山行記録・写真

楽しいことや苦しいことの思い出をブログにしてみました。

「蜩ノ記(ひぐらしのき)」葉室麟原作のテレビ作品観る   27.12.23

2015-12-24 04:58:56 | 葉室麟 作品集

「蜩ノ記(ひぐらしのき)」葉室麟原作のテレビ作品観る   27.12.23

 

役所広司が主演、最後家族と別れ死出の場所=切腹場所へ出向いてゆくシーンで終わる。

その際、妻と語る。

木々の一部が紅葉しており、秋の初めかな、蜩の鳴く夏の終わりなのでおかしいかな・・・・・?

旧暦なので、紅葉もおかしくないかな?

 

7ch開局記念作品とのこと。

 

妻が死に装束を縫いながら泣くシーンは身につまされる。

死に装束を揃え、短刀を抜き確かめ、袋に収める。

この袋を持ち、ひょうひょうと死に場所に向かい、歩いて行く主人公・・・・・。

切腹時期の3年前から、物語が進んでいく。

代劇は、ゆったり進み、感傷にひたれ、妻ともども喜んでいる。

最近めっきり減り、残念がっています。

 

既に2回読んだが、葉室麟氏の「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を、また読んでみようと思っています。

 

 

  • 葉室麟氏の作品について、初めての読書感のブログ

葉室麟 作品集 「橘花抄(きっかしょう)」 1

葉室麟の小説に出会ったのは、確か「蜩ノ記」であったと記憶する。

現在、葉室麟の作品集にはまっている状況で、ほぼ毎日読んでいる。

NHKの木曜2000からの時代劇でも、取り上げられた。

 

この45日で、「橘花抄(きっかしょう)」を読み終えた。

筑前黒田藩をめぐる内紛を描いたものだ。

この内紛のなかで、藩主に対し家臣はどうあるべきかを、「自己の生きる道」を全うすべきはどうするかが刻銘に描かれているようにも思われた。

時代背景は、1700年前後、3代光之~4代綱政藩主をめぐる親子の葛藤が内紛の元凶である。

 

主人公は、卯乃(うの)という女性であり、この内紛に翻弄されながら、悩み悩みながら自分の道を探し当てていく姿が描かれている。

葉室麟氏は、女性を描くことが非常にうまく、この作品では、和歌および香(香を聞く=香をかぐ)を随所に入れ、こまやかで揺れる女性の感情を綴られています。

 

皆さま、どの作品でも読んでみてください。

たぶんはまってしまうと思います・・・・・・ごめんなさい独断で。

時代背景は違うと思いますが、おおいに人生の指針になるかと思います・・・・・・・・。

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葉室麟 作品集 「緋の天空(ひのてんくう)」 9の1

2015-09-25 08:20:01 | 葉室麟 作品集

葉室麟 作品集 「緋の天空(ひのてんくう)」 91

 

奈良時代の聖武(しょうむ)天皇と光明(こうみょう)皇后を中心に描かれています。

やはり、女性を主人公にした小説だ。

本当に、葉室麟氏は、女性をすばらしく美しく描かれ、驚嘆する。

 

奈良時代前から奈良時代にかけて女性天皇が多いことに驚く。

 

名前の読み方が分からず、メモ帖を見ながら読みすすめています。

本当の読み方が分からないと、なんとなく、本当に読んでいないと感じてしまうからです。

 

 

天皇の系譜をまとめてみました。

 

斉明(さいめい)天皇(女)(天智・天武天皇の母)

 斉明7年(661) 朝鮮半島百済(くだら)の要請を受け、百済(くだら)救援の途中博多で没。

天智(てんち)天皇(中大兄皇子(なかのなかえのおうじ))

 中大兄皇子(なかのなかえのおうじ)と藤原鎌足が蘇我入鹿を討つ。

 天智2年(663)朝鮮半島出兵、唐・新羅(しらぎ)連合軍に大敗する。

天武(てんむ)天皇(大海人皇子(おおあまとのおうじ)、天智天皇の弟)

 686年、壬申(じんしん)の乱で、天智天皇の息子、大友皇子と皇位継承権を争い勝つ。

持統(じとう)天皇(女)(天武天皇の皇后)

 大宝2年即位

文武(もんむ)天皇(草壁皇子、天武天皇の息子)

 大宝7年 15歳で立太子(りったいし)、1年後天皇即位

 若くして没。

元明(げんめい)天皇(女)(天武天皇の母)

元正(げんしょう)天皇(女)(氷高皇女(ひだかのひめみこ)、元明天皇の娘、文武天皇の姉)

聖武(しょうむ)天皇首皇子(おびとのみこ)、父文武天皇と藤原不比等(ふじわはふひと)の娘宮子夫人を母とする息子)

   注:律令制における天皇の妻の位・・・・・➀妃 ②夫人 ③嬪(びん)

 

光明(こうみょう)皇后(聖武天皇の妻、安宿媛(あすかべひめ)から光明光(こうみょうし)、藤原不比等(ふじわはふひと)の娘。聖武天皇は、母の関係で藤原不比等(ふじわはふひと)の屋敷に住み、安宿媛(あすかべひめ)とは幼なじみ)

孝謙(こうけん)天皇(女)(聖武天皇と光明皇后の娘)

 

 

<長編小説ですので、まだ半分弱しか読んでいません。中間で知り得た内容をブログにしてみました。また、続編をお待ちください・・・・・・。>

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葉室麟 作品集 「天の光(てんのひかり)」 7 

2015-09-13 22:49:04 | 葉室麟 作品集

葉室麟 作品集  「天の光(てんのひかり)」 7 

仏師の作品は初めてだ。27.9.12(土)読み終えた。

仏像はどのようにあらねばならないかを、夫婦愛を通して突き詰めて行く作品である。

葉室麟氏の結論は、そのまま掲載させてもらうと、「おゆき(仏師清三郎の最愛の妻)幸せこそ、自分が精魂込めて彫り上げた仏だった。わたしの命の火が消えても、

ゆきは嘆かないで欲しい。わたしは、たとえ、自分が救われなくとも、いつまでも変わらず、おゆきに降り注ぐ。-天の光なのだ。」とある。

 

仏像が数多く出てくる。

ず、おゆきに似ている、「観音菩薩像(かんのんぼさつぞう)」が出てきて、これを彫り、祝言前におゆきに渡す。

その後、修行のため上京。

京での師匠の作品、「文殊菩薩像(もんじゅぼさつぞう)」。

京で作成の「観音菩薩像」、完成前像の顔にひびが入り、不吉な思いをいだき、寛文6年(1666)博多に戻る。

「十一面観音菩薩像」、「羅漢(らかん) 十大弟子」、「阿難(あなん)」、「目連(もくれん)」、「不動明王(ふどうみょうおう)(大日如来(だいにちにょら

い)の化身)」、「弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)」等を手掛けた。

 

この道のりで、仏像と夫婦愛のあり方を悩みながら、悟りを拓いていくのである。

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葉室麟 作品集 「無双の花(むそうのはな)」 6

2015-09-10 07:52:45 | 葉室麟 作品集

葉室麟 作品集  「無双の花(むそうのはな)」 6 

 

立花宗茂の一生を綴った作品である。

「立花の義は裏切らぬこと」との信念のもと厳しい道を切り開き天寿を全うした(寛永19年(1642)享年76歳没)武将の物語である。

主家の婿養子となり、立花となり、主家の娘「千代(ぎんちよ)」と結ばれる。

この千代(ぎんちよ)を、宗茂は「無双の花」と呼び、また、夫婦愛の素晴らしが描かれている。

 

無双とは、「故事成語「国士無双」に由来し、並ぶ者が居ないほど優れた者」を意味する。

 

秀吉の九州征伐で、その武功を認められ、九州柳川で13万2千石余りの領地を与えられた。

関ケ原の戦いでは、太閤の恩に報いるため西軍に加わる。

利あらず、大阪城での籠城を献策したが、ままならず、九州柳川に帰る。

鍋島は西軍に所属したが、いち早く徳川家康に謝罪し、立花宗茂討とうと、柳川に押し寄せてきた。また、東軍の加藤清正と黒田如水が押し寄せてきた。

どうにか和議が成立。西軍薩摩の征討の先陣となり、向かうが、薩摩が家康に謝罪で終結する。しかしながら、柳川は没収され、加藤家の厄介となる。

その後、京・江戸で、大名復帰を家臣とともに待ち望み、慶長11年(1606)、2代将軍秀忠に拝謁、旗本5千石で召し抱えられる。その後、奥州南郷1万石で大名に復帰、慶長15年(1610)3万石となる。

秀忠の側近の「御咄衆(おはなししゅう)」として、大阪冬・夏の陣にも参加。

元和6年(1620)11月、秀忠から「筑後柳川11万石に再封する」と沙汰される。

慶長6年(1601)に上洛して以来、実に19年が経っていた(18年前、千代(ぎんちよ)を亡くす。)。

宗茂は、この20年の間に、「わが立花の義は天下泰平のためにこそある」と知った。

朝鮮で戦い、関ケ原の戦いで敗れたわしに与えられた役目は、泰平の世を守ることであった。

 

・真田の義(真田信繁=真田幸村を登場させ)生き抜くことでござる。

・徳川の義(家康の義) 泰平の世を作るためには手を汚すことを恐れぬ。

・長宗我部盛親 西軍に属し、領地没収をされる。盛親に太閤への義とは問われ、宗茂は、「西軍に加わり、負け、柳川を没収されたので」帳消しと、この作品では描かれている。

 

 

 ・年表等

   慶長5年(1600)関ケ原の戦い 

   慶長8年(1603)家康 征夷大将軍 

   慶長10年(1605)秀忠 征夷大将軍 

   元和9年(1623)家光 征夷大将軍   

    故事成語「国士無双」に由来し、並ぶ者が居ないほど優れた者のこと

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葉室麟 作品集 「銀漢の賦(ぎんかんのふ)」 5

2015-09-08 12:09:47 | 葉室麟 作品集

葉室麟 作品集  「銀漢の賦(ぎんかんのふ)」 5

第14回松本清張賞受賞作。

27.9.8(火)0949読破。

 三人、日下部源五(郡方)、松浦将監(家老)、十蔵(百姓)の出会いから最後までを、日下部源五(郡方)の目や思いを通じて、その友情の尊さが語られていく。

 

・P242 「源五、わしに(松浦将監)に二度も友を見捨てさせるな(松浦将監が、十蔵を百姓一揆の首謀者として磔刑(はりつけけい)に処す)。」

 

・P256 峠で、日下部源五(郡方)、松浦将監(家老)の2人が、上意討ちの追っ手を撃退したあと、「夕斎(前家老)は失脚した時、ただ一人だけだったが。しかし、わしにには(松浦将監)友(日下部源五)がいた」

 

主人公達が、心血を注ぎ築いてきた月ヶ瀬藩を、末永く守りたいと願いが功を奏す。

 

松浦将監が、老中松平定信(まつだいらさだのぶ 天明7年(1787)老中主座、実在の人物)に訴え、藩主の国替えの意思を阻止した。

これを称え、「弧忠の行い」と綴っている。

 

これは、肥前唐津6万石藩主水野忠邦(みずのただくに)が老中になるため、遠江浜松藩7万石の国替えが題材になっているのではないかと推察します。

水野忠邦は、国替えに成功し、老中となり、12代将軍家慶(いえよし)のとき、「天保の改革」断行、余りに厳格な改革のため2年余りで失敗、隠居謹慎(いんきょきんしん)となる。後嗣は、2万石減封のうえ羽前山形(う ぜんやまがた)へ移封となる。水野家は、徳川家康の生母伝通院の実家で桓武平氏の祖先を持つ、忠邦を含め3人の老中を輩出している。

 

本小説では、「月ヶ瀬藩 6.5万石 → 下総古河藩 7万石(実高10万石) → 三河岡崎藩 → 月ヶ瀬藩 」、借銀の多い三河岡崎藩を救おうとしたよからぬ意図があったと・・・・。

 

この小説には、恋のせつなさ、夫婦愛、家族愛、約束をたがえないこと等、数多く盛られています。

 

銀漢とは、「天の川」さすとのこと。銀漢にまつわる漢詩を書き、松浦将監が十蔵に与えたものが、友を結ぶものとして描かれている。

源五が、「頭に霜を置き、年令を重ねた漢(おとこ)も銀漢かもしれんな」・・・・3人とも銀漢と思う。

 

素晴しい小説なので、是非一読をお勧めします。

 

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葉室麟 作品集 一覧

2015-09-04 19:02:12 | 葉室麟 作品集

葉室麟 作品集  一覧

 

「蜩ノ記(ひぐらしのき)」、この作品の映画化が大きく喧伝され話題となった。

この2ないし3年前か。

もともと時代小説は好きで、図書館の単行本を過去よく読んでいた・・・・・しかし、相当の中断期間があったように思う。

この「「蜩ノ記」を丸の内の紀伊国屋書店で購入。

こののち、葉室麟氏の作品にほれ込み、今もって読み続けている。

主人公は、江戸藩邸において側室をかばって不義を働いたと、主君にとがめられ、藩史編纂を指示され、3年後の切腹を命じられていた。

 

男女の愛の切なさ、特に、女性からの視点から描かれた優れた作品が多い。

 

 

今まで読んだ作品および今後読もうとしている小説の一覧です。

➀ 27.9.4(金)までに読んだ作品

1 蜩ノ記(ひぐらしのき) 2012年 第142回直木賞受賞

2 いのちなりけり

3 花や散るらん

4 おもかぜ橋

5 春雷(しゅんらい)

6 峠しぐれ

7 散り椿

8 川あかり

9 秋月記

10 潮鳴り

11 陽炎の門(かげろうのもん)

12 霖雨(りんう)

13 恋しぐれ

 

14 橘花抄(きっかしょう)  読書感をブログに

15 月神(げっしん)  読書感をブログに

16 風渡る  読書感をブログに

17 千鳥舞う  読書感をブログに

 

18 柚子(ゆず)の花咲く

19 蛍草

20 さわらびの賦 

21 風花貼(かざはなじょう)

 

② 今後、読もうとする作品

22 銀漢の賦 2007年 第14回松本清張賞受賞

23 緋の天空

24 無双の花

25   天の光

 

注:2005年「乾山晩愁」で第29回歴史文学賞受賞、作家デビュー

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葉室麟 作品集 「風渡る」 4

2015-09-01 22:55:45 | 葉室麟 作品集

葉室麟 作品集  「風渡る」 4

筑前黒田藩の藩祖黒田官兵衛イエズス会日本布教宣教師ジョアン( ➀1579年イエズス会55人の名簿 日本人イルマン・ジョアン 28,9歳。イエズス会士としてすでに9年か10年。ポルトガル語をきわめて上手に話し、日本語で説教する。現在口之津在住。 ②この小説では、大友宗麟が父で、母はポルトガル人と中国人の混血として描かれている。 )との関わりを通じて描かれている。

 

スケールのおおきな小説で、戦国時代の末期から安土・桃山時代にかけての物語である。

 

この小説は、秀吉の天下となり、秀吉が朝鮮と明に対し野望をいだいて乗り出そうといるあたりで終わっている。

 

 天文18年(1549)7月 ポルトガルのイエズス会の活動の波及で、フラシスコ・ザビエル他の宣教師が鹿児島に到着。

 

本能寺の変(1582年6月2日)が、伝わり、黒田官兵衛は秀吉に、次のように言ったと伝えられている。

「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘なりたり」

1582年6月13日山崎の合戦で。秀吉、光秀を破る。

 

黒田官兵衛は、天正11年4月、賤ヶ岳(しずがだけ)の戦いの後、キリシタンの洗礼を受ける。

 

 

天正14年(1586)10月、豊前 小倉城で、黒田官兵衛とジョアンと面談。秀吉の九州征伐の軍監となり小倉滞在中。

 

1587年4月21日、島津義久、秀吉の弟秀永に降伏。これにより、ほぼ全国統一、小田原の北条氏のみが

秀吉になびかず。

1587年 5月2日 大友宗麟、津久見で、死去。死の直前宗麟が、ジョアンに自分が父親と告白する。

1587年6月19日 秀吉、伴天連追放令発する。

 

◎年表など

永禄11年(1568)信長、足利義昭を擁して上洛果たす。

1569年、フロイス神父、信長に面会。

1570年、第3代日本布教長カブラル神父派遣(初代ザビエル、第2代トルレス)。

信長の前で宗教論争、ロレンソは仏僧朝山日乗(あさひやまにちじょう)を巧みに論破。

1571年 黒田官兵衛 26歳、小野寺家の家老。

1571年9月 信長、比叡山焼き討ち。

1572年1月、カブラル、フロイス、ロレンソ(日本人修道士)、ジョアン信長に拝謁。

天正元年(1573)7月 信長、義昭追放、室町幕府滅亡。

1573年5月 長篠の戦い。火縄銃の連射戦術(射撃方法)、西洋より50年先駆けて信長用いる。

1573年7月 黒田官兵衛、秀吉に伴われ信長に拝謁。

1577年10月 秀吉4千、播州入り、黒田官兵衛は居城の姫路城を秀吉に提供。

1577年12月 日向伊東氏、島津氏に攻め込まれ、豊後大友氏を頼る。

1578年3月 大友氏、3万の兵を率い日向へ出兵、4月日向の中央を流れる耳川(みみかわ)以北支配においた。

1578年7月25日 大友宗麟、臼杵の教会でカブラル神父から洗礼を受けた。洗礼名は、宗麟が尊敬するフランコ・ザビエルにあやかって、ドン・フロンシスコである。

1578年11月12日 耳川の戦い、大友氏、島津氏に敗れる。

1578年11月 黒田官兵衛、荒木村重の有岡城の土牢に閉じこまれる。

1579年11月19日 黒田官兵衛救出される有岡城が降伏開城した日に。これに先立つ5ヶ月前、竹中半兵衛が播州平井山の陣営で病死していた。黒田官兵衛の長男松寿丸は竹中半兵衛が信長から守り、生存。

1579年7月2日 イエズス会ヴァリニャーノ巡察師来日、ポルトガル船で島原半島の口之津港に降り立つ。

 

1580年1月17日 羽柴勢が囲んでいた三木城、降伏、開城。

1580年 スペイン、ボルトガル併合、スペイン王がポルトガル王を兼ねる。

1581年2月 ヴァリニャーノ巡察師、安土で信長に謁見。

1582年 ジョアン32歳、長崎在住。

1582年1月ローマ教皇への少年使節、正使千々石ミゲル、伊東マンショ、副使原マルティーノ、中浦ジュリアン、ヴァリニャーノ巡察師に伴われ、長崎出発。

 

1582年 信長甲斐から凱旋。

 

1582年5月7日 信長、三男神戸信孝に四国征討を命じた。

 

1582年5月29日 信長、安土出て京に向かう。

   6月2日 未明七つ(午前4時)、明智勢、本能寺を囲む。六つ半(午前7時)本能寺炎上、信長自決。

        明智勢、引き続き二条御所を包囲、信忠自決。

 

 

1585年8月 黒田官兵衛、豊臣勢13万の軍監として四国入り、長宗我部元親降伏。

 

天正10年(1582)までに日本のキリシタン信者は、10万人に達した。アジア諸国では例を見ない成功であった。

 

黒田官兵衛は、如水(じょすい)(「水の如く自在に生きよう」)という号を用いた。

信長が目指したのはポルトガルのような「海洋帝国」だった。」

金平糖はポルトガルの菓子。

堺は、河内、和泉、摂津の境に位置することから、地名になったという。

宣教師は、堺をイタリアの自治都市にちなんで、東洋のヴェネツィアと呼んでいた。36人の会合衆(えごうしゅう)にろる自治。

黒色火薬、木炭、硫黄、硝石を混ぜて作る。

塩飽水軍(しわくすいぐん)、黒田官兵衛の配下となる。

大村純忠、イエズス会に長崎6町を知行地として与えること申し出て、ヴァリニャーノ巡察師はこれを受け入れる。

キリシタン大名 大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、高山右近・・・。

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葉室麟 作品集 「千鳥舞う」 3

2015-08-25 12:40:51 | 葉室麟 作品集

 葉室麟 作品集  「千鳥舞う」 3

「月神(筑前黒田藩士の月形洗蔵の信念は、「月となって夜明けを先導」、これを信じ従兄弟の月形潔が樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、管理にあったての葛藤を描いたもの。)」読破後、女性絵師の春香(しゅんこう。絵師としての号)=里緒(りお)を主人公にした、男女あるいは親子の愛憎を描いた、「千鳥舞う」を、27.8.25(火)0855読み終えた。

 

葉室麟氏は、女性を主人公にした小説の素晴らしさを、最近読破の「橘花抄(きっかしょう)」と同じように感じた。

博多八景を屏風に描いて欲しいとの依頼を受け、これを完成・披露するまでの姿が描かれている。

春香は、筑前黒田藩の作事方、七十石箭内重蔵(やないじゅうどう)の三女に生まれる。

幼いころから絵を描くことを好み、十歳の時に衣笠春崖に入門がかなった。

 

杉岡外記=守英が、博多の青蓮寺(しょうれんじ)からの依頼で屏風図を描くため、江戸から博多に訪れた際、同門よしみから衣笠春崖が手伝い絵師の世話を頼まれ、春楼と春香を推挙した。

箱崎浜で竜巻がつれてきたのか、おびただしい数の千鳥が舞うのをみて、杉岡外記がこれを描くと・・・・声を震わせて叫んだと・・・・・。

ここに、「千鳥舞う屏風」の誕生のきっかけが・・・・。

また、この1年後、春香の下駄の鼻緒が切れ、このため浜から、春香の住む町屋へ杉岡外記におんぶされ・・・・・

杉岡外記を引き留め、夕餉を終え、絵について語りあっていくうちに、・・・・・身も心も激しく求めあった。

杉岡外記は江戸に妻ある身、不義密通となり、二人でつくりあげた「千鳥舞う屏風」は不浄なものとして焼却されてしまった。

 

二人とも破門された。

 

杉岡外記は、博多を去るにあたって、春香に江戸の妻女と離縁し3年たてば博多に舞もっどってくるとの手紙を残した。

 

3年が経ち、杉岡外記が破門を解かれるとの話から、衣笠春崖は春香の破門を解き、亀谷藤兵衛の依頼の屏風の作成を担わせた。

 

博多八景の屏風の下絵をつくるため、お文を伴って風景をみつつ、どのような図柄にするか・・・・・・この思索のなかで、男女あるいは親子の愛憎にふれ、自身の杉岡外記に対する愛とを重ねあわせ、描かれている。

 春香は、杉岡外記が博多に船で帰ってくる風景を描きたいと、願っていたが、かなわなかった。妻に毒をもられ、一旦回復したが、衰弱がひどく遂に帰らぬ人となった。

この悲しみを乗り越え、絵師として力強く生き抜く決心をした。

 

博多八景

・濡衣夜雨(ぬれぎぬやう) 石堂川の河口付近の濡衣塚の周囲の風景を描いたもの。

・永橋春潮(ながはししゅんちょう)  那珂川の河口に、かって架かっていた、まぼろしの永橋(約147メートル)を描いたもの。

・箱崎晴嵐(はこざきせいらん)  箱崎浜に晴嵐(晴れた日の吹く山風)が吹くことを描いたもの。

・奈多落雁(なたらくがん)  奈多海岸の風景を描いたもの。

・名島夕照(なじませきしょう)  多々良川の河口に近い博多湾を望む名島の浜の夕日と茜色の海を描いたもの。

・香椎暮雪(かしいぼせつ)  香椎神社(もともとは廟(びよう)で香椎廟と呼ばれたいた。この地で没した仲哀天皇の霊を神功皇后が祀ったのが始まりとされる)の夕暮れの雪を描いたもの。

・横岳晩鐘(よこたけばんしょう)  筑前黒田藩菩提寺の崇福寺(そうふくじ)を描いたもの。

・博多帰帆(はかたきはん)  博多津にに入ってくる帆船を描いたもの。

 

主人公を取り巻く主要な面々

・杉岡外記=守英(もりひで。狩野派の芸名)  春香の想い人。江戸の絵師、妻女あり。狩野派一門。

・衣笠春崖(きぬがさしゅんがい) 春香の師匠。筑前黒田藩の御用絵師。

・春楼(しゅんろう) 春香と同門、兄弟子。

・お文 絵を描く手助けで、付き人。父は、殺人で流罪、赦免博多に帰る。

・お葉 身の回り世話、付き人。一時、夫とうまくいかず、絵に没頭、その師匠と駆け落ちを考えたが思い留まる。夫ほ、白水養左衛門(しろうずようざえもん)、もともと目医者、筑前黒田藩藩主永溥(ながひろ)の改革で御救い奉行となり改革を進めるが失敗、その後の献策で御咎め受け、お文の父の赦免船で流罪となる。

この際、春香に夫を待つと伝えた。

・湖白尼(こはくに)=お雪 春香の師匠衣笠春崖の想人、武家の奥方、夫が死亡し尼となる。衣笠春崖が絵の手ほどきで好きになったが思い留まり、生涯独身を通す。衣笠春崖を看病し、最後を看取る。

・亀谷藤兵衛 春崖を通じ、春香に屏風つくりをお願いした博多の豪商。屏風は、「人々の心願」となると、春香を物心両面で支える。1800年代幕末、筑前黒田藩の改革失敗のあおりで、謹慎、加瀬茂作に後事を託す。

・加瀬茂作 博多の豪商。屏風の完成および披露を助ける。

 

印象にに残った文章

・P6 放生会(ほうじょうや) 毎年815日、筥崎宮で行われる。本来、放生会(ほうじょうえ)は、仏教の殺生戒により捕らえられた生き物を放す儀式。博多では、放生会(ほうじょうや)と言われ、朝廷が九州の隼人族を征伐した後、戦で犠牲になった敵味方の霊を慰めたのが始まりと伝えられているとのこと。

 

・p343 葬式  「・・・・・・・なにゆえ、人が葬式行うかと言えば、亡くなった仏が親しき者を道連れにせず、一人で成仏してもらうためじゃ。ひとりで成仏するのは寂しかろうゆえ、皆でにぎやかに見送ってやるのが、葬式じゃ。親しいものが逝ったからというて、自らの生きる力を失うては亡くなった者がこの世へ未練を残して成仏の障りになろうど」

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葉室麟 作品集 「月神」 2

2015-08-23 13:27:44 | 葉室麟 作品集

 

葉室麟 作品集  「月神」  2

「橘花抄(きっかしょう)」の前後に、「月神」を8.23(日)1015読み終えた。

時代背景は、幕末から明治18年、筑前黒田藩士の月形(つきがた)洗蔵と月形潔の従兄弟の物語である。

月形(つきがた)洗蔵は、筑前黒田藩尊王攘夷派の中心として志士を先導したが、藩主の意に添わず入牢後、斬首された。

その従兄弟が月形潔で、兄のように慕っていたのが月形洗蔵で、その信念は、「月となって夜明けを先導」するとのことであった。

この言葉を信じ、明治13年(1880年)421日正午汽船で函館着から、北海道の踏査および樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、典獄(現在の刑務所長)として明治18年までの5年間におよぶ、葛藤を描いています。

 

注:樺戸集治監(現在の刑務所)の地は、月形潔の「月形」をとり「月形村」と命名された。

  現代、月形村は、月形町になり、観光スポットとし樺戸集治監(現在の刑務所)があげられている。

  樺戸集治監(現在の刑務所)は、明治14年開庁、大正8年廃監される。

 

主人公を取り巻く主要な面々

 

・海賀直常 筑前黒田藩士で、月形潔を補佐する。

・レコンテ アイヌと倭人(父)の混血児。樺戸集治監(現在の刑務所)の踏査の案内役。月形潔の従僕となる。最後、囚人の脱獄の主犯となり、死亡する。

・杉村義衛=長倉新八 新選組2番隊長、近藤勇と袂を分かつ。明治4年杉村家の養子となる。剣術(サーベル)指南として樺戸集治監(現在の刑務所)に来監。

・五寸釘の寅吉 囚人で何時脱獄するかも分からない注意人物。6回脱獄。最後は網走監獄で模範囚となり、72歳で釈放される。

・月形磯 月形潔の妻。養蚕を月形村に広め、殖産の一助を担う。

 

 

神にかかわる言葉

 

・月神 神功皇后が征韓の船を出したおりの先導神は月神であった。

・カムイ アイヌ語で神

・ウェンカムイ 悪い神

・キンムカムイ 羆で山の神

・クンネ(黒い)チュブ(太陽)カムイ 月神

・ペケレチュブカムイ 日神

・アイヌの日神と月神 この国の霧でおおわれ暗い場所を照らそうとし、日神は雌岳(マツネシリ)から

月神は雄岳(ピンネシリ)から黒雲に乗り、天に登ったとのこと。

 

 

印象にに残った文章

 

・p-153 「監獄は一軒の家で言えば便所のようなものだ。不浄だが、ひとが生きているかぎりつきまとう。便所を清潔できれいにしている家は、家風がしのばれる。国家の監獄もまた同様ではないか。監獄がまさしくひとを悔い改めさせ、善用する道を開くならば、その国家は前途洋々としている。」

 

 小説では、北海道への船中で海賀直常が嘯いたと描かれており、月形潔が、「心中では深く感銘を受けていた。」とある。

 

これは、樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、管理するための導き=指針となるもであろうと考える。

月神に通じるものがある。

 

もう一つ妻の励ましの言葉にも、月神に通じるものと思われる。

・p-272 木に例え、「木々の根は地中に隠れて見えませんが、根がなければ幹や枝が伸びず、葉も茂ることがなく、まして花は咲きません。あなたは根の仕事したのだ、とわたしは思っております。」

 

 

・p-282 「誰もが役割や使命を帯びてこの世に生まれてくる。」

私は、この言葉に一番感銘を受けた。

この言葉をいつも胸に秘め、日々を過ごしたいと痛切に感じた。

 

寝屋川市の殺人事件等に思いをいたせば、他人の命を絶つことは許しがたいことだ・・・・・・・。

 

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葉室麟 作品集 「橘花抄(きっかしょう)」 1

2015-08-22 06:02:46 | 葉室麟 作品集

 葉室麟 作品集 「橘花抄(きっかしょう)」 1

葉室麟の小説に出会ったのは、確か「蜩ノ記」であったと記憶する。

現在、葉室麟の作品集にはまっている状況で、ほぼ毎日読んでいる。

NHKの木曜2000からの時代劇でも、取り上げられた。

 

この45日で、「橘花抄(きっかしょう)」を読み終えた。

筑前黒田藩をめぐる内紛を描いたものだ。

この内紛のなかで、藩主に対し家臣はどうあるべきかを、「自己の生きる道」を全うすべきはどうするかが刻銘に描かれているようにも思われた。

時代背景は、1700年前後、3代光之~4代綱政藩主をめぐる親子の葛藤が内紛の元凶である。

 

主人公は、卯乃(うの)という女性であり、この内紛に翻弄されながら、悩み悩みながら自分の道を探し当てていく姿が描かれている。

葉室麟氏は、女性を描くことが非常にうまく、この作品では、和歌および香(香を聞く=香をかぐ)を随所に入れ、こまやかで揺れる女性の感情を綴られています。

 

皆さま、どの作品でも読んでみてください。

たぶんはまってしまうと思います・・・・・・ごめんなさい独断で。

時代背景は違うと思いますが、おおいに人生の指針になるかと思います・・・・・・・・。

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