福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

流氷への旅(8)

2008-04-02 23:31:45 | 低温研のことごと

春の訪れは、なんだかワクワクします。新しい何かが始まりそうで、期待に胸が膨らみます。

0102新しくなった研究棟は、実に明るい!その一方で、低温研らしい伝統も引き継いでいる。その一つが玄関ホールの壁。海氷の垂直断面の偏光像(海氷結晶)をタイルでイメージした壁面となっています。玄関に入った瞬間から低温科学への誘いです。

本日、東京から贈り物が届きました。茅野春雄先生からで、先生の自叙伝『昆虫の謎を追う~あるナチュラリストの奇跡』(学会出版センター)を頂いたのです。早速、ページをめくってみましょう。この本には、こんなくだりがあります。少し長いのですが、引用いたしましょう。

海氷が出来る時、当然、海水塩分の濃縮が起きる。この濃い塩分を含む海水をブラインという。このブラインが、氷の表面からすごい勢いで海水に流れ落ちてくる現象を、若土君はシュリーレン撮影で捉えた。私はその見事な写真を見て「すごいもんだなあ」と感心した。

彼はそのとき言った。「南極や北極やオホーツク海の海氷から出るブラインが、海の中・深層海流の源流になっているのだと思う。これを確かめるのが僕の夢だ」。

こういうのを研究者のロマンティシズムというのだろう。まったくの門外漢の私にも、彼の夢はすぐ伝わった。しかし、こんな好い仕事が「低温科学研究所報告、物理編」に報告されているだけだと知って落胆した。

  (中略)

これはすばらしい仕事に違いない。今度こそ、この分野の国際誌に投稿すべきだ。都立大学時代の自分を想って、他人事ではなかった。

彼は決心して英語で論文を書き出した。私が英語を直す約束をしたからだ。藁半紙に手書きで書いた分厚い原稿が出来上がった。投稿するジャーナルは、アメリカで出しているJournal of Geophysical Research (J.G.R.)に決め、私が直したタイプ原稿は、若土君が知り合いのワシントン大学のドクター、マーチンに最終的に見てもらうという条件で、引き受けた。その前に、J.G.R.に一寸目を通し、この分野ではどんな論文の書き方をしているのか、一応頭に入れた。約束は守らなければならない。彼と差しで、一行一行、ただし数式は全部飛ばして、難業が始まった。三ヶ月近くかかった。最後の一週間は、腹を据え、ほとんど一日中つぶし、胃が痛くなるのを初めて経験した。

こうして出来上がった原稿はマーチンに送られ、やがて送り返されてきた。英語はそれほど直されていなかったと記憶している。

J.G.R.のレフリーの一人からは、長すぎるから短くするよう言ってきた。少しだけ削って、再投稿した。受理まで随分待たされた。アクセプトの手紙が届いたとき、彼は3階から駆け下りてくるなり、ちょうど天秤の前に座っていた私の肩を思い切り叩いた。彼の腕力はすごい。何しろボートで鍛えた腕だ。

記念にもらったその9頁の論文の別刷は、今でも私の手元にある。むろん、私の名前は何処にもない。謝辞に書くというのも断固断ったからだ。ただし、祝杯の酒は十分馳走になった。

若土君は、それ以来、論文はすべて国際誌に出すことになった。むろん自力で。そして、彼が描いていた「ブラインの中・深層海流の源流説」は、いまや海洋学では広く認められている。

これは、1975年頃のエピソードですから、30年前のこと。その舞台は、改修工事前の研究棟の1階と3階。その若土先生もこの3月で定年退職されました。

Photo改修工事落成記念銘菓『北の地の春を待ちわびる』の一つである『流氷』を頬張りながら思う。改修後の研究棟、所謂、『白い瀟酒な建物』のオフィスは、明るく、冷暖房完備で快適です。しかし、快適すぎて、オフィスの中に閉じこもっていては、低温科学研究所らしい学際研究の発展が望めなくなるのではないだろうか。オフィスは快適かもしれませんが、扉を開け放ち、常に様々な情報が行き交い、また、異分野の研究者間で新しいサイエンスを議論するよう、心がけようではありませんか。

内緒話(?)ですが、先月末、東京の吉祥寺で、茅野先生と若土先生はお酒を酌み交わしたそうです。