Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

一緒なら怖くない

2009年12月27日 | Weblog
昨日の読売新聞。
芥川喜好氏の「人生の明るい午後へ」と題したコラム。
元雑誌編集長にして70歳の新人作家西村眞氏や
社会学者の加藤秀俊氏(79歳)の言葉を取り上げて
「明るい老後の取り組み方」に触れている。

西村氏の言葉。
「いつまでも若く、ではなく成熟することなんですよ。
若い人についていく必要はない。むしろ時代遅れ的な行き方を
取り入れた方がいいですね。」

加藤氏の言葉。
「マンネリズムを実践しつつ、”うれしくなるほど”物事を忘れる。
それこそが社会的責任から解放された人間の特権である、”忘れる自由”がある。」

”どこか初々しい西村さんの日常も、加藤さんの隠居話も
明るい空気に包まれています。
それは、長く生きて光も陰も通過した人が行き着いた明るさであり、
身につけた軽みであります。
年齢には意味があるのです。”


なんだか随分と励まされる文章です。
加齢というと、加齢臭だの加齢痛だのろくな言葉がない。
美容の世界では、アンチ・エイジングをいかにするかということばかり。
それでは歳を重ねるって何もいいことないのかと思ってしまいがちですが
ここまであっけらかんと開き直られると、力づけられる気がします。

そういえば加藤秀俊氏って、大学の時、母校にいました。
社会学だか比較文化学だかの授業を私も取っていました。
話がすぐあちこちに拡散してしまうが、なんだか勢いがあって面白かったような…
もう80歳近いお歳なのか…

25日クリスマスの夜、高校時代の仲間の集まりがありました。
「クリスマス会」と称した、要するに飲み会なのですが
卒業して30年もたつと、色々と変わっていたり、変わっていなかったり。
それでもそのメンバーが集まると、一瞬にして30年前に戻れてしまう魔力があります。
いきなり高校時代にタイムスリップして、バカなことを言い合ったり。
一人で歳を取るのは嬉しくないが
あの連中と一緒ならそれほど悪くもないかな、と思わせる魔力も。

歳を取ることだけは、抜け駆けもごまかしもできない、
誰にとっても平等なことなのですから…
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ゴミ屋敷の元祖

2009年12月23日 | 社会
年賀状作りに疲れて一休み。
昨日の読売「緩和急題」に、「ゴミ屋敷になぜ興味 生きてきた時間の残骸」という見出しの
記事が載っていました。

それによると、ゴミ屋敷の元祖といわれるコリヤー兄弟なるものが
ニューヨークにいたのだそうです。
彼らは弁護士とエンジニアの兄弟で、38年間引きこもり続けて、
1947年にニューヨークの邸宅内でものに埋もれて死んだという。

へええ…
知りませんでした。
Wikiによれば
”(コリヤー兄弟は)マンハッタンに住んでいたのだが、1909年ごろから家に引き篭もるようになり
(一説には母親の死が一つのきっかけになったともいわれる)、
地域の治安が悪化しても屋敷を離れず、外界から遮断された生活を送っていた。
家中に罠を仕掛けて侵入者を撃退していたが、
最終的にはそれが元で死亡したと推測されている。
兄のホーマーは引き篭もり中に病気により失明していた。
かなりの蒐集癖があったようで、彼らの死後この屋敷から運び出されたものは
103トンにも及んだ。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E5%85%84%E5%BC%9F

半世紀以上も前に、「ゴミ屋敷」も「引きこもり」もあったのか…
しかも、この二人は医師、弁護士という前途洋々たる資格を持ちながら。
驚きです。
一体、二人に何があったのか?
米国では今、この二人のことを取り上げた小説が
話題になってるのだそうです(でも未邦訳!)
記事は
”社会も家族も「富」へ「未来」へ、拡張する間はいいのだ。
「貧」へ転じた途端、その落差から情緒的破綻もゴミも生じる。
ゴミ屋敷とは、いわば人間の生涯の負の標本、孤絶した利己主義の形そのものだから、
人の興味をこれほど誘うのかもしれない。”
と続いている。

自分の場合に置き換えて考えてみる。
元々掃除なんて好きではありません。
掃除する傍からモノは散らかる、埃はたまる。
やってもやっても賽の河原、という気がする。
家族がいるから、少しでも快適に暮らして貰いたいと
トール教室があってお客が来るから、最低限には綺麗にしなくちゃと
片付けているにすぎない気がする。
これが、家族もいなくて、尋ねてくるお客も友人もいなかったら…
私は自分のためにだけでも、せっせと掃除するのだろうか?

でも、自分の生涯を負の標本にはしたくない。
せめてもそれだけのプライドは持ちたいものです。

写真 床を汚す最大要因タロウ
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「リストランテ濱崎」

2009年12月19日 | グルメ
ミシュラン一つ星、予約が中々取れないことで有名な青山の隠れ家、
「リストランテ濱崎」でクリスマス・ランチをしてきました。

南青山の裏道の、更に奥の路地にあります。
表参道駅からも外苑前からも、歩いて10分くらいか。
しかし、何の目印もない住宅街の奥なので、非常に分かりにくい。
更にお店自体も、何の看板も出ていないので、その前に立っても見落とす可能性あり。
私一人だったら、永遠に辿り着かなかったことと思います。

一般の家のような小さなエントランスを入ると
濱崎シェフがニコニコと出迎えてくれました。
この人は食事中にも丁寧に挨拶に来て下さり、非常に感じがよい。
何処かの国の五つ星ホテルのメインレストランの、無礼極まる接客とは大違いです。
店内は思ったよりも小さく、これといった個性的なインテリアもなく、
淡い色のむき出しの壁、ナチュラルな木の床に、白いリネンで覆われたテーブルが無造作に配置された空間は、殆ど質素な印象を受けます。
しかし、座り心地のいいチェコッティのイスや、トイレの贅沢な作りなどから、
実は細部まで注意が行き届いていることが分かります。

パルジャミーノ・レッジーノ
前菜八品の盛り合わせ 
雑穀風リゾット 
ズワイガ二とドライポルチー二のトマト風味パスタ
ウズラのグリル ハチミツとバルサミコ風味 
デザート盛り合わせ
小菓子 飲み物

アペリティフは、このお季節お薦めの、シャンパンにベリー三種を入れたもの。
飲めない私にも口当たりよく、ラズベリー、カシスなどが丸ごとグラスに入っていて、甘酸っぱくて美味しい。。
ここの前菜の盛り合わせは有名であるらしく。
私はこの中では、ヒラメのカルパッチョが一番美味しく感じました。
ズワイガ二のパスタ(写真)も有名らしいのですが
もうちょっとコッテリしていてもよかったのでは、という感想。
ウズラのグリルはなんと甘酸っぱい味付けで驚きました。
デザートは、ごく小さな、プリン、シュークリーム、デコポンのゼリー、
バニラジェラートの盛り合わせ。
どれも美味しいのですが、もうちょっと独創性があってもいいのでは…?

全体に優しい味付けで、イタリアンというよりは
濱崎シェフの独創料理という印象です。
何より私が驚いたのは、なんといってもその不便な場所。
こんな立地条件に関わらず、しかもランチは木・金・土曜しかやっていないと
いうのにこれだけ流行っているって…
やはりお料理の味と、濱崎シェフの人柄からなのでしょう。

「リストランテ濱崎」
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「理想の彼氏」リバウンドの意味

2009年12月10日 | 映画
監督・脚本・製作 バート・フレインドリッチ 2009年アメリカ映画

高学歴・高収入の夫、二人の子どもと瀟洒な家で何不自由ない暮らしをしていた
40歳のサンディ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)。
夫の浮気が原因でその家を飛び出し、子どもと共にニューヨークで新しい生活を始める。
アパートの階下のカフェで働く24歳のアラム(ジャスティン・バーサ)と知り合い、
二人は親しくなっていくのだが…

ずっと専業主婦をしていたとはいえ、スタンフォードの院まで出た才媛で、
離婚するや否やバリバリ仕事もこなす姉御肌のサンディ。
かたやアラムは、カレッジは出たものの定職を持たず、親元で暮らす気弱なフリーター。
そんな二人が恋をして、その後どうなっていくのか…?

歳を重ねてつらい現実に遭ったサンディは、いわゆる条件のいい彼氏ではなく、
自分にとって「居心地のいい」彼氏を求めるようになる。
幸せは好条件の上にではなく、毎日の些細な生活の中に転がっていることに
挫折を知って初めて気がつくのですね。
キャサリン・ゼタ・ジョーンズが、躓きながらもたくましく生きていく強い女を
好演しています。
一昔前に流行った「ハンサム・ウーマン」という言葉がピッタリです。
ジャスティン・バーサは、若いくせになんだか覇気がなくて、優しいけれど
弱々しくて、という若者役がピッタリ。
アメリカでも「草食系男子」というのが流行っているのかしら?

この作品の原題は“The Rebound”というのです。
リバウンドという言葉は、ダイエットのリバウンドやボール競技のリバウンドのように
「はね返る」という意味だけかと思っていたら
挫折や失敗から「立ち直る」という意味もあるのですね。

あちこちにユーモアが散りばめてあり、意外なお宝も隠れていて楽しめます。
アラムの父親を演じているのは、なんとS&Gのアート・ガーファンクル。
エンドロールで流れる曲は、ホール&オーツの「every time you go away」(懐かしい!)。
小さなくせにやたらシモネタを話したがる、口の悪い二人の子ども達も笑える。
とことん憎たらしいのに、そこは所詮子どもの浅知恵で、実は可愛らしい。
歳を重ねるのも、挫折を知るのも悪くないじゃないと思えてくる、
元気を貰える映画です。

☆3.5
コメント (3)
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どこまでやるの!?ストリートビュー

2009年12月08日 | 社会
グーグルがまた新しいことを始めたのですね。
ストリートビューで世界遺産が見られるというのです。
その中にストーンヘンジがあったので、思わずクリックしてみました。

グーグルマップ

ストーンヘンジは、ロンドンから200㎞ほど西にある環状列石(ストーンサークル)。
ロンドンから一日ツアーがいくらでも出ているのですが
私はその前に、湖水地方のケズウィックのカッスルリッジ・ストーンサークルを堪能していたので
ストーンヘンジには行かなかったのでした。

ストーンサークルというのは、ストーンヘンジだけでなく
イギリスのあちこちにあるものなのですね。
カッスルリッジはストーンヘンジほど有名ではありませんが
小高い丘の上にあり、見晴らしは素晴らしい。
しかも、何の柵もなく、好きなだけ近づいて、触ったり登ったりすることもできる。
ストーンヘンジに行った友人の話だと、そこの石の周辺にはロープが張られていて
遠目で眺めるだけなのだそうです。

何のためにどうやって作られたのか未だによく分かっていない、
奇妙なストーンサークルというものは、確かに一見の価値はあると思います。
しかし…
大体において街なかから遠い。
カッスルリッジは小さなケズウィックの街から、田舎道を車で20分ほどだったか。
しかもその小高い丘は、イギリスの郊外の丘がしばしばそうであるように
山羊や羊の放牧地ともなっているようで、そこら中、糞だらけ。
しかも日本だったら、カッスルリッジ饅頭とかストーンサークル煎餅とかの
お土産屋やドライブインがその辺り一帯にできるでしょうに
あちらときたら、見渡す限り、カフェどころか民家の一つもない。
私が行った日はたまたま天気が悪く、雨混じりの風が吹きさすび、
荒涼としたその丘の上は、まるでこの世の果てのように感じたのでした。

ストーンヘンジは、そこよりは余程観光地化されているとは思いますが
街なかから遠い不便な所にあるという点では共通しています。
それを自分の家のリビングにいながらにして
しかも、そのサークルの中にまで入り込んで見られるというのだから…
ストリートビュー、素晴らしい!
ここに登録される世界遺産、これからもっともっと
増えることでしょう。

人類は何処まで見張られてしまうのだろうという
一抹の不安は拭えませんが…

写真はグーグルマップより
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私、常識がないのでしょうか

2009年12月03日 | 社会
Yahoo!のトップページの「みんなのアンテナ」という欄に
「私、常識がないのでしょうか」という見出しが出ていたので
思わずクリックしてしまいました。

「読売小町」に寄せられた19歳の女子大生からの質問。
友人の日本舞踊の発表会に、花束を持って行かなかったら
後日当人から、常識ないね、恥ずかしかったと責められた。
日本舞踊の発表会に行くのに花束やプレゼントはそんなに常識なのでしょうか?
という質問。

それに対する答えが面白い。
日本舞踊の発表会に花束を持って行くのは常識であり、もう19歳なのだから、
お呼ばれ頂いた場に手ぶらで参上するというような無粋な真似は慎むべきという意見もあるようですが
大方は、せっかく観に来て貰っておいてそんな風に責める友人の方が非常識、
気にしなくてよいというものです。

ううむ。
私もよく、友人の発表会に誘われるのです。
友人の、区民ホールなどでの無料の発表会。
あるいは、スポーツクラブで私が教えて貰っている先生が、
個人的に持っているスクールの有料の発表会。
一緒に観に行く友人と仲間で花束や菓子箱を持って行ったり、
一人であれば、ちょっとしたビーズやトールペイントの小物を持って行ったり。
どちらであっても、晴れの舞台に立った友人への
ささやかなお祝いの気持ちを込めて。
幸い私の友人には、そんな非常識な人はいないようで
今まで、こんなシケたもの持ってきて!非常識ね!と責められたことはありません。
忙しい中わざわざ来てくれてありがとう、と満面の笑みで言ってくれる。

でも私がその友人の立場だったら、やはりそう思うような気がします。
こんな素人の発表会に来てくれて、晴れ姿を見てくれてありがとう!と。
そう考えると、この質問者は
こんな我侭な友人とはサッサと縁を切った方が身の為でしょう。

しかし、この質問に対する「ベストアンサー」は
中々判読しづらい。
何故これが模範解答に選ばれたのか…
ちょっと謎です。

「私、常識がないのでしょうか」
コメント (2)
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