天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

大脳新皮質でも

2009年12月28日 | 科学
 2009年12月27日付の米科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス電子版によると、意識など高次の精神作用をつかさどる大脳新皮質で、大人でも新たな神経細胞が作られることを、藤田保健衛生大などが、ラットを使った実験で突き止めたといいます。  記憶をつかさどる海馬など一部の脳細胞は、老化に伴って一方的に死ぬだけでなく、大人でも作られることが分かってきていましたが、認識や思考といった高度な脳機能にかかわる大脳新皮質については、はっきりした証拠はありませんでした。

冬至、天皇誕生日、クリスマス

2009年12月24日 | Weblog
 冬至あるいは冬至の直後などには、世界各地で冬至祭が祝われる。太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝う。クリスマスも起源は冬至祭である。キリスト、今上天皇、・・・この頃生まれた人たちは、何かもってるかも。

 古代には、冬至を1年の始まりとしていた。太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月朔日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という。

 日本では、1768年の光格天皇の時に朔旦冬至の儀式が行われたのが最後であり、次の1870年の朔旦冬至の際に明治政府は古い因習として、以後こうした儀式は行わない事とした。前回の朔旦冬至は1995年、次の朔旦冬至は2014年。

 このこととは関係ないが、2010年1月1日が満月で、1月と3月に満月が2回あり、2月に満月がない。

ハプログループ

2009年12月11日 | 科学
 私たちの体をつくる細胞の核を構成する核DNAおよび細胞小器官ミトコンドリアにあるミトコンドリアDNAには、進化の情報が塩基配列に記録されています。DNAの塩基配列上で起こった突然変異の記録から、現代人類はいくつかのグループに分けることができます。
 ミトコンドリアDNAは母系遺伝し、かつDNAの組み換えも起こらないので、女性のみを辿ることができます。一方、男系は、男性を決定するY染色体のDNAにある非組み換え領域(NRY領域)の配列を基に男性を辿ることができます。

 日本人を構成する主要なDNA塩基多型ハプログループは、中国中部から東北部や韓半島で多く見られるD、東南アジア、中国南部に多いM7、アジアに広く分布し、東南アジアやポリネシア、ミクロネシアに特に多いBです。

 Y染色体のハプログループから推定される日本人の構成は、縄文時代人がもたらしたとみられるハプログループCとD、中国大陸や韓半島に多く、弥生時代から飛鳥時代にかけての渡来人が持ち込んだとみられるO2とO3です。

 Y染色体ハプロタイプCとD、縄文時代人は、約8万5000年前頃にエチオピア付近から出アフリカを遂げ、南海岸ルートでアラビア半島、インドから東南アジアに到達したものと考えられます。現在の東南アジアの人たちや、オーストラリアの先住民などに大きな頻度で見られます。
 一方、Y染色体ハプロタイプO、弥生系渡来人は、出アフリカを遂げ、中近東、西アジアを経て大陸を東進し、東アジアに到達したものと考えられます。現在の中国人や韓国人を含む東アジアの人々に大きな頻度で見られます。

 まとめると、ミトコンドリアM7は縄文時代人、Dは弥生系渡来人。

 Y染色体CとDは縄文時代人、O2とO3は弥生系渡来人。

~12月10日米科学雑誌サイエンスより

真実を知ることから ~受賞記念演説より

2009年12月10日 | オバマ
 私はこの栄誉を、深い感謝と共に謹んでお受けします。
 この賞は私たちの大いなる志―この世が残酷さと困難に満ちていても、私たちは単なる運命の囚人ではない、ということを物語ります。私たちの行動は重要であり、歴史を正義の方向に向けることができます。(私にノーベル平和賞を授与するという)あなた方の寛大な判断が巻き起こした、大変な論争を見過ごすわけにはいきません。(Laughter)私が世界の舞台で仕事を終えたわけではなく、緒に就いたばかりであることも、その理由でしょう。この賞を受けた歴史上の巨人たち―シュバイツァーや、キング、マーシャル、そしてマンデラ―らと比べれば、私が成し遂げたことはわずかです。
 そして世界には、正義を追い求めて投獄され、暴行を受けている男女が存在しています。人々の苦痛を取り除くため人道団体で尽力している方々。勇気ある思いやりに満ちた行動で、最も冷笑的な相手をも鼓舞する何百万人もの名もなき人々。これらのあるいは著名な、あるいはほとんど無名の男女の方が、私よりもよほどこの栄誉にふさわしいという指摘に反論することはできません。

 私の受賞をめぐる最大の問題は、私が二つの戦争の最中にある国の軍最高司令官だという事実でしょう。戦争の一つは終わりに近づいています。もう一つは米国が求めなかった戦争、さらなる攻撃から私たちとすべての国々を守るために、私たちがノルウェーを含む42カ国とともに戦う戦争です。私たちは今でも戦争を遂行中です。私は米国の数多くの若者を遠い地の戦闘に送り込むことに責任を負う立場にあります。そのうち何人かは誰かを殺し、何人かは命を落とすでしょう。私は、武力紛争による犠牲について鋭敏な感覚を持ってここに来ました。戦争と平和の関係と、戦争を平和に置き換える努力についての難問を抱えています。
 これらの課題は新しいものではありません。戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにありました。その道義性が疑われたことはありませんでした。部族間の、そして文明間の力の追求と相違の解決手段として、干ばつや疫病のように現実にあるものでした。時を経て、集団間の暴力を規制する手段として法律が登場すると、哲学者、聖職者、政治家が戦争の破壊的な力を制御しようとし、そこで「大義のある戦争」という概念が登場しました。それは、戦争は自己防衛の最終手段として、適正な武力により、可能な限り非戦闘員は犠牲にしないという条件に合致する場合のみ正当化されるというものでした。歴史上、「大義のある戦争」という概念はほとんど実現していません。人類が殺し合う方法を新たに考え出す能力を無尽蔵に有することは証明済みです。そして外見の違う人々、異なった神を信仰する人々に対し無慈悲にその能力を行使しました。軍隊間の戦争は国家間の戦争へと発展、全面戦争では、戦闘員と一般市民の区別が不鮮明なものになりました。わずか30年の間にそのような殺りくが2度この大陸で行われました。第2次世界大戦は、第三帝国(ナチス・ドイツ)と枢軸国を打ち負かすというこの上ない大義がありました。しかしこの戦争では、非戦闘員の死者数が兵士の死者数を上回ったのです。このような破壊を受け、さらに核兵器時代の到来もあり、勝者にとっても敗者にとっても、新たな世界戦争を予防する仕組みが必要なことが明確になりました。だからこそ、ノーベル平和賞を受賞したウッドロー・ウィルソン元大統領が提唱した国際連盟を米上院が拒否してから四半世紀、米国は平和を守る構想を打ち立てる上で世界を主導しました。マーシャルプラン、国際連合、戦争抑止メカニズム、人権擁護の条約、虐殺の予防、最も危険な武器の規制がそれです。さまざまな方法で、こうした努力は成功を収めてきました。もちろん、恐るべき戦争は発生し、残虐行為も起きてきました。

 しかし、第三次世界大戦は発生していません。冷戦は、歓喜に沸く群衆が壁を破壊することで終結しました。商業は世界の大部分をつなぎ合わせてきました。数十億人が貧困から脱しました。自由、民族自決、平等、法の支配といった理想は、もたもたしながらも前進してきました。私たちは先人たちの不屈の精神と先見の明の継承者であり、これは米国が真に誇れる遺産です。
 21世紀に入り10年、古い構造は、新しい脅威により崩れつつあります。世界はもはや二大核超大国間の戦争の脅威におびえることはないだでしょうが、核拡散は破滅への危険を増しているでしょう。テロは古くから存在する戦術ですが、現代のテクノロジーによって、激しい憎悪を抱く少数の人間が罪のない人々を大量に殺すことが可能になりました。さらに、国家間の戦争は、次第に国内での戦争に取って代わられつつあります。民族間や宗派間の衝突の激化、分離運動の増加、反政府勢力、破綻国家は市民を終わりの見えない混沌に陥れています。現代の戦争では、兵士よりも市民により多くの犠牲が出ています。将来の衝突の種がつくられ、経済は破壊され、市民生活はずたずたにされ、難民は増え、子供に傷あとを残します。

 私は今日、戦争をめぐる問題の絶対的な解決策を携えてはいません。私が認識していることは、こうした難題に立ち向かうには同じ考え方、懸命の作業、数十年前に大胆に行動した男性、女性を含むすべての人たちの粘り強さが求められるということです。さらに、大義ある戦争の概念と平和の必要性について新思考が求められるでしょう。私たちが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできないという厳しい真実を知ることから始めなければなりません。国家が、単独または他国と協調した上で、武力行使が必要で道徳的にも正当化できると判断することがあるでしょう。
 私はこの声明に、マーチン・ルーサー・キングが何年も前に、この同じ式典で述べた思いを込めたい。「暴力は決して永続的な平和をもたらさない。社会的な問題を何も解決せず、もっと複雑な問題を新たに作り出すだけである」。キングのライフワークを引き継ぎここに立つものとして、私は非暴力の道徳的な力を信じる証言者です。ガンジーとキングの信条と人生において、弱々しく、消極的で、ナイーブなものは何もないことを私は知っています。
 しかし国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいきません。私は現実の世界に対峙し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいきません。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在します。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められませんでした。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられません。時に武力が必要であるということは、皮肉ではありません。人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することです。私はこの点を提起したい。なぜなら今日、理由のいかんを問わず、多くの国で軍事力の行使に二つの相反する感情があるからです。時として、そこには唯一の軍事超大国である米国への内省的な疑念が伴います。しかし、世界は思い出さなければなりません。第2次大戦後の安定をもたらしたのは国際機関や条約、宣言だけではありません。いかに過ちを犯したとしても、その国民の血と力で60年以上にわたり、世界の安全保障を支えてきたのは米国なのです。私たちの男性、女性兵士らの献身と犠牲が、ドイツから韓国までに平和と繁栄をもたらし、バルカンに民主主義を打ち立てることを可能にしたのです。私たちは自分たちの意思に従わせるために、この重荷を背負ったわけではありません。自分たちの利益のために、そうしたのです。子や孫たちのより良い未来のために、そうしたのです。他の国の子供や孫たちが自由と繁栄の中で生きることができれば、彼らの生活もより良いものになると信じているのです。

 そう、平和を維持する上で、戦争という手段にも果たす役割があるのです。ただ、この事実は、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらすという、もう一つの事実とともに考えられなければなりません。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、祖国や大義、共に戦う仲間への献身の現れでもあります。しかし、戦争自体は決して輝かしいものではありません。決してそんなふうに持ち上げてはなりません。両立させるのは不可能に見える二つの事実に折り合いをつけさせることも、私たちの課題なのです。戦争は時として必要であり、人間としての感情の発露でもあります。具体的には、かつてケネディ元大統領が訴えた課題に向け、私たちは努力しなければなりません。彼は「人類の本性を急に変化させるのではなく、人間のつくる制度を少しずつ発展させた上で、実際的かつ達成可能な平和を目指そう」と語りました。この発展とはどんなものでしょう。実際的なステップとは何でしょう。
 まず初めに、戦力行使について規定する基準を、強くても弱くてもすべての国々が厳守しなければならないと考えます。ほかの国々の元首と同じように、自国を守るために必要であれば、私には一方的に行動する権利があります。しかしながら、基準を厳守する国々は強くなり、守らない国々は孤立し弱くなると確信しています。米中枢同時テロの後、世界は米国のもとに集い、アフガニスタンでの私たちの取り組みを支援し続けています。無分別な攻撃を恐れ、自衛の原則を認識したからです。同じように、サダム・フセインがクウェートに侵攻したとき、世界は彼と対決しなければならないことを悟りました。それは世界の総意であり、正当な理由のない攻撃をすればどうなるか、万人に向けた明確なメッセージとなりました。その上でですが、米国自身が規則を守らないのならば、他者に規則を守るよう迫ることはできません。規則を守らないのならば、いかに正当化しようとも、私たちの行動が独断的に映り、介入の正当性を損なうことになってしまうからです。これは、軍事行動の目的が自衛の範囲を超え、一つの侵略者に対する一つの国の防衛という範囲を超える際、特に重要になります。

 私たちは、政府による自国市民の虐殺や、一つの地域全体を暴力と苦悩に巻き込みかねない内戦をどのように防ぐかという困難な問題に直面し、そうした機会は増え続けています。私は、バルカン諸国や、戦争に傷ついた他の地域でそうであったように、武力は人道的見地から正当化できると考えています。何もせずに手をこまねくことは良心の呵責を生み、後により大きな犠牲を伴う介入が必要になる可能性があります。だからこそ、すべての責任ある国家は、平和維持において、明確な指令を受けた軍隊が果たし得る役割というものを認めなければなりません。

 世界の安全保障における米国の責務が消えることは決してありません。ただ、脅威の拡散が進み、任務もより複雑化した世界では、米国は一国だけでは行動できません。この事実はアフガニスタンに当てはまります。テロや海賊行為に、飢えや人々の苦悩も結び付いたソマリアのような破綻国家においてもそうです。悲しむべき事ですが、そのような状態は、不安定化している地域では、今後何年にもわたって変わることはありません。北大西洋条約機構(NATO)諸国の指導者や兵士たち、そして他の友好、同盟国は、アフガンでその能力と勇気をもってこれが事実であることを示してくれました。しかし、多くの国で、任に当たる者たちの努力と、一般市民の抱く相反する感情との断絶があります。私は、なぜ戦争が好まれないのか理解しています。だが、同時に、平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっています。平和には責任が不可欠です。平和には犠牲が伴います。だからこそ、NATOが不可欠であるのです。だからこそ、私たちは国連と地域の平和維持を強化しなければなりません。いくつかの国だけにこの役割を委ねたままにしてはいけないのです。だからこそ、私たちは国外での平和維持活動と訓練から、オスロとローマ、オタワとシドニー、ダッカやキガリへ、故郷へと戻った者たちを称えるのです。戦争を引き起こす者としてではなく、平和を請け負う者たちとして称えるのです。 

 武力行使について最後に言っておきたい。戦争を始めるという難しい決定を下すのと同じように、私たちはいかにして戦うのかについても明確な考えを持たねばなりません。ノーベル賞委員会は最初の平和賞を赤十字の創設者であり、ジュネーブ条約の推進役だったアンリ・デュナンに授与したことで、このことの意義を認めたのです。武力が必要なところでは、一定の交戦規定に縛られることに道徳的、戦略的な意味を見いだします。規定に従わない悪意ある敵に直面しようとも、戦争を行う中で米国は(規定を守る)主唱者でなければならないと信じています。これが私たちが戦っている者たちと異なる点です。私たちの強さの源泉なのです。だから、私は拷問を禁止にしました。グアンタナモの収容所を閉鎖するよう命じました。そして、このために米国がジュネーブ条約を順守するとの約束を再確認したのです。私たちが戦ってまで守ろうとする、こうした理念で妥協してしまうと、自分自身を見失うことになります。(Applause)平穏なときでなく困難なときこそ、ジュネーブ条約を守ることでこうした理念に対し敬意を払いましょう。

永続的な平和の構築 ~受賞記念演説より

2009年12月10日 | オバマ
 私たちが戦争を行うことを選択するとき、心に重くのしかかる問題について私は言及してきました。しかし、そうした悲劇的な選択を避けるための努力についてもう一度立ち戻り、公正で永続的な平和を構築する上で必要な三つの方策を説明しましょう。
 まず最初に、規則や法を破る国と立ち向かう際にも、暴力に代わるものをつくり出していかなければならないと、私は信じています。永続的な平和を望むなら、それは態度を改めさせるのに十分なほどに強くて、国際社会の言葉として何らかの意味をなすものでなければなりません。規則を破るような政治体制には責任を負わせねばなりません。制裁は実質的な効果がなければなりません。非協力的な態度には圧力を強めなければなりません。そうした圧力は世界が一つになって立ち上がったときにのみ、成り立つのです。
 核兵器の拡散を阻止し、核兵器のない世界を追求する取り組みが急務です。前世紀の中ごろ、各国は(核拡散防止)条約に従うことで同意しました。その取り決めは明確です。すべての国が原子力を平和利用でき、核兵器を持たない国は所有を断念する。核兵器を持つ国は軍縮に向けてまい進する。私は積極的にこの条約を支持してきました。条約は私の外交政策の要です。そして私はメドベージェフ大統領と一緒に、米国とロシアの核備蓄を減らす作業を行っています。また、イランや北朝鮮のような国が核不拡散体制を悪用しないよう主張することも私たちの義務です。国際法に敬意を払う者は、法がないがしろにされたら目を背けることはできません。自分の安全保障を心配する者は、中東や東アジアでの軍拡競争の危険性を無視することはできません。平和を追求する者は、核戦争のため各国が武装するのを何もせず傍観してはならないのです。
 同様の原則は国際法に違反し、自国の人々をむごたらしく扱う国々にも適用されます。ダルフールの大虐殺やコンゴでの組織的強姦、ミャンマーの弾圧、これらは責任が問われなければなりません。私たちが結束すればするほど、武力介入するか(何もせず)抑圧の共謀者となるか、私たちは選択を迫られなくなるでしょう。

 これは第2の点につながります。私たちが求める平和の本質についてです。平和は目に見える紛争状態がないということだけではありません。すべての人々が生まれながらに持つ人権と尊厳に基づく平和だけが、真に永続することができます。第2次大戦後、世界人権宣言の起草者を後押ししたのはこの洞察です。荒廃の最中、彼らは人権が守られなければ、平和は空虚な約束にすぎないと認識したのです。しかし、こうした言葉が無視されることはあまりにも多い。人権は西洋の原理だとか、地域の文化に合わないとか、国家の発展の一段階にあるので守れないなどと間違った考えで言い訳する国もあります。米国では長い間、自らを現実主義者と称する人と、理想主義者と称する人の間で緊張関係が続いてきました。狭量な利益の追求か、自らの価値観を押しつける果てしない運動か、明確な選択をするよう提案してきました。私は、こうした選択を拒みます。私は、市民が自由に話したり、好きなように礼拝したり、指導者を選んだり、何の恐れもなく集会を開いたりする権利を否定されるところでは、安定した平和は得られないと信じます。不平がたまって膿になり、部族や宗教のアイデンティティーに対する抑圧は、暴力につながり得る。私たちは、その反対も真実だと知っています。欧州が自由になった時、やっと平和が訪れました。
 米国は民主主義に対する戦争はしていません。私たちの最大の親友は、市民の権利を守る政府です。どんなに冷ややかな見方をしても、人類の思いを否定することは、米国の利益にも、世界の利益にもなりません。米国は様々な国の独特の文化や伝統に敬意を払いながらも、常に人類共通の思いの代弁者になります。アウン・サン・スー・チーさんのような改革者の静かなる威厳の証人となります。暴力にさらされながらも票を投じる勇敢なジンバブエ人や、イランの通りを静かに行進した数十万の人々の証人となります。このことは、これらの政府の指導者は、ほかの国家の力よりも、国民の思いを恐れているということを物語っています。希望と歴史はこうした運動の味方になるとはっきりと示すことが、すべての自由な人々と自由な国家の責任です。
 これも言わせてほしい。人権は、言葉で熱心に説くだけでは促進できません。時には、労を惜しまない外交と連携させなければなりません。抑圧的な政権に関与すると、義憤を持った純粋なままの状態でいられなくなることは分かります。しかし、相手に手を差し伸べずに制裁を科したり、議論の余地なく非難するだけでは、現状は悪いまま進む可能性があることも分かります。抑圧的な政権は、開かれた扉という選択肢がなければ、新たな道を進めません。文化大革命のおぞましさを考えれば、ニクソンが毛沢東と会談したことは許し難いと思われました。けれども中国が多くの市民を貧困から解放し、開かれた社会とのつながりを持つ道筋をとる助けとなったことも確かです。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世のポーランドとのかかわりは、カトリック教会だけでなく、ワレサのような労働運動の指導者にも活動の場をつくりました。レーガンが軍縮に向けて努力しペレストロイカを受け入れたことは、ソ連との関係を改善しただけでなく、東欧全体の反体制派に力を与えました。単純な公式はありません。孤立させることと関与すること、圧力をかけることと励ますこと、両者の間のバランスを取るよう、最善を尽くさなければなりません。そのようにして人権と尊厳は徐々に向上するのです。

 第3に、市民の権利や政治的な権利があるだけでは公正な平和とはいえません。経済的な安定と機会が保障されなければなりません。なぜなら真の平和は恐怖からだけではなく、貧困からの解放でもあるからです。これは疑いようがありませんが、安全がなければ発展が根付くことはほとんどありません。また、生きるのに必要な十分な食料やきれいな水、薬や住居が手に入らなければ安全は保障されないのも真実です。きちんとした教育を受けたり、家族を支える仕事を得たりするという子供たちの望みがかなえられないところに安全はありません。希望がなければ、社会は内側から腐りかねません。それゆえ、人々に食料をもたらす農家や、子供たちを教育したり病人を世話したりする国々を支援することは、単なる慈善事業ではありません。
 このことはまた世界が団結して気候変動に立ち向かわなければならない理由でもあります。もし私たちが何もしなければ、長年にわたる紛争の原因となる干ばつや飢餓、人々の大量移動をさらに引き起こすことになるというのは科学的にほとんど争いのない事実です。このため、即座に力強い行動をとることを求めているのは科学者や環境活動家だけではありません。わが国や他の国の軍幹部らも共通の安全保障が不安定な状態にあるということを理解しています。