25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

住む町の心配事が多い

2019年02月28日 | 社会・経済・政治
 先月より1月末の尾鷲市の人口が37人減った。だいたい月平均20人ほど毎月減っているのが、1月は減少数が多い。全人口は17889人。世帯数は17減った。空き家が生まれ、物が片付けられていく。片づけ、処分、掃除仕事でシルバーセンターや便利屋さんは忙しい。
 うら寂しい数字である。ぼくが尾鷲に住み始めてから約半分になった。この国は東京に一極集中していき、住居は縦に高層化していって都市の機能を維持し、地方の若者の労働力を吸い込み続ける。

 地方の市町村には自治体を維持できないところが出てくる。日本はどうなっていくのか、とぼくはここ2、3年、そんな心配ばかりしている。若い頃なんてそんな心配はなかった。事業に失敗して初めてそれが金融政策も関連していたことがわかり、へえ、そういうことだったのかと思いもした。

 尾鷲市がこれからどうなっていくのかは市民が想像しているだろう。わからないのは政治家たちが尾鷲市の未来をどう描いているのか市民に見えないことだ。そのことを専門に考えるのが市長であり、議員であり、市役所の職員である。市民からの意見が欲しかったら、そういう場を作ればよい。しかしその機運もない。
 
 個人的にショックなことがある。久しぶりに鰯が市場に揚がったようだ。ところが10年前の鰯と比べたら、全く脂がない。毎年、今年こそ、と思い、買うのだが、機能は絶望的な気分となった。やっぱり尾鷲の海の水温が高いのだと思う。だから片口イワシも脂がないのだ。サンマも昔は少々の脂があったのだが、これももう獲れなくなった。
 また尾鷲で生きることの楽しみがひとつ減った。もうイワシはあかん。他所のもっと水温が低いところのイワシを探すしかない。

 キンメダイというのは東北の高級魚である。ヤナギカレイも東北の高級魚である。この頃深海で獲れるのだろうか。他所から来るのだろうか。キンメダイの刺身はとても美味かった。これには参った。ヤナギカレイの干物はもう少し脂が欲しかった。しかし美味しい魚である。「尾鷲の人はキンメもヤナギカレイも食べんのさ」と干物屋さんは言っていた。そうだろう。昔から馴染みがなく、店先で見ることもなかった。

 尾鷲の美味しいもので、チャンポコはまだ健在であり、オニエビ、クモエビ、ガスエビは健在である。ぼくはこの頃「赤イカのあかちゃん」をよく買い、フライパンにごま油を入れ、赤イカを投入し、紹興酒をかける。そして豆鼓醤(中国のBlack Beans)をスプーン一杯入れて、味付けをする。最後は九条ネギをばらまく。それを酒の肴にすることがたびたびある。これもいなくなればショックである。

 食べにいく店も減り、スナックも減った。まるで喫茶店はコメダの独り勝ちの様相である。この国道42号線の賑わいは高速道路尾鷲北ー尾鷲南の開通となればどうなるのだろうか。これも心配である。

どうなる北朝鮮

2019年02月28日 | 社会・経済・政治
 アメリカの投資家ジム・ロジャーズは日本への投資から撤退した。彼の判断では「危ない」ということなのだろう。日本の年金の一部は株式を買っているし、日銀も株の買い支えをしている。
 年金が無くなればパニックになる。日銀の買い支えがなければ株価は下がる。円高が進む。そして反転してスーパーインフレとなる。
 ジム・ロジャーズは冷めた眼で、日本の近未来を見ている。そして諦めているように見える。

 問題点がいくつかある。
 1、実質賃金が上がらず、下がっていること
 2、一人あたりの生産性が低いこと
 3、政府、自治体の借金が多すぎ、借金生活に馴染んでしまっていること
 4、日銀の信用性が揺らぐかもしれないほど、国債買い入れをしていること
 5、日本には借金に相当する資産がある、と公言する一群がいて、テレビなどで吹聴し、安倍政権の応援団であること
 6、国家予算は相変わらず公共工事に使われていて、未来の産業育成をやっていないこと
 7、過去の新自由主義の考え方が今頃、あちこちで実践されていること
   ※水道の民営化が良い例である。
 8、日本の若者に安心感がないこと
 9、失敗すれば再挑戦ができにくい金融、信用システムがあること
 10.少子化社会の社会スタイルが見えないこと

 挙げていけばキリがなく、自分の愚痴になってしまう。
 北朝鮮とアメリカとの関係はどうなるのだろう。ジム・ロジャーズは狙っている。ヴェトナムのように発展させるために資本がいることはわかり切っている。
 
 

日本と韓国

2019年02月27日 | 社会・経済・政治
 今日トランプ大統領と金正恩委員長が会談する。明後日は韓国で3.1運動の100周年記念日であり、韓国臨時政府ができてから100年だということである。親日清算をしようと文大統領が言っている。
 この一連の朝鮮半島の動きを見ていると、これはぼくの個人的な感想であるが、文政権は日本を嫌いなのではなくて安倍政権が嫌いのようである。反韓、ヘイトスピーチ、ネトウヨも好きではないように思える。もちろん日本にはネトウヨと意見や心情を異にする人々もいっぱいいることもわかっていることだと思う。逆も同じで、安部政権は文政権を嫌っているように見える。そして同様に韓国にも日本が好きな人々が多いことも知っている。
 
 韓国と日本の関係がさらに悪くなれば、貿易をする両国の企業が困り、ひいてはどちらの国の経済力にもじんだいな影響を及ぼす。

 そうならないように尽くすのが政治である。
 韓国で、日本の小説でよく売れているのは東野圭吾が一位で、二位が村上春樹だそうである。不思議な現象で、読者は歴史問題をどう考えているのだろう。

  

 

日本は新産業の創出が遅い

2019年02月26日 | 社会・経済・政治
「22年前にこういうものを作ったんだ。それが事業半ばで頓挫した」 とぼく言って、ある機器とCDとテキストを見せた。
 「①これは全テキスト一冊分を通しで聴けて、➁各Lessonごとに取り出せる。ここまでは音楽CDと同じだ。③最低限らにLessonの中の一文ごとに前にも後ろにも進めて聴ける。④その一文の任意でスロー読みやら訳やら解説をいれようと思えば入れられる。音もテキストもプレイヤーもタブレットのアプリにできるだろうか」
  とぼくは単刀直入に訊いた。
「う~ん、③までは簡単にできます。④ですね。でもできると思います。①から③まで2週間。④を入れても、二ヶ月もあれば・・・」
「へえ、できるわけ? それじゃあ、音源のテープやCDがあって、それを取り込み、自動的に各トラックやインデックスに振り分けていけることはできる?。昔22年前にマイクロソフトのウィンドウズ95を作ったチームのメンバーだったアメリカ人に作ってもらったんだ。出来上がったのは当時まだフロッピーディスクだった。自動的振り分けるのを作るには時間がかかった。半年ほどかかったと思う」
「う~ん、そうですか。でもそれはちょっと難しいですね。手作業で入れていくというのは簡単ですがね」
 彼ははなからできないなどと言わなかった。「ここまでだったらこのくらいの日数でできる。その次はやってみないとわからないところがあるので、取り掛かってみて、まだ日数を計算してみるんです。プログラマーの世界はそうなんです」
 当時ぼくの周囲でだれもできなかったことが22年の歳月の中で、フォーマットのようなものも取り払われ、アンドロイドかアップルの2種になっているのだろう。ソニーが提示してくれたDEEDフォーマットはすでにより大きい、機能性が高いものに吸収されてしまっているのだろうと理解した。
 25歳のその青年はなんでもないかのように淡々と語ってくれた。

 やっぱり技術は進化しているのだ。22年前あれほど資金が要って、人手が要って、能力が要ったことが、わずか25歳の青年がやれるとうのだ。

 となれば進化していないのは、そういう技術を活かせない人間側のことだ。例えば、教科書会社や通信教育会社や語学出版社や外国語を教える学校のようなところに、そんなアプリがあれば大いに役立たせることができると判断できるか、という問題だ。
 こういうときに人間の保守性というものが出て来る。これまでのやり方を変えたがらない、という問題が出て来る。

 タブレットの中に教材を入れた会社の英語指導を見てみると、お粗末すぎて、ただ文が出て来て、そこが何度でもリピートができる程度である。10秒戻れる機能をつけているのもあった。どうして前後に一文一文と進められないのか。その発想が疑問である。

 学習塾はどうしているのだろう。LLでさえ使えきれない人が多かった。タブレットはもっと便利だと思うが使いきれないのだろうか。

 若いプログラマーの仕事の世界はきつそうだ。引く手あまただろうが、プログラマーが健全に働けて生活ができるはなはだ素晴らしい環境があるとよい。運動ができ広場やホールがあるとか、社員食堂は断然美味しい、とか、休憩室はとてもこころが和むとか。ぼくにいわせれば金の卵だ。日本の学校教育は「プログラミング」教育を始める予定である。遅い。ようやく腰を上げた。英語教育の変化も遅すぎる。これらが日本が30年停滞している象徴でもある。


  

振り返れば22年

2019年02月25日 | 日記
1995年。ウィンドウズ95発売の頃と現在とではコンピュータプログラミングの技術はどの程度上がっているのか。ぼくは全く知らない。知っているのはスマホやタブレットを操作することくらいで、プログラミング技術の進展については皆目情報も知識もない。
 なぜこのようなことを言い出すかと言えば、タブレットで通信教育をしているところが日本にはあって、そこのタブレットで英語の学習を見てみた。またスマホのアプリで語学練習のアプリがいっぱいあるので、いくつか使ってみた。
 すると、ぼくが22年前に発想して作り上げた機能はもってなく、せいぜいリピートをするくらいで、戻るのも10秒前とか十秒後だとかという動き方しかできない。

 本当のところこの語学の世界はどうなっているのか、もっと知りたいと思い、今日は25歳のプログラマーと会うことになった。例えばそのプログラマーの技術で、これができるか、あれができるかと聞いてみたい。またアプリという世界はどのようになっているのか、その機能部品などはどう取引されるのか、アプリそのものの流通経路はどうなっているのかなども知っていれば教えてもらいたい。

 今、振り返って、事務所にあるウチの出版社で作った教材とSDが多数ある、「日本文化Q&A」「臨床医が使う英語」「トイック英単語3000」とか児童向けから大人向けまでいろいろである。ぼくはこれを世に出そうとした。するとこのSDをかける機器開発をしたソニーの機器が一枚のCDで16時間かかるはずだったものが8時間ほどで止まってしまうという異常が出た。それはソニーの責任でするものだったが、ぼくはソニーにはしごを外され、ソニーは一万台の機器をぼくらの教材と売ることなく、この事業から撤退してしまった。
 たいへんな量の在庫が残った。処分代が150万円したことをおぼえている。そのいくつかがまだ事務所にあるので、それを今日若いプログラマーに見せる予定である。
 当時は16時間の音声が入るフォーマットのCDをコピーする技術もなく、2000万円ほどしてかいはつしたのをおぼえている。

 早すぎたのだ。そして今頃が一番いいのだ、と思うようになっている。ベネッセに提案書を送ったがウンともスンともまだ言って来ない。

 まあ勝手に送ったものだから待っているよりしかたがないのだが、別にベネッセでなくてもよい。世界には巨大な語学出版社が多数ある。



 

春になれば

2019年02月24日 | 日記
 もう氷点下になる日もないだろうと思い、金魚の水槽を被っていた段ボール紙を取り除いた。また一回り金魚が大きくなっていた。今年はもっと大きい水槽を買ってやろうと思っている。
 庭で金魚やメダカを見ては、保水性のある塊を作る実験をしている。
 砂漠の緑化技術で多くの火とがやっている方法は、飛行機で種苗をまくか苗木を植えるか、崖斜面んは泥土に種を入れて投げ入れるか、そんな方法が主流である。
 ぼくと同じ発想をとるやり方でやっている日本の企業が実験している。それは、砂漠の砂の中に、紙オムツの材料となる高吸水性ポリマーを投入するのである。雨が降れば、水を吸収し、じょじょに蒸散するという考えである。保水性のあるものを砂に埋め込むという考え方は同じである。こえは相当な威力がある。100倍ー10000倍の吸収能力がある。一度吸い込んだものを吐き出すにを繰り返してどのくらいもつのか、最後はどうなるのか、ゴミになるのか、こういう問題が残されていることだろう。
 ぼくの場合は中国で大量に出る綿屑を使うというものである。綿はゼオライトよりも吸着、吸水性に優れている。ゼオライトと綿くずに一滴の精油を落とすと、綿の方が精油の香りが長く持つ。水の蒸発も綿くずの方が遅い。
 いろいろと考えた末に、植物を植えてまでの実験はその道の専門家や農家の人にやってもらったほうがよいと判断し、とにかくぼくは綿くずから保水力のある塊を作ればよいのだと考えるようになっている。
 時々頭が混乱してくる。塩化カリウムより、炭酸カリウムのほうがいいのではないか。液体時にはアルカリ性だったももが固まり、そのご保水した水が蒸発し、その蒸発水はアルカリ性なのかと疑問が出てくると、人に訊いたり、ネットで調べたりする。化学やら地質学やらの知識がないので、頭の中はオロオロしている。
 そろそろ春になってきたので、またぞろ始めている。春になれば本格的にやるつもりだ。

 

中島みゆき Kiyasume さん

2019年02月23日 | 音楽
中島みゆきのアルバム
「生きていていいですか」「EAST ASIA」「恋文」を借りてきて、パソコンで、これは、という歌をまとめて一枚のCDにした。それを聴いている。「生きていてもいいですか」ではあまりにも切なく、ひどいほどに暗いので、「蕎麦屋」と「舟を出すのは九月」だけにした。
中国調メロディーの歌が「恋文」に二曲入っていた。「月夜同舟」と「川風」どちらも揺れるように気持ちのよい歌で何度も聴いている。中島みゆきの歌詞を読むのも楽しく、あの明るく喋る女性が「恨みます」を歌っている姿を想像するとその落差に驚く。
 「EAST ASIA」を歌っているときの彼女は「こころは誰にも縛られないよ」と笑みを浮かべたり、厳しい顔をして歌う。その歌い方みは余裕がある。
 この頃、桑田佳祐、宇多田ヒカルと聴いてきて、中島みゆきを今集中して聴いているのだが、こころに染み入るのである。

 Kiyasume さんのブログはなんだか面白くて、頭のなかで移り変わっていく事柄は一貫性がないのに、なにかのヒントで「そういえば」と話が移っていく感じはブラックファンタジーである。こういう言葉があるのかどうか知らないが、頭の中では位相の違うこともテーマが違うことも、現実も、妄想も一人の頭の中で起こっていることであって、こればっかりはしかたがない。Kiyasumeさんの文体は正直が裏打ちされているように思えて、悲惨なことも、長々とこれでもかというくり、映像までくっつけてきて書く。ブロクをちょっと読む、という風にはいかない。彼のブログを三つも読めば一冊の単行本を読むくらいのものだ。
 小説でも、独り言でもいいから本にすればいいのにと思う。何か独特な面白さがある。ぼくは腹を抱えて笑ってしまい、読み進めることができないほどだ。

 今日は財布の置き忘れをし、どこに置き忘れたのか思い出せず、困っていたら、物置の綿くずが置いてあるケースの上に置いてあった。そう言えば、昨日綿くずの下に置いてあるセメントを小量取り出すのに、綿くずケースを一度に横に置いたのだった。その時に財布をもっていたので、思わずそこに置いたのだった。

村本大輔の言葉の重み

2019年02月22日 | 社会・経済・政治
 お笑いコンビで政治ネタをする「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔がとてもいいことを言っていた。「テレビは真実を伝えない道具。不安を解消する道具だ」云々とテレビの前で言った。まさにそのとおり。ぼくはよくテレビの政治ネタや情報番組にでる「出好き有名人」の忖度や奥歯に物が挟まったようなコメンテーターや記事を扱う選択権をもつ人たちにどちらかと言えば軽蔑の目を向けていた。
 例えば、中国の人々の悪いニュース、真似をするとか、パジャマで街を自転車で走るとか、マナーの悪さのようなことばかり扱っては、日本の視聴者は「中国人を愚かだと思い、まだまだ遅れた国民だ」と安心する。そして実のところ5Gやキャッシュレスの先進国であると、後で知る。中国が世界第二位のGDPとなって、日本が抜かれてから、すでに2.5倍引き離されている。
 日本でも、ほんの少し前まで、道にツバを吐く者などいっぱいいた。いまはあまりみなくなった。中国もそうなる。
 世界ではとんでもないことが起こっている。シリアの戦争はヨーロッパにたいへんな影響を与えている。この戦争について詳しく解説し、いつ頃難民たちが帰国できるのか知りたいものだが、それをテレビでしない。
 NHKは大儲けしている。視聴料金をとらなくてもやっていける収入がある。だったら、第2の国営放送があってもよいように思えるし、ジャーナリストの根性のようなものを発揮して、情報収集に骨を折ってもらいたい。テレビ局や新聞社の社長、芸能人の司会者やコメンテーターは首相と一緒に会食などしてはいけないのだ。

 もうひとつ関連して言っておきたいことがある。テレビも、スマホやタブレットも人を安心させるためのものであることも確かな側面である。しかし、人間、それほど刺激を求め、静かに退屈を過ごすことがあってもよいのだと思う。現代の人間が視聴率を支え、視聴率がとれないものはニュースにしないとなったら、そういう安心、退屈のまぎらわしを求める人の嗜好にテレビ局が合わせるということで、テレビは甚だ理性と品性を欠き、まさにポピュリズムを生むインフラとなる。
 田原総一朗の「中曽根と話をした」とか「この前安倍に言ってやったんだ」という自慢話や「朝まで生テレビ」のように上から目線の政治談義やらよりも村本大輔の言葉の方が重たい、とぼくは思う。政治談義の彼らは村本が出ると小馬鹿にしていたのを思い出す。

一人ドライブ

2019年02月21日 | 日記
 久しぶりに伊勢へ。病院付き添いである。病院はインフルエンザ予防の厳戒体制で、絶対マスクが必要。麻疹警戒もところどころに警戒ポスターが貼ってある。
 妙なおとにこの伊勢赤十字病院は、11時の予約で診察が13時を過ぎていた。どうなっているのだろうと思う。名古屋大学病院で待っても30分くらいだった。なぜこれほど待たせるのか、それなりの理由があるのだろう。
 診察が終わってから精算までは速かった。この速さも初めてのことで、とにかく速かった。

 伊勢から松阪までの道路沿いにコメダ珈琲店があり、ウッドデッキまで備わっていた。いつも思うことだが伊勢から松阪あたりは平野になっていて広さを感じる。コメダは道路沿いにあったが裏は田んぼだった。コメダ沿いの道路も昔は農地だったのだろう。
 車中一人なので物事を考えることができる。考えることに飽いたら、音楽を聴く。何度でも隣に遠慮することなく、おぼえたい歌を聴くことができる。

 すっかり春の感じで車内は暑いくらいだ。車で遠出するのが億劫になってきている。
 東京までも行っていたのに、この頃は名古屋にいくのも結構億劫である。
 そうだ、ブックオフに持っていき、売る本をまとめておこうとブックオフの看板を見て思う。松阪辺りがブックオフの出店限界ラインだろう。これまで何度本を売ったことか。苦しかった時、整理しなきゃと突然思ったとき。自分にとって愛着のあるもの、データ的に価値があると思うものは残して他は売る。CDも同様である。

 服も捨てるものは捨てよう。事務所のものも出来る限りの捨てよう、と思うのだった。運転時間間は行きが75分。帰り65分だった。ちょうどよいドライブ時間である。



  

どうなるイギリス

2019年02月20日 | 社会・経済・政治
イギリスは一体どうなってしまったんだ。この状態ではスコットランドも独立を言い出し、北アイルランドもまた独立を言い出すにちがいないと思う。
 ぼくがロンドンに滞在したときはもう40年以上も前であるが、人種のるつぼであった。ロンドン市内に移民が集まっていた。そのイギリスがこれ以上の移民を嫌うというのはどういうわけなのだろう。よほど仕事をとられるのか、急速な移民の数に対処するのが無理なのか、どうも実態がわからない。HONDAのイギリス工場の撤退など序章に過ぎない。野村証券はオランダへ。日産もいずこかへとなるのだろうが、その他の日本企業も移動を余儀なくさせられるだろうが。
 サッチャーとレーガンで新自由主義(市場原理主義、競争主義、民営化主義)を標榜し、サッチャー首相は一時期のイギリスを持ち直し、レーガンもついにはソビエトを倒してしまった。グローバル化が始まった。日本の政治家も真似をした。中曽根首相、小泉首相、新自由主義で国鉄、電電公社、専売公社を民営化した。小泉首相の下では郵政の民営化、高速道路の民営化を行った。

 アメリカはその反動でか、行き過ぎた格差社会になっているためか、「ヨーロッパのような社会民主主義に傾倒する若者が増えている。それは資本主義がいきつくところまで行き、富の再分配が不可能になっていることをも意味する。

 例えば今日本で、商売をしようと思っても、大新聞社はできないだろう。イオンに対抗するスーパーはできないだろう。セブンイレブンやファミリーマート、ローソンに対抗する新たなコンビニはできないだろう。なぜなら。出来上がっているから。対抗するには大資本がいるからだ。だれもやっていないことを少額資本でできるものに限られる。戦後の荒地からの商売はなにだってできた。いわばほとんどの人にやればできるという可能性が土地の値上がりなどで、資金の融通もつきやすかった。そのような時代も1995年くらいからの金融危機に象徴されるように、ほぼこれまでの商売は頭打ちとなった。頭打ちとなったときにアメリカではマイクロソフトが誕生した。シリコンバレーができていた。

 現在日本では竹中平蔵(パソナ会長)のような新自由主義的な経済政策を唱える勢力がいる。学校も民営化、水道も民営化、漁業権は企業が漁業に進出するのに、企業が何かをするために、あるいはロケットを打ち上げるには邪魔なものだと考える。多くの会社が人手不足なら、外国から労働者をとればいいではないか、排外主義はよくないと、駆け込みで法制化した。

 多くのことが議論されず、マスコミも議論として大きく扱わず、毎日が過ぎていく。そしてある日、福沢諭吉が紙くずとなる日がくるおそれもある、とぼくは心配している。

 イギリスはどうなっていくにだろう。ぼくがいた1973年は斜陽の国と呼ばれ、経済は停滞していた。しかし、日本よりは進んでいたと思う。例えばイギリスぬはタイムアウトという雑誌があった。それを真似たのが「ぴあ」だった。ぼくですらこのタイムアウトのようなものを作ろうと思ったものだった。「ぴあ」がでてきたからしなかったが、イギリスは日本の二十年先物を行っているなあ、と思ったものだった。小さい島国ながら大英帝国として世界に君臨し、悪さもいっぱいしてきた。アヘン戦争もひどかったが、イスラエルにしてきた二枚舌もひどいものだった。Great Britainも Greatがとれ、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドがとれて、イングランドのみ小さな国家になるのかもしれない。ヨーロッパは人口の少ない北欧三国などが先進的で豊かである。それは人口が少ないことも一因と思われる。
 どうなることやらイギリス。



 

四面楚歌

2019年02月19日 | 社会・経済・政治
 日本は自らが作り出してしまった四面楚歌の状況にある。
 ひとつは、アメリカ、韓国、北朝鮮、中国、ロシア、とくにアメリカ、朝鮮との歴史認識問題がある。日本は世界のすべての人がわかるように、朝鮮を植民地化したことや、中国に侵略したこと、アメリカに攻めいったことの反省が政治のレベルで無さすぎる。遺憾の意は表明したりはしているが、国民を代表する総理大臣の真剣な謝罪がないと判断されている。天皇が謝ればそれで済むのだ、という意見さえでるほど、請求権放棄の約束を交わしても韓国は言ってくるし、靖国神社に首相が参拝しても中国も韓国も文句をつけてくるのだ。この潔さのなさが日本をアメリカ一辺倒にならせながらも、いつでもはしごを外される恐れがある状態にしている。

 もうひとつは財政、金融政策の四面楚歌である。借金が1100兆円を越えた。これは増えると言っても減ることはない。国債も日銀が買い支えしているが、国内で国債を発行しても買い手がいなくなりつつある。
 国債を発行しまくれ、という意見もある。この意見にはその代わりに、消費税を10%にするな、と言う。日本には資産がある。借金などほとんどないに等しい、と述べる人もいる。
 低金利政策で銀行は持たないという。金融緩和をしないと日本の経済はデフレから脱却できないという。庶民は物価が安い方を喜ぶ。輸入業者は円高のほうがよい。輸出業者は円安の方がよい。
 一体何が正しい。正しさが囲まれた行き先が見えなくなっている。

 世界では高齢化社会のトップを走っている。医療、介護、年金、健康保険、自衛隊の装備費、国債の返還費が増える。しかし老人ばかりにお金を使うなという意見もある。使えるお金がない。これを真水がないという。研究者の数が少ない。大学にお金が回らない。地方も自立してやっていけない。

 自民党の政策は、
  日米安保強化
  自衛隊の憲法明文化
  アベノミクスによる金融緩和、財政政策
  アベノミクスによる成長戦略

 である。これに対して立憲民主党のような野党は対案政策を出さなければならない。たいへんに安倍政権の後を引き継ぐのはどの政権も難しいものだと思うが、いつまでも四面楚歌でやっていけるわけではない。

共同幻想論を深化させねば

2019年02月18日 | 文学 思想
 ネトウヨのおじちゃんたちは今韓国問題で忙しいことだろう。このような問題は観念が起こす問題でいわゆる共同幻想の解かれねばならない問題だ。なぜ人間は集団を組むと、他の集団と区別し、敵だ味方と意識し、内部に裏切り者がでれば排除しようとするのか。

 宗教集団がよい例である。自分たちの宗教こそが正しいと思う。宗教のためには身を捧げることさえするし、人を殺しさえしてきた。宗教を否定するものではないが、独りで祈り、仲間とユートピアを作り、決して奢らず、自分たちを批判する緋とがや集団をも赦し、闘わず、出入りは自由なくらいの緩やかな集団が作れれば宗教は生き残る最後の姿ではないだろうか。現在はキリスト教やイスラム教、仏教そのた多数の宗教はあるが、宗教らしくなく宗教であるのは国民国家という宗教である。天皇を頂点とした大日本帝国は滅んだ。その時にアメリカは割合と日本の改造をしたが、天皇は残した。次いで戦争犯罪人も刑務所から出てきた。「日本的なもの」が守られることになってきた。相撲も武道も復活した。
 日本的なものを取り戻す運動は戦後も脈々と続いた。
 ドイツのように元ナチス幹部を地球の果てまで追い、徹底した反省がのち近隣との友好関係を構築するうえで大きな精神的信頼となった。

 日本は戦争を全く反省し、謝罪する人たちと、戦争もしかたがなかったと謝罪を避ける方向に分かれ、慰安婦問題も徴用工問題にも徹底した謝罪がないから韓国国民の共同幻想が吠えたててくる。南京での虐殺についても、問題を残す格好となっている。

 尖閣諸島と中国の船となると猛り狂ってくる人々がいる。共同統治権がいいではないかと思うがそんなことが通じるような世の雰囲気ではない。

 韓国や中国と仲良くしていくという態度が必要である。近隣の国民国家は戦争などするべきではない。国民国家というのは犠牲者が多いのが特徴である。EUは2回の世界大戦を経て生まれた。二度とヨーロッパでは戦争しないようにと、願ってできた国を越えた連合体である。

 共同幻想はときに閉じることがある。絶えず共同幻想には光が差し込むような窓がついていなければならないのだが、まだこの方法論が極められていない。
 時代を分析し、テクノロジーの進化から社会を見る、経済の指標から社会を見ることも必要なのだろうが、ぼくは根本はこの「観念の領域の謎」が特に問題であり、この克服がない限り、人間は未来を描きにくいのだと思う。世界でゲノム解読がものすごい速さで行われたように、世界規模で「共同幻想」と「個人幻想」と「対幻想」の研究解析がなされればよい。日本では吉本隆明がこの観念領域を提唱sじて、基礎は築いた。ただし日本語である。これが世界のいろいろな言語に替われば、ひとつ人類は進むと思う。
 
 

独裁、市民の力

2019年02月17日 | 社会・経済・政治
 窓から道路に糞を投げ捨てていたパリは道路は糞がつもり不潔極まりなかった。ナポレオン3世の治世下パリ市長のオスマンがパリを大改造して、下水道を作り、道路を広げた。17年かかtらという。これは「ぶらタモリ」で紹介されていたことだが、有名な話だ。ヨーロッパはよほど汚い、不衛生なところだったのはペストでの死亡、コレラらの死亡が多かったことでもわかる。
 石造りの街をみているとそう簡単に建物は壊せないと思うから、オスマン市長は強権を発動し、ナポレオンがそれを支えるという格好でなし得たのだろう。
 当時立ち退きを強いられた人々には代替地が与えられたのか、優遇措置があったのかはぼくはしらない。市民の手で王政を破り、共和政をつくり、ナポレオンの独裁を経てまた共和政に戻った。
 
 マカロン大統領がガソリン税を上げると、地方のものたちは怒りの抗議デモを全国規模で行う。
 たいした国民だと思う。

 何人かの老人がミスして交通事故を起こす。このようなミスが続けば、免許証返させろ、認知症の検査をしろ、となってくる。老人はすでに3000万人はいるというのに、一桁かほどの事故で老人全員に網を被せようとする。まだ、免許証返上に強制的なムードはないが、検査というにはたいへんなプレッシャーだと思う。車は生活の根幹をなすものである。老人が車を持たなくてもいいようにするには、それに替わるシステムが必要である。1つは、地方自治体の政策で、老人が車の維持、ガソリン代にかかる費用を割り出して、市にそのお金を預ける。市はどこでも乗れて、どこでも降りられる車を町中で頻繁に走らせる。10分も待てば車が来るという状態にするのだ。
 そのためには周辺の過疎地にいる老人たちになるべく町中に移住してもらう施策も必要だろう。
 尾鷲の駅周辺を中心としたコンパクトな市にする。浦村は産業特区の地域にするが人は原則住まない。

 もうひとつ考えられるのは、自動運転の技術だ。老人の弱点であるミスをカメラやセンサーやデータの力で補う。高級車にこのような技術を導入するというよりも軽自動車から優先させて搭載を始める。

 こういった場合の民主主義政治というのは時間がかかるものだ。独裁政治を求めるわけにもいかないから政権交代は必要なのである。免許証返上しろ、と強制力が出てきたら、代替案をもって大規模抗議デモも必要だろう。ぼくはいく。
 

腹立つ

2019年02月16日 | 社会・経済・政治
 花粉症に悩む人が多い。この時期になると、必ず花粉の飛散予想が当然のように報じられる。主に人工植林の杉、桧の花粉である。この杉、桧を所有する山林主がいるのに、彼らは迷惑代も払わない。国民が薬代だのマスク代などを払っている。またこの被害に憤らないのも「オカミ」意識なもだろうか。杉と桧を植林するのが国のせいさくで、植林に関与しているなら、政府も補償の一部を負うべきである。ところがいっこうにこの種の話が大きなテーマとならない。一体どうなっているのだ。
 ぼくは一度花粉症になったときがある。ところが翌年の花粉の時期に45日オーストラリアにいた。それでその年は花粉症にならず、その後ずっと花粉症から免れている。花粉症はたいへんである。鼻が痒く、くしゃみ、鼻水がでる。目が痒い。薬対策をしなければならない。
 それでもぼくらは森林税払わなければならない。杉や桧がどこで使われるか知らないが、間伐もせず、すてられた山林も多いにが目に映る。
 この頃はバイオマスで間伐材にも値がついているという。
 日本では花粉症の人は一年12ヶ月の内1ヶ月が不快な日々を送らざるを得ない。また1ヶ月は台風や大雨に気をつけなければならない。地震への警告も頻繁であり、ぼくの住む尾鷲などは南海トラフの被害予想地域なので、毎日ネットのニュースでお知らせがくる。自信があればとにかく逃げるからおの毎日のお知らせはやめてほしいものだ。
 いわばこれが日本列島である。これを住みよい国だとか美しい国と言えるだろうか。
 子供の頃はこんなことは思いもしなかった。花粉症はなかった。大きな台風は来たが、幼心では恐怖みなく、逆にワクワクしたものだった。今は違う。過剰な情報が無理やりにでも入ってくる。
 人が起こす事件には責任をすべて個人に帰することができないような現実の社会という背景があると思える。

 あっ、そうそう。昨日テレビで解説委員が「孤独死」という言葉を使い、それがいかにも可哀想で、悪いことのように言っていた。「孤独死」の何が悪い? どこがいけない? 死なんて経験できないのだ。
 

バイトテロ

2019年02月15日 | 社会・経済・政治
「バイトテロ」が話題になっている。普通にその辺にいる若者がやってしまう。You Tube があり、インスタグラムがあり、ラインがあり、という環境があるから起こることでもある。しかしぼくにはとてもひっかかることがある。
 それはこの日本社会である。いいかえれば過去三十年の間に社会変革が起こせず停滞して澱んでいたものがまるでポコポコと泡となってガスを出すように、「バイトテロ」のようなものが出ていると思ってしまうのだ。
 「バイトテロ」をした若者を象徴として、飲食業、小売業の仕事はマニュアル化した仕事になっている。これもきっちりと神経質なことだ。このマニュアル化も急速にここ二十年くらいに進んだものである。あいさつ、笑顔、素早いサービス、クレーム対応。店によってはアルバイトの人だけでまわっている店もある。正社員は威張っているようにも見えるだろう。差があるとも見えるだろう。
 日本の会社はどこも一様にブラック企業化している。なぜこんなに働くのだろうと、我が子らの労働を見ていても思う。政府は残業の上限を決めたが、ぼくに言わせれば、その下の数字・法律も異常である。人間は週に休憩時間を入れて40時間働き、そのために知恵を出すべきなのだ。安易に時間を伸ばすというのは知恵のない会社がすることだ、とぼくは思っている。

1.36協定における時間外労働は月45時間を原則とし、45時間を超える特別条項が適用される月数は
1 年について6カ月までとすること
2.特別条項がある場合でも(1)1カ月の時間外労働は休日労働を含めて100時間未満、(2)1年間
の 時間外労働の上限は720時間とすること
3.複数月(2カ月から6カ月)の平均で、時間外労働と休日労働の合計時間は80時間以内とすること   
 将来のことを考えても自分の老後はとふと考えても、自分が結婚したら、とふと考えても、襲ってくるのは不安であり、安心感のない将来だ。雑誌の広告など見ていると老後にはこれだけの金がかかると脅迫めいたことを書いてくる。また日本には真水で使えるお金がない。税収は足りない。国債を発行する。社会保障費と国債の返済、それに国防費5兆円を使ってしまえば使えるお金は少ない。現在の老人がいいが、今の若者の将来の年金はとなると、絶望的な感じもする。
 なんとなくおもしろくなく、なんとなくイライラする。と言って暴動にまでみなで起こすところまでいかない。
 日本は相当に神経質な社会である。一人の悪さでそれを全員に対して禁じてしまうということがある。
 目の悪い人には周りの人がケアすればよいのに、ホームから転落する事故が起きるとホームに巨費を投じて壁を作る社会だ。

 また日本社会は「日本人総うつむき社会」になっている。ホーム、電車内、カフェ、道路でも、みなうつむいて頭を垂れている。これは相当首に悪いはずだから相当に頭痛が発生しているはずである。上を向いて歩けとまでは言わないがまっすぐ視線を前方に向けるのが心身によいはずである。「うつむき」は「うつ病」の入り口である。
 
 とにかく日本社会はギスギスし、イライラし、うつむき、不安に包まれている。そういう背景が「バイトテロ」にあるように思えてならない。