日日是好日

退職後の日々を写真で記録

ブラック企業?

2022-09-30 08:05:11 | 日記
新潟の娘のところへ行き二泊して昨日帰ってきた。
娘夫婦は二人とも中学校の教師をしていて帰りが遅い。孫は学校の授業が終わった後は学童で母親が迎えに来るのを待っているが、最後の一人になることも多いらしい。当然、夕食も遅くなる。
そこで時折、孫から「爺ちゃん、婆ちゃん来て!」と電話がかかってくる。それで爺ちゃんと婆ちゃんは娘の家へ行き、孫の学校からの帰りを待ち、夕食の支度をする。
夕食を作ったり洗濯などをするのは婆ちゃんなので、爺ちゃんの役目は朝の犬の散歩くらいで、たいして役には立っていない。



娘の夫はクラブ活動の顧問もしているので、土日でも学校へ行くことが多く、今では週休二日制が当たり前の時代であるが、殆どその恩恵を受けていない。
さらに学校の教師はいくら残業しても残業料は付かないのである。
時間外手当の代わりに、教職調整額として僅かな金額が支給されるため、いくら長く残業しても残業料を請求できない仕組みになっている。残業がいわゆる「過労死ライン」を越えている教師も多いと聞くが、あまり表に出てこない。
学校がブラック企業以下であると呼ばれる一因である。
これが一般の企業であれば、とうに労働基準監督署が立ち入っているレベルである。
次女の夫婦も中学校の教師をしており、教師になりたてのときは寝る時間も無いほど授業の準備に時間が取られていた。
企業であれば新入社員は仕事のやり方を先輩から教わりながら徐々に覚えて行くが、教員はなった途端に一人前扱いにされる。
そのため肉体的、精神的に問題を起こし、入院する教員も多いと聞いたことがある。

昔は、教師はなりたい職業の上位にあった。そのため多くの希望者があり、採用試験で何度も落ちた人を知っている。一度で採用されるのは稀だとも聞いたことがある。
しかし今ではブラック企業であることが知られるようになり、教師希望者が少なくなっており、何度も採用試験に落ちた人でも採用されていると聞く。
今朝の新聞にも「昨年度の教員採用試験の競争率は、全国平均で2.5倍と過去最低を更新。」と載っていた。
クラブ活動についても外部からの指導者を導入との話はずいぶん以前から聞いたことがあるが、一向に進んでいない。なぜだろうか不思議に思う。



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グーグルストリートビュー

2022-09-27 09:09:39 | 日記
私は樺太真岡生まれであるが、戦後1歳で引き揚げて来たので真岡の記憶はない。
昭和21年8月27日が誕生日なので戦争が終わって丁度1年経った頃である。
母からは真岡病院で生まれたと聞いている。
戦後、樺太はロシアの領土になり、今はサハリンと名を変えている。
それに伴い真岡はホルムスクと呼ばれるようになった。
当時の真岡の様子は写真集を購入して見たが、真岡病院は載っていなかった。


一度は生まれた所を見てみたいと思っていたが叶わなかったので、グーグルのストリートビューで探してみることを思いついた。
真岡病院が在った場所に今でも病院として存在しているとは限らないが、丘の上に在ったと聞いていたので、そこら辺を探してみたがやはり見つけることはできなかった。
それでも、便利なものである。自分の部屋に居たままで、真岡だった所の現在の様子を見ることが出来るのだから。

2ケ月ほど前に、妻と出かけようと車に乗りかけたとき、我が家の前の道にグレーの見慣れない車が入ってきた。


(ネットより)

よく見ると車体に大きな文字で「google」と書かれていたので、直ぐにストリートビューの撮影車であることが分かった。撮影車を見るのは初めてである。
しかし真正面で自分たちの顔も写ってしまったであろうことは直ぐに理解できた。
先日、我が家の周りのストリートビューを見てみると、予想通り私と妻の顔が真正面を向いて写っていたが、二人の顔と車のナンバープレートにはモザイク処理がされており、一安心。






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引き籠り

2022-09-26 09:40:27 | 日記
今朝目を覚ましてラジオのスイッチを入れるとラジオ深夜便で「ひきこもり絶望名言」と題してカフカなどの著名人の名言を紹介していた。

近くにも引き籠りの方がいるのを知っているが、引き籠っているので一度も会ったことがない。
高齢の母親と同居しているが、母親が亡くなった後のことを考えると心配になる。

退職後、ある病気で引き籠りになった方が、ようやく外に出ることが出来るようになって通う施設のボランティアをしているが、このコロナ禍で呼ばれることも無くなってしまった。
彼等は引き籠りを脱するまでには10~20年を要するので、青春時代を一人で過ごすことになる。

引き籠りにはなりたくないと思うが、考えてみれば、このコロナ禍で自分も殆ど引き籠り状態ではないかと思ったりする。
この年で引き籠りになれば、認知症にまっしぐらになりそうである。

認知症対策に少しは効果があるかと、久しぶりに昨日ウオーキングした際に撮った写真。









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ふるさとニュース

2022-09-25 10:07:30 | 日記
一昨日、横浜に住む高校時代の同級生から「ふるさとニュース」がパソコンメールで届いた。
この「ふるさとニュース」は東京網走会が作成したもので、彼は網走を離れた同級生に毎年送ってくれている。
コロナ禍もありここ数年網走には帰っていなく、懐かしく読んだ。
A4紙に18項目の網走に関するニュースが簡潔に書かれている。
その中から二つほど。

網走湖のシジミ資源量激減
道内最大の漁獲量を誇る網走湖のヤマトシジミの資源量が激減しているという。
近年の気候変動の影響により、この6年間で4分の1に減少したとのこと。

網走湖のシジミと聞いて思い出したことがある。
小学6年生の頃だっただろうか、父親と自転車で網走湖までシジミを獲りに行ったことがあった。
網走湖までは結構な距離があり、シジミを獲って帰りにはかなり疲労して途中の伯母の家でダウンしたことがあった。
網走湖のシジミは大きく、アサリほどの大きさで、味もしっかりしていたが、こちらに来てからはスーパーでもあの大きさのシジミは一度も見たことがない。
あのシジミの味噌汁をが懐かしい。

●「最果て」網走にコメ
網走市でコメ栽培を成功させた農家があるとのこと。
網走地方では昔から冷害が多く、稲作などは論外だったが温暖化もあり可能になったのだろうか。
北海道米「ななつぼし」(陸稲)を栽培している。
昔は北海道米と言えば、不味い米の代表だったが、今は新潟米に負けないほど美味しいらしい。


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カツ丼のこと

2022-09-23 08:26:56 | 日記
ホームセンターに隣接したスーパーマーケットの前の通路を挟んだ所に屋台のような4つの小さな店、みかづき、ラーメン店、かつや、田中屋が半円状に並んでいる。
半円の中には小さなテーブルと椅子がおかれており、各お店で購入した食べ物を食べることができる。それで新潟のソールフードと言われているイタリアンを食べている隣でラーメンを食べている人がいたりする。
時折このような中で学生時代を思い出しながら、かつやのカツ丼を妻と食べることがある。
一度食べると割引券がもらえ、次回にはワンコインでカツ丼を食べることが出来る。



新潟に来た昭和40年以降の食事はほとんど学食で食べていたが、量が足りなく、もやしで増量したインスタントラーメンをよく食べたものだ。
しかし、日曜日は学食は休みだったので古町の裏の都食堂という定食屋で昼食を摂ることが多かった。
多くの副食が並べられており、その中から好きなものを選んで食べることが出来るシステムであったが、ある時からかつ丼を食べるようになった。
このカツ丼が美味しく、貧乏学生である私の何よりもの御馳走となった。

新潟の名物に「タレかつ丼」がある。
ずいぶん昔からあったらしいが学生時代には、その存在は知らなかった。
タレかつ丼は、揚げたての薄めのトンカツを“甘辛醤油ダレ”にくぐらせて、ご飯にのせただけのシンプルなものである。
これを初めて食べたときは、今まで食べたことのないカツ丼で素直に「美味しい」と感じたものだった。薄いトンカツであることが食感を良くしている。
さらに新潟の長岡地域に「ソースカツ丼」があるが、食べたことはない。


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