狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

人権週間、全ての人が障がい者・・・曖昧な根拠・基準

2012-12-04 22:31:41 | 世間・空気
 本日から10日までの1週間は人権週間です。昔からの差別や、在日の方等の外国人への差別、障がい者、お年寄り、女性、犯罪歴のある方、生活保護を受けていられる方、虐待を受けている子供や女性、お年寄り、犯罪の被害者(女性の性被害等)等、社会生活上の様々な場面・環境等において差別・偏見が存在し、其れを被る方々は雇用等の社会的活動やプライベート等において、非常に生きにくくなっております。
 市場原理主義、金融至上主義、規制緩和等によって格差が拡大し、一部の者の富が極端に膨らんでしまい、非正規労働者の方々の様な下層の人々の年間所得が200万(~300万)以下という現実となっております。昭和50年(1975年)から発行され始めた国債のその後の膨大な発行によって国の借金は1000兆円近くまで膨らみ、外国から借金をするよりは国内の税金で賄った方が良いので逆進性の消費税を上げる事は仕方が無いですが、同時に累進性の所得税を以前のレベル程まで上げるべきだと思い、国際競争力が弱くなるからと下げている法人税も上げるべきだと思います。所得税の最高税率は昭和54年(1979年)までは75%でしたが、其の後少しづつ下げられて、平成12年(2000年)には30%台にまで下げられてしまい、現在は40%となっています。私は振り返って、昭和50年代まで(~1984年)の日本は良い意味で「社会民主主義的」「バランス」のとれた状態であったと思うのですが、昭和60年(1985年)のプラザ合意による円高ドル安政策によるバブル形成が起こされてから、以前の「古き良き昭和」の状態が壊されてしまったと思います。人権においての偏見を無くす事と同様、経済・金融・財政・国民所得のバイアスを無くしてバランスを高める必要が有る様に思います。因みに、介護・福祉関係の給与が少ない事が問題となっていますが、高額所得者の給与を減らしてその分をその様な分野へお金を回せばバランスは取れるはずであると思います。難しい事では無く、至って簡単な理論です。
 差別というものが現実に存在しますが、そもそも何を「根拠」に差別をしているのかが解りません。と言うよりも、根拠が初めから無い訳です。差別をしている人達は、根拠も無いのに差別をしている訳です。ただ、世間の評判や昔からのしきたり・習慣、マスコミの垂れ流す情報を基準にしているだけで、「真実の根拠」が解っていません。考え方、判断の仕方、物事の捉え方、生き方等において、その真実の根拠が必要であります。世間で常識とされている事も、少し見方・捉え方を変えるだけでその誤りに気付いたり、裏に隠されて見えない真実が見えて来ます。差別は一種の洗脳であり、盲目であるだけであります。又、同時に正しい知識も必要となります。その正しい知識・情報を得る為にも、「真実の根拠」が必要になる訳です。
 因みに差別にも元々正当な理由・根拠が存在しません。「エタ」と呼ばれて差別されていた人達は、古代ユダヤ人である事が多いです。シルクロードやインド洋を通って来た渡来人の秦氏は古代ユダヤ人ですが、ローマからは異端とされていたネストリウス派のキリスト教徒(中国で言う景教)であった事が多く、イエス様をキリスト(救世主)と認めていた人達です。そして、旧約聖書における神様への罪の贖いとしてのいけにえである牛を犠牲にして神様に捧げていました。犠牲と言う漢字は、両方とも牛偏です。奈良時代に仏教が国教となった事によって、偶像崇拝を律法によって禁じられている古代ユダヤ人の人達は、中央政権に妥協して受け入れた人達は其の後出世して此の世における成功を手に入れましたが、律法の定めに忠実であった人達は従わずに山奥等に逃げて戸籍を持たないサンカ等になり、川の近くのとなって牛のや皮革加工等を生業にしました。又、仏教では殺生をすることが最も重い罪とされる事も相まって、その様な偏見・差別へと繋がった訳です。よって、元々の差別の発生原因を見ても解る様に、その差別そのものの存在自体が間違いである事が解ります。日本人は焼肉が好きですが、牛を日々食しておきながら牛のに対して偏見を持ったり差別する事等は矛盾も甚だしい様に思います。仏教形式で葬式を行なったりやお墓を建てる方々は、その様な矛盾をお持ちでは無いでしょうか。因みに、古代ユダヤ人も全てが景教徒であったとも限らず、「失われた十支族」の発生原因である紀元前721年の北のイスラエル王国崩壊の時には、ダビデ王・ソロモン王の後以来続けていた偶像崇拝を王の方針の下、行なっていました。その事が原因で主(神様)に国を滅ぼされて世界に散らされたので、日本の八幡神社や稲荷神社にその面影が残っている様です。八幡・稲荷共に秦氏の建立です。
 障がい者とは言いますが、人はみんな障がい者です。此の世に完璧な人は一人もいません。みんな一長一短が有ります。長所もあれば短所も有ります。長所であれ短所であれその度合いが過ぎると発達障害等とされているだけで、誰が作ったか解らない基準を基に線を引いて健常者と障がい者の分け隔てを行なっているだけです。つまり、そこでも「基準・根拠」が曖昧でいいかげんである事が解ります。口が悪くて悪口ばかり言う人は口の障がい者、高慢・虚栄・妬み・非難・不平・貪欲等を持つ人は心の障がい者である等、みんな障がい者です。ただ、度合いが強いか否かであるだけの事でしかありません。タバコが合法で麻薬が違法と言うのも同じ様な事で、共に健康にとって有害である事には違いは有りません。