エッセー

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勤労動員の思い出  1.五稜郭工機部 

2016-10-06 11:42:35 | 読書

 昭和19年(1944年)、敗戦の一年前だった。工業学校一年生だったわれわれは「勤労動員」にかり出された。最初は函館の国鉄五稜郭工機部だった。

▼木工仕上げ                                                   最初は「木工仕上げ」職場に配置された。仕事はバルブの漏れチェック作業だった。閉めてあるバルブの出口側に石けん液で幕を張る。空気圧(1~2気圧?)をかけて1分以内にその膜が破けなければ合格だ。 簡単な仕事だったのですぐ馴れて一人前に仕事をしたような気になっていた。

鍛造                                                         まもなく鍛冶場(鍛造部門)に回された。ここは打って変わって厳しい職場だった。まず大ハンマーの振り方練習から始まった。1週間ほど毎日練習台の鉄の棒の頭をたたかされた。薪割りと同じで最初はなかなかうまく頭をたたけない。肩に力がはいり、ハンマーの柄を強く握りしめるので、じき血豆ができた。
   そんな勤労動員新入生のそばでかっこうよく「エヤ・ハンマー」を操る女子挺身隊がいた。鉄の加熱炉と灼けた鉄の熱で猛烈に暑い職場だった。みんな塩をなめながら働いた。そんな職場で女子挺身隊の女性はきりっとした和装でモンペ姿だった。女性が「エヤ・ハンマー」を操作することにも驚いたが、凜とした気迫があって圧倒された。
                
長い車軸の話      
   時も場所もはっきりした記憶はないが、仕事の合間に車輪の「焼き嵌め」や軸受けの構造を見学させてもらったことがある。そのとき、必要以上に長い車軸が使われていたが、そのわけを説明してくれた。日本が今にもっと発展したら汽車の線路も「広軌」になる。そのときに備えて今から長い車軸を使っているのだという。当時満州鉄道が広軌なのを知っていたのでなんとなく明るい気持ちになったことを覚えている。
 
貨車の解体
 リベットで締結されていた貨車の解体作業も体験した。太さ3センチ近く、長さ1メートル以上もある大タガネと大ハンマーを使って二人組でリベットを斫る(はつる)のだ。だいたいはハンマーの横振り作業になる。血豆を作りながらもハンマー振りを一生懸命練習したおかげで、何とか作業を続けられたが、大ハンマーの横振りは難しい。誤ってタガネを持っている作業員の耳にハンマーが当たり耳が聞こえなくなった話を聞いた。                      

勤労動員一回目終了
  五稜郭工機部の勤労動員は約三か月間だったと思うが、始まった時期と終わったときの状況記憶がまったく欠落している。                    (2016/10/6 )

            
  
                 

                                                    
 


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