江戸後期、南町奉行などを歴任した根岸鎮衛という旗本がいた。同僚や古老から聞き取った珍談奇談を30余年にわたって書きとった随筆集が残されている。全10巻1000篇におよぶ『耳嚢』である。その一篇に「猫、物をいう事」がある。
寛政7年(1795)春のことだ。牛込山伏町のある寺で、和尚が飼っていた猫が人のことばをしゃべったというのである。庭におりた鳩を狙っている猫を見つけた和尚が「あぶ . . . 本文を読む
江戸八百八町、という。いわずもがなのことだが、ここでいう「八百八」とは、実存した町の数ではない。江戸という都市空間に多数の町が存在していたことを示す、一種の慣用表現である。
天正18年(1590)、徳川家康が移ってきたころの江戸は、広大な武蔵野丘陵の一角、入江が深く入りこみ、葦の茂る低湿地の一寒村にすぎなかったという。東京都公文書館のホームページによれば、以後、江戸城を中心に丘陵地を切り崩し . . . 本文を読む