で表すことが出来ないのだ高橋良投手の存在価値は。

「勝ち星やセーブ数よりもたくさん試合に出たい。今さら勝利数にこだわらない。それよりもあの球を握った感触を1日でも長く味わえる方が幸せだよ」と中継ぎ投手人生として長嶋巨人の新たなバイプレーヤーの個性を作り出した今でも言う。勝負強く親分肌の高橋良投手は若手選手からの信望が厚い。そしてセ・リーグ連覇、悲願の日本一に向けて長嶋監督は毎日こころの中で手を合わせながら全幅の信頼で高橋良投手をマウンドへ送っていく。
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