佛の顔も三度まで、という。このことわざ、佛さまのお慈悲にかまけて三度まではヘタをこいても許される、と解釈していた。しかし、それにしても、佛の顔をどうしたというのだ、ここのところがよくわからないでいた。
調べてみて驚いた。さきの解釈はまちがいだった。いや、その前にことわざの引用そのものをまちがえていた。正しくは「佛の顔も三度」である。「まで」は不要、そしてもとのことわざは「佛の顔も三度撫ずれば腹立つ」であった。佛さまは慈悲深いだけでなく温和でもあるから、顔を撫でても二度までなら許してくれる。しかし、三度も撫でられれば、いかに佛といえども腹を立て怒り出すというのだ。いや、知らなかった。これこそ、いい歳こいて恥ずかしながら…である。
世の中、不躾な言動を重ねたりすれば、いくら温厚で寛容な相手だからといってもガマンの限界を超え、怒らせてしまう。つまりは非礼の戒めであり、これが江戸時代には「仏の顔も三度」と縮めて表現していたが、いつしかこれに「まで」をつけて使うようになったという。これでは真逆の解釈となるのに、なぜか。ここのところはよくわからない。
いずれにせよ、本来の意味では、過ちは「二度まで」で三度目はアウト!だったのである。