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信長と消えた家臣たち(谷口克広)

2007年11月23日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本の著者は、以前に信長の近習の活躍ぶりに焦点を合わせた「信長の親衛隊」と、武将たちの出世競争をテーマとした「信長軍の司令官」を書いていて、その中で反逆した家臣や挫折した家臣たちについても随所で言及していますが、信長の家臣にはその他に挫折・粛清・反逆によって消えていった者が大勢いて、本書では、そうした者たちに焦点を合わせて書いた本となります。

 特に、能力がありながら、そして能力主義者の信長に認められながらも、幸運に恵まれずに散っていった者の生き様を紹介してやりたいという気持ちで書いたのがこの一冊とのことです。

この本で紹介している者については、以下の目次を見ていただければ良いと思います。

信長ファンには堪らない一冊だと思います。とてもオススメです!!

以下は、この本で特に印象に残ったポイントです。

・塙直政は、もともと馬廻で、馬廻の中ではエリートとされる母衣衆に名を連ねていた。天正3年7月3日、信長は朝廷に主立った家臣の任官を奏請し、勅許を得た。明智光秀の惟任日向守、羽柴秀吉の筑前守などがここで許されるのだが、直政も彼らと同時に賜姓・任官され、「原田備中守」となった。ここで、天正3年の時点での信長の主な家臣の支配地は、柴田勝家は越前8郡、佐久間信盛は近江2郡のほか尾張・三河にかなりの支配地、滝川一益は北伊勢4郡、羽柴秀吉は北近江3郡、明智光秀は近江1郡と北山城、外様の荒木村重が摂津の大部分で、南山城および大和を委ねられている直政は、柴田・佐久間・荒木と並んでトップクラスの位置にいるといってよい。しかし、本願寺攻めで、天正4年5月3日早朝、直政の指揮する軍は三津寺砦を襲ったが、織田軍の攻撃は、事前に本願寺に悟られていたようで、すかさず楼岸から敵軍が救援に駆け付け、1万の兵と数千挺の鉄砲による反撃で、直政をはじめ塙一族が乱戦の中で戦死してしまった。この戦いは、その後本願寺勢の天王寺砦攻撃、信長自らの後詰め、反撃と展開し何とか織田家は頽勢を挽回することができた。

・永禄末年から元亀年間にかけて、信長の傍らで若い近習が台頭してきた。大津長昌、菅屋長頼、堀秀政、矢部家定といった顔触れである。さらに天正初年には、小姓だったらしい長谷川秀一、万見重元(仙千代)の活躍も目につくようになる。本能寺の変直前には、菅屋と堀の活躍振りが一頭抜きん出る形になる。しかし、天正6年(1578)という限られて時点で評価してみると、万見重元が特別に信長の寵愛を受けているように感じられる。しかし、荒木村重の謀叛による有岡城総攻撃中に万見重元はあえなく戦死してしまうのである。自ら塀を乗り越えようとしたところ、長刀に突き抜かれたという。万見重元の晩年、信長の信頼と寵愛はひとかたではなかった。安土城内の屋敷も一等地が与えられている。翌年1月に城内の家臣屋敷の移動があったが、重元の屋敷はやはり代表的近習の長谷川秀一に渡されることになる。

・本能寺の変は、結論をいえば、明智光秀に黒幕などいなかった。本能寺の変は、光秀自信の意思で信長を襲った反逆としか考えられないのである。

・明智光秀は、本能寺の変時には67歳という老齢だった。また光秀の嫡男(十五郎光慶)はわずか13歳ほどだったという。三女と思われる細川忠輿夫人(ガラシャ)は20歳、他の娘たちもみな20歳代のようである。この年齢差の不自然さこそ、父親光秀の焦りを生む要因となったのではないか。老い先短く、主君信長の信頼も失いつつある自分。寿命が尽きるか、追放の憂き目にあうか、とても安閑とはできない。自分が死んだら、信長はまだ使えない息子に丹波一国どころか坂本城1つだに継がせてくれないだろう。光秀は謀反を決意するまで、家族や明智家のことについて思い悩んだのではあるまいか。


<目次>
はじめに
序章 粛清の城 佐和山城
第1部 挫折
 第1章 元亀争乱の中に消えた武将達
  1、元亀年間-信長苦悩の期間
  2、坂本・宇佐山の戦いと森可成の戦死
  3、坂井政尚と堅田の戦い
  4、長島で倒れた者たち
  5、三方ケ原の露と消えた若者たち
 第2章 越前の争乱の中で
  1、越前守護代前波長俊
  2、一向一揆の勝利
  3、一向一揆の殲滅
 第3章 抜擢に応えられなかった者たち
  1、領地争いの末に失脚した中川重政
  2、三段跳び出世の末に戦死した塙直政
  3、加賀平定に失敗した梁田広正
  4、信長最愛の側近だった万見重元
第2部 粛清
 第4章 伊勢における粛清
  1、信長の伊勢平定
  2、神戸具盛と関盛信の粛清
  3、国司大名北畠一族の粛清
  4、譜代家臣津田一安の粛清
 第5章 近江における粛清
  1、掘秀村の追放と堀家家老樋口直房の誅殺
  2、近江国人林員清の誅殺
  3、磯野員昌の逐電
 第6章 天正8年の老臣追放
  1、大阪方面軍司令官佐久間信盛の追放
  2、織田家家老林秀貞の追放
  3、安藤守就父子・丹羽氏勝の追放
 第7章 北陸国衆の粛清
  1、信長軍の北陸進出
  2、能登国人の粛清
  3、越中国人の粛清
  4、使い捨てられた神保長住
第3部 反逆
 第8章 反逆の中での尾張統一
  1、家督相続後の謀叛
  2、肉親の反抗
 第9章 将軍との対立の中で
  1、将軍との対立と追放
  2、松永久秀・義継の討伐
  3、畿内守護たちの反抗
 第10章 水野信元と松平信康の切腹
  1、謎だらけの水野信元の誅殺
  2、松平信康の切腹
 第11章 信長を見限った外様大名
  1、赤井直正・波多野秀治の離反
  2、松永久秀の謀叛
  3、別所長治の離反
  4、荒木村重の謀叛
 第12章 反逆による信長の最期
  1、本能寺の変について
  2、本能寺の変についての検証
  3、光秀に与党した者たち
 終章 反逆されやすかった信長
  1、これまでの信長評
  2、信長の性格について
おわりに
信長家臣人名索引

面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)

<今日の独り言>
 3歳8ヶ月の息子は、児童館でみんあで紙相撲をして遊びました。あんまり勝てなかったのですが、負けても明るいので、褒められてしまいました^_^;)

コメント
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