天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

早吸日女(はやすいひめ)神社~神武東征建国祈願の地

2019年12月13日 | 豊の国
大分市佐賀関須賀にある神社。紀元前667年、神倭伊波礼毘古尊(後の神武天皇)創祀。
若御子45の歳の10月、東征の途中、潮の流れの速い速吸の門で舟が前に進めなくなるも国神の珍彦、黒砂・真砂姉妹の助けで無事に宇佐へ向かうことができました。



神崎(こうざき)から佐賀関に向かう途中、速吸の瀬戸に虹が降りていました。



夕日は豊の海、宇佐、筑紫、新羅へと入ります。



高刈穂浦山頂に古宮石碑。黒砂・真砂姉妹が剣を抱え舟にしがみつく大蛸から剣を取りあげて日子に渡し、神日本磐余彦尊自らがこの剣を御神体として、祓戸(はらへど)の神(速吸日女)を奉り、建国を祈念したのが始まり。



高刈穂浦から速吸の瀬戸。対岸の若御子鼻には海部の海女たちが黒砂、真砂姉妹を祀りました。高島との間が若御子と珍彦が出会った曲の浦(わだのうら)。



若御子鼻日向泊にあった友綱岩は若御子社とともに上浦港岸壁に移されています。



上浦港は、海舟・龍馬、神戸〜長崎の行き帰り経由地でもあります。



701年、現在地に遷座。1600年、関ヶ原の戦いに伴う西軍臼杵藩と東軍岡藩との戦いで岡藩が社に火を放ち全焼。1602年、加藤清正再建。現在境内7万㎡、境内社と合わせ12の社。

大鳥居は1640年肥後細川初代藩主忠利寄進。



大鳥居、総門から入る夕日。

 

総門左右それぞれに清正、綱利?の木像。



総門は、三代綱利再建。1602年清正が奈良から移した仁王像は、1868年神仏分離に伴い法心寺に。



鳥居正面は伊邪那岐社。伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神は、葦原中国のあらゆる罪・穢を祓いさる神。このうち速開都比売神(はやあきつひめ)は、河口や海の底で待ち構えていて諸々の禍事・罪・穢れを呑み込む神です。



伊邪那岐社右手に神楽殿。1604年清正建立。神楽面も清正奉納。



神楽殿正面に拝殿。1763年六代重賢再建。

 

拝殿内部。参拝者は大蛸の絵を奉納。ご祭神は八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、大直日神(おおなほびのかみ)、住吉三神、大地海原諸神(おほとこうなはらもろもろのかみ)ですので、禍を抱きかかえてくれていた大蛸を八十枉津日神として奉納するということになるのでしょうか。

人には、八十枉津日神と大直日神が宿ってくださっています。そして人々は玉串を捧げます。

拝殿右手に藤棚。



右近の橘、瓦には竜宮城。

 

左近の桜上の瓦には浦島太郎。



本殿。1763年六代重賢再建。



屋根の置き千木、最上部切り口は水平、垂直の交互。





境内には浦島太郎が乗った亀?の石碑も



本殿裏には御神水