Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「パスト・ライブス」

2024年04月13日 | 映画

ソウルで幼馴染として育った男女が12歳で離ればなれとなり、24年ぶりにニューヨークで再会を果たすという物語。
ソウルに暮らす12歳の少女ソヨンと少年ヘソンは互いに恋心を抱いていたが、ソヨンは親の都合でカナダに移住してしまう。ソヨンはノラという英語名になり、24歳でへソンとネットで再会するが、リアルに会えないままに再びすれ違う。36歳でニューヨークで会った時、ノラは米国人アーサーと結婚していた…

予告編を観た時、これは私が好きなストーリーだと思って期待したのですが…
予想したほどには感動しませんでした。
何故だ!?
アカデミー賞の作品賞、脚本賞にノミネートされたというのに。
この冒頭のバーの3人のシーンには、ワクワクしたのですが。



この作品のテーマは「イニョン(縁)」か。
この言葉は映画の中に何度も出て来るし、タイトルの「パストライブス(Past lives)」は、日本語で前世の意味。
へソンは「この人生自体が前世だったなら。イニョンがあれば来生でまた逢おう」と言うのです。



しかしそれは、私にはどうも女々しく聞こえてします。
そもそも12歳という子供の時の初恋なんてママゴトのように私には思えてしまうし、いつまでもそれを引きずるヘソンには呆れてしまう。
そしてもっと好きになれないのは、ソヨン(ノラ)。
24歳でネットで再会し盛り上がったのに、彼女は唐突にやり取りを断ち切る。
その理由は、自分は移住して頑張ってきたのに、(へソンとやり取りしている今)ソウルに行くことばかり考えてしまう、こんなことしている場合じゃないというもの。
そういう心境に至るには移民としての苦労がさぞあったのでしょうが、映画ではそれは描かれない。
結局この人は上昇志向で、すべてをそれに優先させたのだと。
米国人アーサーと結婚したのも、グリーンカード欲しさでないとは断言できないでしょう。
という訳で、私はヒロインをあまり好きにはなれなかったのです。
ラストシーン、階段でノラを待つアーサーの姿には泣けました。

「パスト・ライブス」公式HP 

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「オッペンハイマー」

2024年04月06日 | 映画

この映画の感想を書くのは難しい。
枝葉を切り捨て、大まかな印象だけを備忘録として。
原子爆弾を開発したアメリカの理論物理学者、ロバート・オッペンハイマーの半生を描いた伝記映画。
原作本のタイトル「American Prometheus」は、ギリシャ神話においてゼウスから火を盗んで人間に与えたプロメテウスを表しているらしい。
今年度のアカデミー賞において、作品賞含む7部門受賞。
『インターステラー』や『ダンケルク』のクリストファー・ノーラン監督。

量子力学や物理学や政治の専門用語が飛び交うし、登場人物がやたら多い。
カラー画面のオッペンハイマーの視点の世界と、モノクロ画面の宿敵の政治家ストローズ視点の世界に分けて描かれ、時系列も行ったり来たりで非常に分かりにくい。
そして音響が凄い。
ロスアラモスの広大な大地での原爆実験の直前には、耳を塞ぎたくなるような大音量の不協和音が響き渡り、そして実験が成功した瞬間、無音となる。
音の使い方が何と上手いのか。

オッペンハイマーという男の人生を描いた映画であるということは分かっていても、あの実験成功を祝う場面はどうにも辛い。
会場に集う全員が足を踏み鳴らし、割れるような歓声を上げて、ロックのミリオンスターを迎えるように彼を迎え入れるのです。
その原爆雲の下の悲惨な犠牲者たちへの思いは、何処にもひとかけらもない。
戦勝国、加害者側の原爆開発物語であることには間違いありません。
その後のオッペンハイマーの後悔と苦悩が描かれているとしても、被爆国の人間として、観て快いものではありません。
そしてまたオッペンハイマーという男は、人間としてもかなり問題のある、嫌なヤツとしか私には見えなかったのです。

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「落下の解剖学」

2024年03月21日 | 映画

転落事故か投身自殺か、それとも殺人か。
自宅山荘の窓の下で、サミュエルが不審死を遂げ、その妻で小説家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が殺人罪で起訴される。目撃者は視覚障害を持つ、11歳の息子ダニエルだけ。真実は何処に…!?



去年のカンヌ国際映画祭パルムドール、本年度アカデミー賞の脚本賞受賞。
予告編やタイトルから随分と不穏なものを感じ取っていましたが、その予想を裏切らない作品でした。
法廷での様々な証言や挙げられた証拠から、夫婦のこれまでの経緯が次第に明らかになる。
作家として成功した妻と、教師の仕事をしながら作家の夢を捨てきれず、しかし書けないでいる夫。結果的に家事の多くを押し付けられ、妻に鬱屈した気持ちを持っている。
私は殺していない、というサンドラに対して、友人の弁護士ヴァンサンは、重要なのはそこではない、君がどう思われるかだ、という。



この言葉はこの映画の真髄を表しているようで、裁判は一応決着するが、どうにもスッキリしない。そのモヤモヤを観客に押し付けることが、ジュスティーヌ・トリエ監督の狙いだったのかとも思います。
面白くはあるのですが、これだけ登場人物に感情移入できないことも珍しい。
サンドラは出ずっぱりでずっと喋っているのに、彼女の性格はまるで伝わってこないし、つまり好きになることができないのです。
法廷で、母親が実はバイセクシュアルであること、かつて女性と不倫したことなどを聞かされる11歳の息子、多感なダニエル君には、同情せずにはいられませんでした。
ボーダー・コリー犬のスヌープは見事な演技をしていましたが、あの目を剥いて倒れる所は、軽い薬を飲ませたのかしらん?
エンドロールに、これは動物虐待ではないというような文言が出るかと思いましたが(最近では散見する)、何もなかったということは、やはり演技だったのか…?
英題は「Anatomy of a Fall」。



「落下の解剖学」公式HP 

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「コヴェナント / 約束の救出」

2024年03月15日 | 映画

2018年、アフガニスタンで、タリバンの秘密基地を探すアメリカ軍のジョン・キンリ―軍曹(ジェイク・ギレンホール)。アフガン人通訳アーメッドを雇い、苦労の末タリバンの爆発物製造工場を突き止めるが、大勢のタリバン兵に囲まれ、ジョンとアーメッド以外、部隊は全滅。ジョンも銃撃されて瀕死の身となるが、アーメッドにからくも救い出される。アーメッドはタリバンに狙われながら、手押し車に乗せたキンリ―を100Km離れた米軍基地まで必死の思いで連れて行く。無事本国に帰ったジョンは、アーメッドが米軍から何の保証も受けずタリバンにつけ狙われていることを知って、再びアフガンに向かう。



2021年、タリバンが首都カブールを掌握した直後、カブールから飛び立った米空軍の大型輸送機の機内にギッシリと乗り込んだ人々の写真を、ニュースで見ました。その数600人。飛行機の車輪付近や機体の側面にしがみついている、大勢のアフガン市民の写真も。
そのまま飛行機は飛び立ち、何人もの人が落ちて死んだらしい。
あの情景が忘れられず、この映画のことを知った時に観なくては、と思ったのでした。

 (2018.7.)

導入部ではジョンとアーメッドが出会って、危険な任務を遂行して行くのですが、最初はお互いに疑心暗鬼の状態です。
ジョンが撃たれて倒れた後、アーメッドがどうしてあそこまで危険を冒し、何日もかけてジョンを助けたのか、やや説得力不足のような気がします。
アメリカ映画らしく、タリバンが皆どうしようもない悪党でしかないのも、やや残念。
それでも、アメリカ軍に協力した通訳が、アフガンでどんな立場にあるかということがよく分かる作品です。
エンドロールに「米軍のアフガニスタン撤退後、タリバンによって300人の通訳が殺された」というテロップが。
ガイ・リッチー監督が、アフガニスタン問題とアフガン人通訳についてのドキュメンタリーに着想を得て撮りあげた社会派ドラマということです。
原題は「Guy Ritchie's the Covenant」。



「コヴェナント」公式HP 

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「カラーパープル」「まいまいつぶろ」

2024年03月03日 | 映画


「カラーパープル」
実父に虐待されて妊娠、望まぬ結婚を強いられた黒人女性が、型破りな生き方の女性たちとの交流を通して目覚め、自らの人生を切り開いていくという話。
スティーブン・スピルバーグが1985年に手がけた名作映画「カラーパープル」をミュージカル映画としてリメイク、今回の制作にもスピルバーグを始め、オリジナル版に出演したオプラ・ウィンフリー、オリジナル版の音楽を手がけたクインシー・ジョーンズが名を連ねているということですが…
不思議なほどに私には響きませんでした。
テーマが黒人差別ではなく(大きな意味ではそうですが)、黒人女性の受けたDVに絞ったのが、裏目に出たのか。
歌声とダンスはパワフルで素晴らしかったのですが…




「まいまいつぶろ」
第九代将軍徳川家重は、生まれながらにして口が廻らず、身体が不自由だった。歩いた後には尿を引きずった跡が残り、その姿から「まいまいつぶろ」と呼ばれ馬鹿にされた君主。家重の言葉を唯一聞き分け、彼の“口”となり生涯付き従った大岡忠光。 廃嫡を噂される若君と後ろ盾のない小姓、二人の生涯を描いた物語。
なんといっても終章、年老いて死期を悟った忠光が江戸城を去る場面での家重の言葉「もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光に会えるのならば」、これがこの小説のすべてを表しています。
Wikiによれば、家重は実際「小便公家」と陰で呼ばれ、脳性麻痺による言語障害だったとする説があるということです。
第12回日本歴史時代作家協会賞作品賞、第13回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。

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「ネクスト・ゴール・ウィンズ」

2024年02月29日 | 映画

FIFAランキングで世界最下位の米領サモアのサッカーチーム、2001年にはW杯予選史上最悪の0−31でオーストラリアに大敗、その後も1ゴールすらできず10年以上が経過。次の予選を4週間後に控えた所に、アメリカを追われたコーチ、トーマス(マイケル・ファスベンダー)がやってきて、最弱チームの立て直しを図る。

「ジョジョ・ラビット」のタイカ・ワイティティ監督というので楽しみにしていたら、いきなり画面に出て来ました。
この人はニュージーランドの先住民マオリの血を引いているのだそうで、だからこの独特なポリネシアン気質に詳しいのでしょう。
必死に鍛え上げようとする鬼コーチと、暖簾に腕押し、人生は頑張ることより楽しむことが何より大事という選手たち。
なんともすれ違う様が面白い。



トランスジェンダーの選手が結構重要な役割で出て来て、近年の映画界のLGBTに対する忖度かと思いきや、「ファファフィネ(第3の性)」と呼ばれるその存在は、あちらでは何千年も続く文化の一部なのだそうです。
そして、往年の名作「ベストキッド」のオマージュがあちこちに出て来て笑えました。
ユニフォームに「MIYAGI」の名前が入っていたり、ゴールキーパーがあの鶴のようなポーズをとってみたり、
「Next Goal Wins」とはまた分かりやすいタイトルだと思ったら、負けているチームが休み時間が終わる直前にゴールを入れたら逆転勝利する、子供たちのゲームのことなのだそうです。



にしても、アメリカ領サモアとサモア共和国、ふたつのサモアがあるとは知りませんでした。
これはアメリカ領サモアの話です。

公式HP 

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「コット、はじまりの夏」

2024年02月15日 | 映画

1981年、アイルランドの田舎。9歳の少女コットは、親にはネグレクトされ、姉たちにも邪険にされている。賭け事に夢中の父親、生活に疲れた母親。内気なコットは家庭にも学校にも居場所がなく、ひっそりと息を潜めるように生きている。そんな彼女は母親が出産するまで、親戚の夫妻の家に預けられることになった。妻のアイリーンは優しく、夫ショーンはぎこちないが温かく彼女に接するが、愛情をかけられたことがないコットは中々素直に甘えることができないでいた。



緑豊かな農場、樹々の間に揺れ動く木漏れ日。
質素な家の中のほの暗い部屋、柔らかく差し込む光。
内気な少女を優しく包み込むキンセラ夫妻にも悲しい秘密があり、それが次第に解き明かされていく。



あのような環境で育ったのだから仕方ないと思いつつ、コットがあまりに遠慮がちで自分の感情を出さないことに、観ていて多少イライラします。
母親が出産し、いよいよ家に帰ることになる。
コットは帰りたくないが、中々口に出せない。
キンセラ夫妻も返したくないが、やはり自分たちの分をわきまえていて口には出せない。
3人は黙って車に乗り込み、コットの家を目指す。
相変わらず散らかった家に着いても、久しぶりに会った親はお帰りとも言ってくれない。
キンセラ夫妻が帰ることになり、最後の最後にコットがしたことは…



地味な色調、地味なストーリーの映画です。
しかしラストシーンで涙腺が緩みました。
全編聞き慣れないアイルランド語ですが、時々英語の台詞が混じったりする。
確認してみたら、アイルランドでは第一公用語がアイルランド語(ゲール語)、そして第二公用語が英語であるが、英語を日常的に話す国民の方がずっと多いのですって。
この作品、アイルランド映画で初めてアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされたのだそうです。

公式P 

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「ジャンヌ・デュ・バリー国王最期の愛人」

2024年02月09日 | 映画

18世紀フランス、栄華を極めた国王ルイ15世の最後の公妾ジャンヌ・デュ・バリーの波乱に満ちた生涯を映画化。
ジャンヌは貧しいお針子の私生児として生まれ、美貌と知性を持ち合わせた高級娼婦となり、社交界の人気者になる。遂にベルサイユ宮殿に足を踏み入れ、国王ルイ15世の公妾となるが、労働者階級の庶民(しかも娼婦)が国王の愛人となるなんて!と周囲の目は冷ややかだった。ジャンヌはへこたれずに王との愛を育むが、王は天然痘で死去、更にフランス革命の機運が巻き起こり…



ベルサイユ宮殿での大規模撮影、シャネルによる衣装監修と、とにかく豪華絢爛です。
そして当時の宮殿内での様々な風習が、滑稽としか言いようがなくて面白い。
王の公妾となるには既婚者でなくてはならなくてジャンヌも形ばかりの結婚をするとか、王には背中を見せず小刻みに後ろに後退するとか。
あの豪華なベルサイユ宮殿、中に森林や運河まで有する広大な宮殿で私はかつて一日過ごしたのですがとても廻り切れず、しかもそこで財布を掏られたショックで、途中から記憶が曖昧なのです。


(マリー・アントワネット)

映画の画面で宮殿の豪華さを堪能できるのはありがたいが、王の意地悪な娘たち、ジャンヌをさげすむ貴族の女たちと、あまりに描写が類型的な気がします。
そしてジャンヌの性格も描写不足で、どうしてそこまで王に愛されたのかがこれではよく分からない。
俳優マイウェンが監督・脚本・主演を務めたそうですが、愛妾は切れ目がないほどの艶福家であった国王が、一目で恋に落ちたほどの美貌とも思えない。
ジョニー・デップがフランス語でルイ15世を演じたというので話題になったようですが、短い単語の台詞ばかりで、これならと納得。
ジャンヌが養子のように可愛がっていた黒人少年ザモルにも最後糾弾されたのは何故なのかよく分からず、残念でした。



等々文句を並べたてましたが、時代の波に飲み込まれたジャンヌの生涯の末路には、言葉を失くしました。
あの時代に興味があるのなら、十分に楽しめると思います。

公式HP 

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「哀れなるものたち」

2024年02月01日 | 映画

19世紀末ロンドン、不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植されて蘇生する。大人の身体に幼児の脳を持つ彼女は好奇心の塊で、放蕩者の弁護士ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出る。ベラは様々な経験をし、時代の偏見から解放され、驚くべき成長を遂げていく。



予告編で観たエログロさに恐れをなしていましたが、ベネチア国際映画祭で金獅子賞、今年のアカデミー賞で11部門ノミネートと言われては、やはり観ない訳にはいかない。
しかし…
あそこまでセックスシーンが必要か?



常識も恥じらいも知らない幼児の精神、しかし成熟した身体を持ったベラが、自慰や彼女の言う「熱烈ジャンプ」(furious jumping、多分オーガズム)に夢中になる様にはもう目も当てられない。
男に束縛されたり、所有物にされたり、一文無しになって娼館で働いたりとまあそれなりに苦労もする訳ですが、彼女はどれも快楽の手段として楽しんでいるようでもある。
そこにゴージャスな衣装、壮観な映像、自由極まりない音楽(不愉快な不協和音も多かった)、油絵のような極彩色の色使いが絡まります。
世紀末のリスボン、豪華客船、アレクサンドリア、パリ、その風景画面や装飾の素晴らしさに圧倒されます。



荒唐無稽なファンタジーではあるが、世界に旅出て知識や教養を深めることで、束縛しようとする男たちや社会から解き放される女の生き方を戯画化して描いた、女性の自己確立のメタファーとも言えるでしょう。
ラスト近くに出て来た、ベラの本来の夫が、女性器切除までしようとしたのには恐れ入りました。
でも私はこのヨルゴス・ランティモス監督の「女王陛下のお気に入り」も、ちっとも好きになれなかったのでした。

「Poor Things」公式HP 

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不器用な男と女「枯葉」

2024年01月24日 | 映画

フィンランドの名匠アキ・カウリスマキの新作。
ヘルシンキのスーパー・マーケットで働くアンサは、消費期限切れで廃棄処分の食べ物を持ち帰ってるのがバレて、クビになる。ホラッパは工事現場で働いているが、仕事中に酒を飲んでいるのがバレて解雇される。二人はカラオケバーで出会ってお互いに惹かれるが、不運な偶然が重なり、中々会うこともできないでいた…



若くもなく、お金も定職も持たず、さえない男と女。
アンサの住む小さな住まいはシンプルと言えば聞こえがよいが、小さな机と小さなベッド以外、見事に何もない。
紆余曲折の後、ようやく男を食事に招くのですが、その直前にお皿1枚とカトラリーを買い足すくらい。
テレビすらなくていつの時代?と思うが、ラジオからはロシアのウクライナ侵略のニュースが流れて来る。



登場人物はみな愛想がなく、突っ立ったまま棒読みのように台詞を口にする。
女の勤務先のスーパーの警備員も上司もニコリともせず、常に彼女の行動を監視していて、些細な理由で鬼の首を取ったように解雇する。
それは男が働く工事現場でも似たようなもので、この映画では人間の悪い面しか描かないのかと暗澹とした思いで観ていると、そうでもなく、とぼけた味、控え目なユーモアが所々に顔を出してきます。



孤独を抱えながら、人生に殆どあきらめながら(でも完全にはあきらめていない)、不器用に触れ合いを求めて生きる人々。
アンサが拾ったみすぼらしい犬が、彼女の孤独を優しく癒します。
落ち葉の舞い散る道を二人と一匹が歩く後ろ姿が、微かな希望を感じさせるラストシーンでした。

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