中国の古典『十八史略』に「天知る、地知る、子知る、我知る」という。後漢王朝の時代というから10世紀中期のころ、清廉で知られる楊震という人物がいた。地方の長官に任命されて赴任する途中でのこと、むかし目をかけてやった王密という男が面会を求め、世話になったお礼だといって金十斤を贈ろうとした。むろん今後ともよろしくという下心があってのことである。
楊震が断ったところ、王密は「こんな夜更け、このことはあなたとわたしのふたりだけしか知らないことですから」といって置いていこうとする。このとき、楊震は「天知、地知、子地、我知」といった。だれも知らないことはあるまい。まず天が知っている、地が知っている。それにそなたも知っているし、わたしも知っているではないか。王密は恥じいってひき退ったという。
この話は、楊震の「四知」としていまに伝えられている。官職にあるもの、このくらいの厳しさがあって当然と思いたい。
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本日、東京地方裁判所は、河井杏里に判決をいいわたした。懲役1年4か月、執行猶予5年ということであった。