天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

西寒多(ささむた)神社

2019年04月23日 | 神功皇后
202年神功皇后三韓征伐の帰途、本宮山に臨幸。神功皇后摂政崩御後の278年、応神天皇の勅命を受けた武内宿禰が山頂に祠を造ったのが創祀。



7世紀の中ごろ、藤原鎌足が百済救援のため豊前国仲津郡まで来た折、霊夢のお告げを受けて西寒多神社に参拝。老巧化した社殿を修築し、太刀一振りと八幡舞面を奉納。



織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、大友能直の古文書を所蔵





樹齢450年以上と推定される藤。



寒田川に架かる萬年橋を渡ると境内





寒田川沿いの境内には白藤、つつじの巨木







主祭神は天照皇大御神、月読尊、天忍穂耳命。



相殿神に応神天皇、神功皇后、武内宿禰。



殿内所在諸神に伊弉諾大神、伊弉册大神、大直日大神、神直日大神、天思兼大神、大歳大神、倉稲魂大神、軻遇突智大神、天児屋根命、経津主命。

天思兼大神-岩戸隠れの際、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けた。国譲りでは、葦原中国に派遣する神を選定。天若日子の後には建御雷神(タケミカヅチ)を送るべきだと天照大御神に進言。その後、天孫降臨で邇邇芸命に随伴。

天児屋根命-岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際邇邇芸命に随伴。中臣連の祖、藤原氏の氏神、春日大明神。

経津主神-イザナギが軻遇突智(カグツチ)を斬ったとき、十握剣の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(イオツイワムラ)となり、これが経津主神の祖。物部氏神、石上大明神。




鳥居脇に招霊(おがたま)の木。天鈿女命(あめのうずめのみこと)が天照大神を誘い出す時、腰に…



モクレン科で花は梅の後に





七五三



境内社厳島社



神井





三年に一度、天照大神、月読尊、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を神輿に担いで神社周辺を巡る御神幸祭。33年に一度のかんみそ祭りは次回2029年。

西寒多神社の御神幸祭




境内脇に観音堂。



日羅律師開山圓寿寺住職奉納法要観音様。神仏習合鎮護国家。



本宮山登山口、寒田川縁に現社殿。登山口すぐ、向かって右に大分社

飛来山霊山寺

2019年04月21日 | 豊の国


霊山から佐賀関方面



霊山から別府湾方面



仁王門









地元田尻氏開基。松平忠直寄進、楼門



本堂脇に仏足石



庫裏にご本尊、十一面観音。毎月十七日ご開帳。右に阿弥陀様。



弁財天が見つめる先に弁天池



池の中の弁財天



本堂右奥にある弁天池で、オオイタサンショウウオが数百匹湧いていました。


椎根津彦(しいねつひこ)神社

2019年04月11日 | 豊の国


大分市佐賀関町神山の里人たちが、紀元前659年倭国造となった椎根津彦を祀る神社。武位起命、稲飯命、祥持姫命、稚草根命を合祀。



神社は下浦を向いています。



黒砂·真砂姉妹のビシャゴ岩

 

黒が浜 白が浜

日本書紀に曲浦(わだのうら)で魚釣するところを椎の棹を授けて御船に引き入れ、名を珍彦(うづひこ)から椎根津彦に改めさせたとあり、古事記には亀の甲羅の上に乗っていたのを椎の棹をさし渡し御船に引き入れて槁根津日子の名を賜ったとあります。曲浦での水先案内の功労から、倭国造に。



海原や青海原
海道(うみつぢ)の導きや 早 槁根津日子
速吸の水門(みと)になも その珍彦

亀の甲に搖られて 潮の瀬に搖られて
かぶりかうぶり海(あま)の子 棹やらな 附いまゐれ
波かぶりかぶるに み船へと移らせ 名をのれ 早早
み船へまゐ出いづるは 臣(やつ)こぞとそれまをす
国つ神と這ひこごむ
潮みづく国つ神 海豚の眼見よな
遠眼、鋭眼、慧(さか)しな 羽ぶり羽ぶりおもしろ 〜北原白秋 海道東征 第五章 速吸と菟狭 その一より