福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

花の香り、そして、流氷への旅

2014-05-11 12:55:00 | 流氷への旅シリーズ

五月の札幌は花の季節だった。まず梅が咲き、桜が咲く。札幌ではこの二つの花の間にほとんどずれがない。心持ち梅が早いというだけで実際には二つの花が同時に咲く。

 

(渡辺淳一「流氷への旅」より)

 

4月30日、『流氷への旅』の作者逝く。本棚の奥深くに眠っていた『流氷への旅』のページをめくる。

 

美砂(みさご)のアパートから北大の低温科学研究所へ通う道にも、至る所にリラの花があふれている。美砂はこのリラの花の香りが気に入っている。パステルカラーの淡い花とともに、その香りも、どこか秘めやかで慎み深い。美砂はその花の並木の横を通って研究所に入る。

 

(渡辺淳一「流氷への旅」より)

 

4月末から6月にかけて、札幌はとても過ごしやすい季節です!

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流氷への旅(11)

2009-06-13 00:07:35 | 流氷への旅シリーズ

車が流氷研究所に着いたとき、あたりはすでに夜になっていた。この前来た時、丘から夜目にも白く見えた氷原は、いまは氷がとけ、黒一色の闇である。

(中略)

オホーツクの果てにもようやく春の息吹が伝わってきて、人々の気持ちも、どことなく華やいでくるらしい。

(流氷研究所でのコンパが)一時間もすると、みな勝手に歌を歌ったり、議論をしている。議論は学術調査隊のあり方や、教室の研究体制の問題など、かなり堅い話である。紙谷はこの研究所の実質的な責任者だけに、みなに取り囲まれて、次々と話しかけられている。
「その点をはっきりいってやってくださいよ」と一人がいうと、別の男が「断固追求すべきですよ」とテーブルを叩く。どうやら若い研究員たちが紙谷をつきあげているらしい。

美砂はそんな話になると皆目わからない。

(中略)

九時を過ぎた時、藤野が美砂の横にきてささやいた。
「これから飲みに行きます。一緒に行きましょう」
「どこへですか」
「駅の近くの“オホーツク”という飲屋です。そこまで行けば旅館もすぐです」

“オホーツク”という店は、入った左手にスタンドがあり、右手にボックスが四つほど並んでいる。地方のせいか全体にゆったりとして、東京のような狭苦しさはない。

(中略)

座はまた、賑やかになる。もう前のような難しい話はなく、研究途中でのゆかいな失敗談などを話している。酔ってはいても、若い男たちの席はすかっとして気持ちがいい。

(渡辺淳一『流氷への旅』より)

流氷の街紋別で、『オホーツク』という飲み屋を捜してみたのですが、見つからず、残念。しかし、「はまなす通り」って、何だか親しみの持てるネーミングですね。

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そう言えば、『チェンジング・ブルー』の第11章の冒頭に寺田寅彦の言葉が記されています。

   

   科学はやはり不思議を殺すものではなく、
   不思議を生み出すものである。
                 寺田寅彦


流氷への旅(10)

2009-06-11 08:56:10 | 流氷への旅シリーズ

夕暮れとともに寒気が増していた。ただ見ると止まっているようにみえるオホーツクは、その実いっときとして止まっている時がないらしい。
「今夜は紋別に泊まるのですか」
氷原の中程まで来た時、紙谷がきいた。
(美砂曰く)「駅前の小山旅館というところに、泊ることにしました」

(中略)

昨夜、寝る前には、朝早く起きて、流氷の日の出を見るつもりだった。白く輝く氷原の先から朝日が昇ってくる。その時、蒼い海はどのように輝き、氷原に浅く積もった雪はどのように染まるのか。美砂は、昨夜、それを想像しながら眠った。

(中略)

昨日、流氷研究所を教えてくれた丸顔の女中が入ってきた。
「流氷研究所はいかがでしたか?」
「とても楽しかったわ」
一瞬、女中は不思議そうに美砂を見た。流氷研究所を見て、楽しいというのは、わからないと言った表情である。たしかに、研究所は楽しいというより、素晴らしいとか、感心した、とでもいうべきところなのかもしれない。

ただ、美砂は本当に楽しかったのだから仕方がない。

(渡辺淳一『流氷への旅』より)

既に紋別駅はなく、現在は、道の駅になっています。駅周辺で小山旅館を探してみましたが、残念ながら見つからず。道の駅近くの「あんどう」と言うレストランに入り、その旅館の所在地をマスターに訊ねてみました。旅館はレストランから歩いて数分のところにあるとのこと。

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早速、その地を訪れてみました。しかし、すでに建物は取り壊され、空き地になっていました。まさに、この場所で美砂は泊っていたのです!

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美砂が見た日の出は、どんなだったのでしょうか?

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それにしても、低温研はいつまでも楽しく、そして、活気溢れる、若々しい研究所でありたいですね。


流氷への旅(9)

2009-06-10 08:20:47 | 流氷への旅シリーズ

車はそのまま研究所に集まっていた男たちを乗せ、スキー場に向かった。美砂(みさご)を入れて総勢4名である。

(中略)

スキー場は紋別山の麓を切り開いた広々とした斜面である。美砂は下手なので、上までは登れなかったが、途中まで登っただけでスロープの先に海が見渡せた。

蒼一面の海面に点々と流氷が浮いている。昨夜程度の風では、流氷が岸に戻るのは無理らしい

(渡辺淳一『流氷への旅』より)

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紋別山のスキー場は今でもあるようですね。低温研の『オホーツク海沿岸海氷・雪雲エコーレーダー』も稼働しているとのこと。設置場所はどこでしょう?

余談ですが、外国の方にも『流氷への旅』ファンがおられるのですね。そして、原作ゆかりの地を訪ねる旅をなさるなんて、ロマンチックですね。


流氷への旅(8)

2009-06-09 14:50:05 | 流氷への旅シリーズ

その二階建てのコンクリートの建物がいかにもにもどっしりと落ちついて見えたが、吹きさらしの丘の上にぽつんとあるのだが、少し淋しげでもあった。

(中略)

美砂は札幌で買った滑り止めのきいたロングブーツを慎重に運びながら、雪道を灰色の建物に向かった。

入り口の正面には蝦夷松が雪の中から顔を出し、その左手に、コンクリートの門があった。雪は門の半ばまで埋め、その上半分の御影石に、「北海道大学低温科学研究所付属流氷研究所」と、刻まれている。

美砂はしばらくそれを眺めてから、正面玄関のガラスのドアを押した。

(渡辺淳一『流氷への旅』より)

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あの流氷研究所は、今どうなっているのであろう?


流氷への旅(7)

2008-02-22 08:58:49 | 流氷への旅シリーズ

01_2札幌から都市間バスに乗って5時間半。
そして辿り着いた場所が、オホーツクの町・紋別

ここは、渡辺淳一の『流氷への旅』の舞台です。肌を突き刺す、凍てつく寒さの中での巡り旅には、エネルギーの補給が欠かせません。

0201と言うことで、紋別名物『オホーツク紋別ホワイトカレー』をいただくことに。オホーツクの海の幸にクリームベースのカレー。菱形の赤ピーマンは、ガリンコ号をイメージ。流氷を砕氷しながら突き進むガリンコ号の様子が表現されています。

例年になく流氷の多い今年、ようやく念願かなって流氷への旅に出かけることができました。詳細については、後ほどご紹介いたしましょう。


流氷への旅(6)

2007-05-16 06:53:17 | 流氷への旅シリーズ

 それだけに、美砂には大学で見るもの、聞くもの、全てが新鮮に映る。こんな生き生きとした世界があったとは知らなかった。
 その意味で、美砂は札幌まで来てつとめたことを悔いていない。
 (中略)
「北へ来たのは間違っていなかったわ」
 (中略)

 札幌には梅雨がない。その梅雨のない六月の街のあちこちに、ライラックの花が咲いている。ライラックは英名で、フランス語ではリラという。日本語名はムラサキハシドイと名付けられている。せっかく日本名があるのに、リラという言葉の方が似合うのは、この花が外国から移し植えられたせいなのかもしれない。
 美砂のアパートから北大の低温科学研究所へ通う道にも、至る所にリラの花があふれている。美砂はこのリラの花の香りが気に入っている。パステルカラーの淡い紫色の花とともに、その香りも、どこか秘めやかで慎み深い。
 美砂はその花の並木の横を通って研究所に入る。

           (渡辺淳一「流氷への旅」より)

070516もうすぐ、リラの季節を迎えます。その慎み深い香りが、低温研で行われている研究に活力を与えてくれるかもしれません。待ち遠しいですね。


小説のモデル

2007-01-14 17:38:14 | 流氷への旅シリーズ

低温科学研究所には40名余の教員がいます。2004年8月に私が赴任して以来、教員の退入が適当数あります。現在の教員の方のお名前はすべて覚えていますが、一堂に会する機会はあまりありません。

先日、そう言う機会(会議)がありました。偶然、『流氷への旅』(渡辺淳一)の頃の当該研究グループの方々が、私の後方と前方の席についておられました。ちょっとドキドキしてしまいました。小説に出て来る、紙谷や藤野はどなたがモデルなんだろう? 紙谷の身長は180cmだから、彼らではないんじゃないだろうか? いや、小説だからあえて実際の身長を変えているのかもしれない。そんな、こんなを会議中ずうっと考えていました、ほとんど意味のないことですが。不真面目きわまりないですね。反省。

「流氷への旅」シリーズ、まだ完成していません。今取材中です。今年のお盆前までには取材を完了させます。できるだけ多くの写真を撮って、記録として残す計画です。一度は、流氷の時期の紋別へ行って、取材したいと思っています。まあ、紋別への旅はいつになるのかわかりませんが。


流氷への旅(5)

2006-11-08 16:29:17 | 流氷への旅シリーズ

昼間のせいで、地下鉄は空いていた。美砂はそれに乗って、南一条まで出ると、来るときに寄った不動産屋に行ってみた。

手頃だという物件を二つほど用意してあった。一つは大学の近くの北二十条で、もう一つは明峯家に近い円山(まるやま)だった。北大のほうは六畳と四畳半で三万円、円山のほうは同じ大きさで三万五千円である。

どうせ家を出るときは、喧嘩同然になるのだから、仕送りはあまり期待できない。考えた末、美砂は北大近くのアパートに決めた。

(中略)

五月の札幌は花の季節だった。

まず梅が咲き、桜が咲く。札幌ではこの二つの花の間にほとんどずれがない。心もち梅が早いというだけで実際には二つの花が同時に咲く。

美砂のアパートは駅から陸橋を渡って、北へ二キロほど上がったところにある。正確には北二十条西七丁目である。

このあたりは戦後開かれた住宅地だが、この数年の宅地ブームですっかり家が密集してしまった。今ではここより先に、大麻(おおあさ)とか、新琴似(しんことに)という団地ができて、このあたりまで都心部に入ってしまった。

        (渡辺淳一・「流氷への旅」より)

20この写真は現在の北二十条西七丁目です。学生用のアパートも多いようです。小説でも表現されているように、家が密集していますが、東京に比べればとても広々としています。

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北二十条西七丁目から徒歩数分で「憩いのお店」(北21条西8丁目3-5)があります。


03店内からは北大キャンパスが眺望できます。創成棟がない頃は、手稲山も見ることができたそうです。


02_2このお店の良さは、コーヒーが無料であることです。気に入ったお菓子を買って、店内でコーヒーを飲みながら食べることができます。お菓子は季節によって変わり、秋のおすすめは、なんと行っても「栗きんとん」や「おはぎ」です。もちろん定番もおいています。


流氷への旅(4)

2006-10-20 08:47:22 | 流氷への旅シリーズ

美砂:「仁科さんは立派な秘書だったと、先生は口癖のように仰言っています」
杏子:「先生は退屈しのぎに、ご冗談を仰言ったのでしょう」
美砂:「いえ、本当です。昨夜もあのあときかされたのです」
杏子がそっと紅茶を飲む。

美砂:「秘書の仕事というと、どんなことをするのでしょう」
杏子:「わたくしのときは、先生への電話を取り次いだり、文献を揃えたり、タイプを打ったり、大体そんなことでした」
美砂:「わたし、タイプは苦手なのです」
杏子:「簡単な文献をうつだけですから、そんなに上手にできなくても平気です」
美砂:「時間は?」
杏子:「一応、朝9時から夕方5時までということになっていますが、先生はあの通り暢気な方ですから、とても気楽です」

    (渡辺淳一・「流氷への旅」より)

30年前は時間がゆっくりと流れていたのですね。

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時代は過ぎ、現在は?

4つの研究グループを一手に引き受けている秘書さんは、大忙し。


流氷への旅(3)

2006-10-14 00:54:44 | 流氷への旅シリーズ

明峯教授の部屋は、3階の右手にあった。入り口に「明峯教授室」と書かれ、ドアの行先掲示板に「在室」と出ている。

美砂は一瞬ためらい、それからそっとドアをノックした。
内側から返事がきこえ、美砂は自分からドアを開けた。
すぐに衝立(ついたて)があり、奥は見えない。

「竹内美砂です」
「おうっ、いらっしゃい」
教授の声がして立ち上がる気配がする。美砂はコートを脱ぎ、衝立の前に出た。
(渡辺淳一・「流氷への旅」より)


Photo_21これが現在の3階の右手の研究室です。海洋学教室ではなく、気候変動グループの部屋になっています。



Photo_22しかし、教授室の入り口は、33年前と同じ行先掲示板があり、「在室」マークも同じです。色あせてはいますが、、、


流氷への旅(2)

2006-10-13 00:41:44 | 流氷への旅シリーズ

左手は裸木が続き、右手はポプラ並木の果てに雪をかぶった山並みが午後の光に輝いている。

「広いな」
美砂(みさご)は溜息をつき、改めて北海道へ来たことを実感する。

研究所には特に受付はない。入口の左手に研究所内の講座名と、所員の名札だけが掲示されている。「海洋学教室」という名札の左に、教授・明峯隆太郎、助教授・今井正浩、となり、以下、講師、助手と続く。藤野の名前は助手の三番目に並んでいる。

だが紙谷の名はない。美砂が探すとその次の、「紋別流氷研究所」という表示のすぐあとに、紙谷誠吾と言う名札が下がっている。
(渡辺淳一・「流氷への旅」より)

現在でも入口の左手に所員全員の名札がかかっていて、在所の場合は黒色、不在のImg_1113場合は朱色の文字で記しています。一目で全所員の名と所在が確認できます。とてもシンプルですが、30年上も続いている巧みなシステムであると思います。

Img_1114渡辺淳一はしっかりと取材して、小説を書いているのですね。


流氷への旅(1)

2006-10-12 23:40:15 | 流氷への旅シリーズ

明峯教授の勤めている低温科学研究所は、その北大の一隅にあった。かつて雪の研究で有名だった中谷宇吉郎先生がいたころは、構内のほぼ中心に、赤い煉瓦の建物であったが、その後手狭になって、いまの白い四階建ての、瀟洒(しょうしゃ)な建物に移ったのである。  (渡辺淳一・「流氷への旅」より)

Photo_19バンクーバーの会議に出席していたJAMSTECのOさんから、低温研を舞台にした渡辺淳一の小説があることをお聞きいたしました。渡辺淳一といえば、野口英世を題材にした「遠き落日」などで有名ですが、帰国後、早速上記小説を読んでみました。

Photo_20その瀟洒な低温研の研究本館は、実際は4階建てではなく3階建てです。小説が書かれた当時から既に33年が過ぎ、建物は老朽化が進んでいます。

話は変わりますが、今晩日本ハムファイターズが25年ぶりにリーグ優勝しました!