活眼明察日記

物事の道理や本質を見分け、真相を明らかにする眼力を養いたい

安倍首相に酒食接待受け内閣支持率65%献上する朝日新聞

2013-05-21 08:50:06 | Weblog
政治権力を監視し批判することを生業とする朝日新聞社トップと幹部らがこともあろうに、時の権力者安倍晋三首相が催す会食会に招かれ、さんざんご馳走になっていたこと、先ごろ報道された。報道機関としては、ありえなことであり、もっとも恥ずべき行動をしたのである。

これ以降、安倍と朝日は手を握り、敵対関係は解消されたとの観測が広がり、これにまつわるマスコミ各社の記事も氾濫、世間をにぎわしたことはつい先日のことである。これをきっかけに朝日は、「自民党政治の広報紙」に成り下がってしまった。

この事実を裏付けるように安倍にぴたりと寄り添った、朝日の恣意的世論調査の結果が本日20日、1面に掲載された。 酒食のもてなしの見返りと思われる、「内閣支持率65%」の献上だ。

官邸からの接待で批判精神を殺がれた、朝日が示したこの数字ほど、安倍をよろこばせたものはあるまい。

ところで、世論調査には無作為で抽出した有権者を対象としたというが、これほどあてにならないものもない。有権者を都合よく誘導し、数字もいくらでも操作できるからだ。官邸から接待を受ける朝日の止まらぬ劣化。これではたして新聞社といえるだろうか。

橋下市長、問題発言翌日の公休は職責放棄

2013-05-16 23:08:52 | Weblog
5月13日の橋下大阪市長の「慰安婦は必要だった」発言に大阪市役所には、全国から多数の批判と苦情が寄せられたものと思われる。翌日14日は対応の職員の苦労をよそに、「公休」を取った。橋下本人は自己の発言をツィッターを通じ、あれこれと正当化するため、一日を費やしていた。ずいぶんと「いい気なもの」だ。普通の感覚の持ち主の市長であるならば、そんなヒマがあれば登庁し、収拾にあたることが自己の職分だと考える。

橋下は11年11月の大阪府・市ダブル選で大阪市長に就任した。以来、職権を振りかざし職員を締め付けるため、「職員基本条例」なるものを成立させた。

職員の了解をえずに、送受信メールの内容を極秘裏に調査していたことや、全職員に対し違法な「思想調査」まで行ったことは、よく知られているとおりである。最近では橋下本人が自己の後援会長の息子を秘書に雇い入れ、勤務実態がないのに、大阪市が多額の給料を支払っていたことも明らかにされている。橋下に市役所という職場を支配され、その上、私物化されている象徴がそこにある。

橋下は日ごろは職員には強硬態度で臨んでおきながら、今度は国際問題になっている不用意な発言を、「尻拭い」させて煩わせている姿はまことに嘆かわしいかぎりである。

そして、最も忌み嫌われる「他人にきびしく自分に甘い」をモットーとする、「はずれ市長」を支え、カバーしなければならない職員もご苦労なことである。また、橋下の見苦しい行為は市民にも大変失礼なことである。どのように詫びるのだろうか。無神経な橋下のことだから、眼中にはないのかも知れない。

慰安婦問題で墓穴  欺瞞「橋下劇場」終幕へ加速か

2013-05-14 21:15:32 | Weblog
差別主義で名を馳せる石原慎太郎維新共同代表。立場を同じくする橋下徹も負けず劣らずの差別主義者である。

その橋下が女性蔑視と品性を疑わせる発言をしたことで、内外のひんしゅくと反発を買っている。これで日本の「国際信用力」は一気に失われてしまった。

橋下は5月13日の大阪市役所での記者会見で、「兵士が命がけで戦場で戦っているのに、休息を与えるために慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」と得々と自説を披露した。さらに、その日の夕方には5月の初めに普天間を訪問した際、在沖縄米軍司令官に向かって、「海兵隊の性的エネルギー発散のため、日本の風俗産業を活用してほしい」と申し込んだことまで会見で明らかにした。

これが日本維新の会共同代表で大阪市長の発言であるから、あきれるしかない。沖縄県民への思いやりのない侮蔑発言と言い、大阪市民には「恥さらし市長」を選んでしまったこと、悔やんでも悔やみ切れなかったのではないだろうか。

維新への支持率低落は歯止めが利かず、「消滅」も噂されている。橋下は安倍晋三首相の屈折した歴史認識を補強し肯定するため、その先兵としてたびたびマスメディアに登場した。起死回生をねらった挽回策であったが、ねらいは外れ、かえって墓穴を広げることとなってしまった。もう「おしまい」ではないだろうか。

そろそろ劇場型政治の「終わりの始まり」にしなければならない。そして、橋下の広報役を担ってきたマスメディアには、「橋下ごまかし政治」のまやかしに満ちた政治手法を今すぐ総括することが求められている。橋下を早く退場させるために。

東京大空襲訴訟  82歳原告団長の「不屈」に学ぶ

2013-05-12 09:12:33 | Weblog
1945年3月10日の東京大空襲の被害者と遺族が国に謝罪と賠償を求めていた訴訟では、一、二審とも原告側敗訴だった。原告側はこれを不服として最高裁に上告していたが、8日、請求は退けられた。これで一、二審判決が確定した。棄却は5人の裁判官全員一致というから、何とも非情かつ理不尽な決定であった。

一、二審判決理由はこうだった。「空襲に限らず様々な形の戦争被害者がおり、どう救済するかは立法の問題」(5/10朝日新聞)と大上段に切って捨てた。どうだろう。この責任転嫁と思い上がりぶりは。

先の大戦では日本軍部と警察・検察・裁判所の司法権力が一体となって、「戦争遂行勢力」としてその役割を担ってきた。その悪行の数々は、いまでも巷間語り継がれているところである。

これら勢力は戦後70年を間近にして、総括もしていなければ罪滅ぼしもしていない。きわめてたちが悪いと言うべきである。裁判所は戦争による被害と苦しみを与えてきた国と一緒に原告団に謝罪し、補償と救済の道を開くことが努めではないのか。「門前払い」は筋違いというものである。

それにしても原告団長の星野弘さん(82)は無念のことだったと思う。無駄に歳を重ねた「若造」裁判官5人に紙切れ一枚で今後の道を閉ざされるとは。星野さんは大動脈流手術を受け、いまは杖がないと歩けないという。それでも気丈に、「まだ終わりではない」と語ったそうだ。希望があるからこその言葉であろう。決してあきらめない「不屈」の精神、学ぶところ大である。