25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

書くということ

2016年06月28日 | 日記

 「相撲取りになるど」の第2部の推敲を終えた。加筆、削除、など訂正が続いた。第1部は「すばる新人賞」に応募した。これに落選したら、1部、2部、3部をまとめて、雑誌「相撲(ベ-スボールマガジン社)にでも行き、読んでみてもらいたいものだ、と思っている。他の出版社にも送ろうか、などといろいろ考える。

 だいたい、書くということ自己慰安である。本当に読んでほしいものはひっそりと誰にもみせず置いておく。そういうものがある。

 書いたものは近い関係のものには見せづらいものだ。特に妻となってくると、とても恥ずかしくて読ませられない。村上春樹などは奥さんにも読んでもらい感想をきく、と書いていたが、ぼくなんかはとてもできない。死んでから、興味あれば読んでもらえればよい。

 週日の5日間、毎日4時間ほどを書くことに使う。ほぼ一年近くになろうとしている。十の作品を仕上げた。だんだんと小説の書き方にもなれてきたが、それがいいものなのか、駄作であるのかはわからない。

 1995年に起こった池袋母子餓死事件が印象にあり、それが2016年ならばどうだろうかと、その事件をモデルに今の時代から書いてみた。すると、社会の様相が違っている。制度が違っている。確かに制度は整えられている。しかし今度はその制度を悪用する人も増えている。生活保護費などは典型例だ。母子で月に28万円もらう人もいる。家賃は優先的に公営の住まいに入れ、その上無料でもある。

 そんなことを調べながら書いた。これはもう一度読み直しをして、「文学界新人賞」か「太宰治賞」かに応募しようと思っている。賞をとれるかどうかというのは実はどうでもよくなってきている。この歳で、思い切り書いてみるだけだ、そして編集者に読んでもらいたい、と思うだけである。

 小説の読み方も違ってきた。これは思わぬ副産物である。僕にとっては有り難いことだ。

 台湾の友人からメールがあり、写真が添付されていた。彼は台湾でラグビーの選手で世界大会にも出ていた。台湾で早稲田大学のラグビー部かOBの楽しみか知らないが、彼は国交のない日本と台湾をつなぐ日台協会の世話役をしている。すると写真に「元総理大臣森喜朗」と二人で並んで写真におさまっている。「あれ、まあ」という感じで、ラグビー好きの二人なら気持ちも合うのだろうな、と思い、台湾で食べた腸詰の酒の肴の美味しかったことを思い出した。


テレビ

2016年06月27日 | 文学 思想

 イギリスのEU離脱問題ですっかり舛添元都知事や議会、それに政治資金法の話はどこかにすっ飛んでしまった。マスコミとはそういうものか、けったいな化け物で、その中に映っていたら、自分は正義だという風に平気で物も言える媒体でもある。アホな奴はテレビ局に入ってテレビに映ればそれがステータスだと勘違いしているものもいる。滝川クリスタルなどというのはただ台本を読んでいるだけなのに、いっぱしのジャーナリストのような顔をし、行動をする。まあ、テレビは大本読みも必要なわけで、綺麗ささを売り物にして見させる手法もあるわけだけど、僕はあまり寛大になれない。

 ジャーナリストは広告主の顔色を窺わず、我が意見を言ってほしいものだ。

 昨日、「三億円事件」をモデルにしたような「モンタージュ」というドラマを見たが、これがまあ、ひどい。5分に一回のCMである。民放もこんなことをやっていたら、全部DVDに録画されてCM飛ばしで見られる日が近いのではないかと思ってくる。現に、全番組録画するBR・DVDレコーダーが出ている。

 僕らもこれから長い民放のサスペンスやドラマは録画にしようかと話しあったのであった。と、話が違ってしまったが、テレビへの対処の仕方が、変わってくるように思う。もしかしたら、若い世代はもうすでに変えているのかもしれない。

 ニュース番組もどこも似たりよったりである。サンデイモーニング、報道特集を除いては「報道ステーション」「ニュース23」「ニュースゼロ」も変わりはない。NHKの9時のニュースも横並びである。夕方のニュース番組もほぼ同様である。

 ひとつの事件に群がる。多様な視点というものがない。どうせだったら、あと二局ほどNHKのように有料で見させるものがあってもいいじゃないかとまで思ってくる。あるいは広告主はテレビ局の作る番組に申し入れできないようにするとか、である。電通絡みの事件はうやむやになっている。ひどいもんだ。

 

 


イギリスEU離脱 2

2016年06月26日 | 社会・経済・政治

またイギリスEU離脱の話です。年代別にみれば、これから社会から退場していく人々に離脱希望が多く、これから社会を担っていく若者たちに残留希望が多かった。

  将来の姿を決めていくのだから、若者にひとりにつき2票をあげればいいのに、と思う。重要なことは年寄が決めてるる、というのは民主主義国家でも同じのようだ。

 イギリスの身勝手さはもはや伝統である。アヘン戦争においても、歴史を読めばわかることだ。東欧からの移住者を安く使い、自分等が不利になってくると、もうこれ以上はいらない、と言う。イラク シリアからの難民問題が拍車をかけて、離脱派の切迫感となる。

 ロンドンではロンドン独立の署名運動が始まっているらしい。スコットランドもまた住民投票を行うことになるのだろう。北アイルランドはアイルランドと統一する方向なのかもしれない。

 沖縄だって、独立したらいいのではないかと思う。

戦争に明け暮れたヨーロッパはすでに混血が進み、そのためにこそEUを作った、と理解している。国家意識が相当薄まってきていると思っていた。いま、その反動が難民問題 によって、起こっている。借金が多すぎる日本もふくめて、なんだか不穏な世界になってきた。

 僕は消費資本主義の時代も終わりつつあるのではないかとかんがえている。もう買うものなんて先進国にはないのだ。日本は借金が多すぎ、無駄なお金をばらまいてきたから、経済成長、経済成長、といわざるをえないのだ。社会を1970年にもどしても一向にこまることなんて、庶民にはないのである。

 


イギリスEU離脱

2016年06月24日 | 社会・経済・政治

  大英帝国というのはひどい国だと思っていた。植民地でアフリカを分割し、中東を分割した。インドにおいても、中国においても悪さの限りを尽くした感がある。イスラエルとパレスチナな問題でも大英帝国のツケである。自分たちでシリアやイラクの国境を決めておいて、経済成長時は移民を受け入れ、安い賃金で働かせて、今度は移民排斥だと国民投票である。

 僕個人の生活になんら影響があるように思えなく、むしろ、輸入価格が安くなり、石油も下がるからありがたいとは思うが、日本の輸出信奉経済学者は「たいへんなことだ」とコメントする。たいしたことなんてあるもんか、と僕は思う。

 EUはもうヨーロッパでの戦争は止めようと一体化したのに、それが崩れていきそうで、その点が残念である。資源のないEU諸国は、ロシアに引っ張られることも心配の種である。ドイツは昔、資源を取るため、ロシアに侵攻した。緩衝地帯のポーランドなどでは難民が出た。

 斜陽の国と呼ばれ、サッチャー首相で巻き返し、英米同盟で、ブレアはイラク戦争に追随した。そのツケをキャメロンはじっと我慢して内政を行ってきた。すると、スコットランド独立の住民投票。そして今度はEU離脱か在留かの選挙である。イギリスのように過去を謝らない国がある。僕はむちゃくちゃな国だと思っているが、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど連邦を作っているだけに、プライドも高い。金融の国でもあるが、金融で儲けるというのは働かずして、売り買いの差で儲けるという、まあ上澄みをとるというのと同じだ。イギリス国民が決めたことだから、文句のつけようもないが、EUの国々に飛び火しないかは心配だ。極右政党を勢いづかせる。シリアやイラクのしりぬぐいはイギリス、アメリカ、ロシアなどがやれよ、と言いたい。自分らがそれぞれの国民を難民にさせて、ほうっぽりだすなどというのは仁義もなく、冷酷なで身勝手な国々だと思う。

  


好日

2016年06月23日 | 日記

  ピンピン貝が料理屋にあった。尾鷲の料理屋でこの巻き貝を見るのは初めてで、どこで入手したのか聞いてみたところ、このごろ水揚げされるのそうな。この貝は刺身にしても、塩ゆでにしても、美味しくて、僕の好物である。沖縄では11月から店に出始める。

  メバルの煮付けを注文したら、大きなものだった。メバル、アイナメは尾鷲では釣れないので、やはり海の水温やら、なにかが変わってきているのかもしれない。

 2日前、岡田さんがシメサバの新しいものをもってきてくれて、それを酒の肴にして、ついでに鰹の刺身を生姜で食べた。こういうことがあるから、尾鷲は離れつらい。

今日東京の友人から、メールがあった。同人誌をつくるので、仲間に入らないか、ということだった。入ると即答した。

 今日は、「相撲取りになるど」の第2部の書き直しをした。どうしても新技を作りだしかった。

  199年に起きた母子餓死事件を、2016年に置き換えて、日記仕立ての小説を書いた。かきながら、身障者への助成制度が充実していることを知ったが、それでも、老後にお金がないことは厄介なことだと思う。

  魚介類を食べて、酒をのみ、小説について考えている。すると、バリ島のスクールの卒業生から「男の子が生まれた。体外受精が成功した」とあった。お金のかかる不妊治療をやっていたので、とても僕は喜んだ。また子供が大きくなったら、みんなで、バリ島旅行をしよう、そうしよう、と挨拶しあった。

  好日というのもあるものである。 よし同人誌も頑張るぞ。

*読み始めた本

    奥田英朗 「 無理」

   石川大蔵「相撲親方列伝」

   

 

 


純文学

2016年06月20日 | 文学 思想

  芥川賞作家平野啓一郎の「かたちだけの愛」を読んでいる。読んでいるが、エンターメント小説を目指していないだけあって、思うことが多く、それに少々は買ってもらえるようにエンタメも工夫していれてあるようである。

 美脚の女優が片足を交通事故で失ってしまう。その女優の復活のために、えもいわれぬ素敵な義足を作る話だ。

 純文学というのはこういう隙間の特異な職業を取り出してきてしか、書けないのかと思うほどに、書かれた世界と僕らの世界は遠い。

 純文学小説が売れなくなり、芥川賞をとっても、各種新人賞をとってもなかなか飯は食っていけない。古井由吉などは限りなく販売数ゼロに近いところまで徹底して純文学をやっているが、どうやって食っているのだろう。

 純文学は戦後のさまざまな分野に分けられて、作家たる資質は映画や、脚本へ、漫画へ、テレビ構成作家へと散らばってしまった。純文学が掬い取れる現代社会。そんな難しいことを考えなくても映像やネットが映し出す。残念なことであり、復活を願うのであるが、書店を見れば、暗澹とした気になる。おそらくそういった純文学の沈みをケロリと吹き飛ばしてしまうのは村上春樹なのだろう。僕は主人公の性格は嫌いであるが。

 

 


まぶたを上げる

2016年06月17日 | 日記

  まぶたがどんどん下がってくるので、困ったものだと思っていた。まぶたのたるみは首から肩のコリの要因のひとつにもなるらしい。それで、まぶたの手術をする人もいるらしい。「ためしてガッテン」で、整形までしなくても、まぶたの下がりを矯正する方法を教えていた。まぶたに糊かテープで、引き上げるのである。百円ショップに売っているらしい。 

 今日は書いている小説をねかせて、熟成させる日で、ひがなのんびりしている。それで百円ショップにいき、二重を作るテープ用と糊タイプののものを買った。試してみると、自分のまぶたをじっと見ては触ってみることにもなり、ひどいくらいまぶたが垂れているのが実感としてわかる。筋肉の作用はこんなところにも現れるのか、と過去50年ほどエクササイズひとつやってこなかったことを悔いる始末である。

  久しぶりにテレビにでてきたタレントや歌手、俳優のなかには顔がむくんでいる人がいる。さすがに若い役者にはいない。太っているのとむくんでいるのとでは違う。むくむとくのは筋肉が落ち、静脈やリンパ液の停滞がありそうな気がする。

 顔を引き締めるには、リフトアップマッサージとリンパ系のマッサージを組み合わせてやればいいと思うが、男のフェイシャルケアは大都会だけで、もれはもちろん、選択消費である。 

 話は違うが桝添知事。オリンピック関連費で2000億円節約した。しがらみの少ない、家庭第一の人がなせる技なのだろう。週に3日しか登庁していなかった石原にはできないことだったろう。ファーストクラスもスイートルーム、大名旅行も彼の時代から慣例化したくせに、都庁の職員も街頭インタビューで桝添を冷たく批判する。よく言うよ、と思う。 


舛添を叩いたタレント、司会者、評論家

2016年06月16日 | 日記

  今回の舛添東京都知事の問題で、マスコミの卑怯さがとても目についた。そしてテレビに出てきて、マスコミの音頭に調子づき、一緒になってクソミソに言う評論家やタレントに、いずれブーメランのようにあなたにもやってくるよ、と僕は言っておきたい。

 マスコミは、政治資金規正法についてもっと切り込んでいくべきだった。それについて他の政治家にも聴いていくべきだった。その法律の欠陥を正していこうとするならばマスコミの価値はまだしもあったと思う。舛添のせこさに薄ら笑った。マスコミが誘導しているにも関わらず、都民の声は「辞任だ」など、まあ、愚かな評論家も司会者もタレントも、そんなことに気がつかないのか。

 舛添のせこさが都政、特にオリンピック政策にどのようにプラスに働いたかもしっかり報道するべきであった。バカ高い国立競技場の見積もりに、政府は検討もせず、東京都に負担増を求めてきたのだった。それにNOと言って拒んだのが舛添だった。それ以降、この問題は迷走し、今も迷走している。工事業者は一円でも高くしたいのだ。2億円の電通問題には口をふさぐマスコミ。電通を敵に回したくないのだ。

 ようするにマスコミ人だったら賢いなどと思うのは間違いで、広告主に気を使い、政府に気を使い、記者魂とか、権力を監視するなどということは決してないのである。有名ますこみ人でシリアやイラクに一般市民の様子を知らせようなどとする記者はいない。面と向かって、安倍首相に言える人などはいないのだ。

 甘利、小渕はぼろくそにも言われず、ぼろくそにも言われず、復活し、議員を続けている。

 朝、昼、夕方、ぼろくそにあざけり笑ったタレント、司会者、評論家、名前は知らないが顔はしっかりおぼえている。僕はこういう人こそ、もっと大きな「悪」だと思う。


舛添都知事を少し弁護する

2016年06月15日 | 社会・経済・政治

 日本人はどうなってしまったのかと思ってしまう。舛添都知事がまず、何がなんだかわからないのではないか。週刊文春で報じられた記事が出発となり、テレビで大々的となった。それから、怒りの声が広がり、ボルテージも上がり、テレビはこれでも、これでもか、というくらい報じ続けた。
 偽りの領収証くらいは誰だってやっている。資産価値のあるものを資料代とするのにも、普通やっていることだ。石原都知事に比べたら、おれはそれ以上に仕事をしている。都庁にも毎日でる。都のこれまでの習慣で、ファーストクラスの飛行機にも、ホテルのスイートルームにも泊まった。以前から石原元知事も猪瀬元知事もやっていたことである。それだったら、政治資金規正法をもっとしっかり緻密にする責任があると言ってくれよ。自分は法律の範囲内でやれることをやっている。税理士だってそう指導する。せこいというがせこいほうがいいのだ。甘利元経済産業大臣のほうがおれよりひどいじゃないか。小渕優子だって、事務所のパソコンを壊してまで隠そうとしたんだぜ。
 なんで、自分の胸にも訊かないで、なんでおればっかり責めるの。どういえば気が済むの。
 みんなして叩く。どうしちゃったの。神経性潔癖症? 不平のはけ口。ヘイトスピーチのデモクラシー版?
 普通の人にテレビ局はインタビューする。みな不満ばかり。説明がなってない。知事の資質がない。モラルがない。
 普通の人にとってのモラルとは、と訊きたくなるね。

 こんな時にテレビに出る人の態度。
  1)この話題にのって舛添を一所懸命になって避難する人(ほとんど)
  2)黙って聞いていて、わからないところだけを聞こうとする人(渡辺えり)
 
 絶対に1)の人って、みんなで渡れば怖くないという人で、自分の意見がない人だと思う。絶対に一対一で勝負できないタイプだ。2)の人は深慮があり、平気で人にのっていかない。


 自分で蒔いた種だといっても、これだけやられていたら助っ人したくなってくるで。あんまりじゃないか、と僕は思う。もう、ええんじゃないか、と僕は思う。
  舛添都知事はオリンピックの巨大利権に切り込んできた。既得権益者の高い見積もり、政府からの支出金養成、しがらみのない舛添都知事は十分その「ケチさぶり」を発揮できた。「せこさ」は都政にも十分反映していた。

 ここまで書いてアップしようと思ったが、goo はメンテナンス中で、昨日アップできなかった。
 すると今日、舛添都知事が辞任するという。ついに屈したか。なぜ、自分の進行中の手柄を言わないのか。残念なことだったろう。

 


八百善 江戸料理

2016年06月10日 | 日記

    寝つきの悪さ。浅い眠り。自律神経がイカレているのではないかと思ってしまう。読書に励むとついつい夜更かしをしてしまい、次第に寝起きが収拾つかなくなって、ついには眠る時間になっても、さっさと眠れなくなる。また睡眠時を12時に戻すのは大変である。昨夜は午前4時くらいについに眠って、9時半には起きた。眠れないものだから、夜中に酒をコップ一杯飲んだ。休むべき時間にまた肝臓に働いてもらうのだから、肝臓に負担だろう、と思ったが、そんな馬鹿なことをしてしまった。案の定、起きると、体調が違っている。おそらくこれは肝臓への負担の違和感である。

  「菊亭八百善の人々」(宮尾登美子)を読んだ。江戸料理の料亭の話である。享保 の頃から続いた老舗料亭は、時の政策によって、閉店させられたりした。大正時代には関東大震災で倒壊し、再建したと思ったら、軍部による閉鎖命令、あっという間に、東京大空襲で焼かれてしまった。小説は戦後の再建から、うまくいかぬまま閉店するまでの話だった。

  戦後は関西の料理に東京は席巻された。特に素材をいかす、京料理などによって江戸料理は見向きもされなくなった。宮尾登美子の言によると、八百善はその後銀座に店をだしたという。それで、それは興味深いと思い、ネットで検索すると、八百善は閉店していた。江戸の料理など「いなか料理」だと、きついことを言う人もいるが、江戸前寿司や天婦羅や鰻やアナゴ、すき焼きなどを生み出している。

   八百善は懐石料理店である。江戸期、文人墨客で賑わった。しかし関東ローム層の土ではおいしい野菜もできなかった。魚も、肉も、京都や神戸に負けた。運送が便利になると、関西の素材が手に入るようになった。江戸料理に固執すると、客は離れていく。今は江戸料理の店は一軒もないということである。

  この小説はテレビドラマにもなったらしい。DVDにもなっているので、今度借りようと思う。膳にのった料理を見てみたい。

 

 

   

 


うすら寒い

2016年06月10日 | 社会・経済・政治

   寒かったり、暑かったりで、皮膚の感覚の調節が難しいようで、不快感がある。特に、寝床で本を読んでいると、不自然な姿勢がやがて体を熱くするのか。汗がではじめる。薄い掛け布団を一枚にすると 朝方は寒くて、縮こまってしまう。

   お昼のテレビは桝添たたきで、芸人もボロカスに叩く。みっともないからやめときなよ、と言いたいが、どうせ叩くのだったら、そしてここまできたのだったら、政治資金規正法を突っ込めよ、言いたくなる。酷いもんだな。みんな、会議費やら、接待交際費やら、事務諸雑費なんか、きちんと正しくしてるんだ。領収書はとらないんだ。

 みんな「はけ口」を探しているのだろうか。リベンジされない、弱りきった人をみんなでよってたかって、1対1では言えたはずもないことを、正義面して言う。

  こういうのは「何かの兆候」かもしれない。でなければよいが。

  三菱UFJ銀行が国債を買う資格を返上した。ついに、仮想通貨を始めるらしい。借金10050兆円はどうなっていくのか。国民は何かの気配を感じるとっている。買うものもないし、将来に備えなければならないのに、「消費」「消費」と騒いで、大判振る舞いをする。無駄はけずらない。消費を増やすため、が錦の御旗になっている。

  このごろの天気のように、うすら寒いのだ。

 

 

  


市川海老蔵 不穏

2016年06月09日 | 日記

 市川団十郎の本を読んだあと、後継するはずの市川海老蔵が得度したというニュースを聞き、どういう心境かと驚いていた。すると今日の朝の情報番組で海老蔵の奥さんが「進行性ガン」だということで、また驚いた。まだ33歳だという。先々代の松本幸四郎と女性との関係や、先々代市川団十郎の女性に関することを知っただけに、複雑な思いになる。

 梨園の妻というのは気苦労も多いのか、免疫力もなくすほど、この世界での世間は狭いのか、ただの偶然なのか。人生は順風満帆にはいかないものだ。苦難の荒波に向かっていくか、逃げるしかないのだが、格闘していたら、波もおさまるというものだ。彼らの場合には、早速群がる芸能記者たちがいる。人の血で生きている類の人達だ。これらがまた要らぬ波を起こす。そこには芸能人はもはや公の人間だから、という観念がある。早速、海老蔵の家の前に集まっていた。

 彼らの流儀。やりやすいものは徹底していじめる。ベッキー。舛添知事はB級ゆえに格好の餌食である。大物は狙う覇気はないのだ。それが彼らの流儀だ。小渕優子はこれ以上やらない。甘利元経済産業大臣はこれ以上やらない。石原元知事の行状についてはやらない。海老蔵ニュースについてはどうしていくのか。たぶん、じっとはしていないはずだ。見守るなどという観念はない。

 こういうものにめげないとは思うが、「書けば売れる」という論理で成り立っている彼らだから、隙さえあれば、侵入してくる。

 面倒なことだ。

 


プールサイド 村上春樹

2016年06月08日 | 文学 思想

その男は35歳まで完璧な生活を送ってきた。不動産で成功した父親をもち、水泳選手で活躍し、大学に入っても学業優秀。だれもが有名な企業に入るのだろうと思われていた。ところが教材販売会社に就職し、人を驚かせたが、彼はすべての学校や担当の教職員ともあい、営業成績を伸ばし、さらにはメインテナンスが必要な視聴覚教材を作りあげ、その会社を不動のものとした。彼は大企業の中で埋没してしまうよりも自分の能力を会社サイズでいかせる道を選んだのだ。30歳そこらで重役となった。給料も他の同期よりも多く、結婚もし、友人たちとも付き合い、外車も手に入れ何不足ない生活をしていた。

鏡で全身をくまなくチェックすると、若い頃に比べて筋肉のつき方、脂肪のつき方が変化している。水泳をしていた頃の体の貯金を就職して使い果たしてしまったことに愕然とする。彼は再び水泳をはじめ、虫歯の治療をし、時々体のチェックをする。背の筋肉脂肪や腹部の横の筋肉脂肪など、削るに難しい筋肉質脂肪が目につく。

 ある日、彼は人生の折り返し地点を35歳に決めようと決心した。別に38歳でも、40歳でもよかったのだが、彼は35歳を選択した。35歳からはこっちの世界。妻のいる30歳はあっちの世界。彼は涙を流した。

 これは村上春樹の「プールサイド」(短編集 回転木馬のデッドヒート文庫版)の僕の覚えているストーリーである。表現のしかたが違うのはご勘弁いただきたい。

 僕もいつの日から、たぶん30台後半だったように思う。ターンをしなければならない、とまでは彼のように思わなかったが、ターンがあることによって400メートルも1500メートルも泳げるのであり、人生のメリハリもあるというものだ。僕はいつしか「未来」とか、煎じ詰めれば、未来の究極である「死」からの視線を取り込んで生きる、という風になった。それはどうしようもなく押し寄せてくることで、親鸞の「還相=帰りのゾーン」を意識していたように思う。

 僕はプールサイドの彼ほどきちんとした人間ではなく、感受性も乏しいから、泣くまでのことはなく、「未来から現在を考える」ようになっていき、その視線の取り込みはとても自然で、とても大事なことではないかと思ってきた。つまり泣くことでもなかった。

 プールサイドの彼は、満足した結婚生活。恋人までできて楽しみ、ふと、24歳の彼女に性的に与えてあげられるまで成熟してしまったことにも気がつく。

 35歳以降に何をすればいいのかわからなくなる。

 回転木馬のデッドヒートを夜な夜なつまみ食いしてしまった。宮尾登美子の「菊亭八百善の人々」を読んでいる。あまりに長いので、休憩にと取り出して、再読してしまう。この頃、小説の読み方が違ってきたのに気づく。村上春樹は「才能アリ」である。

*この「回転木馬のデッドヒート」と、「レキシントンの幽霊」「東京奇譚集」「神のこどもはみな踊る」は優れた短編集である。村上春樹は短編集にいいものがあると僕は常日頃思っている。「レーダーホーゼン」「トニー滝谷」「プールサイド」。彼の奇譚収集癖はいたって文学的である。ぜひおすすめしたい。

*過去のブログはこちら

 


十一代市川団十郎

2016年06月07日 | 文学 思想

  宮尾登美子の「柝の音」を読んだ。歌舞伎界の話だということで読んだのだったが、読み終えてから、人に、「あれは十一代目市川団十郎の話」と聞いて、びっくりした。あくまでも小説であるから、本当ではないにしても結構な取材をしたというから、団十郎にが癪を起すのも、妻の尽くし方もほぼ小説と同じようなものだろう、と思う。

 十一代団十郎は松本家の長男であるが、市川家に養子となった。団十郎を継ぐためである。初代鬼平犯科帳の長官長谷川平蔵を演じたのは、松本幸四郎。団十郎の弟である。「花の生涯」の井伊直弼を演じたのは尾上松緑で、これも団十郎の弟である。

 小説ではよほどの美男子のように描かれ、「源氏物語」までも演じたというから、僕は相当興味をもって You Tube を検索した。すると、小説ででてきた「助六」の録画があって、白黒のフィルムであるが、十一代団十郎の顔を見ることができた。化粧映えのする顔であった。鼻筋が通っている。薄い唇も、化粧にはいいのだろう。見事なものだった。十二代団十郎は三島由紀夫の「春の雪」で松枝清顕を演じた。ついでに彼の「助六」も見たが、口跡が悪い。十一代目の方が滑舌はよい。すると、この十一代目から十二代から現在の次期団十郎候補 海老蔵というようなあんなに整った顔の男が生まれたものだと感心してしまう。十一代目と十二代目のよいところを併せ持って生まれたように思う。これがぶさいくな男に生まれていたら、どうなっていたものやら。

 それにしても団十郎をずっと支えてきた奥方の献身さにはあきれることもあったが、最後まで女中育ちを捨てることなく、奥方らしくなく、人にも会うことなく、団十郎没後十年経って、死んでしまった。結核であった。若い日結核を患った団十郎や老人性結核になった養父の看病で結核菌をもらっていたのだろうか。陰性になれば、また無理して働くのも女中育ちがなせることだったのかもしれない。

 歌舞伎のことがよくわかった。団十郎を知ることによって、歌舞伎の世界が身近になったような気がした。

 


本を売る

2016年06月05日 | 日記

   昨日は本とCDを売りに松阪まででかけた。これまで、五回。本を売るには、ちょっとした確認をする。また読むかどうかである。大学生の頃、三年生が終わるまで、保存してあった本があった。ロンドンでお金がこころもとなくなり友達に手紙を書いて、古本屋さんで処分してもらった。この時期読んだ本がすっかり 無くて、自分が最も勉強した時期だったので、その軌跡が見えない。マルクーゼを読んでいた。羽仁五郎の「都市の論理」を読んでいた。高橋和己も読んでいた。友人は気がきいて、現代詩手帳のシリーズと雑誌「試行」は売らずにとっておいてくれた。もしかしたら、古本屋に もって行っても 、値がつかなかったのかもしれない。

   僕は本という栄養をとっていたのだが、明日生きるためには読み終えた本は売らざるを得なかった。

 当時は日記もつけていたので、どこか仕舞った奥の方を探せば、どんなことを考えていたのかわかると思うが、たいしたことは考えておらず、当然、今の方がよく考えられているので、日記を読むこともない。

 昨日から梅雨入り。  庭の紫陽花が咲いた。優雅で静かなガクアジサイである。草刈りも半分ほどした。売った本の代金で酒を買った。寒いような暑いような皮膚の8感覚でなんだか調子がとれず、体調が悪い。