狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

天変地異、災害、無常・・・方丈記・鴨長明の生き方と、キリスト者としての生き方

2012-12-20 23:48:17 | 孤独・独立・自尊心
 既に数々の異常気象が起きていますが、明日12月21日から、その根本的原因である惑星ニビルの接近とフォトンベルトの到来によって、今後に様々な自然災害が予想されます。今から八百数十年前にも、京の都で似た様な事が起きていました。
 400年程も続いた平安時代末期京都平安京は様々な災害に襲われました。1177年(安元3年)「安元の火災」1180年(治承4年)「治承の竜巻」、その同じ年に「福原京」へ半年程だけ遷都、1181~1182年(養和元年~2年)「養和の飢饉」1185年(元暦2年)「元暦の大地震・津波(文治京都地震)」と災害が続きました。家屋・財貨は塵灰となり、飛ばされ流され更地となり、飢え死等の男女の人の多くの死者を出し、親を失う幼子や身体が不自由な人を数知れず出し、家畜も失い、異臭が漂い、人の営みもおろそかになって、平安の都は虚しく荒れ果てました。又、人心も憂いや悩み、虚しさ、絶望感に陥り、同時に贅沢や貪欲な気持ちが改まって謙虚になりました。
 その様子を書き記した日本最古の災害ルポルタージュ「方丈記」は、鎌倉時代の1212年(建暦2年)、出家した鴨長明によって書かれました。鴨長明は下鴨神社(賀茂御祖神社)の禰宜・鴨長継の次男として京都で生まれました。官吏として従五位下の位階の地位にいました。しかし、禰宜等の神職としての出世が叶わずにいました。又、歌人でもあり、琴や琵琶等の管弦の名手でもありました。出家前に前記の様々な災害を目の当たりにしながら経験し、その様子を書き留めて出家後に方丈記を成立させました。豪華絢爛華やかな平安京の建物や人など全てのものが壊れ荒れ果てていく様を見て、「無常」「はかなさ」を思い、世に虚しさを覚えて、京の外れの伏見の大原山、後に日野山の一丈四方(方丈)の草庵に、隠遁・隠棲生活を独りで始めました。元々妻子のいない独身捨て難いものも殆ど持っておらず、俗世間を逃れて静かに過ごす事に迷いも無く、世間の様々な煩わしさから逃れて自然に身を委ね、風流を楽しみ、を煩う事の無い事を楽しみました。又、徒然なる様な暇に感じる様な時には、近くの少年と遊んだりもしました。
 方丈記「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
 「身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづかなるをのぞみとし、うれへなきをたのしみとす。すべて世の人の、すみかを作るならひ、かならずしも身のためにはせず。
 「今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこもなし。・・・もしなすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべきことあれば、みづから歩む
 「手のやつこ、足ののり物、よくわが心にかなへり。心また身のくるしみを知れゝば、くるしむ時はやすめつ、まめなる時はつかふ。つかふとてもたびたび過さず、ものうしとても心をうごかすことなし。いかにいはむや、常にありき、常に働(動イ)くは、これ養生なるべし。なんぞいたづらにやすみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますはまた罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。」
 「大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮雲になずらへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。
 「世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりにしめり。
 「おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。
 「もしせばき地に居れば、近く炎上する時、その害をのがるゝことなし。もし邊地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなれがたし。いきほひあるものは貪欲ふかく、ひとり身なるものは人にかろしめらる。寶あればおそれ多く、貧しければなげき切なり。人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似たり。」
 世のものを多く持つ事から心に煩いが生じ、欲望から常に心が満たされる思いがせずに次々と欲しくなって、満足出来ずに常に渇いてしまいます。地位や財産等の所有を捨て俗世間に交わらずに其処から独り静かに逃れてマイペースで生活し、憂い悩みの無い事でストレスも無く、心に余裕が出来ます。人に頼まずとも自分で行えば事足りて、人にも自らにも煩いを与えません。自然・運命身を委ねて風流を楽しむ。只、隠修者としての孤独な修道生活・修行・奉献生活において聖に比べると、自身がまだまだ出来ていない、悟りを得ていないと謙虚に自分を見つめています。しかし現代では特にですが其の当時においても、世に従う事を嫌って隠棲生活を送る事は世間から変人扱いされてしまうのではないかと、隠棲生活に入る前には思い煩っていました。
 隠棲生活良寛にも似ていますが、仏教では平安を得る為に現世からの脱却を勧めています。しかし、キリスト者としての行い・考え方は、貧しさや苦しみ・悩みの有る一見不幸な様な状態から逃れるのでは無く、その上で福音に忠実にして自分の十字架を背負って生きるならば、神様からの祝福が得られ、やがて解放されるという約束によって生きる苦しみに立ち向かう事が出来ると言う事です。イエス・キリスト十字架への道の苦しみと死を経た後に復活をした事が、その事を表しています。苦しみを経た後に、永遠のいのちが得られます。
 本ブログの12月2日付「世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順」を体現した,アッシジのフランシスコも、「志願貧乏」でした。自ら修道会を作り、隠修士であると同時に托鉢的に説教をして布教しながら、祈り手仕事の労働施しによって生活をしました。又、労働の対価はお金で受け取りませんでした。
 新約聖書・マタイの福音書6章1~2節人に見せるために人前善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、におられるあなたがたのから、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです