Zooey's Diary

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イエニチェリ軍団の悲哀

2008年09月21日 | トルコ旅行2008
アヤソフィアとブルー・モスクにはさまれた場所に、アトメイダンという広場があります。
そこに「イエニチェリの木」という大木があり、かつてイエニチェリが最強の勢力を誇った頃、その木の枝という枝に、自分達に歯向かう宰相や財務官や高官たちの惨殺死体を吊るしたといいます。

イェニチェリとは、14世紀から19世紀の初頭まで存在したオスマン帝国の常備歩兵軍団のことです。
ムラト一世が創設したとされるこの軍団は、キリスト教圏から身体強健で優秀な十代初めの少年達を奴隷として徴収し、イスラム教に改宗させた上で、徹底的に軍隊教育を施したのだそうです。
彼らは成長しても妻帯は許されず、厳しい軍隊規律の中で皇帝への生涯の忠誠を誓い、勇猛果敢な親衛隊として、その名を広く世界に知られたようです。

”行軍のしんがりは、スルタン親衛隊のイエニチェリ軍団が勤める。(中略)
白いフェルト帽に緑色の上着、それに白のトルコ式のズボンをしるベルトには半月刀がさされ、それと手に持つ弓が彼らの主な武器だった。”(塩野七生)

彼らが最後列にいたのは、ちゃんと意味があったのです。
恐怖に駆られて引き返そうとする味方兵を脅し、それでも逃げようとする兵は容赦なく切り殺したのだそうです。
最前線の兵士達は、後ろに控えるイエニチェリ軍団の方がむしろ恐ろしく、ひたすら敵陣に向かって前進していったという説もあるほどです。

しかし…
敵であるキリスト教徒の子どもを捕まえて改宗し、強力な自軍戦力に仕立て上げるって… なんという恐ろしい洗脳なのでしょうか。
年端のいかない少年達の中には、親を、故郷を思って泣いた子もいたでしょうに。
そんな軍団が5百年近くも続いたという事実(後には自国民の兵も加わったそうですが)に只々驚愕してしまいます。

そんな勇猛な軍団も、次第に規律が乱れ、奢り高ぶるようになり、
イエニチェリを廃止しようとした皇帝を惨殺したり、反乱を起こしたりした挙句、
19世紀初めに廃止されたのでした。

彼らは又、士気向上や敵軍威嚇のために軍楽隊「メフテル」というものを持っていました。ヨーロッパの軍楽隊は、このメフテルが起源となっており、またモーツァルトやベートーヴェンは、メフテルの音楽に影響されて「トルコ行進曲」を作ったと言われています。
こちらで「メフテル」の音楽の勇ましい動画が見られます。

Ceddin Deden(動画) 

写真 ハーレムの中の「フルーツの間」
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