薬害肝炎問題に見る企業優先・個人生命軽視の国家主義

2007-10-23 11:20:36 | Weblog
 国民が許してもいる国家主義でもあろう

 「asahi.com」(07.10.22/11:42)の記事≪薬害肝炎で実名2人、イニシャル116人把握 厚労省≫)が<厚生労働省と製薬会社が、血液製剤でC型肝炎に感染した患者を把握しながら本人に知らせなかった問題>に関して伝えている内容をほぼ時系列で並べてみる。

①厚労省は02年、旧三菱ウェルファーマ(現田辺三菱製薬)から血液製剤フ
 ィブリ ノゲン投与後の肝炎発症などの副作用症例418人の報告を受けて
 いた。
②厚労省は今月18日(07年10月)の民主党のヒヤリングで「患者の名前や医
 療機関 名については製薬会社から報告がなく、資料もない」と説明。
③ところが、翌19日夜、実名などの記された資料が厚労省の倉庫から見つか
 った。ファイル8冊分で、特定につながる情報が黒塗りで消された資料と
 、消されてい ない資料の2種類。両方とも「厚労省が提出を求めた
 ものだった」

④3日後の22日(07年10月)になって、感染の疑いがある患者2人の実名
 、116 人のイニシャルが書かれた資料を02年時点で持っていたとする調査
 結果を公表。

⑤実名、イニシャル、医療機関名、医師名といった患者特定につながる情報
 などが あるのは計165人。
⑥うち9人は薬害C型肝炎訴訟の原告の可能性が高いが、国は2人につい
 て血 液製剤の投与を認めていなかった。
この2人のうち1人は大阪
 訴訟の原告と みられる。
⑦舛添厚労相はイニシャルや医療機関名を公表する考えを示しており、検査
 や治療 を呼びかける方針。
⑨厚労省医薬食品局の中沢一隆総務課長は会見で「当時の肝炎問題の調査
 チー ムが解散し、今の担当者が知らなかった」
と話した。

 患者の訴えは今日の『朝日』朝刊(07.10.23)の関連記事見出しの活字にそのまま現れている。≪肝炎訴訟原告 「治療機会奪われた」 国の対応「悪意だ」≫

 症状が悪化していて先月半ばから肝硬変で入院中だという「418人リスト」の1人と分かった大阪訴訟原告の40代女性は代理人を通じて、「早期治療の機会を奪われたことは残念で仕方ありません」と語ったと言う。

 上記箇条書き⑥番の国が血液製剤の投与を認めていなかった内の1人である。しかも厚生省側は「当時の肝炎問題の調査チームが解散し、今の担当者が知らなかった」と、「知らなかった」で済まない事柄なのだとの問題意識さえ持てないまま責任を他人事とする幸せ人間を演じている。今世紀最大の幸せ者としてギネスブックに登録すべきではないだろうか。

 大阪訴訟原告の40代女性に関して上記記事は次のように伝えている。<86年の出産時、東海地方の産婦人科医院で、止血剤として旧ミドリ十字の血液製剤「フィブリノゲン」を投与され、急性肝炎を発症した。だが、弁護団によると、肝硬変や肝がんに進行する恐れについて、医師は何も言わなかった。女性は「峠を越えれば直る」と思っていたと言う。
 報道などで疑いを持ち、弁護団に相談したのは04年。製薬会社からは何の連絡もなかった。国は「証拠がない」と、投与事実さえ認めてこなかった。
 「418人リスト」はフィブリノゲン投与後に急性肝炎などを発症した事例の一覧。厚労省が02年、ミドリ十字の事業を引き継いだ旧三菱ファーマ(現田辺三菱製薬)から受けて公表した。発症日や症状などだけで患者の個人情報はなかったが、女性は「102A」とされた症例が、自分と酷似していることに気づいて同社に情報開示を請求。同社側は先月、女性が「102A」だったと認めた。
 製薬会社側が患者の個人情報を把握している事実が明かになり、今回の問題の引き金になった。・・・・・>

 個人の福祉に貢献すべき国・企業(製薬会社)はその使命を裏切って、肝心要の「患者の個人情報」の開示を最後の最後に持ってきている。国の使命とそれを果たすべき責任、企業の使命とそれを果たすべき責任に関わる意識をすべて欠いているからできる裏切りであろう。

 「読売」のインターネット記事≪薬害肝炎報告、イニシャル116人・実名2人…厚労省公表 9人、訴訟原告か≫(07.10.22日)も後段で大阪訴訟原告の40代女性患者の訴えを伝えている。

 <《「患者見殺し」「隠ぺい」厚労省に原告ら怒り》

 「国は患者を見殺しにするのか」「隠ぺいとしかいいようがない」。薬害肝炎を巡り、厚生労働省が患者を特定できる情報を得ながら当事者に伝えていなかった問題で、同省が調査結果を発表した22日、国と裁判で争っている原告らは口々に怒りの声を上げた。止血剤としてフィブリノゲンを投与されたこと自体を知らない患者は多いとみられ、同省の対応に批判の声が強まりそうだ。
 大阪訴訟原告団代表の桑田智子さん(47)は「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしないなら、厚生労働省の存在意義なんてない。この隠ぺい体質が、薬害が繰り返される原因」と同省の対応に憤りを隠さない。さらに「少しでも早く、国や企業が患者に感染を知らせていれば、早期に治療を受けられた人も多いはず。命に直結する情報を隠してまで、国は何を守ろうとしているのか」と厳しく批判した。
 また、東京訴訟原告の女性(56)は「私自身も15年間、フィブリノゲンを投与されたことを知らなかった」と体験を語る。その上で、「国が知らせていないことで、今も感染に気付かず、病院にかかっていない人もいると思う。命の問題だから、徹底的に調査して早急に公表してほしい」と話した。>

 患者は「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしないなら」と言っているが、事実その通りなのは水俣病や薬害エイズ、アスベスト対策等と今回の問題が同じことの繰返しであることが証明している。

 1980年代初頭、当時の厚生省が血友病患者等への輸入非加熱製剤の輸血を通したエイズ感染の危険性を把握していながら、原料とする外国からの輸入血の輸入禁止措置もミドリ十字等の製薬会社の製造・販売の禁止措置も取らなかったのは患者の生命よりも製薬会社の利益を優先させたからであり、厚生省からの天下りを社長に迎えていたミドリ十字が危険情報を自らも入手していながら、安全な加熱製剤が発売された1986年1月以降も「国内血で製造しているので安全」と偽って国内血と輸入血の混合製品を販売し続けてエイズウイルスを拡大させたのも厚生省と同じ歩調を取って自らの企業利益を優先させ、患者の生命を軽視したからこそできた見事な成果であろう。その成果は同時に企業としての使命とそれを果たすべき責任に対する自らの裏切りという逆説をも果たすものであることは断るまでもない。その同じことの繰返しと言うわけなのである。

 企業優先・個人生命軽視は水俣病原因特定にも物の見事に現れている。有機水銀に侵された魚介類を通して身体の麻痺や言語障害を起こす水俣病にしても、1956(昭和31)年に熊本大学医学部が原因を水俣市にある新日本窒素(現在名=チッソ)水俣工場の排水中に含まれる有機水銀が魚介類を介して人体に入り、中毒を起こしたものと結論づけたが、政府はそれを無視して問題を放置、9年後の1965(昭和40)年に新潟県で第2の水俣病(新潟水俣病)が発生、昭和電工鹿瀬工場からの阿賀野川への排水を原因として流域住民に多数の水銀中毒患者を発生させて初めて、水俣病を公害と認定している。熊本大学医学部の原因究明から遅れること12年の1968(昭和43)年9月になってからのことである。

 県と国は患者認定には厳しい規制を設けながら、住民への補償と不況が重なって経営危機に陥った窒素に対して合計3000億円にも達する巨額の資金援助を行っているのも、「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしない」姿勢がそのまま現れた構図としてあるものであろう。

 アスベストの欧米と比較した対策の大幅な遅れについても同じことが言える。旧環境庁が<89年工場外への石綿の飛散を防ごうと基準を決めた大気汚染防止法改正の際>、<「石綿製造工場は中小企業が多い。産業保護の観点からも問題がある」>(05年8月27日の『朝日』朝刊≪時々刻々アスベスト対策検証 責任曖昧 救済も難問 関係省庁、なすり合い≫)と旧通産省の幹部から反対される経緯があったとのことだが、これも企業側に立った姿勢――国・企業の個人の福祉に貢献すべき使命・責任を自ら裏切る企業優先・個人生命軽視と言える。

 企業優先・個人生命軽視の態度は国家主義志向の体質によって発揮可能となる。国家主義とは「国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(『大辞林』三省堂)を言う。

 国家の経営はある種の人間の集団によって行われる。国家を経営する自分たち人間集団(政治家・官僚)とそれに組する特定の企業・特定の個人を「すべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え」、その利益のみを図り、国民一人一人の生命を存在づける「個人の権利・自由をこれに従属させる」国家主義の思想を血とし肉としているからこそ平然として同じことの繰返しをやってのけることができる国による企業優先・個人生命軽視であり、その止むことのない同じことの繰返しによって国の形にまでなっているということなのである。

 政府が国家及び企業優先・国民の生命軽視の犯罪を犯すたびにその懲罰として政権交代を選択していたなら、政府は否応もなしに国家及び企業優先の国家主義の態度から国民の生命優先・個人優先の態度に改めざるを得なくなっただろうが、そうしてこなかった国民にも責任のある「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしない」国の態度であり、企業の態度でもあろう。

 舛添厚労相はイニシャルや医療機関名を公表する考えを示しており、検査や治療を呼びかける方針ということだが、そうしないとただでさえ参議院は与野党逆転の状況にあり、いつ国民の氾濫を招いて衆議員も与野党逆転を誘い込まないとも限らないからこその国民よりの態度であって、如何に政権交代が有効か教えている。

 だが、「公表」を抑えることでも国民の怒りを鎮め衆議員与野党逆転を防ぐ方法があることを上記記事≪肝炎訴訟原告 「治療機会奪われた」 国の対応「悪意だ」≫の後段内容<厚労省、開示なお二の足>が暗に示唆している。

 <桝添厚労相は21日夜、「イニシャルでも医師の名前でも本人を特定できる可能性があれば公表する」と意気込んだが、22日には「プライバシーを保護しながらどうやるかはケース・バイ・ケース」とした。「感染を隠して暮らしている人もいる」というのが理由だ。>と「公表」に条件をつける態度変更を行っている。

 「プライバシーの保護」を口実に世間に公表しないことによって患者本人にも知らせない方法を取る、これまでもしてきたような隠蔽も可能となるだけではなく、逆に患者本人にのみ秘密裏に知らせて、世間に対しての隠蔽も可能となる。そのメリットは報道の形で取り上げ不可能とすることでマスコミに対する隠蔽が可能となり、かつての大本営発表が事実をゴマカシたように厚労省の犯罪を最小限に薄めるゴマカシが可能となり、国民世論の鎮静を手に入れることが可能となる。そうすることによって政府にしても衆議員与野党逆転へと向けた打撃をもろにかぶる危険性を少なからず避けることができるメリットをつくり出すことができる。

 いわば桝添は政権維持にとって障害となるかもしれないと洗いざらぶちまけることの危険性に気づいたか、誰かに教えられたかしたのだろう。もしそうであるなら、結果として今まで示してきた個人優先の態度は単なるポーズで、政権維持のために国家優先・企業優先の態度、個人の生命軽視の態度へとその他大勢に右へ倣えすることを意味することとなる。
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