天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

相聞歌~別れ

2012年03月03日 | 俳句・短歌
良寛は、秋になれば、また必ず尋ねると言って帰ったが、病気をして約束をはたせなかったので歌を贈る。

秋萩の 花のさかりも 過ぎにけり
契りしことも まだとげなくに

11月に入ると、良寛は激しい下痢におそわれる。これを聞いた貞心尼は歌を贈る。

そのままに なほたへしのべ 今さらに
しばしの夢を いとふなよ君

お苦しいでしょうが、我慢して一日も早くよくなって下さい。人生は夢のようなものではありますが決して短気をおこさず、できるだけ長生きして下さい。

あづさゆみ 春になりなば 草のいほ
とく訪ひてまし 逢ひたきものを

春になったら一時も早くお出で下さい。もう一度お逢ひしたくてなりません。

12月25日、良寛危篤となる。貞心尼は良寛のもとにかけつける。

いついつと 待ちにし人は 来たりけり
今はあひ見て 何か思はむ

一目逢いたいと思っている人に逢えたので、もう何も思い残すことはない。

むさし野の 草葉の露の ながらへて
ながらへ果つる 身にしあらねば

人間の命は草葉におりた露と同じように、実にはかないもので、どうせ何時までも生きているわけにはいかない、わしも、いよいよ寿命かと思う。

貞心尼は、なりふりかまわず心をこめて看病したが、良寛はしだいに衰弱していった。

生き死にの 界はなれて 住む身にも
さらぬ別れの あるぞ悲しき

良寛は、俳句を書いた 自分のものではなかったが 今の心境をよく伝えるために

うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ

自分のいいところも、わるいところも、かざらずすべて見せてきたから思い残すことはない。人間死ぬるときは、うそもまこともなく、自然に還って散って行くものじゃ。

最後に貞心尼が

くるに似て かへるに似たり おきつ波

と和歌の上の句を書いて示すと、良寛は

あきらかりける 君の言の葉

と下の句を加えた。海の波はよせてくるかと思えば返り、返るかと思えばよせてきて、絶えず動いているように、人間もまた潮の満ちてくる時、此の世に生まれて来て、潮のひく時あの世へ行くと言われます。これ即ち「自然」であり「色即是空」とかねて覚悟はしておりますが、無常迅速まことに悲しい限りでございます。まことに、そのとうりだ。

初春六日、良寛は貞心尼の見守る中で、座したまま大往生をとげた。 良寛の辞世の歌は、

散る桜 残る桜も 散る桜

うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ

形見とて 何か残さむ 春は花
山ほととぎす 秋はもみぢ葉

良寛さんの枕元には、「ふる雪の、ふる雪の、積むとはなしに、その雪の、その雪の・・・」の未完の歌が残されていた。

それから41年後、貞心尼75才、仲春十一日、貞心尼の辞世の歌

くるに似て かへるに似たり おきつ波
立居は風の ふくにまかせて

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