福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

ミュンヘン、サッポロ、テイオンケン

2007-05-06 00:04:11 | 低温研のことごと

初めての海外は、一生忘れられない。

今の大学院生ならば、海外での学会参加・発表は当たり前になって来ました。私が院生であった頃は、海外へ行くこと自体、大変なことでした。とくに、航空券が高く、経済的に恵まれない院生にとっては、海外は手の届かない憧れの場所

研究で初めて海外へ出かけたのは、1990年の10月。つくばにある、通商産業省工業技術院公害資源研究所(略して、公資研)に研究員として就職して1年半が経った時です。

その頃、養賢堂から出版されていた「土壌微生物実験法」を改訂することになり、東北大学の服部勉先生から、「硫酸還元菌の計数と分離」に関する章を執筆して欲しいとの依頼が来ていたのです。当時、自然界に存在する多様な硫酸還元菌を培養し、分離するための培地は、フリードリッヒ・ヴィッデル先生(Friedrich Widdel)が考案した完全合成培地が最適でした。この培地は、重炭酸塩で緩衝化させ、硫化物で還元させたもので、酸素を嫌う偏性嫌気性菌の培養に適したものです。ところが、厳密な嫌気的な条件下で、培地を作成することは極めて困難です。

この培地の作製法をマスターして、自分自身の研究に活かし、さらに、「新編土壌微生物実験法」で紹介することにより作製法を普及させたい。そんな思いが強くなり、意を決して、ヴィッデル先生にお手紙をお送りいたしました。その内容は、ヴィッデル先生の研究室で短期間滞在して、培地作製法と菌の培養・分離法を直接教えて欲しい、というもの。幸い、先生から快諾の返事をいただき、ドイツのミュンヘン大学微生物学及び遺伝学研究所へ行くことになりました。

とは言うものの、問題は資金。航空券は37万円と高価です。最初の年の冬のボーナスと2年目の夏のボーナスを合わせて、また、2週間の有給休暇を取って、何とか渡航に至りました。当時の研究室の室長さん(漆川芳國さん:現在秋田県立大学教授)がとても理解ある方で、つくばから成田空港まで自家用車で送っていただきました。

事前の連絡(ファックス)で、ミュンヘン中央駅でウィッデル先生と待ち合わせをすることになっていました。雑踏の駅構内、ひとりぼっちで日本からのスーツケースのキャリーハンドルを握りしめながら、先生が来るのを待つ。あれだけの大発見をされた方だから、とても厳しい方なのでは? 権威的で、高圧的な方であったらどうしよう。次第に、胸が高鳴り、心臓が破裂しそうになって行く。

間もなく、自転車を引きずりながら、「Dr. Manabu FUKUI」と黒マジックで書かれたA4の紙を携えた、ヴィッデル先生登場。とても紳士的で、温和そうな方なので、ホッとしました。その後、トラムで研究所へ。研究所はニンフェンブルグ宮殿に隣接。研究室に到着後、直ぐに打ち合わせ開始、そして、実験が始まる。

それからと言うもの、先生の研究室で1週間、朝から深夜まで、マンツーマンで方901001法、その背景にある原理などを懇切丁寧に、かつ、徹底的に教えていただきました。宿は、研究所の屋根裏部屋と言うこともあり、私自身も実験に集中することができました。当時、先生からできるだけ多くのことを学び取ろうとして、ノートに詳細を記す。このノート、現在でも残っており、宝物の一つになっています。

ヴィッデル先生は、とても器用な方で、実験装置をご自分で制作される。その設計の細部まで、実に考え抜かれたもので、それは、目的とする微生物の生理学に合わせているのです。一切妥協しない、徹底したヴィッデル先生の学者魂を学び取りました。

とかく、若い時はあれもやりたい、これもやりたいと思いがち。しかし、それでは、到達できない領域がある。そんなことをヒシヒシと感じ取った1週間となりました。

当時、英語も満足にできなかったので、どれほど深くヴィッデル先生とコミュニケーションができたのか、怪しいところですが、この1週間で学んだことを、「新編土壌微生物実験法」で紹介いたしました。また、現在、私たちの研究室にある、嫌気性細菌培養のための装置(手作り)のいくつかは、1990年にヴィッデル先生から私が学び取ったことを基礎としています。サッポロのテイオンケンにある実験室に何気なく置かれている装置の一つ一つにも、それなりの歴史と謂れがあるんです。

さてさて、神経を使う、嫌気性細菌の培地作りや培養実験を終えたらば、その神経の高揚を沈める意味でビールでも飲みましょうか。一人で黙って、シュワッと、テイオンケンで!