エチュードの頃

思いつきを書きとめておくために。

続・ニセA-bikeで大森を行く(その3)

2011-10-31 | 大田区
ところで、京浜急行は高架工事中だったんですね。
「そうかぁ~開かずの踏切解消のための工事だねぇ~」
などと脳天気にスルーしてしまいましたが。

〔京急蒲田駅付近連続立体交差事業〕第4工区工事(鹿島建設株式会社)

京急蒲田駅付近連続立体交差事業の進捗に伴い、2010年9月26日(日)始発から 環状8号線の踏切がなくなります。
(京浜急行電鉄株式会社)

2012年度には高架化完了、2014年度には全事業完了と。
こんなすごいことになっているとも知らず…

相変わらず都内の変革エネルギーは凄いです。
数年先にはこの高架が何の違和感もない、普通な光景になっちゃうんですから。



そんなこんなで蒲田駅に到着。



東口。
そういえば大田区役所やらアロマスクエアやら、一段とビジネス街っぽくなっているような。




それに比べて西口のこの雑然とした感じ。
良い意味で全然変わってないですね。

しかし少し離れたところに、何かえらい豪華な建造物があるんですね。
あの日本工学院専門学校がこんなにデカくなったのか!と感心していましたが、帰って調べたら東京工科大学との同居施設のようです。
それにしても豪奢です。
キャンパスというには勿体ない贅沢さ。



そんな異世界な雰囲気から、結局舞い戻ってしまうおなじみの場所。



玉子屋本社の近所。パイオニアの反対側。
やっぱこんな眺めが落ち着くんですよね。と何気に踏切に向かうと



大森西4丁目アパートというんですかね、それが取り壊されています。

まあ、前から古い建物でしたから新陳代謝もあるでしょう。


しかし京急の工事にアパートの取り壊し。
変貌のさなかをちょうど良い頃に見物に来られたかな、と、
いささか無常を悟ったような心持ちになりました。

(続く)


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続・ニセA-bikeで大森を行く(その2)

2011-10-30 | 大田区
馬込駅からジャーマン通りを抜け、池上通りをあえて大井町駅方面に向かい、途中で右に曲がって東海道線をくぐると。
線路沿いにやたら長いことで有名な、大井水神公園。



このまま延々と大森駅まで続いています。

昔は歩道がもっと狭かったような気がしますが、気のせいでしょうか。
仲間と移動しながら、その時々で気に入った場所で遊んではまた移動するというスタイルで、そして途中では水遊びもできたりと、日の長い夏場には好適な公園でした。


そして大森駅ですが、駅前ではなく、あえてここを撮ってみます。



東口自転車駐車場。
学生時代、駅前で自転車を撤去されたのに懲りてしばらくここを借りていたことがあります。

この辺の風景では、もう昔の思い出はあまり出てきませんが(それでも実に20年以上も経っているわけですが)、駅周辺であまり変わっていないと思えるのはこのあたりでしょうか。



スナック街といいますか、よくある飲み屋街といいますか。



路面こそレンガ敷きで小綺麗になっているものの、全体の視覚イメージは子供の時分に駆け抜けていた頃そのままのようです。

この突き当たりを左に折れると広い通りに出て、すぐ右手には交通公園(入新井西児童交通公園)があるわけです。


このあと沢田通りから環七に出て、一気に平和の森公園へ。



大田区に住んでいた頃はまだ多くが造成中で、それも意外と良い雰囲気で好きでしたが、今ではすっかり完成された公園に。



平日の昼間だったせいか静かで、何時間でも昼寝できそう。




環七をくぐった反対側では、幼稚園か何かの団体が遊んでいて、いかにも平和なお昼前という感じでした。


──で。
ここから、予定では
「第一京浜を中心にして東西を細かく走ってみよう」
とか考えていたのです。


が、何しろ景色が変わっている上に、歳を取っていて肝心の記憶も当てにならず。
幼少時にたまに来て冒険心を満たしていたような場所では、そもそもそれがどこだったかも思い出せないし、たまたまその地に立っていたとしても残像との照合すらできません。


それで「思い出の場所しらみつぶしに走破作戦」は早々に諦めることにして、結局よく覚えているような所ばかり見てしまうことになりました。

例えば内川ですね。






京急のガード下。
これを、昔は自転車で飛ばしながらジェットコースターよろしく一息にくぐり抜けたりしていたわけですよ。



…そりゃ楽しいわな。


そんな感じでだらだらと南下を続け、大森町や梅屋敷の空気を吸いながら蒲田へ向かいました。

(続く)
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続・ニセA-bikeで大森を行く(その1)

2011-10-29 | 大田区




あれからもう1年半。
うかうかしてるとホント無駄に歳取る訳です。


で、このたび、ようやく時間が取れまして。
10月27日(木)、大森へと足を向けてみました。


今回降り立ったのは、都営浅草線の馬込駅。



五反田からわずか3駅。大森駅や池上駅に行くのに比べると、ずいぶん近くに感じます。

ところで前の時に「今度は西馬込を起点として…」などと書いてしまいましたが、この馬込駅の間違いです。
漠然と、環七沿いに駅があったなと記憶に残っていたのがここでして。
第二京浜の真下だし、新幹線と横須賀線の高架も見えるという子供心には意外とエキサイティングな場所。



車は多いが人通りはむしろ少なく、ニセA-bike(A-RideX)を安心して組み立てることができました。



今回は、この1年あまりで鍛えた脚力をもって、大田区でのかつての生活範囲を1日で走破してしまおうというコンセプト。
(というとスゴそうですが、生活範囲が狭かったので実はそんなでもない)


で、なるべく無駄なく端から順に見ていこうと。
南大井の「大井水神公園」から大森駅東口、大森北と平和の森公園、大森西そして蒲田から池上→中央→南馬込→山王とか。
などと漠然と想い描きながらスタートしたわけです。

ところが実際はそんな合理性からはほど遠く、極めて行きあたりばったりな行程になってしまいました。

(続く)
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ソニー プロデュースPJ-200

2011-10-12 | PC・小物
懐かしモノ。


今では死語となった「日本語ワードプロセッサー」。
大学生だった当時、卒論の準備もあってワープロぐらいできなきゃ、と購入。
ソニーファンだったので機種はこの「プロデュース」一択。
初代のPJ-100よりもデザインが進化したところでの衝動買いでした。



1988年9月発売にして、のちのVAIOに通じるスタイリッシュさではないか。
と、勝手に思っております。



ま、開いてしまうと当時のワープロそのものですが。

付属するACアダプタはあくまで充電用で、すべての動作は内蔵バッテリーで行います。
なので、バッテリーが死ぬとこの画面も拝めなくなります。
(分解してバッテリー交換に挑む手もあれど、明らかにもう使い道がないし…)

ちなみに上の写真では見づらいですが、キーボード右下に「Yes」「No」キーが配置されていたのがプロデュースシリーズの特徴のひとつ。
一般的な「実行」「取消」の代わりに、少しでも分かりやすくしようという配慮でしょう。
一般的でない故にこのキーに疑問を呈する雑誌記事も当時見かけましたが、個人的にはこのイエス・ノー・キーは非常に直感的で好きでした。


画面は省エネな反射型液晶。
経年の不具合で右方の縦線が一部表示されなくなっています。



せっかくのスケジューラ機能も2000年12月までしかなく、システム日付を2011年にするとエラーで表示できません。



そして最大の特長が、この分離可能なプリンタ。



プリンタを自宅とオフィスに置いておき(2台目はオプション)、身軽な本体を持ち歩いてどこででも入力。
なんて提案がカタログにありました。



用紙サイズはB4まで対応。
印字ドット数は32x32、速度は30字/秒(高速モード)。

他にこのプリンタが良かったのは、筐体を立てて底面から用紙を送る水平印字機能。
1mm厚の用紙まで印刷可能というのが売り。
しかもプリズムを用いた「ポジションスコープ」で用紙を見ながら位置決めができるので、カセットテープの付属ラベルの枠内などにも簡単に印刷できました。
下の写真で、中央にあるスコープの十字部分に印刷スタート位置が来るように、上下左右キーで用紙とヘッドを微移動させます。
当時はオーディオカセットやビデオカセットの整理に凝っていたので、この機能は非常に重宝しましたね。



もう一つの特長として、搭載フォントの多彩さがありました。
和文フォントは
明朝
ゴシック
ポエム
行成
の4種(ポエムと行成はひらがなとカタカナのみで、漢字は明朝を使用)、
英文フォントは
ローマン
ゴシック
タイプライター
ヨーロピアンボールド
パブリッシュ
スクリプト
の6種。
しかも全てが標準装備。
他社ではゴシック体すらまだ珍しい時代のことで、破格のフォント数でした。


そんな、価格(118,000円)の割に多機能だった代償なのか、処理速度はかなりのもっさり。
慣れない手つきでポチポチ打つ分にはまだしも、タッチタイピングを覚えてつらつら打てるようになってくると結構苦しい感じ。
変換速度が遅いと言うよりも、入力に対する反応そのものが遅かったですね。
アルバイト先でPC-9801やエプソンの286とか386でMS-DOSに一太郎ダッシュ、なんて環境で作業するようになって余計に遅く感じました。


また、卒論を書きはじめて判ったのが、1文書で4,500文字しか扱えない不便さ。
原稿用紙で言うと10枚程度ですから、そのつど別文書でフロッピーに保存という面倒な作業を強いられました。
推敲していて文章を文書間で移動させなければならなかったりすると結構な手間。

さらに大変だったのが、行数制限(200行)があったこと。
例えば1行40字(画面幅にちょうど収まる表示)の設定で打っていて、だいたい4,000字(100行)になったとします。
これを原稿用紙の設定(1行20字)に変更すると、改行などの都合で200行を超える場合が出てきますが、そうすると
「200行を超えています」
とか言って文書ごとメモリから消えてしまうという。
おかげで、この操作の前にフロッピーにいったん保存するのが習慣になりました。



今となってはどうでも良いことですが、フロッピーディスクは2インチ。
電子カメラ「マビカ」で使われていました。



3.5インチがデカく見えます。



1枚だけ未開封のが残ってました。
(もはや何の価値もありませんね…)



Macに移行した頃、たまった文書が十数枚あったのでソニーサービスステーションで3.5インチFDに変換してもらったことがあります。
1枚の変換料が1,000円ぐらいでしたか。(うろ覚え)
もちろん外字も編集情報も消えて単なるテキストファイルになってきたわけですが。


それすらもまだほんの十数年前のことなんですね。
罪深きコンピュータの世界。

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Dimension4700C HDD換装(2回目)

2011-10-06 | PC・小物
家に帰ってPCの電源を入れると、WindowsXPの起動画面から突然ブルーバックに。

STOP 0x000000ED
というエラーです。

何度か再起動してみても変わらず。
セーフモードを試しても同じ。

例によって予備PCでググってみますと、HDD障害のようです。
セクタエラーとかで起動不可になった、ということでしょうか。

そうすると、理屈から言えばchkdskなんかを掛けて復旧すればとりあえずOK。
ですがセクタエラーの発生それ自体がHDDが終わりつつあることを示しているわけで、いずれ他のセクタにもトラブルが起きてくるのは必至と。
いずれにしても交換しなければ…


前に交換したのは2008年6月、あれから3年余。
案外持たなかったとも言えるし、まあまあ持ったとも言えますか。


とりあえず交換品の確保ということで、今回はウェスタン・デジタル社のWD5000AAKXを発注。
容量が500GBで3,000円ちょいと、前の250GB 5,000円からさらに割安になっていました。
容量あたりの単価で言えばテラバイト級HDDの方がもっと割安ですが、日常使用にはそんなに要らないので…



発注できたところでユーザーデータのバックアップ。
いきなりchkdskをやっておかしくなったトラウマがあるので、データ救出を最優先します。
起動不可なセクタエラーだったらダメなのはシステムファイルで、ユーザーデータは恐らく何ともないハズ、とあまり根拠のない安心感がありまして、特に焦ることもなく作業を遂行。
昔作ったUbuntu9.04のCDで起動、SATA→USB変換アダプタに適度な空きのあるHDDをつないで必要なデータをコピーしました。
しかしUSB経由だと結構時間を食いますね。



無事にデータを確保した上で、あわよくばのchkdsk。
今度はDELL製の再インストール用CDで起動、回復コンソールに入ります。
ですがちょっと重症なのか、何気なくdirコマンドを打ってみると
「ディレクトリを列挙する時にエラーが発生しました」
のエラー。
ダメかなと思いつつ、検査だけ実行するにはこうだっけ?と
「chkdsk」
のみ打ち込んだら、そのまま修復動作に入ってしまった…
仕方ないのでしばらく待つと、1つ以上のエラーを修復して終了。
再起動してみたらXPが立ち上がってきました。
このままでも大丈夫っぽい様子ですが、まあ大事を取ってHDDは交換しときましょう。



そこへ新HDDの到着。
今回はクリーンインストールが面倒に思えたので、フリーウェアの
「EaseUS Partition Master(Home Edition)」
を使って楽して丸ごとコピーしてみます。
パーティションサイズの変更も同ソフトでできるので、増えた容量も適切にドライブ毎に割り振れました。

(…サイズ変更の最後でなんかfailedとメッセージが出ましたが…
 とりあえず動くので気にしない…
 何か障害が起こったら追記します。)

古いHDDはそのまま保存してバックアップ代わりに。



無事に?直って、さて。
このPCももうすぐ丸7年なんですね。
次にまたHDDが壊れたあたりが買い替え時になるかも知れません。

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