25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

せちがらい世になっていることは確かだ

2019年10月28日 | 社会・経済・政治
昔は単純でおおらかだったもの・ことがだんだんと複雑化してくる。これはあらゆる生活の場所で言えることである。
 今回アプリの登録で難儀し、今日解決の方向に向かうはずである。アプリは便利で、明快なのに、それを世に出そうとすると複雑な回路をたどらなければならない。なぜ、そのような回路が必要になったか、と言えば、悪いことをする人がいるからであり、子供への性的なこ、暴力的なことやら心配する人が多くなったからであり、要は神経質にならざるを得ない社会状況になっているからである。

 学校教育についても、昔は子供を学校に文句も言わず預けて、任せていたものだが、いじめがあるとか、モンスターペアレントがいるとか、母原病であるとか、これも複雑である。もちろん家庭での躾、教育は大事なことである。しかし学校にある時間預けた以上、学校の先生のことをあれこれ言ったり、いちゃもんをつけたりするという状況も深刻な問題である。教師志望が極端に減っている。ブラック職場とも言われている。教育は国の一大事である。教師になろうとするものが少ないとは。

 一人が電車のホームに落ちたら大事件となり、一人がエレベーターに挟まれたら大事件となって報道される。すると、ホームに壁がつけられる。

 尾鷲の近く海のそばにある広い公園がある。そこではバーベキュー禁止と札がある。シアトルにも同じような湖のそばにある公園があったが、そこはバーベキューOKである。
 どうして日本では禁止、アメリカでは可能となるのだろう。

 おそらく日本ではマナーが悪いのだ。ゴミを置いていく。それが腐る。公園を手入れする人が公園所有者に文句を言う。禁止にしてしまえば早い。公園を気持ちよく使ってもらうにはどうしたらよいのか考えない。バーベキューをさせようではないか。そのためには来る人にどういうお願いをすればいいのか、と「させる方向」で考えない。
 アメリカでは自主的に片づけ、荒らさず、問題はないのだ。おそらくシアトルの公園でもマナーの悪い者はいたに違いない。単純だったのが一時複雑化し、また単純化したのだ。それは簡単なことで、マナーの問題はこころの問題だからだ。バーベキューは戸外でする方が楽しいからだ。

 貸別荘をやっているせいで、この頃の若い人、若い家族の遊び方が変わってきていることに気づかされた。ホテルや旅館、民宿では自由にならない。みなで集まる場所もない。自分たちで、食材を用意して、みなでワイワイとする。二家族、三家族の間にで交流を図る。卒業旅行も贅沢をしにいくのではない。みんなと集まり、みんなとワイワイしたいのである。20年前にはこのような遊びのスタイルはなかった。
 その客の中には2年ほど前はマナーの悪い人たちもいた。ところが事前に説明し、名簿と同意書を書いてもらうようになってから、マナーの悪いグループはほとんどいなくなった。現在はすこぶる単純化されて、快適に使ってもらっている。

 このブログを書いている途中、google から連絡が来た。アプリがアップされたようだ。素直に嬉しい。よくやった。