異常性愛の精神医学 小田晋 ふたばらいふ新書
2000年3月15日、新訂発行
定価(本体819円+税)
ブックオフ価格108円
第1章 本能から切り離された人間のセックス
第2章 人間は性欲に支配されているのか
第3章 時代とともに変わる性の正常と異常
第4章 なぜ性の快楽と暴力の快楽が結びつくのか
第5章 性が犯罪に結びつくとき
第6章 異常性愛と犯罪との関係
第7章 誰でもが暗い衝動に駆り立てられるのか
第8章 神戸小学生殺害事件の心理分析
第9章 何が日本人の「性」を変えたのか
〇女子高生コンクリート詰め殺人事件~1988年11月25日、帰宅途中の女子高生Wさん(18)に少年Cが襲いかかった。主犯である少年Aが助けるふりをして近づき、甘言を弄して誘拐。少年B、Dも荷担。C宅に略取した。その後41日間、Wさんを不法に監禁、強姦行為や暴力行為、陵辱を繰り返した。1989年1月4日、Wさんはショック死。4人は遺体をボストンバックに入れた後ドラム缶にコンクリート詰めにし、空き地に投げ出した。
〇出歯亀~一般に窃視(覗き)行為やその常習者、もしくは窃視症や窃視趣味、ときには単に好色な男のことを指す。「覗き」と亀に関係があるわけではなく、これは猟奇殺人事件の犯人であった覗き常習犯の渾名に由来すると言われるが、詳細は本文を参照のこと。英語では「ピーピング・トム(Peeping Tom)」という言葉が概ねこれに該当する。
この語は使用者によって若干の意味の広がりを持ち、窃視行為そのものを指す場合がある一方で、その行為により性的興奮を覚えること(=窃視症)を示す言葉としても使われる。
出歯亀という言葉の語源は、1908年に遡る。この年の3月22日、豊多摩郡大久保村(現在の東京都新宿区大久保)で銭湯帰りの女性(当時27歳、実は詩人・野口米次郎の元妻)が殺害され、手ぬぐいを口に押し込まれた状態で発見された。この事件が判明の当初より大々的に紙誌で報道される中、以前にも女湯の覗き行為を行っていた「出歯の亀吉」こと植木職人の池田亀太郎(当時35歳)が強姦殺人の犯人として逮捕された。
衆目を集める事件であったために、新聞は捜査の当初から詳細に報道しており、逮捕時には大見出しが紙面を飾った。また、池田が出っ歯という身体的特徴を持っていたことから彼を出歯亀と呼んで報道し、その語は彼を指す言葉としてここで定着したという。このセンセーショナルな事件は「出歯亀事件」として同時代人の心に焼き付き、森鴎外も「ヰタ・セクスアリス」の中で言及している。そして現代にまで出歯亀という語は窃視趣味やその窃視行動を指す語として残り、犯人は不名誉な形で末代まで名を残すこととなった。(wikipedia)
〇パリ人肉事件~1981年、フランスで起こった猟奇事件。当時、フランスに留学していた佐川一政がオランダ人留学生を射殺し、その肉を食べた。
1981年6月11日、フランスの首都、パリに留学していた日本人留学生佐川一政(当時32歳)が友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅に呼び出しライフル銃で射殺した。佐川は衣服を脱がせ屍姦したあと遺体の一部を生のまま食べ、また遺体を解体し写真を撮影して遺体の一部をフライパンなどで調理して食べた。
6月13日、残った遺体をスーツケースに収め近隣の池に捨てようとしたところを目撃され逃亡。目撃者が遺体を発見し警察に通報され、2日後に逮捕された。
佐川は犯行を認め裁判では心身喪失であったとして不起訴処分で無罪となり、フランス国内の精神病院に入院する。翌年、帰国し都内の病院に1年間入院した後、退院する。
退院後、出版した書籍が大ヒットする。現在では作家やコメンテーターとして時々公に姿を見せている。このような事情から社会的制裁が不充分であるとの意見も多い。
〇宮﨑勤幼女連続殺人事件~1989年7月23日午後、宮崎勤(26)は幼女(6)に声をかけて車に乗せ、八王子郊外の山林に連れ込み、裸にしてビデオを撮ろうとしたところ、尾行していた幼女の父親に捕まった。その後の取り調べにより、4件の犯行が明らかになった。
1988年8月22日夕方、入間市内を歩いていた幼女(4)に声をかけ、八王子市内の山林に連れ出したが泣き出したので絞殺。遺体をビデオに撮った後、衣服を持ち帰る。
1988年10月3日、飯能市の小学校付近で遊んでいた幼女(7)を誘拐して殺害。
1988年12月9日、川越市の自宅団地のそばで遊んでいた幼女(4)を誘い出し、殺害。
1989年2月6日、8月22日に殺害した幼女の骨片や歯などが入ったダンボールを、幼女の家の玄関に置いた。1989年2月10日、朝日新聞社宛に、誘拐、殺害の詳細を綴った「今田勇子」名義の手紙が届く。1989年6月6日、江東区の公園で遊んでいた幼女(5)を誘拐して悪戯、殺害。遺体を自宅に持ち帰り、ビデオ撮影。二日目には遺体を切断し飯能市の霊園などに捨てた。
1989年8月11日、一連の幼女連続殺人事件の被告として、正式に逮捕された。一審東京地裁での精神鑑定では、「極端な性格的偏り(人格障害)はあったが、精神病の状態にはなかった」「多重人格と離人症を主体とする反応性精神病」「精神分裂病だった」という3通りの結果が出た。一審判決では最初の精神鑑定を採用し、刑事責任能力があると判断して死刑判決。弁護側の「心神喪失もしくは心神耗弱」という意見は退けられた。2001年6月28日控訴棄却。2006年1月、最高裁で死刑が確定した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)
〇大久保清連続殺人事件~大久保清は小学生の頃から早熟で強姦他で前科4犯だった。1971年3月に出所後、親に最新型のスポーツカーを買ってもらい、コスチュームはベレー棒とルパシカ。画家や詩人、教師になりすまし、女性を誘う。
1971年3月から5月にかけて、大久保清(当時36歳)が女性8人を次々と殺害した事件。
逮捕されるまでの73日間に127人の女性に声を掛け、35人を車に連れ込んでいた。騒がれた相手には強姦、そして殺害して死体を山中に埋めていた。合計で8人を殺害。1971年5月13日、群馬県藤岡市の会社員(21)を誘拐した容疑で群馬県警藤岡署に逮捕された。色々と抵抗したものの、7月までに全てを自供。死体は掘り出された。1973年2月の一審判決に控訴せず、そのまま死刑が確定。
1976年1月、死刑執行。腰を抜かし、刑務官に支えられたまま死刑台に連れていかれた。
3月29日、別事件で少年鑑別所に収容されていたA、Bのもとに、綾瀬署の刑事が訪れた。刑事たちは、1988年11月16日に起きた綾瀬母子殺人事件の捜査で、現場付近の不良グループを虱潰しにチェックしていた。刑事はAを見て、何かあると思い「お前、人を殺しちゃ駄目じゃないか」とカマをかけた。Aは「すみません、殺しました」と答えた。しかし告白したのは、綾瀬の事件ではなく、本事件であった。
1990年7月、東京地裁はAに懲役17年(求刑無期懲役)、Bに懲役5年~10年(求刑懲役13年)、Cに懲役4年~6年(求刑懲役5~10年)、Dに懲役3年~4年(求刑懲役5~10年)の刑を言い渡したが、検察側は刑が軽過ぎると控訴。1991年7月、東京高裁でAに懲役20年、Bに懲役5年~10年、Cに懲役5年~9年、Dに懲役5年~7年の刑を言い渡し、確定。既にB、C、Dは出所している。
99年に出所したBは2004年5月19日未明、東京都足立区の路上で、好意を寄せていた女性と交際していると思い込んだ知人男性に「女を取っただろう」などと言いがかりをつけ、車のトランクに押し込んで埼玉県内のスナックに4時間以上監禁し、顔を殴るなどして約10日間のけがをさせた。このとき、Bは男性を「人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ」などと脅していたとされる。Bは6月4日に捕監禁致傷の疑いで逮捕された。2005年3月1日、東京地裁はBに対し、懲役4年(求刑懲役7年)を言い渡した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)