いわし つつじ園in室積

光市心身障害者福祉作業所「つつじ園」のブログです。利用者のつぶやき、作業所の活動内容を紹介しています。

昔初日の出を拝んだ場所(やすらぎの森)

2016年01月03日 11時11分23秒 | その他

31日から2日にかけて美味しいものを食べたり飲んだりしてかなり血圧が上がっていました。歩くことにしました。

まず白雲稲荷神社跡に出かけました。

本殿跡には今回しめ飾りと鏡餅がありませんでした。ついに・・・・。残念です。

森様横の愛宕神社です。側に大木の山モモの木があります。

室積田布施往還道を久方ぶりに歩いてみました。

室積市延地区の手で年に2回ほど道普請がなされています。道普請のおかげでなんとか歩けそうです。道普請が今でも行われる理由として、山火事をはじめとして災害時の避難・移動経路としての防災対策が考えられます。

道が崩落しないよう、清水の抜け口用の水路が作られています。手入れがなされています。

50年前はこの一面はすべて棚田でした。食料事情がよくない時代です。みんながこぞって稲作に励んでいた時代でした。

大峰堤です。昔はボートがありました。それに乗って遊んでいました。

桜の大木が倒壊しています。伐採にはチェーンソーが必要です。

竹林になっています。イノシシの鳴き声も聞こえます。タケノコはイノシシの大好物です。

昔棚田だった所に針葉樹が植えられ、今では大木になっています。

もうすこしで弘法大師様の石仏が見えるはずです。

見えました。お世話をされてい形跡があります。うれしくなりました。戦前の室積の子どもたちは、柳井の弘法大師祭りがある日には、この道を通って田布施駅まで歩き、汽車に乗って行き来したそうです。きっと朝早くから出かけたのでしょう。そうした歴史も踏まえて、ここに弘法大師の石仏があるのでしょうか。また、昔は田布施方面から室積までの買い物はこの道を通ったそうです。普賢祭りの日にはこの道を多くの人が歩いたのでしょう。

この場所は水飲み場でもありました。ここの湧水が美味しかったのをよく覚えています。

もうすぐコバルトラインです。県道162号線のガードレールがみえてきました。

私が小学校の3年頃まで、今通った道を登ってこのあたりまで牛とネコ車で発動機や脱穀機を運んでいました。重たい荷物を運ぶ苦しそうな牛の顔と牛を必死で動かす父親の必死の形相が今でも眼前に浮かんできます。当時はどこの農家も苦労してお米を作っていたのです。このあたりの田んぼは山田と呼ばれていました。寒暖差があり湧水でできるお米です。新米を食べる時期になると、新米が美味しい!美味しい!とつぶやく父親の笑顔が今でも忘れられません。

大峰山山頂への道です。ここを歩くと、高校時代のマラソン大会を思い出します。当時、女子は光青年の家から多賀神社(展望台)まで、男子は光青年の家から大峰山頂の折り返しでした。アップダウンもあるし長距離です。当時の高校生はしらけ世代と呼ばれ、まじめに走る生徒は一部の生徒だけでした。

やすらぎの森が大峰山頂になります。私の小学校時代にはここに砲台跡があって大きな穴がありました。当時は観光地だったので、穴の中にポイ捨てゴミが山のようにあったことを覚えています。

ここまで登ったのは何年ぶりでしょうか。意外と手入れがなされています。

ここに7本の松が昭和43年春まであったので、この山頂は7本松と呼ばれていました。松は3日3晩にわたる山火事で焼失しました。

山頂の印です。

雑木林で昔の眺望はなくなりました。残念です。

この看板は平成22年に設置されています。新しいものです。

宝くじの普及宣伝事業として整備されたので、周囲の手入れもそれなりになされていたのですね。

この場所は、昭和47年4月から50年3月まで高校生だった私の記憶では、市長さんをはじめとして多くの人が訪れ、初日の出を拝んでいました。

帰り道は県道162号線を下りました。

昔は下山の道中どこからでも御手洗湾・象鼻ヶ岬・峨嵋山を拝むことができましたが、現在は眺望のよい場所はここだけになってしまいました。マキ燃料からガス・電気燃料に代わったために人が山に出入りしなくなってから山は荒れてしまいました。

無事下山。気持のよい汗をかくことができました。まだ正月なので昼からビールを飲みたくなりました。


新たな印刷の仕事に向けて

2016年01月03日 05時17分55秒 | その他

昨年度末に「室積探訪カルタ」の試作版を作ってみました。作成後の感想は「みんなで探訪カルタを楽しむ」というよりも「一人で探訪カルタを見て楽しむ」ものになるのかなと思いました。

右が名刺入れのサイズ(1000円)、左がその2倍サイズ(1500円)です。

名刺サイズのカルタは小さいということもあって、高齢者向けの2倍サイズも作ってみました。

絵札は、試作版なのでいろんなタイプで試してみました。

【懐かしの写真版】 「奥の院 松もそなれの たくましく」

名松の風景は平成時代の初めころに残念ながら消えてしまいました。

【イラスト+懐かしの写真版】 「県立公園 千本桜の並木道 面影残すのみ」

現在の桜の名所は、冠山総合公園の桜坂に代わっています。

【光きり絵・版画の会作成のきり絵版】 「9月1日は 木杵神社の 奉納相撲」

大正時代からはじまった奉納相撲は2002年に休止されています。

【現在と昔のミックス版】 「ここにいれば 泣く子も安心 迷い子石」

名刺サイズだと昔の写真が小さくなってしまいます。

【きり絵と実風景版】

 「境雅人も ここで眺めた 御手洗湾」

縦長サイズに横長サイズの写真を挿入するようになります。

「灯台は 県内最初 みたらい燈籠堂」

「夏の花火は 御手洗湾の尺玉 室積の風物詩」

秋の花火大会から、台船から打ち上げられる尺玉花火がなくなったのが残念です。

【昔と今の対比版】

「白雲稲荷大明神 昭和時代の 繁栄のシンボル」

写真が多いと思いながらも、神社の過去と現在を対比してみました。

「遍路道 大師めぐりの 八十八ヶ所」

きり絵・昭和時代と大正時代の風景写真を挿入してみました。

【水彩画版】 「みんな大好き 室積銘菓 鼓乃海」

室積を代表するお菓子です。実物写真も挿入してみました。

【部分スポット拡大版】 「漁の安全 豊漁祈願だ 北向き地蔵」

いろんな石仏が一か所に集められ安置されています。その中の一つをクローズアップしてみました。

【偉人伝カレンダー挿入版】 「忘れない 松岡フジの 銀のかんざし」

これまで作業所で発表した偉人伝カレンダーの絵も活用してみました。

こうした絵札の裏側には説明書きがあります。これを記入するための準備作業には時間を要します。

以上が「室積探訪カルタ」試作版の概要です。一枚の写真やイラストで統一した方がいいのか、ごちゃまぜ型がよいのか思案中です。試作版という形で販売してみてもいいかなとも思っています。

 この「室積探訪カルタ」試作版は、今後は作業所の印刷業務の一つである名刺作成の一環として「室積探訪カルタ(石仏編)」→室積探訪カルタ(神社編)」→「光井探訪カルタ」→「島田探訪カルタ」→「浅江探訪カルタ」→「大和探訪カルタ」へと毎年作成・発行することも可能です。名刺作成担当者にとっては新たな仕事が開発されるわけです。こうした探訪カルタを通して、各地域のよさを再発見、郷土愛を深めることができます。これが新春の夢物語に終わらないよう、実現に向けて努力してみようと思います。本年度もよろしくお願い申しあげます。