2011(平成23)年3.11発生の東日本大震災から2年が経過するも、
大震災と名付けられたものとして祖母から聞かされていた1923(大正12)年9.1発生
M7.9関東大震災、1995(平成7)年1.17発生Mj7.3阪神淡路大震災に続いて起きた
Mj8.4Mw9.0の地震の被害は、原発事故まで起きた事で復興までの道程は
まだまだ先が見えません。
昨日3.10付朝日新聞朝刊10面にも寄稿があった、福島から避難されていらした方達の
除染と帰郷が果たして実現可能なのかという疑念は切実だと拝察されます。
又、津波で街そのものが失われてしまった岩手、宮城の方達の哀しみも、
問題が住居移転、お仕事、ご家族と多岐にわたっている分深く切実ですね。
昨年は陸前高田で行われたツールド三陸に参加させて頂いた事で、
岩手、宮城の方達から直接お話しを聞く事ができ新たなご縁ができました。
年賀状を頂いた気仙沼鹿折の復幸マルシェ山長小野寺商店ご夫妻には、
今年もお会いできる事を楽しみにしています。
又、福島の避難指示区域(帰還困難区域)から松戸に避難されていらしたYさんから
頂いた、ご家族で久し振りに集われた時の笑顔の賀状には又返信してしまいました。
お店にご来店頂いた時不在にしており未だ直接お目にかかっていないのですが、
月末の3周年記念会などでお会いする機会が持てないか思案中です。
今回の添付写真は昨年のツールド三陸健脚Bコースで撮ったもので、
民宿志田さんが大漁旗を飾って出迎えて下さったところ(上)と、
震災年の夏から筏を整備され牡蠣養殖を再開された広田湾の風景(下)です。
強い日差しの中沿道で長時間待って応援して下さった地元の方達、
特に未来ある小さいお子さん達のため、今後も何ができるかを
考えて行きたいと思っています。
難問山積みでも違う立場だったらどうなのかという「想像力」を働かせる事が
できれば、道筋はつけられるでしょう。
日本は地震多発国なので思いやる事は十分可能だと思いますし、
それは又いじめや体罰問題の解決に重要な事とも同じという気がします。
メディアも一斉に騒ぐのではなく、継続して報道して下さる事を望みたいです。
「がんばっぺし!!」
*昨年掲載した「ツールド三陸から1~5」は下記アドレスでご参照できます。http://blog.goo.ne.jp/cyclesmarmotte/d/20120918