25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

何のためにそれをしたか 高倉健

2016年08月31日 | 文学 思想

  スナックなどに行くと、僕を知る人がいて、「あの頃、あんたはすごかった。尾鷲にもこんな人がおるんやと思ったでなあ」と言われることがある。案外多いので、その度に恥部に振れられるようで、面はやくなる。どんな顔をしてよいかわからなくなる。僕は20年前に挫折したのである。

 週刊現代だったか週刊ポストだったか、週刊誌に高倉健の言葉が紹介されていて、ふと安心したのは次の言葉であった。僕は救われた気持ちがした。

  何をしたかではなく、

  何をなそうとしたか

  何をしたかではなく、

  何のためにそれをしたか

 これには救われた。思わず写真に撮ってしまった。岡田さんにもそれを見せた。彼は「そうだ」とすぐさまこの言葉の意味を理解し、すぐさま反応してくれた。

 僕には失敗はしたけど、「何のためにそれをしたか」という自負が心の内に潜んでいたこともはっきりわかった。おそらくそれが次の段階への原動力にもなっていたはずだ。

 今日は真っ青な空である。この空がだんだんと高くなり始める。うだるような暑さが終わったのかもしれない。すると元気が出てくる。人間十年も一所懸命取り組めばプロにまでなれる。身体ではもうそれは叶わないが、手先のことや精神や脳ではまだまだなれる。そう思って生きている。

 


三種の神器

2016年08月30日 | 社会・経済・政治

 スマートフォンは便利なものだと思う。1950年代後半、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』として喧伝された。経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した頃のことだ。電気釜、掃除機がそれ以前に誕生していた。1960年代、「新三種の神器」が登場した。カラーテレビ、クーラー、自動車である。冷戦後、つまり1990年後さまざまな分野で三種の神器が登場した。デジタルカメラ、DVD、薄型テレビである。

パナソニックはキッチンの三種の神器として、食器洗い乾燥機、IHクッキングヒーター、生ゴミ処理機である。こうなってくると三種の神器というには無理がある。

 スーマトフォンの登場は画期的だった。パソコンと連動した。パソコン、スマートフォン、プリンターは三種の神器と呼ばれていいような気がする。

  最低限これらの製品は生活水準上、外すことができないものだろう。もちろん、この中にも不要なものがあろう。ある人は炊飯器は使わない。ある人はDVDは不要と考える。またある人はスマートフォンやパソコンやプリンターは不要である。

 他のものは徹底して消費者個々人の必要性によって選択される。漫画を買う人。ゲーム代にお金を払う人、音楽にお金を使う人、旅行を好む人、外食を楽しむ人などなどとなる。これらは自分のサイフの中で調整できるものである。このところサイフのヒモが緩むろやや景気が上がり、締まると景気はやや悪くなる。やや悪くなると政権が替わる。

 2%の物価上昇に日銀も政府も躍起になり、大判振る舞いをしても2%上昇が達成できない。「ああ、できないんだ」と思い始めると政界が揺らぎ始める。こんな繰り返しですでに25年以上が経っている。思い切って、「耐えましょう」とか「徳政令」を言う人はいない。本当のところ、日本は身の丈にあった縮小社会を目指した方がいいのかもしれない。借金で無理しているなんて、無理があるのだ。捨てる食料が一日に何万トンとでる社会なのだ。それはおかしいというものだ。

 

 


台風から思い出したこと

2016年08月29日 | 日記

 近年、尾鷲に大雨や台風が来ない。地球上の変化でもあるのだろうか。

 台風といえば伊勢湾台風と、浮き漁礁を4つ投下した年の1993年だったか台風19号を思い出す。木炭で作ったその浮き漁礁は全部流されてしまった。これをみていたある業者は浮き漁礁の発想からアワビ漁礁をつくって大儲けしたと、後年その社長と会った時に聞かされて、そうだろ、と思ったのだった。最先端を走るより、先に走る者を見ていた方がよいのだ。これがリアリストであり、安全であるのだ。

 2013年に内モンゴルに行った時、保水性の高いリンターフロック(綿屑で産業廃棄物)が砂漠を農地化するのに、コンクリートの骨材としてもっともふさわしいだろうと思っていた。綿屑は政府の管理下にあり、人を通して、試験的に必要な分を用立ててもらった。内モンゴル側は、林業研究所や大学の面々も興味を示して、次回は現場で砂防堤と道路とその周辺を農地化しようという計画になり、それを日本に持ち帰った。このプロジェクトは僕がハツメイシャではなく、助っ人であった

、あまりにも速くことを進めるぼくを用心したのか、発明者と経営者の仲が悪くなったのか、計画が前に進まなくなった。ぼくは中国の人達に申し訳なく、恥をかき、現在に至っている。

 政府の管理下にある綿屑も問題であった。民間ならばさっさとすすめられるものが、停滞する。コネが必要だからだ。綿花栽培では世界一の中国はこの産業廃棄物をどうしようとするのか。この綿くずを思うだけで、再挑戦に、うんざりするところである。

 ところが2日前、100円ショップに行ったら、ゼオライトが売っている。完全無機質の多孔質。保水性コンクリートの骨材としてはいいのではないか。綿くずの代用になるのではないか。保水性のあるコンクリートができれば、砂漠の緑化や水作りに役立つ。発明者が作り方のレシピをその後ぼくに託したので、オークションにかけようかなどと考えている。ぼくはが内モンゴルまで行ってするわけにはいかない

 全部、ノウハウを盗まれるかもしれない。盗まれてもいいとも思うがそのためには、大金持ちでもない限り覚悟もいる。こういったこともむずかしい問題である。

台風のことからこんなことを思いだしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


紀の川 有吉佐和子

2016年08月26日 | 文学 思想

 二、三日前から蜩が鳴き始めた。盆が過ぎて、そろそろ子供には夏休みももうあと二週間ほど。夏が逝ってしまい、秋がひんやりとやってきそうな気配も感じるようになった。スーパーでは「秋味」という名のビールも店頭に並ぶようになった。

 今年の夏は尾鷲も暑かった。涼しい土地柄であり、他の地域よりはやや気温は下がるが、それでも38度という日もあった。これは酷暑の日である。エアコン無しではいらられない温度である。

 このところ、ゆっくりとちょっとずつ小説を読んでいる。もっぱらこの頃、有吉佐和子を読んでいる。高校生の頃読んだ「紀の川」は雰囲気だけ憶えていて、内容は全く思いだせないので、読んでみることにした。今度は読む態度、視点が違う。紀の川をどう表現するのだろう、と関心を寄せる。ところどころに人間が作った「紀の川」にまつわる迷信事のような言い伝えが出てくる。

 「紀ノ川沿いの嫁入りはのう、流れに逆らうてはならんのやえ。みんな流れにそうてきたんや。自然に逆らうのはなによりもいかんこっちゃ」という花の祖母・豊乃の言葉には、陋習であろがなんだか重みがある

物語は女三代にわたる記である。花ー文緒ー華子。時代としては明治の日露戦争前から昭和の戦争後までである。それらしい筋立てはないのだが、美しく、しっかりものの花。女は逞しい男がいてこそ、女が輝くと思っている。花の夫は村長から衆議院議員にまで昇る。66歳であっけなく死ぬ。弟に分家の折り、出畑の除いて、山林を全部あげ、大きな家まで建ててあげる。人助け、村に役立つことをするのが大好きな磊落な性格をしている。花の娘文緒はこの田舎の先祖から続く陋習を嫌っている。母親の保守性に反抗ばかりする。東京の大学に行き、銀行員に惚れて、結婚をし、上海、バタビア、ニューヨーク、またバタビアと転勤する。

 父の敬策が娘の文緒にむかって
「お前はんのお母さんはそれやな。云うてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に添う弱い川は全部自分に包含する気や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れ込む気魄がある。昔、紀ノ川は今の河口よりずっと北にある木ノ本あたりへ流れとったんやで。それが南へ流れる勢いのいい川があって、紀ノ川はそこへ全力を注いだんで、流れそのものが方向を変えてしもうたんや」
と述懐するが、そのときの自分の立場で誠実に、ひたむきに生きてきた花と、まさに日本の理想的な女性像が浮かび重なり合ってくる。

有吉佐和子と思われる華子は花と文緒が掛け合わせたようなところがある。今の歳になって読むと味わいが深い。二十八歳で書いた文とは思えない作品である。

 夜の寝る前の少しの間、文学世界に浸っているのである。秋の夜長が待ち遠しくなってくる。


暗雲

2016年08月24日 | 日記

  母親は鉄の胃をしていて、よく食べる。この20日で91歳になった。交通事故で九死に一生を経てからも食欲は落ちない。五年ほど前から血液検査をするといつもやや腎臓の検査のところが赤字であった。先の日曜日、母から電話がかかり、「尿がでない、病院に行きたい」という。様子を伺いにいき、紅茶を飲ませ、利尿剤をのませた。夜、盃二杯ほどの尿が出たという。水分は十分にとっていた。次の日はデイケアにいく日なので、おしっこにいく回数と量を報告をしてもらうことにした。二回トイレに行ったそうだが、今度は「雀の涙」くらいの量だと言う。昨日、大丈夫か、というと、大丈夫だ、というので、今日のデイケアでの様子を見て、病院に連れていこうかを決めようと考えている。腎臓は解毒やホルモン、ビタミンDなどと関係する。尿を作れないのだから、腎不全に陥ってしまう可能性もある。尿がでなくなって、腎機能が終わる前に薄い尿が大量に出るという。

 母を看取ることが人生の最大事のことだと思い、自分の役割も終わると思っているので、さあ、いよいよかと思ったり、より強力な薬で立ち直ったりするのかもしれない。

 暗雲が立ち始めたともいうのだろうか。


吉田沙保里の醜態

2016年08月23日 | 社会・経済・政治

 リオデジャネイロ五輪第14日(18日=日本時間19日、カリオカアリーナ)レスリング女子53キロ級の決勝で吉田沙保里(33)に勝利し、レスリング女子で米国に初の金メダルをもたらしたヘレン・マルーリス(24)は、表彰台で「これをずっと夢に見てきた」と顔を覆って感涙にむせんだ。(サンケイスポーツ)

 33歳の吉田沙保里の敗戦時の態度は僕には見ておれなかった。醜態だと感じたからである。吉田沙保里を倒さないことには金メダルは取れず、吉田を目標に鍛錬してきたはずである。若いヘレン・マルーリスの勝利に笑って、称賛し、ついに負けたか、くらいの苦笑いと相手選手への称えがあっていいはずなのに、涙を流し、自分のことだけをインタビューでも涙声で喋る姿を見て、スポーツをすることは別段に精神や他者への思いやりなどが鍛えられるわけでもないことが証明されたようなものだ。

 僕はすっかりしらけてしまい、吉田沙保里のそのシーンがでてくるとチャンネルを変えてしまう。無様である。まあ、人間、チヤホヤされるとアカンもんですな。

 その点では千代の富士はりっぱだったと思う。貴乃花に敗れたときのあの表情。若い者の台頭に、自分の力が及ばなくなってきた表情をし、引退を決意した。

 吉田沙保里もリベンジするのもいいが、こころのありかたを見直してみたらどうかと思ったのだった。


さらに淡々とした日常に戻る

2016年08月22日 | 日記

  オリンピックも高校野球も終わって、さらに通常の淡々したと日々に戻った。オリンピックでは卓球もおもしろかったし、バドミントンでも応援をした。馬術や近代五種など、テレビで放映されないものもあり、それな残念だったが、レスリングは一体何の競技なのか、あまりわからず、釈然としないままだった。新体操は僕らのような素人では、点数の違いがわからないままだった。

 リレーと100m競争や400m競争は違う分野のものであることも今回はっきりと認識できた。バトン渡しが有力な技術のものだと知ったのだった。NHKへの投稿では第一位に福原愛へのメッセージが多かったと聞いて、それも納得できる。日本の卓球界を牽引し、道筋をつけたのは福原愛である。福原愛には卓球人口が増やし、選手層も厚くなったという功績がある。おそらく男性の卓球選手をも牽引したであろう。

 リオのロゴマークも良かった。似たようなものがあるが、三人の人間がつなぎあって、躍動感があった。三人はうまく働けば力を出すし、そうでない場合は分裂も起こす。人間の三人以上は一人を殺してしまうほど恐ろしい関係なのであることは夏目漱石が徹底してこだわったことだ。これと関連して「多様性を認める社会」もこのオリンピックのテーマでもあった。人類はいつの日にこの多様性を認め、争わず生きることができるのだろうか。閉会式を見ていてそんなことを思った。

 


通常の日々に戻る

2016年08月19日 | 日記

 海に潜って貝採りをした。ワッパで見ると、貝は大きく見える。熱帯魚のような魚が見える。真珠とりのタンゴでも聞こえてきそうで、僕は上からの視線でもぐっている様子を想像する。

 すると突然、頭が痛みだした。ジンジンと頭が続くので、これはワッパの締めすぎではないかと思い、ゴムで頭を締め付けるのを緩くし、ついで頭を後ろに倒し、そこで鼻から息を思い切り吸って、口から吐きながら前に倒すことを10回ほどした。頭痛はずいぶん鎮まった。再びもぐって、貝を採った。海水は生温かく、寒いものではない。

 磯遊びを終えてからなんだかくたびれた。おそらく使っていない筋肉などを使ったのだろう。普段しないことをするとすぐにくたびれる。昼ご飯を食べると睡魔が襲ってくる。夕方酒を飲むと、また睡魔が襲ってくる。

 息子の家族、娘の家族が2日重なって、昨日は娘家族が帰京し、なんだか夏休みが終わったような気になった。やはり孫中心の生活が続くのは一大イベントである。虫取り、海水浴、川遊び。子供の頃を思い出す。僕はずっと海の近くに住んできたので、山側のことがあんまりわからない。例えば、カブトムシはどこにいるのか、わからない。蝉取りは得意だったのだが、それは中村山までであった。

 尾鷲の花火大会から、テレビもオリンピックや高校野球やらのイベント続きで、それもじきに終わる。そうしているうちに秋の気配が空気に漂い始めるのだろう。

 また草刈りをしなければならない。すでに2回したので、3回目である。刈った草を吸い取るバキュームのようなものがあればいいと思った。

 今日から事務所で何やらするようになった。

 バリ島の整備された庭園の美しいのは毎日庭の雑草や枯れ葉取りをする人がいるからである。ひとりでやっているとほとほと疲れるので、そんな器具を思い浮かべる。


愛情ホルモン

2016年08月12日 | 日記

   息子家族が返り、娘家族がしばらく滞在するが、孫中心の毎日なので、なかなかにそうぞうしい。第一子の孫娘は4歳半で、言葉を多くおぼえ、「しりとり」をやろうと言う。一歳半の第二子の孫息子は、その辺にあるものを触り、ボールペンだったら分解してしまい、ちょっとした隙に電器類のスイッチなどを押してしまう。なめ廻しの時期である。この時期になめ廻しておかないと、腸の菌が養成できないので、その辺は神経質になるなよ、汚いとか、そんな風にあまり言うなよ、と言ってしまう。

 孫娘は軒下遊びの時期が終わりつつある。幼稚園に通い始めたから、母親がいなくなっても、母のイメージがブローカー言語野に大きくイメージされて、安心感を得るからこそ、母親の目が届く範囲での行動が、目の届かない幼稚園にまでいけるのである。

 僕はもう忘れてしまったことだが、この二人の孫を見ていると母親というのは絶対的な存在なのだな、と思う。何かあれば母親にすがる。母親が見えなければ、不安に襲われる。

 人生においてはいろいろなことが起こるものであるが、それを乗り切っていけるのは、この時期に構築された高い心の壁である。この心の壁が低いと「異常」の世界に移行しやすかったり、こころにトラブルを起こしやすくなる。妊娠をすると女性はオキシトシン細胞が活発となり、オキシトシンホルモンが女性ホルモンなどを活性化する。これは愛情のホルモンであり、この時期、母親は子供がとてもかわいく、愛しく思うようになる。これが正常な姿である。

 そんなことを思いつつ、娘や孫たちを見ている。 


オリンピックで生活も乱れる

2016年08月11日 | 日記

  柔道は本当におもしろくない。特に指導をとられればあとは「逃げ」という戦法で、途中は組手争い。本当に誰が強いのかはわからない。 もう日本柔道はオリンピックに出るのをやめたらどうかと思う。レスリングと似たようなものである。

 相撲や剣道にオリンピック大会がないように、柔道も日本の柔道をつきつめていけばいいのに、と思う。メダリストにはそんな中、メダルを取るのだから、敬服はしている。

 卓球は面白かった。愛ちゃんをくだした二人の選手はさすがであった。それまでは愛ちゃんが圧勝していたから、接戦になるのではないかと思っていた。それにしても中国選手は強い。北朝鮮の選手も強かった。

 福原愛の調子はいいから、団体戦も期待できるのではないかと思う。卓球を見ていると、指、手首、肘、腕、肩甲骨、膝、足を精一杯使う。

 僕らはとてもじゃないがまともにピンポン玉を返せないのだろう。

 日本の体操もすごかった。内村航平という選手の集中力や気合もすごい。毎日がオリンピック観戦で、これがまだ10日は続くのか、と思うと、やや生活が乱れる。昨日の十時はテレビを置いてない店は暇なことだったろう。卓球に大いに期待がかかった。

 

 

 


波の盆 武満徹

2016年08月10日 | 音楽

 昨日久しぶりに渋谷に行った。日帰りだった。仕事を済ませて、ドトールコーヒーの本店でコーヒーを飲み、タワレコードに行き、武満徹の「波の盆」と「夢の引用」というCD2枚を買った。目当ての「三つの映画音楽」を求めていたのだが、それはなかった。

 「波の盆」は彼がNHKのドラマ「夢千代日記」で作曲したのとほぼ同じような雰囲気のものを17分のものにまとめたもので、裏日本の抒情が溢れている。吉永小百合の作品の中で一番だと僕が思っている「夢千代日記」の舞台は兵庫県美方郡温泉町(現:新温泉町)。同町の湯村温泉はこのドラマ放送後、「夢千代の里」として脚光を浴びたという。現在、温泉街の中心部である荒湯のそばに吉永小百合をモデルにした「夢千代の像」が建てられている。また平成16年11月に資料館「夢千代館」がオープンし、館内には湯里銀座や煙草屋旅館内部などが再現されているらしい。物語中で芸者たちが度々舞う「貝殻節」は山陰地方でのみ知られる民謡だったが、このドラマで一躍全国的な知名度を得たということだ。山陰暗さが樹木希林の明るさや秋吉久美子の子を思う気持ちなどで、安心感もあり、裏日本の抒情に武満徹という作曲家と早坂暁という脚本家が絶望感にまで陥らせないで、ギリギリのところで物語を保っている。この地方の方言もよかったし、あり得ない風景の組み合わせだけれど、このドラマ世界を成り立たせている。短歌が時に出てくる。

 「花へんろ」はやはり早坂暁の脚本であるが、愛媛の風早町の方言である 「 ~なもし」と沢村貞子たちが喋るのが楽しかった。こちらは俳句が毎回出てくる。「昭和とは どんな眺めぞ 花へんろ」とは早坂作の俳句である。この作品は、1986年(昭和61年)、第4回向田邦子賞芸術選奨文部大臣賞、放送批評家懇談会優秀賞、放送文化基金賞個人賞受賞。1988年、第25回ギャラクシー賞・大賞受賞している。

 渥美清は寅さんになってしまったが、早坂暁の脚本で「尾崎放哉」をやりたかっただろうな、とこれらの作品を見ればきつく思ったことだろう。

 

 

 


その島の人たちは、ひとの話をきかない

2016年08月06日 | 社会・経済・政治

 昨日紹介した本は「その島のひとたちはひとの話をきかないー精神科医、自殺希少地域を行く」(著者 森川すいめい 青土社)である。僕は偶然、尾鷲図書館で見つけ、借りた。

 人口を増やすこと、新しい産業を興すことに目がいきがちであるが、この本は別の視点を提供してくれた。

 ある自殺希少地域では、バスはゆっくり走って、乗せてほしい老人を探すように走る。バス停は一応あるが、乗せてほしい老人を見つけたら、バスは止まる。

 普通行政側は行政側の都合とか、規制とか、圧力団体などによって、このようなことをしないが、普通の老人目線であれば、いつでも止まってくれるのはありがたいことだろう。また町にはいくつもベンチが置いてあり、どこででもバスを待つことができる。

 いつも思うことだが、なるべく病院には入院したくない。なぜなら、病院都合、病院の規則ができあがっていて、患者側の思いは断ち切られるからだ。例えば、消灯時間。僕などはテレビを見たり、本を読んでいたいので、消灯時間や起床時間、それに食事時間のことを考えるだけでも、腰が引けてしまう。病院側は患者側の思いを取り込んでくれるとありがたい。

 バリ島にはベコという乗り合いバス(ミニカーで、せいぜい6人暗い乗れるバス)が町中をクルクル回っている。どこで乗ってもよくどこで降りてもよい。そんなミニバスが幾台もまわっているので、ベコを見つけるのに1分もかからない。

 助け合う町というのはそんなところにあるのだろう。

 僕は浦村までのバスは夜中の12時まで走らせたらよいと思っている。タクシーでは高すぎてどうにもならない。

 風間浦村民の憲章はこうなっている。

  1.わたくしたちは、きまりを守り、親切で明るい村をつくります。

  2.わたくしたちは、仕事に喜びをもち、豊かな村をつくります。

  3.わたくしたちは、青少年に希望を、老人に生きがいを、そしてこころのあた 

    たかい村をつくります。

  4.わたくしたちは、自然を愛し、花と緑の美しい村をつくります。

  5.わたくしたちは、常に知識を求め、スポーツに親しみ、楽しい村をつくりま  

    す。

 人は多様である。多様な意見がある。多様であっても理念として方向性が同じであれば、諍いをする必要もない。また人生は何かあるもんだ、と思っていれば、あわてずに解決しようとするものだ。ちょっとした物事の捉え方、物の考え方、これを性格と呼ぶが、とりあえずは笑顔であいさつができるような町ならば、豊かな町だと言えるだろう。こういうところが町つくりの出発点だと思う。

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コメントいただければご連絡します。

 

 

 


自殺希少の町

2016年08月05日 | 社会・経済・政治

 自殺者がいない、またはほとんどいないという村や町が日本にいくつかあるようだ。フィールドワークで取材した精神科医がいくつかの町を紹介している。すると共通した事実がわかってくる。

 1.あいさつをすること

 2.人間にはいろいろとトラブルが起るものだという前提の意識があること。これ  

   は予防意識ではない。起こったら助けるという意識のことだ。

 3.立ち話程度の関係。緊密過ぎないこと。

 4.グループを作る場合は、出入り自由。規律なしであること。

 尾鷲市は思いの他自殺者が多いように思える。尾鷲市の憲章は何であったか調べてみる。市民憲章はこうある。

 尾鷲市は、熊野灘に面し、紺碧の海、緑深い山々に囲まれ、海の幸、山の幸にめぐまれた伝統ある産業と文化の都市です。
 わたくしたちはこのふるさとに誇りをもち、みんなの力で、豊かな未来を築くため、ここに市民憲章を定めます。

 1.郷土を愛し、清潔でみどり豊かなまちをつくりましょう。

 1.人と人とのつながりを大切にし、思いやりのある住みよいまちをつくりましょ 

   う。

 1.未来を担う子らを健やかに育て、夢を希望あふれるまちをつくりましょう。

 1.伝統を生かし、文化の香り高いまちをつくりましょう。

 1.産業を育て、活気あふれるまちをつくりましょう。

 ある町ではこのような市民憲章がいたるところに貼られている。よく読んでいると、どこかの市の憲章を真似たかのように思えてくる。なぜなら抽象的すぎるからなのだと思う。「郷土を愛し」というのは押し付けのように思える。市民憲章の結果、そうなるということのはずだ。「緑豊かな」というのも「花や樹木」と具体的な方がいいのではないかと思う。「人と人とのつながりを大切にし」というのも漠然としている。人というのは多彩であり、考え方もそれぞれである。しかし人はひとりで生きていけない。だから助け合う。「伝統を生かし」というのも漠然としていて、これもおしつけがましい。伝統には変えるべき伝統もあれば、空っぽの伝統もあり、いろいろである。

 「自殺希少者の町」という視点で尾鷲市を見てみるのもいいのかもしれない。尾鷲市をどうするかという場合、すぐに経済は、地場産業は、このままの人口減衰では?となるが、どういったことが幸福に近いものなのか、一考することになるのかもしれない。

 

    

 

 

 

 

 


遊ぶ

2016年08月04日 | 日記

     息子は潜り、シリタカを、孫娘には、これはウニ、これはイソギンチャク、これはシリタカの赤ちゃん、これはニナ、これは黒ニシ 苦い、と教えて磯遊びをした。バケツに半分ほどのチャンポコを採って帰った。孫娘はもう一人前の労働力である。擬態しているチャンポコの見分けかたも、目の動かしかたも覚え、どんどんと採る。ときにヤドカリを採ってしまう。

     わずか四日の休みで、花火もし、夢古道の湯に行き、プールにも行きで、この時分は幼児が主人公であるだけに親も忙しい。

    明日は娘と子供たちが合流する。これまたけたたましくなるだろう、と、覚悟を決めている。

   カブト虫やクワガタ虫を捕らせたいのだが、海辺で育った僕は不得手で、住みかをよく知らないのが残念だ。

 

    


ええい、と出してしまう

2016年08月03日 | 日記

 「出口のない家」という題で、以前から頭の隅にあった1995年に起きた池袋母子餓死事件を下敷きにして、2017年だったらどうか、ということでこの小説を書いた。もう少し校正や熟慮を重ねて出してもまだ一ケ月もあったのだから、待ってもよかったのだが、「ええい」と純文学系の「文學界新人賞」に応募した。

 そして、また今日、エンターテーメント小説「相撲取りになるど」が760ページというページ数の多いものになったので、調べてみると500枚までの制限ばかりで、ただ一社「草思社・文芸社二社によるコンテスト」があったので、それに応募した。

 さてさてどうなるやら。

 書き始めるようになってから一年が経った。はやいものである。その間、6作品を作った。

 ここで、二つが終わったので、明日から新しいものを作り始める。毎日4時間書いていると結構な量を書けるものだ。

 現在、ネット社会が進み、一冊から本にしてくれるところもある。いずれひとつひとつの作品を一冊とか二冊の本に各作品を残しておこうと思う。

 だいたい自分のスタイルというもの、自分の不足していること、自分ではどうしても書けないものもわかってきた。また明日からスタートである。