25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

家などもつな

2019年10月24日 | 社会・経済・政治
19号の台風は庭の剪定した小枝や枯草、取り除くのを気づかなかった太い枝も石垣を越えて道路に流れたらしい。雨が続くので、道路ぼ両側に溜まったゴミの片一方を片付けて、また雨だったので、続きは晴れになってからすることにした。今日は昼から雨が降っていなければそれらを3ケ所くらいにまとめておこうと思っている。
 ツケは回ってくるというものだ。庭がすっきりしたかと思えば、それは道路に移動しただけのことだった。

 昨日、姉がやってきて、姉の義理の姉が海野に700万円で100坪の土地を買って、保持していた。雑草は年に2回刈ってもらい、固定資産税を払っていた。結局経費がかかるので、隣りの人に一坪1000円で買ってもらえないか、と頼み込んだ。無料でやるというのは贈与にあたるそうなのだ。計7万円。
 「土地とか家ってもう要らんなあ。修理代をとっとかんなんし、最後には壊す費用も必要やし。固定資産税は価値もないのに下がらんしなあ」

 高度経済成長期には価値ある財産のように思っていた。
 知人が商店街にある店舗つき住宅70坪を買った。40万円。台風のたびに来なければならないことについに手放すことを決めたのだ。一件、そういうことがあると当たりの相場はそうなってしまう。
 地方の真の財産は10分の1にも、100分の1にも減っているのだ。

 戦後に建てた家などはよほどの材質、造りでない限り、100年ももつことはないだろう。自分が建てた家は自分が壊して人生を終える、というようになってきた。「家なんか買うもんじゃないよ。借りるもんだよ」という時代になっている。

 行政はこのような傾向も捉えた町つくりを考えなければならないだろう。

 ぼくの自宅などは「南海トラフが起きるぞ」と宣伝されまくり、ひどい値下がりである。港付近は空き家だらけになってきた。これも縮小現象のひとつである。

 


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