Daily life of Emiri

明日は明日の風が吹く♪

愛は勝つ?

2013-02-28 | 親の老いを見つめて

火曜と木曜はジィさんを病院に連れて行く日です。

愛しい、愛しいバァさんに会うために・・・

 

デイを変更したツケ?がこんなところにまわってきました。

(前のデイは院内にあったのにぃ・・・)

 

病院ではすっかり仲良し夫婦で通っています。

手を握り合いながら、会話を楽しんでいます。

 

っと言いたいところですが・・・

バァさんは時折、意味不明の事を言います。

 

適当に相槌を打てば平和に収まるものを

いちいちジィさんは訂正をするので厄介です。

まっ、勝手にやってくりっ!!

 

画像、頭の上の白い紙、普通なら個人情報は貼らないそうですが、

みんなで徹底するようにと、看護師さんが貼ってくれました。

 

「義歯調整中のため、日中はできるだけ使用するように。

使用後は、歯ブラシは使わず、水洗いの後、ポリデント洗浄液に漬けること。」

 

っと書かれています。

これが大事件?を巻き起こしたのです。

 

昨日の朝、様子を見に行った時のこと、

バァさんはかなり普通で無いことを口走っていました。

例えば、布団の中から手が出てくるとか・・・

トイレの順番を待っていたのに、看護師さんがいじわるをして

後まわしにされた・・・とか。←オムツやっちゅうねん。

 

仕事に行くのに気になって、ナースステーションで

「今日は入れ歯は危険な様子なので使用は中止します。」

とお話して病院を後にしました。

 

ところが仕事を終え病院に寄ると入れ歯ケースがテーブルの上にあり、

中を覗くと、下の入れ歯が見当たりません。

 

それからは大騒ぎです。

落ちたのでは?っとベッド回りを探しても見当たらず、

飲み込んだか?いや、いくら何でも無理やろう?っと・・・

日勤の看護師さんやヘルパーさんに片っ端から連絡を入れてくださいました。

 

一旦帰宅して待っていると、看護師さんから連絡が入りました。

 

「emiriさん、ありましたよ。」

「ど、どこにですか?」

「昼間に捨てたゴミ袋の中にです。」

 

昼食時に看護師さんが入れ歯を入れてくださったようです。

食後口腔ケアに行ったところ、上の入れ歯がベッド上の

バァさん専用ゴミ箱に捨ててあったそうです。

(バァさん的には置いていた・・・)

 

それを拾ってケースに仕舞ってくれたそうですが・・・

まさか、下の入れ歯まで気が回らなかったそうです。

 

皆さんで昼間に出したゴミ袋を一つ一つ確認してくださったそうです。

すると、ゴミ袋の中の、使用済のティッシュの箱の中から、出てきたそうです。

そういえば、バァさんは家でもベッドサイドにいろいろ置く習慣がありました。

特に使用済のティッシュのケースは小物入れと化しておりました。

ま、まさか入れ歯を空き箱に捨てる(仕舞う?)とは・・・

 

これからは気を抜けない状態です。それでも・・・

 

しっかりと自分で食べています。

 

「あんたも早ぅ帰って、ごはんを食べよ。」っと

私の食事を気にかけてくれる余裕もありました。

 

お天気もよく、気分も良かったので

久しぶりに一人ランチを楽しみました。

そして・・・春色の

布団カバー(シーツ)など買ってみました。

 

明日の様子は全く想像がつかないけれど・・・

それはそれとして・・・

私は日常を生きよう。

 

普通に掃除して、普通に洗濯して、普通に食事を作ろう。

普通ってそれだけで幸せなのかも。

 

 


生命力

2013-02-26 | 親の老いを見つめて

朝からジィさんを連れて病院に行った。

「今日はどんな具合じゃろうね?」っと後部座席でため息をつくのが

ここ最近のジィさんのクセになっている。

 

車を駐車場に入れ、ジィさんより遅れて病棟に入った。

エレベーターの扉が開くとそこにはナースステーションがある。

 

一応、看護師さんに確認した。

「あのぅ、先生の方から胃ろうのお話は頂いたのですが・・・」

「はい。お断りされたんですよね。聞いています。

それで、とみさんには今朝からお食事(とろみ食)が提供されています。」

 

Σ( ̄ロ ̄ll)ガーン  お、お食事???

い、いきなりですかい?!

 

確かに、餓死するか窒息死するかの違いかも・・・。

 

病室に入るとバァさんは絶好調だった。

口から食事を摂れたことで、自分の回復を疑わなかった。

 

「emiriちゃん、入れ歯を用意してくれ。

朝から食事が出たんよ。」っと弾む声で私に訴えた。

 

保管しておいた入れ歯を洗い、早速口に入れてやった。

 

一段とやせ細ったバァさんの歯茎に入れ歯がガクガク揺れた。

病院に歯科は無いので、かかりつけの訪問歯医者さんの手配が許された。

 

連絡を入れると早々に歯医者さんが病院に駆けつけてくれた。

これで、バァさんのお口の準備は万端だ。

 

回診でやって来た院長先生が言った。

「もぅ、病院でできることは何もありません。

あとは本人の生命力にかけましょう。」と。

 

生命力かぁ。バァさんは不死鳥だ。

戦前・戦中・戦後を生き抜いてきた人はたくましい。

また、何か奇跡を起こすのではないだろうか?

 

「あの人(ベッド足元の人)は寝てばぁ居よる。(寝てばかり居る)

そっちの人(ベッド右下の人)は夜になったら大声を出すけん、うるそうていかん。」

同室の人のチェックも始まったようだ。

バァさん節も復活だ。

 

「退院したら、ピーちゃんの助手席に乗るんじゃけん。」っと

先日免許を取ったピーの車に乗ることを楽しみにしている。

 

不思議なほど今日のバァさんはしっかりしている。

久しぶりにジジババの明るい顔を見ることができた。

 

明日のことなんて誰にも分からん。

今日を精一杯生きよう。

 

 

プクク(* ̄m ̄)ククク

♪明日は明日の風が吹く♪・・・どっちやねん?

 

あ、あのぅ・・・久しぶりにコメント欄を開けてみようか・・・などと・・・

ちょっとパワーを送って頂けたら幸いです。

 


義姉の願い

2013-02-24 | 親の老いを見つめて

 

← この続きです。

 

帰宅すると一気に疲れがこみ上げてきた。

これからも続くであろう介護の形を思うと、過呼吸を起こしそうになった。

 

部屋でパソコンに向かっていると、義姉との電話を終えた主人が入ってきた。

 

「明日にでも病院に行って、胃ろうの件、断ってくるよ。」と意外な言葉。

 

????????????何なんだ?この変わりよう?

 

かなり長く義姉と話していた。

 

切々と義姉に訴えられたようだ。

院長の言葉を聞いても義姉の気持ちは変わらなかった。

延命処置は一切しないで欲しい。

 

義姉にとっての延命処置とは鼻に入れる栄養チューブも

含まれていたようだ。

それは全く私と気持ちが一致していた。

 

「あなた達はよくやってくれた。もぅ十分なほど。」と言ってくれた。

 

先日10日間ほどバァさんにじっくりと付き添ってみて、

辛くて居たたまれなくなったようだ。

 

義姉はぜんそくの持病を持っている。

何度か救急車で運ばれもしたそうだ。

 

咳や痰で呼吸ができなくなる苦しさは誰よりもよく知っている。

 

だからこそ、早くバァさんを楽にしてやって欲しいと言われた。

 

今、バァさんは眠り続けている。

だったらこのまま眠るのがバァさんにとって安らかな状態なのではないか?

 

一昔前なら老衰と言われた、人が老いていく自然な姿なんじゃないか?

 

延命という言葉の捉え方は様々だと思う。

年齢や環境や状況によって違ってくると思う。

 

だから、我が家の決断が正しいとか間違っているとか・・・

それは分からない。

 

でも、必死で向き合って、迷って、悩んで・・・決心した。

主人も義姉も辛いと思う。

どの道を選んだとしても。

 

それが親の老いを見つめるってことなのかも。

 

さて・・・胃ろうを断ると言った主人。

大丈夫なのか?

 

なんだかんだ言っても、母って男子には特別な存在なのだろう。

 


揺らぐ気持ち

2013-02-23 | 親の老いを見つめて

 

 

この梅に色を感じる時が来るのだろうか?

香りを感じる時が来るのだろうか?

 

院長との面談の後、まっすぐ帰る気になれず、

主人と二人、気づけば梅を見ていた。

 

院長の話は予想どおり

そろそろ胃ろうを考える時に来ているという内容だった。

 

チューブでの経管栄養の結果が良かったせいもあり、

院長はかなり胃ろうを勧めてきた。

 

あれだけ拒否していたというのに・・・

少しでもバァさんが良くなるのであれば・・・っと

主人は簡単に了解した。

「意識が無いなら別やけど、バァさんは意識があるから。」

っというのが主人の理由だった。

 

意識?確かに状態のいい時は会話もできる。

しかし、それは現実を理解した上での会話では無く、

明らかに認知症状が進んだことを思わせる内容だ。

 

主人が院長の話を受け入れた時、私の気持ちは奈落の底に落ちた。

冷たい嫁なのかも知れないけれど・・・

心のどこかで、バァさんからの解放を望んでいたのかも知れない。

 

仮に胃ろうで栄養状態が良くなったとして、

パーキンソン、骨折を伴う骨粗鬆症、慢性気管支炎、呼吸不全(肺気腫)等の

病気を抱えるバァさんに変わりはなく、

退院後の在宅介護を考えた時、めまいがしてきた。

 

前回の退院後の筋力の衰えから推察すると

今回、胃ろうが上手くいったとしても、寝たきりでの帰宅を覚悟しなくてはならない。

 

胃ろうとなると、デイやショートステイ、特養も拒否される可能性がある。

 

その足でデイを訪ねた。

(デイはショートも特養もやっているので・・・)

幸いなことにジジババの通うデイは胃ろうでも大丈夫だとの返事を頂けた。

 

それでも私の気持ちはスッキリしなかった。

もぅ介護に関してはとことん覚悟している。ジィさんも居ることだし・・・

私だって介護士の端くれだから、やってやろうじゃないよ!・・・と。

   ↑  いや、これには多少無理があるけど(やっぱ仕事とプライベートは別やわ)

 

多分、このモヤモヤの根本は・・・上手く言えないけれど・・・

この延命はいたずらにバァさんの苦しみを長引かせるように

思えてならないからだ。

 

もぅ十分に戦っているバァさんに、麻酔をかけ手術をし

これ以上、何と戦えというのだろう?

 

言いたいことはたくさんあるけれど・・・胸におさめた。

 

今回の決断は主人と義姉がするべきだと思ったからだ。

 

月曜に手術用の検査をし、水曜に手術ということで

主人は承諾書類にサインをした。

 

「義姉ちゃんに相談せなアカンやろ。」っと言うと

「姉ちゃんは全て、俺たちに任せるって言うとった。」と主人。

 

「それでもこの結果だけでも知らせておかんと・・・」ってことで、

帰宅後、主人は義姉に電話を入れた。

 

 

すると・・・長くなるのでつづきは後編へ→


不安な思い

2013-02-22 | 親の老いを見つめて

今日お見送りしたお二人

ホームでの看取りを希望されていました。

 

チューブにつながれる事もなく、

最期のひと呼吸まで自分の意志でされていました。

そして眠るように安らかに旅立って逝かれました。

 

そんな様子を見ると

毎日病院のバァさんの元へ通う私は、

複雑な思いで胸が痛みます。

 

点滴での栄養が難しくなったバァさんは

鼻から胃へとチューブを入れ、栄養を摂ることになりました。

 

しかし、鼻の酸素だけでも気持ち悪いのに

その上チューブまで入ると、よほど辛かったのか

バァさんはそのチューブを引き抜いたのです。

 

「成果はあったので、日にちを置いてもぅ一度やってみましょう。」と院長。

成果?再び口から食べられる可能性があるならいいけれど・・・

そうじゃないなら・・・

 

そして、その3~4日後に再び、栄養のチューブを入れました。

ところがバァさんは昨日それも引き抜きました。

 

明日、院長から病状説明ということで呼び出しを受けています。

 

チューブの次は胃ろうになるのだろうか?

しかし胃ろうを拒否している我が家。。。

 

どんな方向に話がいくのだろう・・・。

 

点滴に酸素に栄養チューブ・・・

その上、苦しい痰の吸引を頻繁に受け、

痛みで歪むバァさんの顔を見るたびに、

 

これでいいのか?

私は父の時のあの後悔を再び繰り返しているのではないか?

そんな気持ちに襲われています。

 

とはいえ、今回決めるのは主人と義姉です。

バァさんは何といっても二人の母親なのですから。

 

変化があったら知らせてね。」と言って帰った義姉からは

あれから連絡がありません。

 

ジィさんの方へはちょこちょこかけているようですが・・・。

 

明日の院長のお話。

その変化ってことになるのだろうか?

 

 


決意の日

2013-02-22 | 介護の仕事

去年の10月から始めたこの介護の仕事。

今日、初めてお見送りの時を経験しました。

しかも偶然同じ日にお二人が重なりました。

 

Sさんは午前10時過ぎ、Yさんは午後1時過ぎ、

ご家族に見守られながら静かに旅立って逝かれました。

 

お二人とも要介護5で寝たきり状態でした。

そうそう、Sさんは先日私が移乗に失敗したあの方です。

 

夕方の食事介助の時に、ジワジワと寂しさがこみ上げました。

 

 

上から流すように口に入れないと食べてくれなかったSさん。

 

「いらん。もぅいらん。」っと言いながら毎回完食のYさん。

 

もぅそのお身体に触れることは無いのです。

 

 

全く知らない人生を歩んで来られたお二人の

最期のひとときに関われたこと、

身をもって、たくさんの事を教えて頂けたこと、

本当に有り難く思います。

 

これで静かに眠れるんですね。

 

「ごはんですよぉ。」ってもぅ大きな声で起こしませんから・・・。

 

お疲れさまでした。

 

ホームを出発する車を職員一同でお見送りしました。

これからこういう事を何度も経験していくんですね。

 

一期一会。

出会いを大切に、人を大切に。

優しい介護士になろうと、そんな決意の日になりました。


がんばろう

2013-02-16 | 日常のひとこま

 

                                             ハジ→『証。』

 

 

ありがとう。

大丈夫だよ。


変化?

2013-02-14 | 鬼嫁と呼んでくれぃ!

昨日(12日)、義姉が福井へと帰った。

バァさんの容態に波があって、このままズルズルと生きそうだから

今のうちに一旦帰るそうだ。

 

息子二人は社会人になり独立している。

旦那である義兄の食事は隣に住む姑が面倒見てくれているようだ。

で、義姉は今、仕事をしていないので、急いで帰る理由も無いと言っていた。

 

喪服まで用意してやって来たというのに・・・

「うちへの気遣いは全く無用だから・・・。

姉ちゃんが納得いくだけバァさんに付き添ってやって欲しい。」

それは来た時に始めに話しておいた。

 

朝、病院へ義姉を送るのがここ10日ほどの日課になっていた。

 

仕事のある日はお昼まで義姉と一緒に病院に滞在し、

先に帰宅し、夕飯の用意をしてから仕事へと出かけた。

 

仕事の無い日はジィさんと義姉を車に乗せ病院に行き、

1時間ほどで疲れるジィさんを先に連れ帰り、

義姉の昼食を買い、病院に戻り、二人でバァさんの横で食べた。

義姉と病院横のイタリアンのお店でランチもした。

3時頃先に病院を出て夕飯の用意をし、義姉の帰りを待った。

 

思う存分、バァさんとの時間を持てるように配慮したつもりだ。

 

今日のバァさんは全く反応が鈍い。

話しかけても返事が返って来ない。

 

痰の吸引後、咳とともにどんどん痰が湧いてくる。

それを吐き出すので、ティッシュで拭うのがひと苦労だった。

しかし、今日はその力もなさそうだ。

 

朝から一人でバァさんを見ていた。

今日は仕事なので1時に病院を後にした。

急いで夕飯を作り、仕事へと向かった。

 

朝からバイトだったピーが3時半に病室に入った。

仕事を終え、ピーを迎えがてら病院に行き、

帰宅したのが午後8時過ぎだった。

 

夕飯を待てると言ったのに、くそジジィは空腹に負け、

お菓子を食べやがった。。。好きにしろ。

 

主人は仕事で昨日も、今日も明日も明後日も帰宅が深夜だ。

 

なんか、バァさんが不憫に思えた。

あの苦しそうな顔を見ながら、どうして離れられるんだろう?

 

今日は一度も義姉から電話が入らない。

あれだけ毎日、ジィさんの携帯に連絡があったのに・・・。

 

週末のバァさんに変化が見られたら、またやってくるそうだ。

変化?その意味が分からん。

 

明日はジジィを乗せ病院に行き、

一旦連れ帰り、夕飯の支度をしてから病院に戻る。

で、バイトを終えたピーがまた4時頃来てくれるそうだ。

 

確かに、この5年。

こうやってずっと時間をやりくりしながらやってきた。

ジジババの先の見えないズルズルに付き合ってきた。

 

「困った時はいつでも言ってね。すぐに行くから。。。」

っと義姉はずっと言ってくれていた。

 

私はいつも困っていた。

だけど、初めて「困ったから助けて欲しい」と訴えたつもりだ。

 

最期の時には義姉に居て欲しいと思っている。

だけどその最期の時がいつなのか分からない。

 

義姉の言う、その変化をどぅ捉えたらいいんだろう?

 


きっちゃん

2013-02-11 | 親の老いを見つめて

 

主人と二人、いつものラーメン屋さんに行き、

そして途中の公園に寄ってみました。

 

久しぶりの気分転換です。

そっかぁ、もぅ2月なんですね。

季節の移ろいも忘れて過ごしていました。

 

 

日々、病状の変化するバァさん、今日はどんな具合だろう?

っと恐る恐る病室に向かうと・・・

 

扉の手前あたりから、何やら話し声が聞こえます。

??誰か来てる??っと中に入ると・・・

 

天井を見上げながら、バァさんがペラペラと

元気に何やらしゃべっているのです。

 

「わぁ、また一段と元気そうやなぁ?」っと主人。

傍らの義姉に目をやると・・・疲れきった表情です。

 

朝からしゃべりっぱなしのようです。

「おぉ~emiriちゃん、あんた、ええとこに来たわい。」っと

私を呼び寄せるバァさん。

 

「きっちゃんが死んだんよ。

ウネのおばさん(田舎のお隣の家のおばさん)に相談して、

お香典の用意をしておいてくれるかのぅ。」

 

「うん。分かった。」っと一応、話を合わせてみた。

 

「きっちゃんは私の大事な人じゃから・・・

そうじゃ、電話を貸してくれ。私がウネに電話する。」っとバァさん。

 

「しまった。携帯を忘れて来た。」っと誤魔化す主人。

「emiriちゃんのがあるじゃろ。」っとバァさん。

 

「あらぁ~。。。私も忘れてきたわ。」(←当然ウソ)と言うと・・・

「二人ともそそっかしいんじゃけい。」と呆れるバァさん。

 

きっちゃんとは田舎に居た頃のバァさんの親友です。

亡くなったという話は聞かないので、おそらく生きているかと思います。

 

バァさんの頭の中は、ここ数日5年前を旅しているようです。

 

絶飲食になってから、痰の方が少しつづ減り、

呼吸が楽になるのと同時に、魂の徘徊?が始まりました。

 

辛そうな顔を見るよりは、いいと言えばいいんでしょうけど・・・

爽快な気分の時はしゃべりっぱなし・・・

鬱々とした気分の時は一切口を開かない・・・

毎日付き添う義姉も大変だろうなぁ。

 

こちらに来てから10日。

福井に帰るタイミングを逃してしまったようです。

 

今、元気でも明日が分かりません。

もぅ、義姉の判断で納得がいくだけ居て貰えばと思っています。

 

クスッ( ̄m ̄*)。。。

この期に及んでジタバタしても仕方ないわさぁ。

明日は明日の風が吹く♪   ってね。

 


延命治療?

2013-02-08 | 親の老いを見つめて

トロトロ食を美味しそうに食べた水曜日。

お口の方も元気だったバァさん。

 

ただ言葉の内容の方は通じる部分もあれば

全く違う世界を旅している部分もあった。

それでもおしゃべりだった。

大きく目を開け、言葉が出ることを楽しんでいた。

 

あぁ、復活の日は近いなと思いつつ、午後からは仕事へと向かった。

 

そして木曜日の朝。ジィさんと義姉とともに病室に入ると、

真っ青な顔をしてベッドに横たわるバァさん。

 

「ばぁちゃん、おはよう。どうしたん?寝てるん?」っと

話しかけても全く反応がない。

 

痰の吸引だけは目を閉じながらも察知し、

激しく抵抗していた。

 

午後1時半。院長先生が回診でやってきた。

 

「もぅ口から食事を摂るのは無理な状況ですね。。。」で言葉は始まった。

 

前回の意識障害の時もそうだが、食事を口にすると誤嚥を起こすようだ。

酸素濃度が低下し、結果意識レベルの方も悪化するとのこと。

 

本日より「絶飲食」となった。

もぅ、口から物を食べることができないのだ。

 

こんな事なら、大好きなお饅頭を思い切り食べさせてあげれば良かった。

 

点滴と抗生剤の治療の後、

チューブによる経管栄養も考えていくとのこと。。。

 

チューブで栄養?

義姉とも首をひねった。

それって胃瘻とどぅ違うんだ?

 

胃に穴を開けるか開けないかの違いなのか?

 

これは延命治療に当たるのか?

 

食べさえしなければ、また笑える日は来るのか?

 

この病状の起伏は何なんだ?!