25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

オリンピックは要らない

2019年10月31日 | 社会・経済・政治
 石原慎太郎元都知事、それを引き継いだ猪瀬直樹。オリンピックの誘致など
まるで日本自体の状況を知らないようなことをよくもしたものだと思う。
 ぼくなどは初めから反対であった。国も都もそんなお金があるのなら、「教育」や「研究」にお金を出した方がよいと思う。今朝の情報番組で「日本は先進国ではない」というテーマで玉川村徹が経済学者にインタビューしていた。
 AIにおいては日本は後進国だ、とソフトバンクの孫正義が言っていた。
1人あたり賃金も、生産力もバブル期以降落ち続けている。
 彼らのいう先進国ではない、というのはあくまでも、経済データによるものだった。
 ぼくが「日本は先進国ではない」というのは意識のことを言う。選挙のときに露呈する。親戚選挙、頼まれ選挙が横行する。また2世、3世議員を親と同じ地盤から、同じ事務所資金で立候補することをゆるし、そのことが当然かんおように振る舞っている政治家。こんな国が先進国などとどうして言えるだろうか。

 さて、オリンピック。小池都知事も困ったことだろう。彼女が誘致したわけではない。引き継いだのだ。そしてマラソンと競歩の札幌市開催のIOC発表。マラソンと競歩の選手の命が大事ならトライアスロンや馬術はどうなる? そもそも開催時期を間違えたのはIOCと猪瀬とその「おもてなし」応援団ではないか。
 卓袱台をひっくり返すのがよいと思う。ナショナリズムを煽るようなスポーツの祭典などなかってもよい。
 



 

ようやく承認

2019年10月30日 | 日記
 これから三日ほどは晴れるということなので、午前中から曽根の貸別荘へ行き、布団を干したり、樹木を剪定したりした。池の水がないことに気が付いた。台風でまた水源地にある取水のどこかが流れてしまったか壊れたのだろう。孫娘が獲った魚も死んでいた。これで台風による被害は2度目である。業者さんに連絡して復旧工事を依頼した。

 もう池は閉鎖しようとも思ったが、そのあとどうするという考えが浮かばず、結局維持することに。

 茨があちこちで伸びてきているので、切り、海が見えるまでに庭の低いさつきのようなものは低く刈り取り、伸びきった雑草のようなものも取り払った。それだけで2時間もかかってしまい、急いで佐野に向かった。今日は張り切って「麺NIPPON 八王子ターメン」「麺NIPPON博多ラーメン」「横浜もやしラーメン」が尾鷲にないので、また買い出しに行った。ついでにユニクロにも行きたかった。家に戻ったのは5時前になっていた。

 昨日の夜中、google のロボットではなく、人間から人間の手で「えのもと様、BBTジャパン様のスーパー語学プレイヤーが承認されました」とメールが来た。ちゃんと責任者の名前までついていたので、とうとう来たか、という思いだった。しかしただ承認されてアップされただけでは誰の目にも届くはずがない。ここからが営業なのである。まあ、それはボチボチ考えよう。考えて実践してくれるという人が現れたら、交渉には応じるつもりである。

Google Play >カテゴリー>教育>検索>スーパー語学プレイヤー

または、

ホームページを作ったので、そこで機能がわかるようになっている。

 ぼくはもう外国語の学習はいいので、もっぱら歌を覚えるのに使っている。わからないところはなんども繰り返してくれるのである。

災害に遭えば

2019年10月29日 | 社会・経済・政治
ブログの整理・校正をまだやっている。まだまだである。やっと2010年が終わった。今日から2011年である。2011年と言えば、東日本大震災」である。細君の両親は家ごと津波にのみこまれた。細君の弟は家の前で待っている両親を目にしたとき、津波が来た。彼は車ごと流されたのだった。ところが運よく車の後部ガラスが水圧でか割れ、脱出したのだった。
もう8年以上前になるのか。
  日本列島は阪神淡路大震災あたりからおかしくなってきた。人類による営みのせいなのか、地球の自然ななりゆきなのか、地震、津波、台風、大雨、竜巻が多くなったのはだれでも実感することだろう。

 これはぼくの意見である。
 自然災害で家が壊れたら、すぐに家を建て、必要最低限の暮らしの道具を政府は(われわれの税金は)すぐに用意すればよい。高い堤防など作る必要はない。そんなお金があったら、すぐに家を建て替えてあげることだ。津波がまた来るからと思う人は希望するところに建ててあげ、元のところに住みたいと言えば、そこに建ててあげればよい。一番肝心なことは命であって、逃げることができればいいのだ。家を政府が建てることにすれば、政府が潰れることなどないのだ。お金がまわっているだけのことである。

 こういう被害には徹底して国民の税金投入が必要である。ぼくはいつも災害が起こるたびにそう思う。無駄なものではない。税金による投資であり、税金は循環してやがて国に戻るのである。

 今後、台風が3つ4つ同時に来ることも考えられる。北から高気圧が台風を刺激して台風の長雨を誘うことにもなる可能性がある。
 明日はわが身となるかもしれない。

 尾鷲ではまた雨が降っている。東京も連続した雨の日は新記録だという。夏になれば灼熱となる。秋は瞬く間に過ぎて冬となる。冬に台風が発生するかもしれない。



せちがらい世になっていることは確かだ

2019年10月28日 | 社会・経済・政治
昔は単純でおおらかだったもの・ことがだんだんと複雑化してくる。これはあらゆる生活の場所で言えることである。
 今回アプリの登録で難儀し、今日解決の方向に向かうはずである。アプリは便利で、明快なのに、それを世に出そうとすると複雑な回路をたどらなければならない。なぜ、そのような回路が必要になったか、と言えば、悪いことをする人がいるからであり、子供への性的なこ、暴力的なことやら心配する人が多くなったからであり、要は神経質にならざるを得ない社会状況になっているからである。

 学校教育についても、昔は子供を学校に文句も言わず預けて、任せていたものだが、いじめがあるとか、モンスターペアレントがいるとか、母原病であるとか、これも複雑である。もちろん家庭での躾、教育は大事なことである。しかし学校にある時間預けた以上、学校の先生のことをあれこれ言ったり、いちゃもんをつけたりするという状況も深刻な問題である。教師志望が極端に減っている。ブラック職場とも言われている。教育は国の一大事である。教師になろうとするものが少ないとは。

 一人が電車のホームに落ちたら大事件となり、一人がエレベーターに挟まれたら大事件となって報道される。すると、ホームに壁がつけられる。

 尾鷲の近く海のそばにある広い公園がある。そこではバーベキュー禁止と札がある。シアトルにも同じような湖のそばにある公園があったが、そこはバーベキューOKである。
 どうして日本では禁止、アメリカでは可能となるのだろう。

 おそらく日本ではマナーが悪いのだ。ゴミを置いていく。それが腐る。公園を手入れする人が公園所有者に文句を言う。禁止にしてしまえば早い。公園を気持ちよく使ってもらうにはどうしたらよいのか考えない。バーベキューをさせようではないか。そのためには来る人にどういうお願いをすればいいのか、と「させる方向」で考えない。
 アメリカでは自主的に片づけ、荒らさず、問題はないのだ。おそらくシアトルの公園でもマナーの悪い者はいたに違いない。単純だったのが一時複雑化し、また単純化したのだ。それは簡単なことで、マナーの問題はこころの問題だからだ。バーベキューは戸外でする方が楽しいからだ。

 貸別荘をやっているせいで、この頃の若い人、若い家族の遊び方が変わってきていることに気づかされた。ホテルや旅館、民宿では自由にならない。みなで集まる場所もない。自分たちで、食材を用意して、みなでワイワイとする。二家族、三家族の間にで交流を図る。卒業旅行も贅沢をしにいくのではない。みんなと集まり、みんなとワイワイしたいのである。20年前にはこのような遊びのスタイルはなかった。
 その客の中には2年ほど前はマナーの悪い人たちもいた。ところが事前に説明し、名簿と同意書を書いてもらうようになってから、マナーの悪いグループはほとんどいなくなった。現在はすこぶる単純化されて、快適に使ってもらっている。

 このブログを書いている途中、google から連絡が来た。アプリがアップされたようだ。素直に嬉しい。よくやった。
 

世界を転戦するアスリート

2019年10月27日 | テレビ
 ラグビーについては今回のワールドカップで初めて見た。ルールがわからいものだから、ルール解説の特別枠があったらなあ、と思ったのだった。
 とてつもなく強いニュージーランドが「ハカ」をするフォーメーションを取るとイングランドがニュージーランドチームを飲み込むようにVの字になったのだった。これは面白かった。そして試合はその通りのようになった。アイルランドには圧倒した強さだった。ところがイングランドにはミスが多く、強いディフェンスに阻まれ、どうにもできなかった。イングランドは2年半

ニュージーランドを倒すことを目標に励んできたという。
 昨日はスポーツ観戦で忙しかった。次はフィギアスケートである。紀平梨花もショートで一位、羽生結弦も一位。日本列島人の若者が、ラグビーもそうだが、卓球、バドミントン、テニス、バスケット、スピードスケート等(もっと言いたいのだが、正式な競技名が浮かんでこない、ボルダリングとかスケートなんとかとか)に目を見張るものがある。日本を背負っているというよりは、国境を軽々と越え、世界中を転戦していく。こういう若者に国などを背負わせてはいけない。「日の丸日本」だの、「サムライ日本」など、ぼくはしらけるばかりだ。
 この前も、テレビ番組「ひるおび」で三雲某コメンテーターが「大和魂」という言葉を使っていて呆れたことがあった。ああ、この人は見たこともない観念を安易言ってしまう人なのだ、と思ったのだった。60代と10代、20代はずいぶんとちがうと思うが、どうだろう。


迷路の壁

2019年10月26日 | 日記
 昨日の夜中にグーグルからメールが入った。アプリの審査も結果である。rejected 非承認だった。驚いたが、英語での返答はどこがだめでどこをなおせばよいのかさっぱりわからない。翌朝、母を定期的な検診をするため病院に連れていき、それを終えてから、パソコンに向かった。どうやら、アプリの内容そのものではなく、公開時にファミリーポリシーへの登録あたりでのミスがあったのだろうと思う。ぼくのアプリには広告もないし、個人情報を収集する機能もない。グーグル側と完全に利害も一致するはずである。ところだめときた。異議申し立てができるので、なにをどうしろというにかわからない、このアプリはシンプルで、語学専用プレイヤーである。ゲームではない。子供に悪いわけでもない。どうしたらよいか、と書いた。原因がわかればそれに焦点をあてて、異議申し立てができるものを、原因理由がわからないので、脳が悪くなる。まだ、悪戦苦闘はつづくのかと思うとうんざりもする。
 どう解決すればよいのか。そういう専門家は探せばいるのだろうが。
 この頃、睡眠が浅いせいか、昼に睡魔が襲ってくる。昼からは一番頭も冴えてきていたはずなのに、それがおかしい。理由探しに午後からもやってよさどうだが、それは明日、という気持ちになってしまう。頭は興奮していていいはずなのに、眠気が来る。変だ。
 糖尿病にでもなったのか。そんなはずはない。これまでの検査で、その兆候もない。
 グーグルはロボットが審査員のようである。グーグルの説明では要領を得ない。また今度こそ最終の是非を決められる時がきた。また悶々とするのか。
 確か、人生ってこんなもんだったよな。




とうぶん晴れてほしい

2019年10月25日 | 日記
 夏物と冬物を取り替えた。衣替えである。
今年は9月、10月と晴れ間が少なく、鬱陶しい雨が多い。今も雨が降っている。こんな記憶がない。うんざりである。まだ今年ハゼ釣りにも行っていない。今頃から11月が旬である。土瓶蒸しと天麩羅などといきたいものだ。
 アプリの方は公開手続きをすべて終え、今は「公開待ち」、つまり「審査中」ということである。
 それでまた、過去のブログの校正をやっている。2011年の12月分を途中で止め、来週からは2012年分になる。読み直していると、よく外に出掛けていたことがわかる。いろいろな人とも会っていたことがわかる。
 まだ母は交通事故にも遭っておらず、ぼくはアプリの開発に手をだすこともなかった。
 秋が短くなったように思える。雨ばっかりの10月だったからなのだろう。

 1997年。この年に One more time、one more chance という山崎まさよしの歌が出た。良い歌だったが、その頃のぼくは歌を歌っている場合ではなかった。今、今度開発したアプリに入れてメロディをおぼえている。とても便利なのだ。覚えにくいところは何度も繰り返す。わかるところは飛ばす。「君をうしなったぼくの切々としたこころの叫び」を歌っている。その情緒を飛ばして覚えることに専念。時代背景はこの頃から日本列島は災害で苦しむようになり、金融業界はどんづまり、経済の停滞が始まり、土地資産は減じる一方となるのだ。
 自分のこころに問うだけが精一杯の青春期、山崎まさよしは精一杯の曲と詞で切々と歌っているのを You tube で見た。まるで22年前のもの思えない。青春期に思う男と女の気持ちというのは変わっていない。

 いつの間にか雨も止み、雲間から青空を見えてきた。とうぶん晴れが続いてほしいものだ。
 

家などもつな

2019年10月24日 | 社会・経済・政治
19号の台風は庭の剪定した小枝や枯草、取り除くのを気づかなかった太い枝も石垣を越えて道路に流れたらしい。雨が続くので、道路ぼ両側に溜まったゴミの片一方を片付けて、また雨だったので、続きは晴れになってからすることにした。今日は昼から雨が降っていなければそれらを3ケ所くらいにまとめておこうと思っている。
 ツケは回ってくるというものだ。庭がすっきりしたかと思えば、それは道路に移動しただけのことだった。

 昨日、姉がやってきて、姉の義理の姉が海野に700万円で100坪の土地を買って、保持していた。雑草は年に2回刈ってもらい、固定資産税を払っていた。結局経費がかかるので、隣りの人に一坪1000円で買ってもらえないか、と頼み込んだ。無料でやるというのは贈与にあたるそうなのだ。計7万円。
 「土地とか家ってもう要らんなあ。修理代をとっとかんなんし、最後には壊す費用も必要やし。固定資産税は価値もないのに下がらんしなあ」

 高度経済成長期には価値ある財産のように思っていた。
 知人が商店街にある店舗つき住宅70坪を買った。40万円。台風のたびに来なければならないことについに手放すことを決めたのだ。一件、そういうことがあると当たりの相場はそうなってしまう。
 地方の真の財産は10分の1にも、100分の1にも減っているのだ。

 戦後に建てた家などはよほどの材質、造りでない限り、100年ももつことはないだろう。自分が建てた家は自分が壊して人生を終える、というようになってきた。「家なんか買うもんじゃないよ。借りるもんだよ」という時代になっている。

 行政はこのような傾向も捉えた町つくりを考えなければならないだろう。

 ぼくの自宅などは「南海トラフが起きるぞ」と宣伝されまくり、ひどい値下がりである。港付近は空き家だらけになってきた。これも縮小現象のひとつである。

 

シェアオフィス

2019年10月23日 | 社会・経済・政治
ついに我がアプリは「公開待ち」、つまり「審査」とまでなった。google console の様相が今日は一変していて、これまでの複雑ないろいろな手続きの項目も消えていた。「公開待ち」とあるだけだった。145か国で同時配信される。ホームページも出来上がった。語学に関心のない方はカラオケのための歌を覚えるにも役立つと思う。

 ただ、これまで Google は中国でも使えていたのが、米中貿易摩擦で使えなくなっている。とんだとばっちりである。技術は国境を越えていくのに、政治がこうやって摩擦を起こす。

 さて、尾鷲に「ナカミチ」という安売りの店がある。あくまでも噂であるが、「バッタ商品」もあれば「韓国から買い付ける商品」もあるそうだ。娘らが来ると、驚き喜び、必ず「ナカミチ」に行く。乾電池単三、単四 三菱10個で170円。スリッパが必要となったので、買う。一足100円。ぼくは 長靴が欲しかったので買う。990円。細君も女性用の長靴。350円。ライオンの台所用洗剤 57円。
 この店は重宝である。尾鷲の100円ショップも大きいので品ぞろえもよく重宝する。

 この店は周辺にいくつか店を持っている。つまり頑張っているのである。頑張っているのがよくわかる。値段の決め方が冴えていると思う。スタッフもおおらかである。「これ今度の金曜日には半額になりますよ」と言ってくれる。「100円違ったらねえ」とか言って、売り手側が買い手側目線である。靴も売っている。靴と言えば、尾鷲で結局残ったのはイオンの靴コーナーだけである。

 尾鷲はあと十年もつのだろうか、とふと思う。「ナカミチ」や「ダイソー100円ショップ」が続いてくれればと願う。まず心配するのは総合病院が維持できるかである。スーパーもこれだけの数は要らなくなるはずだ。毎月20人から30人、人口が減っていくのだから、十年で2400人から3600人程度減っている。料理店も、飲み屋さんも減少していけば寂しい町になる。
 シェアオフィスでもできればぼくも入りたいと思っている。この発想はぼくは前々から主張していて、ここにはデザインができる人やイラストが描ける人、プログラミングができる人、ホームページなどがつくれる人、なんでも何かをしたい人が集まってくればよい。今の時代、客は尾鷲の人だけではない。全国、世界にまで可能である。
 地場産業振興ばかり言っている議会であり、行政だ。それでは新しい産業や仕事は生まれない。
 シェアオフィス。誰か賃貸で提供する人はいないものか。
し 

5Gって

2019年10月22日 | 社会・経済・政治
 「5G とは何か」という新書を読んでいる。最初に4人の日常生活や仕事、遊びが5G時代にはどうなっているのかを想定したところから始まる。
 例えば、ある女の子はライブにいくことになって、スマホでライブ会場の駐車場にまだ駐車できるスペースがあるかチェックする。あったので、車で行こうと思い、カーシェアリングをスマホで確認し、自分の車保険も徐々に安くなっていることも嬉しい。こういう情報もそのときにわかる。駐車場に着くと、車を自動運転に切り替える。「車庫入れ」は自動運転にまかせたほうがよい。
 ライブの会場ではそのライブを撮っているカメラの映像がスマホに映り、正面アップでも、横顔アップでも、間近にいかなくてもスマホで見える。
 ライブが終わって、興奮冷めやらぬので、友達と夕食を共にすることになり、車で出向く。お酒を飲んでしまった。友達は飲まなかったので、車は友達が使えるようにした。自分は電車で帰った、という話である。
 別のは工場勤務の会社員。もうひとりは71歳の初老の男性。

 5Gとはこんな想定しかできないほど間抜けたものなのか。大容量超高速低遅延。映画は数秒でダウンロード。多チャンネルの利用はIot(物と物とのインターネット)を可能にするらしい。5Gのスマホも大容量、超高速と言っても、ゲームをするものにはいいかもしれないが、必要あるか? 遠隔医療なんかでは必要があるのかもしれない。自動運転なんか必要ある? せいぜい路線バス、空港内トレイン、工場内くらいじゃないのか、と思う。

 5G導入でまた多くの家電や車も変わるのだろう。それを買い替える動機が強くある?
 専門家に言わせれば便利になることはまだいろいろあるのだろう。でもねえ、と言いたくなる。1ギガのものをダウンロードするのに、仮に20分かかったものが2分になったとしてどれだけの経済効果があるのかぼくにはわからない。

 ぼくは5Gを否定しているのではない。この書き手がこのくらいの想定しかできないのなら5Gも普及するのはまだまだのことだろうと思うのだ。
 しかし5Gを強力に推し進めているファーエイを抱える中国のアメリカや韓国がこの5Gの覇権争いをしている。
 You Tube のようなものはさらに進化できる。テレビ局以外のネットテレビ局は発展するチャンスが生まれる。家の中の家電や設備は「声」ひとつで制御できるようになる。外からでもビデオを撮り忘れができるようになる。
 それがどうした? 人類の進歩に役立つというのか。

 こんなことを夢想する。ミサイルや核ミサイルに、ちょっとした目に見えないくらいのチップを善意のミサイル管理者が張り付けてしまえば、ミサイルは発射できなくなるとか、打ち上げても戻ってしまうとか、そんなものができないか、と思うが、5Gとは関係なくきっとできるに違いない。

 今ぼくは開発を終えたアプリを世界の145か国に販売の開始をしようと悪銭苦闘している。これはスマートフォンの登場までは考えられなかったことだ。おそらくは十年前はもっとシンプルだったのだろう。誰かが悪さをしたり、教育上よろしくないものが出てきたり、アプリ内に詐欺的な巧妙な仕組みがあったり、それでgoogle Play にアップしていくのも複雑怪奇になってしまったのだろう。毎日ひとつずつ、でやっている。本当に毎日ひとつをなんとか解決すると次でまたつまってしまう。こういうのはAIでやってくれるのだろうk。🙇
 これは5Gとは関係がないのだろうか。



いじめる教師

2019年10月21日 | 社会・経済・政治
 実に嘆かわしい。小学教師が同僚の教師に嫌がらせ、いじめを行う。常態化していたのを校長以下他の教師も止めることもない。
 いじめられる方もいじめられる方でなにもできない。死ぬ気になって恐ろしさを見せつけてあげればよいのだ。空手でも習いに行け。
 いじめも幼稚なものである。大の大人が小学生でもしないようなことをする。

 この国のいい加減さを感じる出来事である。

 これはぼくの持論であるが、1)教師採用は新卒の人ではなく、社会経験をした人を採用する。2)中学生くらいだと一番相性が合うのは65歳くらいからじゃないかと思うので、そういう年齢的相性も考慮する。3)これは決定打であるが、教育改革は下(小学校や中学校)からではなく、上から改革するのがよい。具体的に言えば、大学教師の私立、公立を問わない転勤制度の確立である。これをすれば大学名格差がなくなり、受験競争も姿を変えることだろう。

 アジアの国々はちょっと経済が発展してくると、子供を受験勉強に押し込む傾向がある。これは新興アジアの良くない点だ。日本では戦後1970年あたりから小学生や中学生の受験が激しくなったが、そのような小中時代を送った者からノーベル賞は出てこないだろうし、出てきてほしくもない。やはり小中時代は遊ばないと。
 遊びにも、「与えられた遊び」と「作り出す遊び」がある。ゲームは前者である
。与えられたゲームからなにも産み出すものは  
ない。無駄を産み出すだけだ。

 いじめたほうの教師も育ちが悪いのだろう。自分の社会的立場というものも考えることができないのだから。
 
 教育はますます大事と思う。2020年以降5Gの社会が到来すると、テクノロジーについていける人、行けない人、社会に貢献する人、無駄な人が鮮明に峻別されてくるだろう。自分で考えてテクノロジーを利用する。自分で考えて判別する。必要なこと、必要でないこと。自分で考えて一票を投じること。

 教育で失敗するとやがて社会も失敗する。その教育を背負う教師が腐っていたらどうにもならない。そんな教師は少ないと思うが、現場を知らないだけに薄ら気味が悪い。政府は受験制度を変えようと音頭をとらない。沈みゆく日本は子供をも巻き込んで沈んでゆく。実に嘆かわしい。




仕事

2019年10月20日 | 文学 思想
 人口減少進行中の日本。経済成長至上でいくか、経済をある程度縮小させながら、生きる価値観の方を変えていくか。いずれいやおうなく政治的なテーマになると思う。働きすぎの日本列島人。一億総活躍社会という標語ではどうにもならない。
 働くことは善いことだ。女性も働いて輝く。老人になっても働く。日本列島人にはそんな風にきつく思うところがある。イギリス、ベルギー、アメリカの調査で自分の仕事に意味を見いだせない人が平均30%ほどいる。ぼくはこの数字には納得する。ぼくはもっと多いと思ったのではあるが。

 だいたい自分にとってやり甲斐があるとか、楽しいとか、社会に貢献しているとかと意識できている人は少ないと思う。しかたなく働いている。現在の生活を維持したいためにしかたなく働く女性も多いことだろう。男性はよりきつい。男は働かなければならないと思いきっている。

 自分に相性が合う仕事があるのに、実はそれに気がつかず、自分の夢の範疇にある仕事について挫折することもある。自分は一体何をしたいんだろうと人生の大半考える人がいる。こんな仕事やってられるか、と仕事を転々とする人がいる。寂しいから仕事をする人もいる。

 いろいろな人がいるだろうが、大半はなんとなく仕事をしているように思う。人は学校を卒業すると、ストンとどこかの職場の椅子に座ることになる。落ちて座った椅子から自分の職場を眺める。仕事をしはじめたら、そこを掘っていけばよい。掘って、掘っていくと、小さな矛盾が見えてくる。その矛盾をよくよく見ていると、それは大きな矛盾だと認識するようになる。それを解決するのだ。すると仕事は充実したものになる。ぼくはいつもそうやってきた。それはもうぼくの思想である。他人に縛られるのは嫌なので、自分で仕事を作ることも、その思想上にある信条である。

 組織に属さないぼくは当然定年退職などはない。死ぬまで自由に働くつもりでいる。

 ほぼ資本主義社会の金融や株式とは別のところで生きている。よくここまで生きてこれたと思う。くるしいこともあったがめったに経験できないことも経験した。絶景の風景も、不思議に美しい紫色の夕闇を見たこともある。
 そんなに贅沢をしたいとは思わない。本を読むことは楽しい。感動する映画を探すのたのしい。そう言えば感動する音楽アルバムを探すことを久しくしていない。

 
 
 

共通、共有

2019年10月19日 | 社会・経済・政治
 結局、グーグルが解説していることの内容が判断できないので、一か月かかっても、毎日ひとつ解決する、という気持ちになった。若い頃には考えられなかった態度である。
 性格とは「物の考え方の傾向で」ある。するとぼくの性格はややせっかちからのんびりの方に変わったことになる。
というわけで、ひとつひとつグーグルの相談担当の方に、うんざりされない程度
を考えて、指導を受けながらやっていこうと思う。

 昨晩は「朝まで生テレビ」があった。録画しておいたので今日の午前中に見た。若い政治家と三人のコメンテーターである。三人はそれぞれの職業を持っている。それをいちいち書けないので、政治家以外の出席者をそう呼ばせてもらう。
 自民党、立憲民主党、国民民主党、日本共産党、日本維新の会の若手政治家が出席している。 
 テーマはいろいろだが、格差問題、エネルギー問題、地方政治問題、少子高齢化問題などである。
 話を聞いていて、どうやら各人は党派を越えてあるところで共通している。それは格差はよろしくない。弱者への政治。男性の育児参加。地方政治の腐敗と衰退。それらへの問題意識、解決策は共通している。
 しかしながら、かれらも議員年数が経ってゆくと、変わってくるのだろうか。共通の問題意識はもっているけど、何を先にするべきかという優先順位がちがってくるのだろう。経済産業省の経済支援策にも議員全員が疑問を持っていた。日本で発明されたリチウム電池がなぜ韓国や中国は安く、日本は5倍も高いのか。経済産業省の失策であることを認めている。
 地方、尾鷲市もそうだが、積極的な次世代産業策を講じない。コンパクト、スマートシティつくりができない。ただ人口が減っていき、財政難となり、無策のままに過ぎる。そういう政治家を選んだのも市民であり、被害を受けるのも市民であるが、その時は責任者である政治家はもうこの世にはいないだろう。尾鷲市はここ十年、無策であった。
 
 どんな人も集まって論議を尽くすということが日本にはないことも指摘されていた。党派を越えていく論理が必要だろう。そして必ず政党が流動化していく時代がくる。




 

停滞と大雨

2019年10月18日 | 日記
 昔は尾鷲の雨は降ればどしゃ降りで、傘の骨も2本多かったとか言っていたが、この頃はどしゃ降りがほとんどなくなった。今日は久しぶりの大雨であるが雨粒が小さく弱いから、これなら水害はないだろうと見当はつく。夜にかけて雨粒が大きくなり、勢いを増してきたら、警戒である。
 今日の仕事はハードルが高過ぎて中断。もうあと一歩というところで、グーグルの解説を頭に入れていく必要がある。ぼくは記憶力が悪いので、これが難儀である。事務所ではタブレットとパソコンで、家ではスマホとタブレットを併用して記憶力補っている。
 ぼくは世界的を席巻したアンドロイドを作ったgoogle の頭脳集団が実装したAndroid Studioや platform、Console の前で、なぜアンドロイドがiOSを抜いて世界一位になっているのかを実感しているのである。

 雨の音が強くなってきている。
 「未完の資本主義」という世界のオピニオンリーダーぽい5人の人にインタビューした本を読んでいる。現代社会は資本主義と共産主義が半々くらいの社会になっている、という人もいた。資本主義という経済システムを越えるシステムはまだ生まれていないが、人びとの間にシェアとフェアの考えが相当に浸透してきて、保険
のシステムシェアのひとつだという意見には結構納得いくところがある。
 マルクスは資本主義の行きつく先は共産主義であると宣言したのだった。
 日本の、マイクロソフト社は週3日労働の試行をしている。

 ここまで書いてきて、雨の勢いが止まらず、これはヤバイという感じになってきた。快適いる途中でみチリン、チリンと市の防災センターから注意報がくる。
 停滞のまま、一日が過ぎてしまうことになる。なにかひらめきがあるだろうか。
 

脳が疲れる

2019年10月17日 | 日記
 日本の生産人口は年で約1%減ということだ。人口が減り社会が高齢化しているからである。経済成長を掲げる限り、よほど効率的で、付加価値の高い生産をするしかないのだが、現在は一億億総活躍と言って女性と老人に参加してもるのと、外国人労働者に頼るしかない、仮に1%を外国人で補うとすれば、日本は今から将来的の社会像を論議しておく必要がある。
 ヒスパニックとアジアンが人口を増やし、白人が少数派になっていくことはアメリカでは避けられない事実である。
 ヨーロッパも難民を受け入れながらも悩んでいるのは選挙情勢を見てもわかる。
 日本のような閉鎖的な社会がだんだんと増えてくる外国人に寛容であるがずがない。現在のマイクロソフトのCEOはインド人である。グーグルの、共同経営者の一人もインド人である。彼らは根っからのアメリカ生まれのアメリカ育ちではない。移住してきて、勉強をし、才覚を発揮し、会社組織が認めたのである。

 そんなことを思いながらコンピューターとのコンソールは今日も続き、午前の2時間でやっと1つ克服し、午後の1時間でまたひとつ関門をなんとか開けた。最後のアップロードを何度も試みたが、失敗がつづき、とうとう明日にしようと諦めた。寝ればなんとか解決策が見つかるかもしれない、と思い、気楽にいることにした。ぼくの弱い脳みそは憑かれてしまっている。トンカツで食って、あしたには決着したいと思っている。
 22年前おリベンジの最後の日でありたい、