ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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いわゆる拉致事件に思う(その1)

2005年12月16日 | ヤ行、ラ行、ワ行
 01、拉致事件に思う(その1)

(2002年)09月17日、小泉首相が北朝鮮を訪れて先方の絶対的権力者の金正日氏と会談して日朝国交正常化交渉の再開を決めました。

これを再開するにあたっては、双方にそれを求める理由があったのでしょうが、北朝鮮は経済が極度に疲弊しているそうで、先方の理由の方が大きかったようです。

それはともかく、両国間の懸案として核開発等の北東アジアの安全保障問題以前の問題として、北朝鮮による日本人拉致事件の解決がありました。会談の直前にこちらの求めていた8件11の安否情報が伝えられたとのことです。それが4人の生存と6人の死亡(1人は北朝鮮に入っていないとのこと)という結果であった(それ以外の情報もあった)ために、我々日本人は大きなショックを受けたわけです。

連日、新聞等はこの話題で持ちきりです。私の考えていることを何回かに分けてまとめます。

第1に、先方の金正日氏の肩書です。金氏は国家的地位としては決して元首ではなく(元首は金永南最高人民会議常任委員長)、国防委員長だそうです。普通は「総書記」と呼ばれていますが、これは朝鮮労働党における地位です。しかし、誰もが知るように、この「総書記」こそがかの国では最高の権力者でもあるのです。この事をまず考えておく必要があると思います。

左翼系の政党や労働組合では長い間「書記長」というのが最高実力者でした。その後は少し変わって「書記局長」とか「総書記」とかになる例もありますが、本質は不変だと思います。これは何を意味しているのでしょうか。

書記長というのは書記局のトップという意味です。しかるに書記局というのは要するに事務職のことであり、国家機構で言えば行政機関です。つまり官僚であり役人です。

ではなぜ左翼系政党ではその事務職の長が実権を握ることになったのでしょうか。これはスターリン以来だと思います。ソ連共産党の組織は政治局と書記局に分かれていました。政治局で方針を決め、書記局がそれを実行するというシステムです。政治局が頭で書記局が手足です。

しかし、世の中では多くの所でそうであるように、方針を決める人よりもそれを実行する人の方が実情に通じたりして力を握ることがあります。必ずそうなるというのではありませんが、そうなる可能性は常にありますし、実際にそうなっている所も多いと思います。

そして、スターリンはまさにそれをしたのです。理論的には劣っていたスターリンは書記局を握って政治局と戦い、勝利したのです。劣等感をバネにしてのしあがった点でヒトラーに似ています。

 それはともかくスターリンは死ぬまで(ソ連共産党の)書記長だったと思います。そして、当時はスターリン崇拝の時代でしたから、他国の共産党でもスターリンにならって実力者は書記長になるということになったのです。

政党だけならともかく、国家権力について言うと、この「手足」は行政機構だけでなく軍隊も含まれます。そこで軍隊の文民統制とかいったことが問題になるのだと思います。

さて、このように考えてきますと、金正日氏が朝鮮労働党の総書記と国家の国防委員長とを兼任しているということは、まさに手足が頭を支配し、手段が目的を支配している異常な事態の極致だということが分かります。

実際、この思想(政治)と事務(行政)の関係はもう少し広く取ると、目的と手段の関係とも言えると思います。

我々はこの事態から何を学ぶべきでしょうか。思想は宙に浮いているものではなく、それの実行のためには物質的な手段が必要であり、それは具体的には行政マンと(国家としては)軍隊だということです。

そして、目的を本当に実現するためにはその目的にかなった手段(実行部隊)を持ち、それを目的に合わせて指導しなければならないということです。

しかしこの後者の実行部隊はとかく政治(指導部)から独立してしまう可能性を持っています。召使が主人に転化するのです。

歴史を見ると、むしろ手段を握った人が主人になる方が多いかもしれません。露骨な軍事独裁政権だけがそうなのではありません。現に、我が日本国でも「官主導から政治主導への転換」が課題とされているのに一向に進みません。今回の小泉訪朝も外務省の田中局長の敷いたレールの上を走っただけという噂もあるくらいです。

北朝鮮の政治体制の異常さを笑う前に、我々は自分の国の事を反省するべきではないでしょうか。

(メルマガ「教育の広場」、2002年09月21日発行)

 02、投書(「拉致事件に思う(その1)」を読んで)

                      F・S

「いわゆる拉致事件に思う(その1)」について投稿します。

 >第1に、先方の金正日氏の肩書です。金氏は国家的地位としては決して元首ではなく(元首は金永南最高人民会議常任委員長)、国防委員長だそうです。

 この点ですが、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法(朝鮮憲法)には、「国家元首」に関する明文規定はありません。この憲法を改正し、金正日総書記を「国防委員長」に再任した最高人民会議第10期第1回会議(98年)では、国防委員長を「国家の最高職責」としました。

 金正日総書記が、このような形で実権を握る意図はいろいろ考えられますが、有力な観測の一つは、「腐敗した党官僚に失望した金正日が、軍を率いてクーデタを起こしたのだ」というものです。

 >普通は「総書記」と呼ばれていますが、これは朝鮮労働党における地位です。しかし、誰もが知るように、この「総書記」こそがかの国では最高の権力者でもあるのです。この事をまず考えておく必要があると思います。

 >左翼系の政党や労働組合では長い間「書記長」というのが最高実力者でした。その後は少し変わって「書記局長」とか「総書記」とかになる例もありますが、本質は不変だと思います。これは何を意味しているのでしょうか。

 >書記長というのは書記局のトップという意味です。しかるに書記局というのは要するに事務職のことであり、国家機構で言えば行政機関です。つまり官僚であり役人です。

 必ずしもそうは言えないと思います。

 労働組合などでは、「執行委員長」と「書記長(事務局長)」が別になっていて、後者が事務の責任者という位置付けだと思います。しかし朝鮮労働党のように「総秘書」(書記長)がトップである場合は、必ずしも「書記局の長」という意味ではないと思います。

 書記(朝鮮語では秘書)というのは、英語ではsecretaryですが、この言葉は今日では組織のトップを指す普通の言葉です。国連の事務総長もSecretary-Generalです。英国では、大臣はこれまでMinisterでしたが、新しい官庁ではSecretaryの場合が多くなっているようです。左翼系でない団体でも、PresidentやChairpersonでは大袈裟に感じるので、Secretaryを使う場合があるようです。

 以上は用語の問題ですが、朝鮮の政治体制の奇妙さという指摘はその通りです。しかし、これはむしろ「法治国家でない」という点に求められるべきではないでしょうか。

 一党体制ではありがちなことですが、法治ではなく人治体制だという点が問題なのです。

 03、お返事(牧野 紀之)

 投稿をありがとうございます。考えた事を4点書きます。

 第1点。本メルマガの趣旨は「自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること」ですから、元の原稿を引用して批評だけを加えるという書き方はなるべくしないでほしいと思います。

 批判は自由ですが、あくまでもそれは自分の考えをまとめるための1要素にして下さい。そして、まとまった文章にするように努力してほしいと思います。そうしないと、投稿者の考え方と文章力が向上しないと思います。

 第2点。第95号の文章の趣旨は「北朝鮮の政治体制の奇妙さ」といった他人事ではなくて、それを手掛かりにして、政治運動(広義)や国家における「思想と実行部隊との関係の問題」を考えたいということでした。ご理解いただけなかったでしょうか。

 第3点。個々の事実についてのご指摘は有り難いと思っていますが、文章の趣旨とはあまり関係ないと思います。

 1点だけ言っておきますと、国連の事務総長は国連のトップではないと思います。国連の思想方針(活動方針)は総会とか安全保障理事会とかが決めるのだと思います。その意味で国連の職員は全体として行政機関になるのだと思います。総長はそのトップにすぎません。

 第4点。今回の投書をいただいて、思想とそれを実現する機関(器官)との関係をもう一度考えました。それを考えている内に、「これは思考と言語との関係でも同じかな」という考えが浮かびました。

 人は言語を思考の手段とだけ考えて、「考えた事を言語で表現する」と思いがちですが、その反対に、「言語のあり方(例えば日本語の特色)がその言語を使う人の思考に影響を与える」という面もあると思います。

 この点については関口存男(つぎお)さんも「ひねれ」という題のエッセーで主題的に取り上げて論じています(『関口存男の生涯と業績』三修社、 309~12頁)。

そういう訳で、ご指摘を機会に自分の考えが発展してありがたかったです。

 (02と03はメルマガ「教育の広場」、2003年01月10日発行)