ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

高槻ほっつき 2

2016年04月02日 20時27分35秒 | ウォーキング

歴史館に入る前に高槻城を
ちょっと調べておきましょう。

現在、町名としてある
大手、出丸、場内などは
この城跡内の土地です。
それらしい名前ですもんね。

右近がめぐらせた堀や教会堂は
今も名をとどめています。
面白いのはこの城の石が
JRの線路工事に使われた
という歴史もあるそうです。

歴史館の周りには、
学校建設時の発掘調査で出てきた
石垣石なんかも展示されておりました。



さあ、では中に入りましょう。
あ、入場料は基本的に無料です
(たまに有料展示があったりするそうです)。

今回の特別展では、
主に銃と時計が展示されていました。









こんなにたくさんの当時の
銃を見たのは初めてやったなあ。

実際どれくらいの重みがあるんでしょうか。
一度手に取ってみたい気もしますねえ。

それから時計は、当時の和時計。







細かい部品なんかの展示もあったし、



実際に動いている時計の展示もされていました。

しかし、今から2~300年位前ですよ。
今の機械の発展のすごさを
逆に感じますねえ。

まあ、そういう当時のいろんなものの
展示を見つつ、
さあ、では外に出てまたほっつき始めましょう。

その歴史館からさらに南へ少し歩いたところが

「城跡公園」です。



そこに高槻城の城主碑がありました。



和田家、高山家、永井家などが
領主となったこのお城跡が
大阪府の史跡になっています。



この公園にはほかにも大きな公園広場があったり、
植え込み場があったりしますが、

おっ、ここにも高山右近像があります。



荒木村重、織田信長、徳川家康などに仕え、
いまテレビで話題の真田家のような
主君選びシーンなんかも
過ごしてきたんですねえ。
最終的には徳川家により
宗教上から国外追放になり、
マニラで亡くなったという高山右近。

世間の信望は今も厚く、
こうして構成の人々にも慕われているようです。

この公園内には、高槻市立歴史民俗資料館もあります。



江戸中期の商家を
移築復元したものだそうです。

江戸時代に
乾物やせともの・コメの商いも
していたそうですね。
ま、行ってみれば
江戸のコンビニみたいなものでしょうか。

あ、入場無料です。

この公園にはこんな木も植わっています。



まあ、100年くらいの木かなあ。
あ、タイサンボクも植わっています。
いずれ大きな木に育ってくれるでしょう。



これってもしかして
ジダン会社の差し金ですか。
そんなわけないか。

あったかい気候の中で、
公園の木々たちも
なんとなくそわそわと年輪を
増やしているような感じですねえ。



公園広場には、
大勢の子ども連れ家族が集まっています。

いやあ、ほんとにたくさんです。

たぶんうちの村の子ども人数の
100倍くらいの子供が集まってました。

写真も撮りにくいくらい大勢です。

さすがに大都市高槻って感じですねえ。

では公園を出て次に向かいましょう。



静かな住宅地を進んでいきますと、



ここが歴代藩主の信仰を集めた
「八幡台神宮」です。



高山右近には焼かれてしまいましたが、
江戸時代に入って再興しているそうです。



境内には、こんなエノキの大木があります。



かたくていろんな役に立つ木なんですが、
生きてるんでしょうかねえ。

それと「アベマキ」の大木も、



こちらはしっかり保護されていました。

公園を出てまたほっつきやすい
住宅街を行くと、



ここにあったのが高槻城の大手門跡です。

高槻城のメインの出入り口で、
大手御門などとも呼ばれていたそうです。

参勤交代の時も、
この門から出入りし、
北上して西国街道に向かっていった
といわれています。

あの、天王山の下を通る京への街道ですね。

その道をたどっていくと、
途中こんな道標がありました。



右に行くと、京、山崎などと
書かれています。

左は大阪、茨木総持寺。



まあ、この辺りは交通の要所だったんですね。

なるほどと続く。

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本日は「さくら祭り」の続く
大阪狭山池を見学。

詳細は後日~