エチュードの頃

思いつきを書きとめておくために。

1980年の風景(追補版・その1)

2006-11-18 | 大田区


あまりのご好評にお応えして(?)残り少ないボツ写真を使いつつ、もうちょっと引っ張ってみましょう(w


これはご存知の方は疑いようもない景色、「入新井西児童交通公園」から牧田総合病院方向を見たものです。
地図上ではこのあたりから東を向いた感じになります。

現在に比べて実に落ち着いたたたずまいなのは、決して天候のせいばかりではありません。
当時は、駅前の商店街の喧騒から抜け出してほっと一息つけるような、良い意味での「ビジネス街の裏通り」みたいな所でした。
(よく分からん表現ですが)
右手前の「月ぎめ駐車場」程度のものが、際立って派手に見えるのが面白い。



それにしても不思議なのは、手前のフェンスで囲われた広場。

今は「こども広場」となっているようですが、もともとは何だったのでしょう。

自分が小学校に上がってこのあたりに来るようになった頃にはすでにありましたから、かれこれ30年は経っています。
かつては「公園」とか「広場」とかいった柔らかい雰囲気ではなく、「できれば立ち入るな」のようなニュアンスの看板があったような気がします。

場所と形からすると蒲田方面にあるような、線路下をくぐる地下道への進入口用地のようにも見えます。
しかし地図で見る限り、線路をくぐってもその先は池上通りのみ。
あえてくぐる必然性もないようなのです。
まぁ大田区の都市計画自体がよく分かりませんので、何とも言えませんが…


* * * * *

ちなみに今回、以前の記事でサイズの小さかった写真をやや大きくしてみましたので、よろしかったらそちらも併せてご覧下さい。

「その3」(入新井西児童交通公園の追加写真)
「その5」(大森ダイヤモンドマンションから環七を春日橋方面に臨む)
「その18」(春日橋から交差点方面を見た写真)
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特に意味はありませんが…

2006-08-24 | 大田区
久々に実家に行った時に発見したので載せてみます。


まずは在りし日の内外無線の包装紙。
「内外無線オーディオ館」があるので大昔というわけでもないですが、局番が3ケタですからそれなりの頃のものでしょう。

描かれている家電製品が当時からレトロチックだったので何となく保管してあったもの。




もう一発。
こちらもすでに今はない、大森トーイの包装紙。
今みると家紋を配した意匠が古風で、全然プラモ屋さんという雰囲気ではないですね。

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ダイシンのホームページ

2006-04-01 | 大田区
東京・大田区にあるダイシン百貨店がホームページを立ち上げました。
daishin web ☆ ダイシン百貨店WEBへようこそ。

ちょいと凝った作りであまりダイシンらしくない…というのが第一印象。
全体に「一切合財プロに作ってもらいました」調なのがその要因でしょうか。

これで「今週の~」とか「今月の~」とかいった情報がちゃんと更新されるのか?
というのが何より心配でしたが(余計な世話か)チラシ情報はちゃんと更新されているようです。

他に極めてサラッとした商品紹介などありますけど、これなど
「それで一体どうしろと?」
と思ってしまう簡潔さ。
もしかしてこのスタイルって、将来のオンラインショップ化狙い?
つい深読みしてしまうほどサッパリしてます。

それと一社員が書かされている"ミキティー"ブログ、健気に頑張ってますが…
(自分のブログが滞ってるというのに他人の心配してる場合でもないが)
どちらかというと「社長のブログ」とかも読んでみたいと思うのですがどうでしょう。
どうせなら「○階レジのおばちゃんブログ」とかもあると面白そう。


つまりはダイシンの良さとは何より親近感にあるわけで、今のサイト構成だと内容が一般的過ぎて少々他人行儀なんですね。
いずれチョコチョコっと変わっていくのを期待してます。


ところで今回同時に携帯サイトも開設されました。
メール会員募集中、はいいんだけど従来からあるお買い得メールはいつ廃止になるのか…
今までのメールの「経費を掛けてない感」がダイシンらしくて、たまに不具合を起こして配信が止まったりするあたり、妙に好感が持てるんですけどね。
(翌日はちゃんとお詫びのメッセージが付加されてます)


ダイシンらしさといえばかつてメディアプラザ館のサイトがありました。
Internet Archiveというサイトで、画像が欠落するなど少々不完全ながら見ることができますが、これぞダイシンの真髄というと見下し過ぎか。


ちなみに内外無線のページも見えたりしてちょっと懐かしいです。
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ダイシンスレ終焉

2006-02-08 | 大田区
まちBBSの名物?ダイシンスレがその15で終了宣告を受けました。
直接の原因は個人情報の書き込みが続いたためですが、率直な感想はというと
「まあよく今まで一店舗のネタでここまで続けさせてもらえたな」
というところでしょうか。

もっともこれで好き者が集う場がなくなってしまったわけではなく、2ちゃんねるに以前からある
「Ds 皆様の明るい生活と幸せの友 ダイシン百貨店 Ds」
が今後活用されることになりそうです。
(というか2ちゃんねるに専用スレが立ってるというのもすごいですけど)


ただ今回の騒動でちょっと想起したのは談話室滝沢閉店なんですね。
末期には妙な客が増えていたなんて話もあったりして(興味本位で行った自分なども同類か…)

店員について「いいねぇ」とか「やだなぁ」とかいう感情を持つのはままあること。
でもそういう話題で盛り上がるのは、あくまでリアルの世界。
ネットに書き始めると形に残るだけに、思わぬ方面に影響が及びそうです。


貴重な生き残りの天然庶民派百貨店。
客も変に観光や観察気分で出向くのではなく、あくまでレトロに純粋にお買物を楽しんで頂きたいものだと思います。
(…って自分も妙な観光日記みたいなものを書いておきながら…との自省もありますが)
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アクセス数に関する憶測から

2005-12-02 | 大田区
ここ何日か、ろくに更新もしてないのにページビュー数が妙に伸びたりしてます。
来訪ip数はそんなに変動してませんので、たまたま訪れた方が何ページもご覧になられたと想像します。
(アドバンス契約してませんのでpvとipのそれぞれ日毎総数しか判りません)


自分のブログでそんなにページを繰るような記事というと、大田区ネタくらいしかありませんが…

ひょっとして「ダイシン百貨店」の「久が原店」で検索してくる方が増えた、とか?
というのも今、久が原店が12月末で閉店、というウワサがまちBBSの「★ダイシン百貨店を語る~【その12】 」でもっぱらの話題なのです。

以前書いたように久が原店については何も知らず語る資格もないのですが、大森店を利用していた身としてはダイシングループ(?)の縮小傾向が気になってしまいます。
大森店でも建物の寿命が現実的な問題として迫りつつあるでしょうし。

ダイシンの業態は、結構な確率でワンストップショッピングが可能な庶民派百貨店です。
単純な食品スーパーだったならまだ何とか代わりがありそうですが。
久が原も大森も、近隣住民にしてみれば仮に撤退されたとして、代わりに同等の企業が来なければ日常生活の利便性に少なからぬ影響を受けることになります。

とかいう話は、実はその店舗に思い入れのある人間の妄想で、いざ撤退したらしたで案外今より便利な展開が待っていたりして?
いや人口減少傾向からすると、あれほど地域に密着した店舗を望むのは難しいかも。
いや、コンビニが値引きするようになれば意外と何とかなってしまうかも。

…なんて、元住民がしたり顔して解説しても意味ないですけどね。



さて。
「大田区ネタにアクセスが増えている」
という憶測を前提に、「1980年の風景」シリーズなどで写真が小さいのを順次修正しています。
というかサムネイル表示なのを、初めから大きな写真が表示されるように変更するだけですが。
むろん今でもサムネイル(と表現して良いのかな)をクリックすれば大きな写真が表示されるのですが、ひょっとして
「こんなんじゃよく見えないじゃん」
と思われているといけないので…
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1980年の風景(その27・最終回)

2005-08-11 | 大田区



久々の風景シリーズです。

1982年5月4日、シャンボール大森の屋上から撮ったものです。
今はどうか分かりませんが、当時は屋上にシーツなんかが干されていたりして非常に開放的でした。
かつて同級生である友人が住んでいたこともあり、シャンボール自体が懐かしい場所だったりします。
1階の広々としたロビーを見て「何かすげぇマンションだなぁ」と感心したことを思い出します。


写真はいずれも環七方面を向いたものです。
それぞれに写っているやや高い建物が方角のヒントとなるでしょうか。

ちなみにこの時はすでに中3、しかも大森とは無関係な友人を誘って来ていました。
自分だけの郷愁に付き合わせるなんて、今思うと何という身勝手さ!
しかも友人の父上曰く、
「大森なんて仕事で年中行ってるよ」
だとか。
そんな風にけなされながらも二人して珍道中を繰り広げたことが、これまた懐かしい思い出になってたりして…


さて長いようで短いようで、ダラダラ続いた風景シリーズでしたが見栄えのする写真?が尽きたのでひとまず最終回と致します。
いずれ機会があれば現代編をやってみたいところですが、果たしていつになることやら。
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1980年の風景(その26)

2005-07-08 | 大田区

ちょっと無理矢理なパノラマですが、弁天池児童遊園であります。
雨に濡れた光景がなかなかオツです。

ここはもちろん池がメインの公園ではありますが、公園の内容もさることながらどちらかというと「環七からちょっと入ったところにこんな奥行きのある公園があった」という意外性の方が大きい気がしました。

かつて一家揃っての散歩コースとして、このまま公園の左(写真では正面奥)を通る細い道をダラダラと登っていき、山王保育園を左に折れて山王公園でもちょっと遊び、闇坂を下って池上通りから戻る(+ダイシンでお買い物)というパターンがありました。

社会人になってからこのコースを歩いてみたことがあります。
しかし、その何とあっけないこと。
子供の目と大人の目は全く違いますね。
(もっともそんな大変なコースなら、親もそう何度も歩かなかったでしょうが)

山王エリアの半分をひとめぐりでこの程度ですから、馬込文士村の1日制覇コースってのも不可能ではなさそうです。
…いや馬込は坂が多いからちょっとキツいかも?…
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1980年の風景(その25)

2005-07-04 | 大田区

入新井図書館です。

写真がご覧の通り変わりばえしないので記事に出そうかどうか迷っていたものです。

…が、この7月1日から移転のため休館とのこと。
下旬には解体が始まるそうで、期せずして懐かしの1枚になってしまいました。


いささかさびれた外観ですが、25年前にしてこうですから今の姿は推して知るべし。
(実はあんまり変わっていないかも)
写真で見える入口は、すぐ階段で2階の児童用フロアに。
思えば小学生の頃は、あかね書房「少年少女20世紀の記録」シリーズにハマり「ゼロ戦物語」や「超音速パイロット」などは返しに行ってもまたそのまま借りて、1~2ヶ月の間何十回も繰り返し読んでるような馬鹿者でしたw

大人用フロアの1階は、建物の裏側(というかそちらが本来の正面なんですが)が入口。
狭い割にはなかなか的を得た蔵書で、高校~大学時代には大森西図書館と併せてよく利用させて頂いてました。
(大森西は自宅の近くで、こちらは駅に近いので通学のついでに)

再開は平成20年度末、大森北1丁目10番地でとのことなのでもう少し駅寄りになるわけですね。
全く、感傷にひたる間がないほどの変化の速さです。
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1980年の風景(その24)

2005-07-02 | 大田区

熊野神社です。

雨の中撮ったので冴えない雰囲気ですが、このページ右下のブックマークにある「わがまち しながわく おおたく」様のサイトには「善慶寺・熊野神社」編として、きれいな写真がたくさん紹介されています。

この先まっすぐ入っていくと、本門寺に負けないくらい?長い階段がありますが、在住当時はその途中にある横道から入った少し広くなった場で、友人らと何故かよく飛行機のプラモを作ってました。

児童公園等とは違って邪魔が入らずゆっくり作れるので…

…何で家の中で作らんの?というと、室内であまり大勢で作ったりすると接着剤臭くて親から問題視されたりしたので。
まあ小学3年生ぐらいで色なんか塗らないし、ニッパーも使わないし、とにかく接着してしまえば完成、即戦争ごっこという状況なのでそんなんで良かったわけです。


話が逸れますがあの頃は小遣い少なくて、プラモというと1/144で50円とか100円のが多かった(苦笑
メーカーはどこでしたか…ニチモとかLSとか?
1/144のプロペラ機(50円)なんて、それこそ胴体左右と主翼・尾翼を貼り合わせておしまい、てなもんで。

たまに奮発して田宮の1/100シリーズとか、もう少し贅沢すると長谷川1/72シリーズあたり。
1/48とか1/32クラスなんていうと年に一度か二度ぐらいでしたか。

…おっとプラモについてはまた別の機会に…
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1980年の風景(その23)

2005-06-24 | 大田区

そして大森西の公園といえばやはりこちらでしょう。
大森西交通公園です。
全体を撮れる良い角度が見つからず、こんな写真になってしまいました。


小学校に入学して初めて教わったのは大森北の入新井西児童交通公園(過去記事)で、素直にそちらにお世話になっていましたが行動範囲が広がってから知ったのがこの公園。
何しろコースが複数あるし、何と信号機も付いている!とすっかり虜になってしまい、自宅から少々遠いのが難でしたがよく遊びに行きました。

今の目で見ると入新井の蒸気機関車が大変貴重で味のあるものに思えますが、当時は乗り放題・触り放題で飽きてしまってたんですね。
小学生にとってはその場で動輪を回してるだけの機関車よりも、やはり自分の足で走り回れるゴーカート(交通公園といえばやっぱりコレです)の魅力の方がはるかに上でした。
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1980年の風景(その22)

2005-06-23 | 大田区

大森西ついで?にこの公園もご紹介。
「三輪児童公園」というのでしょうか?場所はこのあたりだったと思います。
遊んだことは数回しかありませんが、中央に見えるネットのアスレチック風遊具が当時ちょっと珍しく感じて印象に残っていました。

しかし…
小学生当時は山王・馬込・中央・池上・大森西と、ものすごく広いエリアを制していた(笑)気になっていたものですが、その後高校生になって戻ってきたら全然大したことないんですよね。
せいぜい、1日散歩コースってところでした。
(大したことないと思った割には、その後新たに開拓したのは蒲田ぐらいでしたが…)



おまけ。
京浜急行大森町駅の踏切にて。
意味も無く撮ってあった写真。
(したがってかなりブレてます)
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1980年の風景(その21)

2005-06-22 | 大田区

これもまたあまりにマイナーな場所です。
大きく言うと大森西4丁目、まあパイオニアとかメリーチョコレートなんかがある近所になるわけですが、懐かしさがピンポイント過ぎて地図で示さないことには見当も付きません。

このまま前方に進めば内川があり、さらにひたすら歩めばやがて大森駅にたどり着きます。
もっとも歩いたらたっぷり30分はかかりますが。
左手にJR線が並行してますから十字路に出るたびに線路が見え、方向感覚を失わずに済みます(?)。

右手にいかにも旧式な建物(アパート?)が写っていますが、これはさすがにもう存在してない?



そして振り返ればこんな公園があるわけです。
名前はそのものズバリ「大森西四丁目公園」。

ここは比較的遊具が少なく平地部分が広く取られているためか、中学生なんかもよく居たような記憶があります。
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1980年の風景(その20)

2005-06-21 | 大田区

これは少々マイナーに過ぎるのでは?とも思いましたが、一応出しておきます。
場所的には春日神社の通りの一本裏になります。
この道をこのまま進めば環七、後ろに行けば臼田坂下の通りに出ます。


この近辺はこんな道が縦横に抜けていて小学校からの帰り道は色々なパターンが楽しめましたが、この道もそのひとつでした。
また当然のことながら友達もこのあたりに多かったので、自然とよく通った道でもありました。



この右の建物は社宅なのかアパートなのかよく知りませんが、今でもこんな感じなのでしょうか?
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1980年の風景(その19)

2005-06-20 | 大田区

撮影者が小学生という関係上、どうしても公園が多くなってしまいます。
商店街とか大通りとか、もっと撮っておけば史料価値があったのにな、と今さらながら思います。


今日は、以前ちょっと話に出ましたが日赤病院前の公園です。

最近通りがかった時には、なんだか左側が狭くなっていたような気がしました。
(何で狭くなったかはよく見てないので覚えていませんが)
この写真の頃に比べるとずいぶん手狭になったような印象です。
その結果遊具の配置も変わっていたようです。


そういえばひところ回転遊具の事故が話題に上りましたが、今はどうなったのでしょう。
ここにも回転遊具があった訳ですが。

まあ故意にボルトが抜かれてたとか、そういうのは回転遊具の良否というより単に犯罪でしょうけどね。
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1980年の風景(その18)

2005-06-19 | 大田区

このシリーズもぼちぼちネタ切れ…で、残る写真はほとんどが、変わり映えしないか裏道すぎて分かりにくいかのどちらかなので、ここらで連発して一気に最終回に導こうと目論んでおります。


さて。
どうだ!と言わんばかりの構図ですが、これが春日橋ですね。
上は環七、走る電車は京浜東北線。
橋の手前を左に折れると、池上通りに並行した裏通りと、ゆるい坂を上りながら環七に出る道に分かれます。


風景としてはただ電車が古いだけで、見てトクしたと思える方はあまりいないでしょうね。


正面突き当りには、時計塔と砂場が目立つ程度のごくシンプルな公園があります。
都内にはこの手の児童公園が多いなぁ…とつくづく思います。(良い意味で)

大人の目には「こんな所で遊んで楽しいか?」と見えても、子供にとってはどんな公園もそれなりに存在価値があるもので、場所から場所への移動の合間にちょっと遊んでみたりトイレに行ったり水を飲んだり、あるいは何もないが故に走り回る鬼ごっこが出来たりと、まあ毎日飽かずに飛び回っていたものです。


(おまけ/2006-11-18写真サイズ変更)
橋の上はこんな感じでした。
陸橋のまだない時代、遠くの交差点が見えるでしょうか。
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