北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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鉄路予定地を歩く~その4~

2017-09-24 20:15:26 | 函館
この「鉄路」とは、1937年から1943年にかけて計画、施工されていた「旧国鉄戸井線」のことです。


(路線図が載っているサイトがありましたので、リンクを貼らせていただきます。)


この路線は、当時、北海道と本州の最短距離地点である「汐首岬」の近くに、津軽海峡の防備のために建設された「汐首岬砲台」という砲台が設置されており、そこへの物資の運搬目的や、津軽海峡を隔てた青森県の大間までの連絡船に接続させるという目的で計画されていたものの、1943年に、戦局の悪化による資材不足や、艦船攻撃が要塞の主たる任務であったところ、航空機主体の情勢となってその必要性が薄れたなどの事情で、2.8kmを残して工事は中断となってしまいました。

かくして、列車が一度も走ることなく終わってしまった戸井線でしたが、その跡地や遺構などは市内で確認することができ、これまで何度か紹介してきましたので、久しぶりに書いてみたいと思います。


(その1)
(その2)
(その3)





ここは、一般国道5号と、市道「本通富岡通」という、市内でも幹線道路に位置付けられる路線との交差点。
写真の先が市道ですが、この市道が、戸井線の跡地を整備し、作られた道路なのです。





信号を渡った所から反対方向へ一枚。
路線の形から考えて、写真先の市道(車が停車している)も、もしかすると戸井線の跡地なのかな・・・?





私の自宅の側も通るので、この路線は、ほぼ毎日利用させてもらってます。





この時間帯(土曜日の午前9時台)はそうでもないけど、朝夕の通勤時間帯には、時として渋滞になることもあります。





函館市内を南北に貫く「赤川通」こと道道赤川函館線との交差点。
もし鉄道が開通し、戦後になって普通に旅客の用に供されていたら、ここには踏切が設置されていたのかもしれません。





さらに東へ行くと、小さな公園がありました。





この場所、今はご覧のとおり公園として整備されていますが、元々は、五稜郭駅の次の「東五稜郭駅」の予定地となっていた所です。
ほぼ毎日何気なく前を通っていた場所にそんな歴史があったとは、全く知りませんでした。





そして、さらに東へ行くとこの場所に辿り着きます。
「本通富岡通」はここで終わりますが、この先、戸井線の跡地は遊歩道として活用されています。
その状況は、先にリンクを貼った「その1」と「その2」をご覧ください。
コメント
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