日日是好日

退職後の日々を写真で記録

オホーツク海

2022-04-30 08:01:22 | 日記
知床半島はオホーツク海に面しており私の故郷の網走からもその影を見ることができる。
子供の頃、学校には今のようなプールなど無かったのでオホーツク海と繋がっている能取湖で泳いでいたが、夏でも5分ほど泳いだだけで唇が紫色になるので浜に上がるが体は震えていた。
まして今の時期であればオホーツク海の海水はどれだけ冷たいかは容易に想像できる。
しかもオホーツク海には強い海流が流れており、私の中学からの親友はこの海流にのみこまれ20歳で亡くなった。


知床半島で観光船が遭難した事故の捜索はまだ続いている。
今の水温は5℃ほどだという。
まだ発見されていない乗客の家族の方の「早く見つけて、暖かい布団に寝かせてあげたい」との言葉が、なんとも切ない。


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スキーのこと(回想2)

2022-04-28 13:45:42 | 回想
回想法とは自分の過去のことを話すことで認知機能の改善を期待する心理療法のことで、認知症の改善や予防に効果があるとされている。
後期高齢者となり認知症の予防のために、昔のことを話す代わりにブログに思いつくままに時折書いてみようと思う。

初めてスキーに乗ったのは、小学校に入学する前だったと思う。
短いスキー板に長靴が入る輪が付いているだけのとても簡単なものだった。
長靴でスキーにストックを持って乗り、僅かに傾斜している場所を見つけて滑っていた。
中学時代はカンダハーと呼んでいたバネが付いたスキーに乗っていたように思う。

子供の頃に住んでいた所は網走市でも字(あざ)が付く所で、冬には多くの雪が積もったので、時折スキーをはき近道して小学校へ通ったことがあった。
小学校では夏の運動会や遠足と同様に冬にはスキー大会やスキー遠足が行われた。
小学時代はあまり体が丈夫ではなく、よく熱を出したりして学校を休んでいたが、小学の5年生の頃だったと思うがスキー遠足に行った時のことは忘れられない。
15人程度だったと思うのでクラス全員ではないがスキー遠足が行われ、参加した。先生が先頭に立ち山道を進んだが、案の定、私は一番後ろを皆についてゆくのに懸命だった。しかし徐々に差が開いて自分の前の生徒の姿が見えなくなってしまった。
先生は先頭にしかいなく、私が遅れていることには気がつかないようだった。私はこの山の中で一人とり残されるかも知れない恐怖で、べそをかきながら必死について行った。
記憶にあるのはここまでで、どのように皆に追いついたかの記憶はない。

毎年スキー大会も行われた。これは回転やジャンプもあり結構本格的であったように思う。
ジャンプ台はそこそこの大きさであり、私にはとても飛ぶことのできるものではなかった。
もちろんスキー大会で私の記憶に残る成績はない。
それでもスキーにはそこそこ乗れるようにはなった。

新潟に来て初めてリフトのあるスキー場で滑ることができたが、それほどは出かけはしなかった。



4/27の歩数:8,904歩
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白えび

2022-04-26 12:39:14 | 日記
ずいぶん前のことだが、富山に行ったときに白えびを食べたことがある。
富山駅の近くの小さな店に入って食事をした際に、店主が白えびのから揚げを出してくれた。
これがとても美味しかった記憶が今でも残っている。妻も美味しかったというので間違いないだろう。
それ以後、白えびと書かれている食べ物は何回か試したが、あの美味しさには至らなかった。

昨日、妻の買い物について行った店の近くの食事処に「越中富山フェア」の旗が立っており白えびの文字も見つけた。
さっそく入り、白えびかき揚げ天が付いたせいろそばを注文した。



箸で崩しながら食べ始めたが、かんじんの白えびらしきものが見つからない。
その時、店員の方が「いかがですか」と声をかけてくれたので、優しく「どれが白えびですか?」と訊ね、さらに崩しながら一緒に見たが見つからない。
店員の方は「入れるのを忘れたのかも知れないので聞いてきます。」と厨房に飛んで行った。
やはり白えびを入れるのを忘れたらしく、直ぐに作り直しますとのことだった。
暫くすると厨房の方が大変恐縮しながら新しい白えびかき揚げ天を持ってきてくれた。
改めて気を取り戻し、食べると今度は確かにエビの味がするが、富山で食べた美味しさはない。
考えてみれば、富山で食べた白えびは100%白えびであり、かき揚げ天の白えびは野菜の中にわずかに混入しているだけなので当然の結果なのだと納得した。
これからは、白えびと書かれていても、すぐには飛びつかないようにしよう。



4/25の歩数:6,735歩
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食中毒の話

2022-04-25 08:42:24 | 微生物
まだ4月だというのに夏日の気温になることが多く、所によっては真夏日の日さえあったりする。
先日は北海道のオホーツク海沿岸で夏日になったのには驚いた。
気温の上昇に伴い、食中毒の季節に入るが、最近は食品の衛生管理が良くなったためか大きな食中毒事件のニュースは聞かなくなった。
そんな中、先日、大阪府枚方市の税務大学校で集団食中毒が発生し47人が病院へ搬送されたとのニュースがテレビで報じられた。
食事後2時間と短時間で症状が出ているので毒素型の食中毒と思われる。
故意に何らかの毒素を食事に混入したのでなければ、ブドウ球菌による食中毒だろうと思われる。
チキンの赤ワイン煮が夕食に出ていることから、カンピロバクターの原因も考えられるが、この場合は発症するのは翌日以降である。


黄色ブドウ球菌(ネットより)

ブドウ球菌による食中毒はブドウ球菌が産生するエンテロトキシンと呼ばれる毒素が原因で嘔吐、腹痛、下痢などの症状を呈する。
今回の食中毒でも嘔吐、腹痛を訴えているのと食事後短時間での発症なのでブドウ球菌による食中毒ではないかと思われる。
食品からブドウ球菌のエンテロトキシンを検出する試薬が市販されているので、もしこれが原因であれば間もなく、はっきりするであろう。

ブドウ球菌による食中毒の代表的なものは、2000年に発生した患者数13,000名を超える雪印ブドウ球菌食中毒事件で、記憶にある人も多いであろう。
この食中毒事件で雪印乳業という会社は無くなってしまった。

昔は食中毒の半数が腸炎ビブリオが原因であったが、調べてみると昨年の発生はゼロであった。時代と共に食中毒の様相も大きく変化するようである。
昨年の微生物による食中毒の第一位はカンピロバクターで、154件発生し患者は764人であった。
カンピロバクターによる食中毒はニワトリの生食で発生しますので、鳥刺しには注意が必要です。


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スケートリンク(回想1)

2022-04-22 09:41:11 | 回想
回想法とは自分の過去のことを話すことで認知機能の改善を期待する心理療法のことで、認知症の改善や予防に効果があるとされている。
後期高齢者となり認知症の予防のために、昔のことを話す代わりにブログに思いつくままに時折書いてみようと思う。



子供の頃に住んでいた網走はスキーよりスケートが盛んだったように思う。
地域にきちんとしたスキー場が無かったことと、スケートで優秀な江刺忠という選手が網走にいたからかもしれない。
スケートをするにはスケートリンクが必要であるが、二つのリンクを思い出す。

一つは学校の冬のグランドをスケートリンクにする方法。
生徒全員が雪のグランドに出て、横に並び、一斉に前進し雪を踏み固める。
十分に雪を踏み固めたグランドに次に先生たちが消防のホースで水を撒くと、翌日にはスケートリンクが出来上がっていた。

もう一つは網走湖市営リンクで網走湖の上に造られていたが、その造り方が変わっていた。
400mコースの外側が約30cmほどの幅で氷が切り取られていた。すなわち400mコースの楕円形の大きな氷が浮いている状態で所々に渡る板が置かれていた。
これは氷を浮かせる方が割れにくいとの理由であったと記憶している。
ここででは確か50円の入場料を払えば一日中滑ることができた。
さらにこのリンクでは冬の国体が開催されたこともあった。
今はこのリンクはなくなり別の市営リンクができている。



子供の頃は長靴スケートであった。長靴とスケートをベルトで固定して滑っていた。
3歳下の弟からはスピードスケートに乗っていたが、私はスピードスケートには乗ったことはない。



4/21の歩数:8,117歩
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