利用者が詠んだ40首の短歌に挿絵が入りました。
絵は、作業所二代目所長が描いたものです。
1枚1枚の短歌・絵双方に味があり、趣があります。
利用者が詠んだ40首の短歌に挿絵が入りました。
絵は、作業所二代目所長が描いたものです。
1枚1枚の短歌・絵双方に味があり、趣があります。
これまで福祉作業所つつじ園で制作してきた民話・偉人伝カレンダーは、光市に伝わる昔話や光市地方史研究会を中心とした書籍をもとに作成を行ってきました。
原本の絵は、作業所の二代目所長(田中義雄)の手で描かれた紙芝居から選別したものです。
作業所には、そうした紙芝居が多く保管されています。
昨日紹介した牛島の伝説「幻の船」もそのうちの一つです。
このお話は、牛島で語り継がれている古いお話です。それは、じめじめした梅雨時のことでありました。
ある日、木下の与兵衛さんが、まだ夜の明けきらないうちに、牛を連れて畑仕事に行こうとしました。
お宮の前にさしかかった時カラスが気味の悪い声で泣き出したのです。
「与兵衛 鍬がない。はよう いんで鍬を持ってこい」
与兵衛さんは、カラスが鳴いたので、鍬を忘れたことに気がつきましたが、そのまま畑を行こうと思いました。
ところが、カラスはあとをついてきて
「与兵衛鍬がない」
と泣きます。
「カラスのやつ、わしをかもいやがる。」と腹がたったが、カラスを相手にけんかもできず、しらん顔で牛をせかして畑に行きました。
すると、どこからか大船の、ろをこぐかけ声が聞こえてくるではありませんか。
「ヒッチョウ コヴバイ ハッチョノエイ」
畑のすぐ下は海で、そこを通る船は、はっきり見えるはずだが、さっぱり船の姿はみえない。
「おかしいな」と思って、体を乗り出した与兵衛さんは、びっくりぎょうてん。
大きな船が横倒しになっているではありませんか。与兵衛さんは、へたへたと尻もちをつきました。
大船は、たしかに千石船です。へさきには大きな龍の頭があって、帆柱は中ほどから折れ、ズタズタにさけた帆は、人気のない船の上におおいかぶさっていました。
ろの音は、まだ続いて
「ヒッチョウ コヴバイ ハッチョノエイ」
と、掛け声が聞こえてきます。
与兵衛さんは、こわくなって、連れてきた牛の腹の下にもぐりこみました。そして、両手で耳を押さえて、息を殺していましたが、そのうちに恐いものみたさに、またのこのこと、牛の下からはいだして、下を覗いて見ると、おや不思議なことがあるもんです。さっきは確かにあった大船がかまけすように消えてなくなっているではありませんか。
与兵衛さんは、二度びっくり、早々に牛を追って家に帰りました。
そして、女房にこの話しをしますと、女房は声をひそめて
「三日ばかり前のことじゃが船が座礁しましてのう。そりゃあえらいことでしたんじゃ。島のひとのなかにゃあこっそり積み荷を拾うて帰った人もあるちゅうことじゃ」
「積み荷を拾てもどった人の家へ、立派なみなりのお侍が二人やってきましてのう。拾うたものを戻せちゅうて、えろうどなったということじゃ。」
「ふーん。お侍がのう」
「それで、なんと、あとでわかったことじゃけんど、そのお侍は、船で死んだ二人じゃそうな」
「えっ、そりゃあ、ゆうれいじゃないか・・・・」
女房の話に目をまるくした与兵衛さんは、あとで島の男から、沈んだ船は、薩摩の船だったことを聞いた。そして、その船は、上方へいく途中で、牛島の沖で遭難したらしい。
積み荷は、ほぼ回収して他の船に積み替えて運んだが、中に大事な書き付けがあって、二人の侍は、それを探しているらしい。と聞かされました。
与兵衛さんの見た難破船は、幽霊船のように見えたのでしょう。ろの音や人の声は、本当の幽霊だったかもしれません。
高水に住む創作土鈴作家に絵付けの方法を教わりました。
絵付けを一緒に行うボランティアさんも参加しています。
ひよこに羽を描いています。
8月から9月にかけて、土鈴の絵付けを利用者と行う予定です。
TUTUJIの花文字を描いていたサルビアの鉢を移動しました。
この場所だと、午後からの太陽光を遮断することができるからです。
ブイキャラ(ハチ)もマリーゴールドに隠れないよう、上に移動しました。
横木に抱きついています。
朝7時から15分間は牛島船を眺めながら食事をしています。
今朝は祝島の民家を見ることができました。
灯台あたりでちょうど7時15分です。
附属光小学校の前でいつも汽笛が鳴ります。
牛島船の汽笛を聞きながら、いつも新たな一日がスタートします。
昭和時代は牛島室積間は30分かかりましたが、現在は15分です。
牛島中学校の生徒が減少し9名となった87年から、牛島小学校の児童もカレンダーづくりに加わっています。
そして、平成3年度(1991年)、牛島中学校が休校となってからは、小学校がその伝統を受け継いでいます。
牛島小中学校の版画カレンダーは、多くの人に親しまれ、その継続を期待されてきましたが、平成10年をもって牛島小学校も休校となります。
この版画カレンダー1999年最終版は、福祉作業所の2Fロッカーに保存されていました。
「古里の歴史を風化させることなく、子孫に伝え続けていこう。歴史は伝えなければ確実に風化する。」
という意味合いで、この版画カレンダーを紹介しました。
土鈴の絵付けの準備で、土鈴をケースに入れました。
中野昌晃堂でいただいた菓子箱です。
オスは35個ほど入りました。
メスは42個ほど入りました。
子は一つの小箱に72個ほど入りました。
作業室の机の下に収納することができました。
4箱ほど余ったので、いただいた造花を入れることにしました。
このような形で、頂戴した菓子箱を有効に活用することができました。
【追記】
造花を季節ごとに分類しましたが、菓子箱に入れることはできませんでした。
暑い夏が続いています。
これからも暑さが続きそうです。
マリーゴールドも大きくなりました。
枝葉を短くカットしました。
こうすれば幹が丈夫になります。
花壇まわりがすっきりしました。
ハチさんもよく見えます。
サルビアは暑さに弱いということで、一日中太陽の当たる場所に植えているサルビアには日除けを設置しました。
本日の午前中は、花壇の手入れに追われました。
高齢者施設から光探訪かるたの注文がありました。
名刺サイズではなく、大型版(1500円)の方です。
探訪かるたは、レクレーションで活用するそうです。
きっと、昔話に花が咲くと思われます。
室積に昔からある魚屋さんは現在二軒あります。
そのうちの一軒が室積神田にあります。
私は週一度「刺身デイ」と称して、ここに立ち寄っています。
昭和50年頃まで、作業所のある海浜荘は結婚式場でした。
披露宴などの仕出しは、ここで作られていました。
ここで、室積で採れた魚を満喫することができます。
魚屋さんは、あと5年くらいはがんばるそうです。
ちなみに、昭和50年に白雲稲荷社の宮司が亡くなりました。
宮司の後継者としての声がかかったそうです。
夏休み親子藍絞り染め教室の日です。
指導者から作業の一連の流れを教わっています。
小豆・ビー玉・洗濯ばさみ・サランラップなど使って、絞り作業を行っています。
作業の合間に、作業所の製品も紹介しました。
「手作り六角万華鏡」は、夏休みの工作に最適です。
紹介すると、たいていの方は購入してくださいます。(^v^)
藍染を行っています。
今回は10分間染めました。
水洗いする前に、小豆・ビー玉・サランラップなどを外します。
これが結構時間のかかる、大変な作業です。
水洗いをする前に、発色剤・酢酸液に浸しました。
水洗いを念入りに行っています。
タオルで水切りをしています。
アイロンがけをして完成です。
ビニール袋に入れて持ち帰ります。
夏休みのすてきな思い出が一つできました。