旅の途中 FM銀河「てんがらもん」の毎日

FM銀河「てんがらもん」のパーソナリティが管理人。地域の情報が溢れ・リスナーさんも発信できる建設的な番組に。全国区。

海外での初仕事反省ばかりです、でもまた行きたい

2023-10-21 | 日記

2023年10月21日(土)4年半前の記事アップ

2018年11月12日(月)

2日目(11日)の報告

 昨夜はあまりに楽しく飲んで食べてしゃべって、ホテルで

お風呂もそこそこにバタンキューでした。

考えてみれば2時間余りの飛行と、その後も二つの保育園

はかなり離れていて車での移動、ひたすら珍しくて初対面の

上野・山崎両園長さんの窓のその景色と永良部の暮らしを

たくさん聞くことができました。

機会があればその話題もにも触れるつもりです。

わらべ歌の子どもちのエネルギーにも飲み込まれました。

 朝の日の出、ホテルより。何しろホテルは目の前に太平洋が

広がり、水平線のかなたの日の出を見ることができたのです。

帰りのフライトの時間の都合により、午前中は、ホテルで

ゆっくりすることに。

お土産などもホテルの売店で見繕い、明後日が誕生日の

次女へもあれこれ選んで贈りました。

1年前天皇皇后両陛下がこのホテルに泊まられたそうです。

ホテルのレストランで昼食・オムライス定食をいただきました。

周りのお客さんはほぼ全員とんかつ定食だったので???

よほど皆さんとんかつがお好きなのかと

思ったのですが、終わって気が付いたら日替わり定食で

とんかつ定食がいつもより安かったのです。

12:30 3週間も前から予約していた「永良部観光タクシー」

の亀沢さんのタクシーでホテルを出ました。

S46年うまれ 26年前までは奄美本島で育ち両親の仕事手伝い

(建築業)でやってきてすっかり島の暮らしが気に入ったので

今に至っている。小さいときから音楽好きで楽器も色々、

バンドではボーカルも、サンシン(三味線の一つ)や打楽器・

・釣り名人。観光タクシーの他代行も・・奥様・ピアニスト

沖縄出身・息子さんサンシンや打楽器で大活躍している。

(多少聞き違いがあるかな)

エピソードとして飛行機に乗れない。怖い。船で行き来している。

 

(帰り空港まで送っていただいたら同業の永良部タクシーさんに

ばったり。1枚とっていただきました)イケメン46歳です。

お母さんが少し耳の聞こえが悪いことや、膝を痛めていることなど

共通の話題で、車中―も会話が途切れない二人でした。

 

    

昇竜洞奄美十景の一つ―2700Ⅿを一人で歩きました。

ちょっと不安でした。階段がたくさんあること。薄暗い。

誰も観光客はいない?

入り口で竹の杖を借りて歩き始めました。

確かに暗いのですが、数Ⅿおきに照明が人が通る時だけセンサーで

ついたり消えたり・・でした。25分かかりました。

 

 見事な芸術作品のようですね。

 

 途中センサーでガイドも入ります。

でもひたすら前へ前へ。ときどき腰をかがめないと

歩けない箇所もあるので目を光らせて前を確認しました。

 じっくり観察はしませんでしたが太古の昔から変化してきた

自然の産物沖縄や山口県の秋芳洞でも見てきたので

数十年ぶりの対面でした。

 入り口と出口は違うので、折り返しはできない・

・観光ガイドさんは出口で待っていました。

3時間で回ったところを詳しくはできませんので

写真で並べてみることにします。

「沖永良部田皆岬」の画像検索結果  

田皆岬    西郷隆盛が島流しで生活したかやぶきの家 その記念碑

        

南洲神社                西郷記念館   ガジュマルのみ

「沖永良部の自衛隊駐屯地」の画像検索結果

自衛隊駐屯基地 

もし戦争が起これば一番にやられるから・・

通信基地の存在をこうガイドさんは話されました。

日本一のガジュマルの木 国頭(クニガミ)小学校。創立120年

このガジュマルは近くに植えられていますが、

もし小学校のガジュマルが老化したり台風

などで倒れたりした時のために準備されているそうです。

民家の隣の空き地に。

 

非核は豊かな街の合言葉 核よお前は何のために生まれたのか 

素晴らしい標語 

 

海岸べりの岩、とがってごつごつしています。フーチャによるものです。

フーチャ 水しぶき。 吹き付ける風、押し寄せる波大きな

水しぶきが上がりますその水しぶきは岩の形を変える強さです。

 

ウミガメが泳いでいるのがあちこち見かけられました。

 

 沖縄のお墓は女性の子宮をかたどったものですが、

ここに沖縄からの移住者の沖永良部を収めていた

世之主の墓が建立されていますが、その建築年は不明です。

 

 

  

  出迎えてくださったお二人が見送りにも来てくださいました。

空港は和泊町、二人は知名町かなりの距離で恐縮の限りでした。

せっかくの日曜日に…ただただ感謝です。

 上野先生に1週間前につけたパパイヤ付けと島桑青汁のお土産

もいただきました。帰りは80人乗りの飛行機・・

今度は横の機体が邪魔しない一番後ろから2番目の席を

選んでくれました。

(でもルートが少し違うので。左右2人掛けの席をあっちに行った

りこっちに行ったりしました。)考えてみるといい年をした

ばあちゃんが、行きも帰りもカメラ片手に、

眼下の島を必死に撮ろうとしている姿は滑稽でしたね。

 ガイドさんも珍しいお客さんなので

「いま向こうに屋久島ですよ」と教えてくれました。

離陸直後 です。

 

ハートの形の宝島は鹿児島市に入ります。

すぐ隣に小宝島があるのですが。

小宝島からよいこの家の保母平田ゆう子先生がやってきました。

2年ほどで結婚して今も伊集院にいるのかな?

屋久島と口永良部島(私が撮りました)

 

開聞岳と洛陽

 

 

 

櫻島を機内から・だんだん薄暗くなってきました・まだ5:30です。雲海です。

いよいよ車輪が出て下降し始めの準備が始まりました。

 空港についたらすぐ「出迎え見送りに来ていただいたお二人」に、

つけ上げのお礼を手配して帰りました。

 

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